第五話 迷い道と春のひととき
〜春風の縁側〜
白峰神社に、穏やかな春の風が吹いていた。
境内を囲む木々は柔らかな緑をまとい、石畳の隙間には小さな草花が顔をのぞかせている。
桜花は縁側に腰を下ろし、膝の上に置いた桜蕾を静かに見つめていた。
古文書を読んで以来、彼女の胸にはいくつもの疑問が残っている。
十の型は、十にして終わるにあらず。
そして、最後の型を知る者は、その名を口にしてはならない。
言葉の意味は、まだ分からない。
けれど、分からないからこそ、急いで答えを出すべきではないのだろう。
「……難しいですね」
小さくつぶやいた桜花の隣で、白夜がひょいと顔をのぞかせた。
「なにが?」
「紅残光 一刀流のことです。知れば知るほど、分からないことが増えてしまって」
「ふ〜ん。じゃあ、考えるのをやめちゃえば?」
「それでは、何も分からないままですよ」
「でも、ずーっと難しい顔してるじゃない。せっかくの春なのに、もったいないよ?」
白夜はそう言って、桜花の顔を両手で挟むようにして、ぐいっと自分のほうへ向けた。
「ほら、笑って笑って!」
「び、白夜さん……近いです」
「いいから!」
桜花は困ったように目を伏せたあと、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……これでよろしいでしょうか?」
「うん! やっぱり桜花は笑ってるほうがいいね!」
「....ありがとうございます」
「えっ、そこでお礼を言うの?」
白夜が目を丸くする。
桜花はくすりと笑った。
先ほどまで胸の中にあった難しい問いが、ほんの少しだけ遠のいた気がした。
〜お茶と、穏やかな時間〜
「お二人とも、何をしていらっしゃるんですか?」
社殿のほうから、こはくが歩いてきた。
手には湯気の立つ茶器と、菓子を載せた盆がある。
「桜花が難しい顔をしてたから、私が元気づけてあげてたの!」
「なるほど。それで、あのようなことを……」
こはくは微笑みながら盆を縁側に置いた。
「お茶を淹れました。お二人とも、少し休憩にしませんか?」
「ありがとうございます。いただきます」
桜花は丁寧に頭を下げ、茶器を受け取った。
温かな茶を一口含む。
ほのかな香りが広がり、張り詰めていた気持ちがゆっくりとほどけていく。
「おいしいですね」
「よかったです。難しいことを考えるときにも、休む時間は必要ですから」
「こはくもそう思う? じゃあ、お菓子も食べよう!」
白夜は待ってましたと言わんばかりに菓子へ手を伸ばした。
「白夜さん、先ほどから元気づけるというより、ご自身が楽しんでいませんか?」
「えっ? そんなことないよ?」
「ふふっ。そういうことにしておきましょう」
桜花は茶器を置き、二人の様子を眺めた。
こうして誰かと他愛のない話をする時間は、思っていた以上に心地よい。
旅を続けていれば、いつも穏やかな日ばかりではない。
だからこそ、何も起こらない時間も大切にしたかった。
〜覚えたはずの帰り道〜
「そういえば、桜花さん。この後はどちらへ向かわれる予定ですか?」
こはくに尋ねられ、桜花は少し考えた。
「そうですね……。もう少し、この辺りを見て回ろうかと思っています」
「この辺りって、どこまで?」
白夜が尋ねる。
「それは、歩きながら決めようかと」
「……桜花?」
「はい?」
「もしかして、まだ行き先を決めてないの?」
「はい。景色を見ながら決めるのも、旅の楽しみだと思いますので」
桜花は穏やかに答えた。
白夜はこはくと顔を見合わせた。
「……こはく」
「はい」
「私たち、ちゃんとついていかないと駄目だね」
「そうですね。桜花さんがどちらへ向かわれるのか、私たちも気をつけて見ておきましょう」
「あの……お二人とも、私が道に迷うことを前提にお話ししていませんか?」
「してるよ?」
「していますね」
「……そうですか」
桜花は少しだけ困ったように微笑んだ。
「ですが、今回は大丈夫だと思います。こちらから来た道は覚えていますので」
「本当?」
「はい」
自信を持ってうなずく桜花。
その姿を見て、白夜はにっこりと笑った。
「じゃあ、帰り道は桜花に任せるね!」
「ええ、お任せください」
こはくは何か言いたげに口を開きかけたが、結局、そっと閉じた。
今はまだ、何も言わないでおこう。
〜迷い道の、その先へ〜
それからしばらくして。
「……あの、白夜さん」
「な〜に?」
「こちらの道は、先ほども通りませんでしたか?」
「通ったね!」
「やはり、そうですよね……」
桜花たちは、見覚えのある石灯籠の前に立っていた。
白夜は肩を震わせ、こはくは額に手を当てている。
「桜花。さっき、道は覚えてるって言ってなかった?」
「はい。覚えているつもりだったのですが……」
「つもりだったんだね……」
「どうやら、道のほうが私を惑わせているようです」
「道のせいにした!」
白夜の笑い声が、春の境内に響いた。
桜花も、つられるように小さく笑う。
「申し訳ありません。今度こそ、きちんと確認いたしますね」
「うん! じゃあ、今度は私が先頭を歩く!」
「お願いします」
白夜が先に立ち、こはくがその後ろにつく。
桜花は二人の背中を見つめ、桜蕾の柄にそっと手を添えた。
剣の道も、旅の道も、一度ですべてを理解できるものではないのだろう。
迷いながら歩き、立ち止まり、ときには誰かに助けられる。
それでも歩みを止めなければ、いつか自分なりの答えにたどり着けるかもしれない。
「……いい天気ですね」
桜花がつぶやくと、白夜が振り返った。
「そうだね! だから、早く行こう!」
「はい。今度こそ、よろしくお願いいたします」
三人の足音が、石畳の上に重なっていく。
春の風が吹き抜け、木々の葉を優しく揺らした。
古文書に記された謎は、まだ解けていない。
紅残光 一刀流の本質も、桜花が知らない歴史も、今は遠い場所にある。
けれど、答えを探す旅は、難しい謎に向き合う時間だけでできているわけではない。
誰かと笑い、同じ景色を眺め、ときには道に迷う。
そんな何気ないひとときもまた、桜花の旅を形作っていくのだった。
彼女の旅はまだ続く・・・
今回は、日常回にしてみました。
桜花の天然と方向音痴が炸裂しましたね
それでは、今回のキャラ紹介は白夜です
白夜
* 種族:二本の尾を持つ白狐の妖怪
* 立場:桜花を白峰神社へ案内した妖怪
* 年齢:???
* 性別:女性
性格・人物像
* 桜花の方向音痴に呆れる。
* 桜花に対して率直にツッコミを入れる。
* 桜花とこはくの旅に関わる。
次回お楽しみに!




