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紅残光 〜散りゆく花は神をも斬る〜  作者: 柚子胡椒
紅残光 一刀流 異聞録 第一章 紅い残光の噂

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第三話 山神様と桜餅

春の山には、桜の花びらが舞っていた。

白峰神社の境内から山道をしばらく登ると、周囲の景色は一変する。

人の手が入っていない深い森。苔むした岩。木々の隙間から差し込む陽光。そして、どこからともなく聞こえてくる、鈴の音にも似た不思議な響き。

その山道を、三つの影が歩いていた。

「……本当に、この先に山神様がいらっしゃるのですか?」

先頭を歩く緋月桜花が、隣を歩く白峰こはくにそう尋ねた。

「はい。山頂に近いところに、神様のお住まいがあると言われています。ただし、普通の人は近づくことすらできないそうです」

「近づくことすら?」

「ええ。山神様がお認めにならなければ、同じ場所をぐるぐると歩き続けることになるとか」

桜花は足を止めた。

そして、ゆっくりと後ろを振り返る。

「……それは困りましたね。私、先ほどから同じ岩を三度ほど見た気がするのですが」

「...えっ?」

こはくも振り返った。

道の脇には、確かに大きな亀のような形をした岩があった。

白い苔が甲羅のように広がり、その上には小さな桜の花びらが一枚乗っている。

二人が顔を見合わせた、そのとき。

「……桜花さん。もしかして、道に迷いました?」

「いえ。山道が私を惑わせているだけです」

「それを迷ったと言うのでは……?」

こはくが困ったように笑った。

その後ろでは、二本の尾を揺らす白狐の妖怪、白夜が呆れたようにため息をついていた。

「あなた、剣の腕はとんでもないのに、どうして道だけはこんなに駄目なの?」

「白夜。世の中には、得意不得意というものがあります」

「開き直ったわね……」

桜花は涼しい顔で歩き始めた。

腰に差した愛刀桜蕾が、木漏れ日を受けて淡く輝いていた。

〜山神様の試練〜

それからしばらく歩くと、突然、霧が晴れた。

眼前に現れたのは、巨大な桜の木だった。

幹は大人が何人手をつないでも囲めないほど太く、枝は空を覆うように広がっている。

季節は春、木には満開の桜が咲き誇っていた。

そして、その根元には小さな社が佇んでいた。

「……ここが、山神様のお住まいです」

こはくが静かに頭を下げる。

すると、社の奥から声が響いた。

『帰れ』

短い一言だった。

「……」「……」「……」

三人は黙り込んだ。

やがて桜花が一歩前に出た。

「初めまして。緋月桜花と申します。本日は、こちらに保管されている古文書を拝見したく...」

『帰れと言った』

「事情をお聞きいただくことは...」

『帰れ』

「……なるほど」

桜花は一度うなずいた。

そして、こはくに小声で尋ねた。

「山神様は、たいへん簡潔なお方なのですね」

「そういう問題ではないと思います……」

こはくが額を押さえた。

白夜は社を見つめ、耳をぴくりと動かした。

「ねえ。あの神様、怒っているというより……」

『聞こえておるぞ、狐』

「ひゃっ!?」

白夜が飛び上がり、こはくの足元にすっぽりと丸くなった。

『余はただ、面倒なのだ』

「山神様...それはそれでどうなのですか……?」

こはくが思わずつぶやいた。

すると社の扉が、わずかに開いた。

その隙間から、金色の光が漏れ出す。

『古文書が見たいだと...?』

少し沈黙が流れたあと

『...はぁ。ならば余を満足させてみよ』

「満足、ですか?」

『そうだ。余が満足すれば、古文書を見せてやらぬこともない』

桜花は静かにうなずいた。

「承知しました。では、何をすればよろしいでしょうか」

少しの沈黙。

そして、山神は告げた。

『桜餅を持ってこい』

「…………はい?」

桜花の表情が、初めてわずかに崩れた。

〜神様は甘味がお好き〜

「桜餅、ですか?」

こはくが聞き返した。

『...そうだ』

「……それだけでよろしいのですか?」

『桜餅だ』

「ほかに何か、供物などは……?」

『桜餅だと言っておる!』

社の周囲に、びりびりと空気が震えるほどの声が響いた。

いつの間にかこはくの足元から離れた白夜は耳を伏せ、桜花の背後に隠れた。

「……どうやら、本当に桜餅がお好きなようですね」

桜花は真面目な顔でうなずいた。

「分かりました。では町まで戻りましょう」

『待て』

「はい?」

『ただの桜餅ではないぞ』

「....とおっしゃいますと?」

『餡はこし餡。餅は柔らかく、葉は香り高いもの。葉の塩気と餡の甘さが調和し、ひと口食べたときに春の訪れを感じられるものだ』

「……」「……」「……」

三人は沈黙した。

山神は、なおも続けた。

『それから、餡が甘すぎるものは認めぬ。餅が硬いものも認めぬ。葉の香りが弱いものも認めぬ。あと、以前持ってきた店のものは....』

「山神様」

桜花が静かに口を開いた。

『なんだ』

「もしかして、かなりの食通でいらっしゃいますか?」

『当然だ』

こはくは顔を両手で覆った。

白夜はとうとう地面に座り込んだ。

「……なんなの、この神様……」

しかし、桜花だけは違った。

彼女は真剣な面持ちで山神の要求を聞き終えると、深々と一礼した。

「承知いたしました。必ずや、ご満足いただける桜餅をお持ちいたします」

『うむ。期待しておるぞ』

社の扉が閉じた。

山の静寂が戻ってくる。

こはくが、恐る恐る桜花を見上げた。

「……桜花さん。本当に、買いに行くのですか?」

「もちろんです」

「古文書を読むためだけに?」

「ええ。それに……」

桜花は満開の桜を見上げた。

「神様がそこまでお好きだという桜餅。私も少々、興味が湧いてまいりました」

「そこは普通、古文書への興味が勝つところでは……?」

白夜のつぶやきは、春風に流されていった。

〜桜餅と剣士〜

山を下りた三人は、霞ノ里の菓子屋を訪れた。

店先には、桜色の餅が並んでいる。

店主は、旅装束の桜花を見ると、にこやかに声をかけた。

「おや、お客さん。桜餅をお求めですか?」

「はい。少々、事情がございまして。こちらの桜餅は、こし餡でしょうか?」

「もちろん。うちは昔からこし餡一筋でね。葉っぱも地元の山桜から採ったものを使っているんだ」

桜花は一つ購入し、丁寧に味わった。

柔らかな餅。上品な甘さ。葉のほのかな塩気。

彼女は目を閉じ、しばし考え込む。

「……なるほど」

「ど、どうですか?」

こはくが尋ねた。

「たいへん美味しいです。ただ……」

桜花は桜餅を見つめた。

「山神様のお好みに合うかどうかは、実際に召し上がっていただくまで分かりませんね...」

「そこまで真剣に考える必要があるんでしょうか……」

白夜が呆れたように言った。

結局、三人は店主の勧める桜餅を何種類か購入し、再び山へ向かった。

その途中。

「桜花さん、少しよろしいですか?」

こはくが声を落とした。

「はい。どうされました?」

「先ほどの山神様のことなのですが……あの方が、あれほど簡単に人と会うのは珍しいんです」

「と、おっしゃいますと?」

「普通なら、姿を見せるどころか声を聞くことすら難しいはずです。それなのに、桜花さんには最初から応答していました」

桜花は歩みを緩めた。

「……私に、何か理由があるのでしょうか」

「分かりません。ただ、あなたの刀...桜蕾を見たとき、山神様の気配が一瞬変わったように感じました」

桜花は腰の刀に視線を落とした。

鞘に収まった桜蕾は、いつもと変わらず静かだった。

しかし。

あの社の前に立った瞬間、刀の奥から、かすかな熱が伝わってきた気がする。

まるで、遠い昔の記憶が目覚めようとしているかのように。

「……確かめる必要がありますね」

桜花は、再び前を向いた。

今度は迷うことなく、山道を進んでいく。

なお、道中で三度ほど同じ岩の前を通り過ぎたことについては、本人は最後まで認めなかった。

〜神代を知る者〜

再び社へたどり着くと、桜花は買ってきた桜餅を丁寧に並べた。

「山神様。お約束の品をお持ちいたしました」

しばらくして、社の扉が開いた。

金色の光とともに、ひとりの人物が姿を現す。

長い白髪。額から伸びる一対の角。古風な装束。

そして、見た目からは想像できないほど鋭い眼差し。

その姿は人間に近い。

だが、そこに宿る気配は、人のものではなかった。

山神は桜餅を一つ手に取ると、葉の香りを確かめゆっくりと口に運んだ。

そして....

『……うむ』

満足げにうなずいた。

『合格だ』

「それは何よりです」

桜花が微笑む。

『よかろう。古文書を見せてやる』

山神は社の奥へと歩き出した。

三人が続こうとした、そのとき。

『……緋月桜花』

名を呼ばれ、桜花は足を止めた。

山神は背を向けたまま、静かに告げた。

『その刀をどこで手に入れた』

「……これは私が旅に出る以前から持っている刀です。詳しい由来は、まだ分かっておりません」

『そうか』

山神の声から先ほどまでの気楽さが消えていた。

『ならば、ひとつ教えておいてやろう』

社の奥で、古い木々が風に揺れる。

『その刀の名を知る者は、もはや多くない』

桜花は、桜蕾の柄にそっと手を添えた。

『そして...紅残光 一刀流を知る者は、さらに少ない』

「……山神様は、あの剣術をご存じなのですか?」

山神は振り返った。

その瞳には、悠久の年月を生きた者だけが持つ、深い光が宿っていた。

『知っているとも』

一拍の沈黙。

『余はその剣が神々の戦場を駆けた時代を、この目で見ておる』

桜花の瞳が、わずかに見開かれた。

神々の戦場。

神話にしか残されていない、遠い昔。

そして、あの謎の男が口にした言葉。

―かつて、紅残光 一刀流を学んでいた。

点と点が少しずつ、つながり始めていた。

「山神様。どうか、お聞かせください。紅残光 一刀流とは、いったい何のために生まれた剣術なのですか?」

山神はしばらく桜花を見つめていた。

やがて、静かに口を開く。

『それを知りたければ、まず古文書を読むがよい』

「……それだけですか?」

『それと』

山神は、空になった桜餅の包みを差し出した。

『次は、もう少し多めに持ってこい』

「…………承知しました」

桜花は、なんとも言えない表情で包みを受け取った。

こはくは肩を震わせ、白夜はとうとう声を上げて笑った。

神々の秘密に迫るはずの旅は、どうやらまだ、甘味の話から逃れられそうにない。

それでも...

社の奥に眠る古文書には、確かに記されていた。

紅残光 一刀流を生み出した、ひとりの剣士の名が。

そして、その名の横には、桜花の知らない十の型とは別に、もうひとつの記述が添えられていた。

『十の型は、十にして終わるにあらず』

その下に続く文字は、長い年月によって失われていた。

ただ、最後の一文だけが、かろうじて読み取れた。

―「最後の型を知る者、決してその名を口にするな」

桜蕾が、淡い紅色に光った。

桜花はまだ知らない。

自分が歩み始めたこの旅が、やがて神々さえ語ることを避けた、ある古い約束へとつながっていくことを。


彼女の旅はまだ続く・・・

第三話楽しんでいただけたでしょうか?

桜餅の所を書いているとなんだか食べたくなりますねぇ

それで聞きたいんですけど、後書きでの私の自我強い方がいいですか?それとも作中に出てきた、紅残光 一刀流の型についての掲載が良いですかね?

ご意見聞かせてください。

第4話お楽しみに!!

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