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紅残光 〜散りゆく花は神をも斬る〜  作者: 柚子胡椒
紅残光 一刀流 異聞録 第一章 紅い残光の噂

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第二話 白峰の巫女

〜迷子の剣士、再び〜

霞ノ里を出発してから、三刻ほどが過ぎていた。

春の山道には、柔らかな木漏れ日が降り注いでいる。道端には名も知らぬ花が咲き、遠くからは小川のせせらぎが聞こえていた。

旅をするには、申し分のない日和である。

「……おかしいですね」

ただし、道の真ん中で地図を広げている少女が一人。

緋月桜花である。

「確か、白峰神社は山の北側にあると聞いたのですが……」

手元の地図と、目の前に広がる景色を交互に見比べる。

地図には道が一本描かれていた。

目の前にも道が一本ある。

ここまでは何も問題は無い。

問題は、その道が先ほどから三度目に通っている道だということだった。

「……山というのは、不思議なものですね」

桜花は真剣な顔で呟いた。

地図が間違っている可能性は考えても、自分が迷っている可能性については、あまり考えていないらしい。

つまり生粋の方向音痴である。

そのときだった。

「ねぇねぇ、そこのお姉さん」

背後から声がした。

振り返ると、道端の岩に小さな狐が座っていた。

白い毛並みに、金色の瞳。

そして、尻尾が二本。

普通の狐ではない。

妖怪である。

「道に迷ったの?」

「……いえ。少し道を確認していただけです」

「ふーん。じゃあ、なんで同じところを三回も通ってるの?」

「…………」

桜花は地図をパタンと閉じた。

「……お詳しいのですね」

「いや、見てたからね!?」

狐は思わずコテッと岩からずり落ちた。

桜花は咳払いを一つすると、何事もなかったかのように尋ねた。

「ところで、白峰神社への道をご存じでしょうか?」

「知ってるよ。ここから北へ行って、滝のところを右に曲がればいいよ。」

「ありがとうございます」

「ただし、気をつけてね。最近、神社の周りが騒がしいんだぁ」

桜花の表情がわずかに引き締まる。

「騒がしい...とは?」

「人間じゃないものが出入りしてる。しかも、神社の巫女がずっと山に籠もってるんだ」

「巫女が……」

「まあ、あの子なら大丈夫だと思うけどね。なんたってぇ…」

狐は、そこで言葉を切った。

そして桜花の腰にある刀をじっと見つめた。

「……あれ?」

「どうかしましたか?」

「その刀……」

狐の金色の瞳が、すっと細くなる。

「もしかして...桜蕾?」

桜花の手が止まった。

この刀の名を知る者は、決して多くない。

ましてや、通りすがりの妖怪が知っているなど、普通では考えられなかった。

「……ご存じなのですか?」

狐は答えず、ぴょんと岩から飛び降りた。

「こっちだよ。神社まで案内してあげる」

「よろしいのですか?」

「うん。あの巫女、きっと驚くと思うから」

狐は楽しそうに尻尾を揺らした。

「まさか、あの剣の持ち主が来るなんてね」

桜花は、狐の後を追いながら考えた。

―あの剣の持ち主。

まるで、桜蕾が誰の手に渡るのかを、以前から知っていたような言い方だった。

胸の奥に、小さな疑問が生まれる。

だが、今は確かめようがない。

桜花は黙って、狐とともに山道を進んだ。

〜白峰神社〜

滝の音がドォドォと聞こえ始めた頃、森の景色が変わった。

樹齢数百年はあろうかという杉の木が立ち並び、その間を白い霧が流れている。

石段の先には、古びた鳥居があった。

鳥居の向こう側だけ、空気が澄んでいる。

桜花は足を止め、魅入っている。

「……ここが」

「白峰神社だよ」

狐が答えた。

「この神社はねぇ、昔から人間と妖怪の境目を守ってるんだぁ。だから普通の神社とは少し違うんだよ。」

「境目...ですか」

「そう。人間の世界と、神様や妖怪の世界。その境目が壊れると、いろんなものが入り込んでくる」

狐は鳥居をくぐり、振り返った。

「でも、今は説明してる場合じゃないか」

境内から、少女の声が聞こえてきた。

「だから! 何度言えば分かるのですか! お供え物を勝手に持ち出さないでください!」

『よいではないか。どうせ、明日には新しいものが供えられる』

「よくありません!」

『ならば、代わりにお主の団子を――』

「それはもっと駄目です!!」

桜花は思わず目を瞬いた。

どうやら、神秘的な神域にも日常はあるらしい。

狐は慣れた様子でため息をついた。

「……まーたやってるよ...」

そして、境内へと駆け出した。

「こはくー! お客さんだよー!」

その声に反応し、社殿の陰から一人の少女が姿を現した。

赤と白の巫女装束。

艶のある黒髪を後ろでまとめ、腰には小さな護符入れを下げている。

年の頃は桜花と同じくらいだろうか。

少女は狐を見て眉をひそめた。

「ちょっと白夜! また勝手に人を連れてきたのですか?」

「人を連れてきたって、道に迷ってたから案内しただけだよ!」

「……道に迷って?」

少女の視線が、桜花へと向けられる。

桜花は丁寧に頭を下げた。

「突然お邪魔して申し訳ありません。私は緋月桜花と申します。旅の途中で、こちらの神社に立ち寄らせていただきました」

「緋月……桜花?」

少女はその名を繰り返した。

そして、彼女の腰にある刀へ視線を落とした瞬間。

表情が変わった。

「……嘘」

小さな声だった。

少女は一歩、桜花へ近づく。

「その刀……見せていただけますか?」

桜花は少しだけ迷ったものの、鞘に収めたままの桜蕾を外し、両手で差し出した。

少女は刀を受け取らず、その鍔と柄をじっと見つめた。

そして、震える声で呟いた。

「本当に……桜蕾なんだ」

「ご存じなのですね」

「ええ...でも、どうしてあなたが……?」

少女は顔を上げた。

「その刀は、もう何百年も前に失われたはずなんです」

境内を吹き抜けた風が、桜の花弁を舞い上げる。

桜花は静かに答えた。

「……失われた?」

少女は頷いた。

「私は白峰こはく。この神社を預かる巫女です」

そして、桜蕾を見つめながら続けた。

「緋月家と、紅残光 一刀流。その名前は、うちの神社に残されている古文書にも記されています」

桜花の目が、わずかに見開かれた。

「古文書に……?」

「はい。けれど、そこに書かれているのは、普通の剣術の歴史ではありません」

こはくは社殿の奥へ視線を向けた。

「紅残光 一刀流は、かつて神々の争いを止めた剣術だと伝えられているんです」

その言葉に、桜花は息を呑んだ。

神々の争い。

それは、彼女が今まで聞かされてきた流派の歴史には、一度も登場しなかった話だった。

〜封じられた古文書〜

社殿の奥には、小さな書庫があった。

古い木箱が並び、壁には歴代の巫女の名が記された札が掛けられている。

こはくはその一番奥にある箱を取り出した。

「これは、神社の初代巫女が残したとされる記録です。普段は封をしているのですが……」

箱の蓋には、見慣れない紋様が刻まれていた。

円の中に描かれた、十枚の花弁。

桜花は思わず、その紋様を見つめた。

「……この印」

「何か心当たりが?」

「いえ...ただ……」

桜花は桜蕾の鍔に目を落とした。

そこにも、同じ形の花弁が刻まれていた。

こはくはそれに気づき、驚いたように息を呑んだ。

「やっぱり……」

「何が、やっぱりなのですか?」

「この紋様は、紅残光 一刀流の印なんです」

こはくは箱の封を解いた。

中から現れたのは、古びた巻物だった。

紙は黄ばみ、端は擦り切れている。それでも、墨で書かれた文字は驚くほど鮮明に残っていた。

こはくは巻物を広げ、ゆっくりと読み上げた。

「―神代の末、天と地の境が乱れし折。一振りの刀を携えた人の子、神々の争いに立ち入れり」

桜花は黙って耳を傾けた。

「その者、神を斬らんがために刀を抜くにはあらず。神々の争いがもたらし災厄を断ち、人と神の双方を救わんがために刀を抜けるなり」

こはくの指が、次の一文で止まった。

「……そして、その者が修めし剣術の名こそ―」

彼女は桜花を見つめた。

「紅残光 一刀流」

静寂が続く。

桜花は、すぐには言葉を返せなかった。

自分が学んできた剣術。

師から受け継いだ十の型。

それらが、神々の歴史に関わっていたなど、考えたこともなかった。

「……続きを...読んでいただけますか」

桜花の声は静かだった。

しかし、その瞳には強い意志が宿っていた。

こはくは頷き、巻物の続きを読み始めた。

「その剣士、十の型を極めし後、最後の境地に至りしという。いかなる神威にも屈せず、いかなる妖気にも染まらず、ただ静かに在る境地―」

桜花の指が、わずかに動いた。

十の型。

最後の境地。

それは、彼女が今も完成させられずにいる拾之型に、あまりにもよく似ていた。

「……その境地の名は?」

桜花が尋ねた。

こはくは巻物をさらに読み進めた。

そして、最後の一文に差しかかったところで、顔色を変えた。

「……え?」

「どうしました?」

「ここから先……文字が消えているんです」

巻物の最後には、墨が滲んだような跡が残されていた。

ただし、それは単なる劣化ではなかった。

文字があった部分だけが、まるで最初から何も書かれていなかったかのように白くなっている。

こはくは困惑した表情で呟いた。

「こんなこと、今まで一度も……」

そのとき。

桜蕾が、かすかに震えた。

鞘の内側から、淡い紅色の光が漏れ出す。

二人は同時にバッと刀を見た。

光は一瞬だけ強くなり、巻物の上を照らした。

そして、白く消えていた部分に、薄い文字が浮かび上がった。

こはくは息を止めた。

桜花は、その文字を見つめた。

そこに記されていたのは、たった一文だった。

『十の型は、十にして終わるにあらず』

桜花は小さく呟いた。

「……十にして、終わるにあらず?」

その瞬間、書庫の外で鐘が鳴った。

―ゴォン。一度。

―ゴォン。二度。

―ゴォン。三度。

こはくの顔から血の気が引いた。

「……そんな」

「どうしました?」

こはくは巻物を巻き取り、急いで立ち上がった。

「神域の結界が揺れています。しかも、これは……」

彼女は窓の外を見た。

境内を覆う霧が、黒く染まり始めていた。

「誰かが、神社の結界を破ろうとしている……!」

〜境内に立つ影〜

桜花が境内へ出たとき、鳥居の向こう側には一人の男が立っていた。

黒い羽織と腰には、古びた刀。

顔は影に隠れており、その姿から年齢を読み取ることはできない。

だが、桜花は一目で理解した。

この男は、普通の人間ではない。

男の周囲では、空気そのものが歪んでいた。

妖気とも神気とも違う、古い時代の名残のような気配。

男は桜花を見ると、ゆっくりと口を開いた。

「……なるほど」

低い声が境内に響く。

「桜蕾が目覚めたという噂は、真実だったか」

桜花は一歩前に出た。

「あなたは、何者ですか?」

「名を問う前に、聞かせてもらおう」

男の視線が、桜蕾へと向けられた。

「その刀を、どこで手に入れた」

「これは、私が受け継いだものです」

「誰からだ」

「師から。そして、緋月家の先人たちから」

男はしばらく黙っていた。

やがて、わずかに顔を上げた。

「……そうか。あの家も、まだ残っていたか」

桜花の瞳が鋭くなる。

「緋月家をご存じなのですね」

「あぁ知っているとも」

男はゆっくりと刀の柄に手を添えた。

「何しろ、紅残光 一刀流が生まれた時代を、この目で見てきたのだからな」

風が止まった。

境内の空気が、凍りついたかのように静まり返る。

こはくが息を呑んだ。

「そんな……。神代を知っているなんて……」

男は彼女を一瞥した後、再び桜花へ視線を戻した。

「娘よ。お前は、自らが受け継いだ剣術の意味を知っているのか?」

「……まだ、すべては...」

「ならば、知るべきだな」

男の声が低く響く。

「その刀が何を断つために生まれたのか。そして...」

男は一歩、境内へ踏み入った。

その瞬間、地面に刻まれた結界の紋様が、音もなくひび割れた。

「なぜ、十之型だけが未完成のまま残されたのかを」

桜花は桜蕾の柄に手を掛けた。

相手の気配は、恐ろしいほど静かだった。

殺気はない。

敵意すら、ほとんど感じられない。

それなのに、彼女の本能は告げていた。

―この男は、危険だ。

男は桜花の構えを見ると、かすかに笑った。

「よい構えだ。だが、その程度では私には届かぬ」

「……試してみなければ...分かりません」

「ほう」

男の目が、初めて興味深そうに細められた。

「ならば、一太刀だけ見せてみよ」

桜花は静かに息を吸った。

桜蕾の柄を握る指に、力がこもる。

紅残光 一刀流

壱之型、紫雲の時

いつものように、余分な動きを消す。

呼吸を整え、相手の重心を見極める。

そして―。

桜花の姿が、消えた。

境内に、澄んだ金属音が響く。

次の瞬間、桜花は男の背後に立っていた。

刀は、すでに鞘に収まっている。

完璧な抜刀。

寸分の狂いもない一閃。

これまで彼女が対峙した相手ならば、それだけで勝負は決していた。

しかし。

男は、動いていなかった。

そして、その手には抜き放たれた刀があった。

桜花の一撃を、受け止めたのだ。

いや、違う。

桜花は、男が刀を抜くところが見えていなかった。

いつ抜いたのか。

どこから抜いたのか。

その一切を全て認識できなかった。

男は刀を鞘へ戻した。

「……悪くない」

静かな声だった。

「壱之型は、よく修めている」

桜花は振り返った。

その瞳には、驚きと、そしてかすかな喜びがあった。

自分の剣技が通じない相手。

しかも、紅残光 一刀流を知り尽くしているかのような存在。

これほどの相手と出会うのは、初めてだった。

男は桜花を見つめた。

「だが、お前はまだ、刀を抜くことしか知らぬ」

桜花は、すぐには答えなかった。

男は踵を返し、鳥居の向こうへ歩き始めた。

「再び会おう、緋月桜花」

「待ってください!」

桜花が呼び止める。

「あなたは一体、何者なのですか!」

男は立ち止まった。

そして、振り返ることなく答えた。

「……かつて、紅残光 一刀流を修めた者だ」

次の瞬間、黒い霧が男の姿を包み込んだ。

霧が晴れたとき、そこにはもう誰もいなかった。

境内には、再び春の風が戻りはじめていた。

桜花は、しばらく鳥居を見つめていた。

やがて、腰の桜蕾にそっと手を添える。

「……刀を抜くことしか、知らない」

その言葉を、静かに繰り返した。

悔しいとは思わなかった。

ただ、自分がまだ知らない世界が、目の前に広がっていることを実感していた。

こはくが隣に立った。

「桜花さん……」

「こはくさん」

桜花は顔を上げた。

「この神社に、もっと古い記録は残っていませんか?」

こはくは少し驚いた後、真剣な表情で頷いた。

「あります。けれど、それを読むには……」

彼女は社殿の奥を振り返った。

「山神様の許しが必要です」

桜花は微笑んだ。

「それなら、ご挨拶に伺いましょう」

まるで、近所の人を訪ねるかのような気軽さだった。

こはくは思わず目を丸くした。

「……えっ? 山神様ですよ?」

「はい」

「何百年も人前に姿を現していない、あの山神様ですよ?」

「そうなのですか?」

「そうなんです!」

桜花は少し考えた。

そして、いつもの穏やかな笑顔で言った。

「では、手土産を用意したほうがよさそうですね。神様は、何がお好きなのでしょう?」

「そこからですか!?」

白峰神社に、こはくの叫びが響き渡った。

こうして桜花の旅には、新たな同行者と、新たな目的が加わることとなった。

神代から続く剣術の謎。

桜蕾に秘められた過去。

そして、十之型の本当の意味。

そのすべてを知るため、緋月桜花は再び歩き出す。

春の山に、紅い残光が静かに揺れていた。


彼女の旅はまだ続く・・・

第二話、楽しんで貰えたでしょうか!

緋月桜花の方向音痴..実は私もなんです。

何も考えずに歩いて気がついたら迷子...一体何ででしょうね??

第三話お楽しみに!!

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