第二十七話 九尾果て 廿楽動くや 呼び出し状
〜廿楽幕府の呼び出し〜
玉藻前との戦いから、幾日かが過ぎた。
城下町には、少しずつ普段の賑わいが戻り始めていた。
通りには商人たちの呼び声が響き、行き交う人々の姿も増えている。先日の騒動を思い出して不安そうに話す者もいれば、ようやく平穏が戻ったことを喜ぶ者もいた。
しかし、玉藻前が店主として振る舞っていた茶店だけは、以前の姿を取り戻せずにいた。
店内はもちろん、建物の一部にも大きな損傷が残っている。戦いの際に受けた被害は決して小さくなく、修繕が終わるまで営業を再開することはできなかった。
それでも、店で働いていた従業員たちの生活に大きな支障は出ていない。
彼らは事件の後、幕府へ事情を報告していた。
店主が人間ではなく妖怪だったこと。
近頃、城下町で続いていた商人たちの荷物盗難事件の黒幕だったこと。
そして、店が戦闘によって営業できないほどの損害を受けたこと。
幕府はそれらを確認したうえで、従業員たちへの補填を行っていた。
そのため、彼らは店の再建を待ちながらも、ひとまず落ち着いた生活を送れていた。
もっとも、店がなくなったことを惜しむ者は少なくない。
名物菓子を目当てに訪れていた客たちからすれば、突然お気に入りの店がなくなってしまったのだから当然だろう。
「うーん……やっぱり、あのお菓子が食べられないのは残念だなぁ」
町の一角を歩きながら、白夜が不満そうに頬を膨らませた。
その手には、以前その茶店で買った菓子と似たものが握られている。別の店で見つけたものらしいが、どうやら満足のいく味ではなかったようだ。
「仕方ありませんよ。あのお店は、まだ修繕が終わっていませんから」
桜花は穏やかな声で答えた。
「分かってるけどさ。あそこのお菓子、おいしかったじゃん。あたし、また食べたかったのに」
「白夜さんは、あのお店の菓子が本当に気に入っていたんですね」
「そりゃそうだよ。お菓子に罪はないもん。店主はともかくね!」
白夜は最後の一言だけ、少し強く言った。
こはくはその様子を見て、小さく笑う。
「またお店が再開したら、食べに行きましょう。従業員の方たちも、きっと喜ぶと思います」
「うん! その時はいっぱい食べる!」
「食べ過ぎには気をつけてくださいね」
「分かってるって!」
いつも通りのやり取りだった。
玉藻前との戦いを終え、子狐たちの行く先も決まり、盗まれていた荷物も商人たちのもとへ戻った。
すべてが片付いたわけではないが、少なくとも三人が関わった事件については、一段落したはずだった。
その時である。
「失礼いたします。緋月桜花殿、白峰こはく殿、白夜殿でお間違いありませんか」
三人の前に、幕府の使いと思われる男性が現れた。
落ち着いた身なりをしたその男性は、三人の姿を確認すると、懐から一通の書状を取り出す。
「廿楽幕府より、皆様にお呼び出しがございます」
「幕府から、ですか?」
桜花は書状へ視線を向けた。
「はい。玉藻前の一件に関することで、確認したいことがあるとのことです。つきましては、こちらの書状に記された日時までに、幕府へお越しいただきたいと」
「玉藻前のことなら、もう報告したはずだけど?」
白夜が首を傾げる。
「詳細については、私から申し上げることはできません。幕府にて説明があるかと存じます」
「そうですか……分かりました」
桜花は書状を受け取った。
使いの男性は一礼すると、そのまま来た道を戻っていった。
三人の間に、短い沈黙が流れる。
「……何でしょうね?」
こはくが書状を見ながら尋ねた。
「玉藻前の件で、まだ確認していないことがあるのかもしれませんね」
「でも、あの事件はもう終わったんだよね?」
「ええ。ですが、幕府としては確認しなければならないことが残っているのでしょう」
「ふーん……」
白夜は少しだけ不満そうに尻尾を揺らした。
「せっかくお菓子を探してたのに」
「白夜さん。幕府からの呼び出しですから、後回しにはできませんよ」
「分かってるってば」
桜花は書状を丁寧にしまった。
玉藻前の事件に関係することであれば、三人が呼ばれること自体は不自然ではない。
そう考えた桜花たちは、指定された日に廿楽幕府へ向かうことにした。
*
廿楽幕府。
その名には、城下町に暮らす人々が、楽しみのたくさん満ち溢れた生活を送れるように、という願いが込められている。
人々の暮らしを守り、町の秩序を保つこと。それが幕府の役目であり、掲げられた名に恥じぬよう、日々さまざまな政務が行われていた。
その中心となる建物は、城下町の中でもひときわ大きく、厳かな雰囲気を漂わせている。
三人が案内されたのは、その建物の一室だった。
「こちらでお待ちください」
案内役の者がそう告げ、部屋の外へ出ていく。
室内には、すでに何人かの人物がいた。
その中には、見覚えのない男がいる。
身なりは整っているが、目つきは鋭く、どこか落ち着きのない様子だった。三人が入ってくるなり、男は露骨に顔をしかめた。
「ふん。ようやく来たか」
「……?」
桜花は男を見た。
男は三人を上から下まで眺めると、特に白夜の姿を見て、鼻で笑った。
「まったく、こんな者たちを呼び出すとは。幕府も何を考えているのやら」
「失礼ですが、あなたは?」
桜花が丁寧に尋ねる。
「余戸屋 小左衛門だ。商いをしている者なら、知らぬ者はいない」
男は胸を張って名乗った。
しかし、三人には心当たりがなかった。
「そうですか。私は緋月桜花と申します」
「知っている。玉藻前を倒したという剣士だろう?」
「はい」
「その玉藻前が使っていた茶店について、話がある」
小左衛門はそう言うと、手元に置いていた書類を持ち上げた。
「先に言っておくが、あの茶店は本来、私のものだったのだ」
「……はい?」
こはくが思わず声を漏らした。
白夜も、目をぱちぱちと瞬かせている。
「あなたのもの、というのは……?」
「聞こえなかったのか? あの茶店は私のものだったと言っている」
「ですが、あのお店は玉藻前が店主として営業していた場所ですよね?」
「表向きはそうだったのだろう。だが、あの店の名物菓子に使われていた材料は、私が卸していたものだ」
小左衛門は得意げに言った。
「私が材料を用意し、店に提供していた。つまり、あの店の名物菓子は私の商いによって成り立っていたということだ。ならば、店そのものも私の所有物と考えるのが当然だろう!」
室内が静まり返った。
桜花は一度、こはくを見た。
こはくもまた、桜花を見返している。
白夜に至っては、口を半開きにしたまま固まっていた。
「……あの」
こはくが慎重に口を開く。
「材料を卸していたことと、お店の所有権は別の話ではありませんか?」
「何を言う! 材料がなければ名物菓子は作れなかったのだぞ!」
「それは、そうかもしれませんが……」
「ならば、私があの店を支えていたということだ!」
小左衛門は声を大きくした。
「支えていた者が店を所有する。それのどこがおかしい!」
白夜が小さく呟く。
「いや、全部おかしいでしょ……」
「白夜さん」
桜花がそっと声をかける。
「だってさぁ……」
白夜は納得のいかない顔をしていた。
こはくも困惑を隠せない様子である。
小左衛門の主張は、あまりにも一方的だった。
材料を卸していたというだけで店の所有権を主張する。それが認められるのであれば、食材を納めている商人はすべて、その食材を使う店の所有者になってしまう。
誰が考えても、筋の通らない話だった。
「それで、私たちが呼ばれた理由は何でしょうか?」
桜花が尋ねると、部屋にいた幕府の役人が口を開いた。
「今回の件について、余戸屋殿より申し立てがあった。玉藻前の一件によって店が損壊したこと、そして現在、店の所有権を巡って争いが生じていることについて、事実を確認する必要がある」
「所有権を巡って、ですか」
「そうだ。余戸屋殿は、店が本来自身の所有物であり、皆様が玉藻前を討伐した際に店を損壊させたことで、所有物に損害を与えられたと主張している」
「……なるほど」
桜花は静かに頷いた。
つまり、小左衛門は店の所有権を自分のものだと主張し、三人が戦闘によって店を壊した責任を問おうとしているのだ。
「しかし、あのお店は玉藻前が所有していたものではないのですか?」
「それについても、双方の証言を聞いたうえで判断することになる」
「私たちは、玉藻前が店主として振る舞っていたことしか知りません。少なくとも、余戸屋殿が所有者だという話は一度も聞いていません」
「それは、あなた方が知らなかっただけだ!」
小左衛門がすぐさま口を挟んだ。
「店の者たちが隠していたのだろう! あの妖怪が店主を装っていたのだからな!」
「ですが、材料を卸していたというだけでは、所有者である証明にはならないと思います」
「何度言えば分かる! 私が材料を卸していたのだぞ!」
役人が額に手を当てた。
「余戸屋殿。発言は順番にお願いいたします」
「私は事実を述べているだけだ!」
「その事実について、これから確認を行うのです」
「ならば、私の言うことを認めればよいではないか!」
役人は深く息を吐いた。
どうやら、すでに何度も同じやり取りをしているらしい。
桜花はその様子を見て、静かに目を伏せた。
これは単なる事情聴取ではない。
幕府は正式に両者の主張を聞き、証人を呼び、裁判として判断を下そうとしている。
つまり、自分たち三人も裁判にかけられる立場ということだった。
「念のため確認いたします」
役人が桜花たちへ向き直る。
「皆様は、玉藻前との戦闘によって茶店が損壊したことについて、異論はありませんか?」
「ありません。私たちが戦ったことで、建物に被害が出たのは事実です」
桜花は正直に答えた。
「ただし、あの時は玉藻前を止める必要がありました。あのまま放置すれば、さらに被害が広がっていた可能性があります」
「それについては、事件の報告書にも記録されている」
「でしたら、私たちは必要なことをしたまでです。店を壊すことが目的だったわけではありません」
「ふん。言い訳は裁判で聞かせてもらおう」
小左衛門が口を挟む。
「私の店を壊したことに変わりはないのだからな!」
「……まだ所有者だと決まったわけではありませんよ」
こはくが小さく指摘した。
「何だと?」
「いえ、ですから……」
「私が所有者だと言っているだろう!」
小左衛門は再び声を荒らげた。
役人は眉間に皺を寄せ、こめかみを押さえる。
「余戸屋殿。今はまだ、どちらの所有物であったか決まっておりません」
「だから、私が所有者だと何度も言っている!」
「その主張を裏付ける証言や証拠を提出していただくことになります」
「証拠ならある! 材料を卸していたという事実がな!」
「それだけでは判断できません」
「なぜだ!」
役人は返答に困ったように口を閉じた。
桜花は小さく息を吐いた。
このままでは話が進まない。
しかし、ここで感情的になっても仕方がない。裁判で事実を明らかにするというのであれば、こちらも必要な証言を用意すればよいだけだ。
「私たちにも、証人を呼ぶことはできますか?」
桜花の問いに、役人は頷いた。
「もちろんだ。双方に証人を呼ぶ権利がある。茶店の従業員や、当時の事情を知る客など、関係者に証言してもらうことも可能だ」
「でしたら、私たちは茶店で働いていた方に証言をお願いしたいと思います」
「ふん。あの店の従業員か。店に雇われていた者たちが、私に都合の悪いことを言うはずがないだろう!」
「それは、証言を聞いてから判断することではありませんか?」
「黙れ!」
小左衛門の声が室内に響いた。
役人が立ち上がる。
「余戸屋殿! これ以上、他者の発言を妨げるのであれば、退室を命じることになりますぞ!」
「なっ……!」
「ここは廿楽幕府の場である。双方とも、節度を持って発言していただきたい」
役人の声には、先ほどまでよりも強い響きがあった。
小左衛門は不満そうに顔を歪めたが、それ以上は何も言わなかった。
桜花はその様子を見て、改めて役人へ向き直る。
「証人については、こちらでお願いする方を決めておきます。必要な手続きがあれば教えていただけますか?」
「分かった。詳しい日程と手続きについては、後ほど伝える」
「ありがとうございます」
話が一区切りついたところで、役人は三人へ裁判の日取りを告げた。
それは、そう遠くない日だった。
*
幕府を出た三人は、しばらく無言で歩いていた。
先ほどの小左衛門の主張が、どうにも頭から離れない。
「……ねえ」
最初に口を開いたのは白夜だった。
「あの商人、何なの?」
「かなり強引な主張でしたね」
こはくも困ったように答える。
「材料を卸していたから、お店は自分のものだなんて……そんな話が通るとは思えません」
「私もそう思います。ですが、幕府が正式に申し立てを受けた以上、きちんと確認する必要があるのでしょう」
「でもさ、あの人、あたしたちが店を壊したって言ってたよね?」
「はい。店の所有権が認められれば、私たちが損害を与えたという主張につながるのでしょう」
「それって、あの人の言い分が通っちゃったら……」
「裁判の結果次第では、私たちにも処分が下される可能性があります」
こはくが言葉を続けた。
白夜の耳が、ぴくりと動く。
「えっ。あたしたち、何か悪いことした?」
「いいえ。ですが、裁判では双方の主張を確認したうえで判断されます。私たちが正しいと考えていても、それを証明する必要があります」
「……面倒くさいね」
「そうですね」
桜花は苦笑した。
しかし、その表情はすぐに真剣なものへと戻る。
「まずは、あのお店で働いていた方に事情を聞きましょう。私たちが初めて訪れた時のことも覚えているはずです」
「それなら、最初に対応してくれた人がいいんじゃない?」
白夜が思い出したように言った。
「確か、男の人だったよね」
「はい。あの方なら、お店の様子や店主についても詳しく知っているかもしれません」
「じゃあ、その人にお願いしよう!」
こはくも頷く。
「従業員の方たちなら、玉藻前がどのように店を切り盛りしていたのか、よく知っているはずです。それに、常連のお客さんも証言してくださるかもしれません」
「そうですね。私たちだけで説明するよりも、実際に店を利用していた方々の話を聞いていただく方が確かでしょう」
三人は証人を探すため、まず茶店へ向かうことにした。
*
茶店の前に着いた三人は、修繕中の建物を見上げた。
外壁には戦闘の跡が残り、店の一部は修繕のために囲われている。入り口には営業を休止していることを知らせる札が掲げられていた。
かつて客で賑わっていた店内からは、今は人の声も聞こえない。
「まだまだ時間がかかりそうですね」
こはくが建物を見上げる。
「うん。でも、ちゃんと直してるみたい」
白夜は修繕中の箇所を眺めた。
「またお菓子を食べに来られるといいですね」
「うん!」
その時、建物の脇から男性が姿を現した。
三人に気づくと、男性は少し驚いたような顔をする。
「あれ……皆さんは」
「お久しぶりです」
桜花が頭を下げた。
男性は、三人が初めて茶店を訪れた時に対応してくれた従業員だった。
「お久しぶりです。先日は大変なことになってしまいましたね。皆さんはお怪我などありませんでしたか?」
「はい。お気遣いありがとうございます。皆さんの方こそ、その後はいかがですか?」
「おかげさまで、何とかやっています。幕府から補填もいただけましたので、生活に困ることはありません」
「それはよかったです」
「店はまだ直している途中ですが、いずれ再開できるように準備しています。あのお菓子を楽しみにしてくださっているお客さんも多いですからね」
男性は少し寂しそうに店を見た。
その表情には、店への愛着が感じられた。
「実は、今日はお願いがあって参りました」
「お願い...ですか?」
「はい。廿楽幕府から、玉藻前の一件について裁判を行うと告げられました」
「裁判……?」
男性の表情が曇る。
「余戸屋という商人が、あの茶店の所有権を主張しているそうです。名物菓子の材料を卸していたから、自分の店だったと」
「……え?」
男性は目を丸くした。
そして、しばらく言葉を失った後、困惑したように眉を寄せた。
「それは……一体、何を言っているのでしょうか」
「私たちも、詳しいことは分かりません。ですが、裁判では証人を呼ぶことができるそうです。もしよろしければ、あのお店のことについて証言していただけないでしょうか」
男性はすぐには答えなかった。
視線を落とし、しばらく考え込んでいる。
やがて、彼は顔を上げた。
「もちろんです。私が知っていることなら、何でもお話しします」
「ありがとうございます」
「店がどういう場所だったのか、誰が切り盛りしていたのか。それは、私たち従業員が一番よく知っていますから」
男性の声には、確かな意志があった。
「それに、あのお店で働いていた者として、あんな言い分を黙って聞いているわけにはいきません」
桜花は静かに頷いた。
「心強いです。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
男性は改めて頭を下げた。
こうして、三人は最初の証人を得ることができた。
*
その日の帰り道。
白夜は、どこか納得のいかない顔をしていた。
「ねえ、桜花」
「はい、何でしょう?」
「あの商人って、何であんなに自信満々なの?」
「自分の主張が正しいと信じているのか、あるいは、そう思わせようとしているのかもしれませんね」
「でも、材料を持ってきただけでお店が自分のものになるなんて、おかしいよ」
「ええ。ですから、証言を集めて事実を明らかにしましょう」
「うん。あたしもちゃんと話すからね!」
白夜は二本の尾を揺らしながら、力強く頷いた。
こはくも、そんな白夜の頭にそっと手を置く。
「私たちも一緒です。三人で協力して、きちんと証言しましょう」
「もちろん!」
桜花は二人の様子を見て、穏やかに微笑んだ。
玉藻前との戦いは終わった。
しかし、その事件にまつわる問題は、まだすべて片付いたわけではなかった。
小左衛門の主張は、あまりにも身勝手なものだ。
それでも、幕府が裁判を開く以上、三人は自分たちの無実を証明しなければならない。
そして、そのために必要なのは、声を荒らげて相手を言い負かすことではない。
実際に何があったのかを知る者たちの言葉だった。
茶店で働いていた者たち。
あの店を訪れていた客たち。
玉藻前の事件を知る人々。
彼らの証言が、きっと真実を明らかにしてくれる。
桜花たちは、次の裁判の日に向けて準備を始めるのだった。
――廿楽幕府での裁判は、まだ始まったばかりである。
今回の話は多めのボリュームで書きました。
どうでした?
城下町では妖怪を倒しただけじゃ終わらない、そこには人が密集して暮らしており色々整ってる
そんな事を感じられるような話にできたと思います。
次回もお楽しみに




