第二十六話 九尾果て 賑わい戻る 街道筋
甘味処の中に、静寂が戻ることはなかった。
玉藻前の周囲には、いくつもの幻影が揺らめいている。美しい女の姿をした玉藻前が、まるで鏡に映ったかのように何人も並び、三人を取り囲んでいた。
「ふふ……どうしたのかしら? どれが本物か分からない?」
幾重にも重なった声が、店内に響く。
次の瞬間、幻影たちが一斉に狐火を放った。
「散開!」
桜花の声に合わせ、三人はそれぞれ別の方向へ跳び退く。
狐火が床や壁にぶつかり、店内を赤い光で照らした。燃え上がる炎の向こうから、また新たな狐火が迫る。
「まったく、数が多いね!」
白夜が身を翻し、飛んできた炎を避ける。
「こはくさん、足止めをお願いします!」
「分かりました!」
こはくは懐から御札を取り出すと、玉藻前たちの足元へ向けて投げた。
札が床に触れる。
すると、札の効果を受けた玉藻前の動きがわずかに鈍くなった。
「……小細工を」
玉藻前はすぐさま後ろへ跳び、札の効果が及ぶ場所から離れようとする。
しかし、その進路に白夜が飛び込んだ。
「こっちだよ!」
白夜は玉藻前の攻撃を誘うように駆け、狐火を避けながら距離を保つ。
玉藻前の手から狐火が放たれた。
白夜は身をひねってそれを避ける。狐火が背後の壁にぶつかった瞬間、こはくが次の札を投げた。
「今です!」
札は床に落ち、しばらくの間を置いて爆発した。
爆発の余波によって、玉藻前の動きが一瞬止まる。
「そこです!」
桜花が踏み込んだ。
桜蕾の柄に手を添え、相手の動きを見極める。
「紅残光 一刀流――伍之型:星の空に輝く望月」
抜刀。
刃は円を描くような軌道を通り、玉藻前へと迫った。
だが、玉藻前は身を翻して斬撃をかわす。幻影が揺らめき、桜花の視界を遮った。
「まだよ!」
別の方向から声が響く。
狐火が桜花の背後へ迫った。
桜花は振り返らず、身体をわずかに傾けてかわす。炎が髪の先をかすめた。
「桜花さん、こちらです!」
こはくの声が響く。
床には、すでに複数の御札が配置されていた。
こはくは札を星型に並べ、玉藻前の動きを封じる準備を整えていたのだ。
「同じ手を何度も使うと思って?」
玉藻前はそれに気づくと、札の配置から逃れようと大きく跳び上がった。
「逃がさないよ!」
白夜が玉藻前の進路へ駆け込む。
玉藻前は白夜を避けるため、着地する場所を変えた。
その先にあったのは、こはくが用意した星型の札。
「かかりました!」
札が光を帯びる。
玉藻前の身体が、その場に留められた。
「なっ……!」
その瞬間、桜花は目を細めた。
周囲には、まだ幾重もの玉藻前の幻影が残っている。
しかし、拘束された瞬間の反応は一つだけだった。
幻影たちの姿が揺らめく中、札によって動きを止められた一体だけが、確かな存在感を伴ってその場に留まっている。
「……見つけました」
桜花は静かに呟いた。
「桜花さん、長くは持ちません!」
「分かっています!」
玉藻前は拘束されたまま、口元に笑みを浮かべる。
「私を、この程度で止められると思ったの?」
次の瞬間、店内を満たしていた妖気が膨れ上がった。
星型の札が揺らぎ、拘束が破られる。
玉藻前の姿が大きく変わり始めた。
人の姿が崩れ、身体が膨れ上がる。四肢は獣のものへと変わり、全身を覆う毛並みは、実際の狐と同じ自然な色合いをしていた。
そして、その背後から九本の尾が広がる。
鋭い牙を覗かせた巨大な狐。
九尾の狐、玉藻前の第二形態だった。
「これが……玉藻前の第二形態……!」
こはくが息を呑む。
「さっきまでとは、比べものにならないね」
白夜も警戒を強めた。
玉藻前は大きく口を開く。
その口元に、いくつもの狐火が集まっていく。
「消えなさい!」
放たれた狐火が、三人へ向かって押し寄せた。
「こはくさん!」
「はい!」
こはくが札を投げる。
狐火が床へ届く直前、札が時間差で爆発した。
爆風によって狐火の軌道が逸れ、三人の立っていた場所を外れていく。
「白夜!」
「分かってる!」
白夜が駆け出した。
玉藻前の視線が白夜へ向く。
その隙に、桜花は静かに間合いを詰めた。
「紅残光 一刀流――玖之型:彰のように光る青柳」
玉藻前の尾が、桜花へ向かって振り下ろされる。
桜花は慌てることなく、刃を合わせた。
真正面から力を受け止めるのではない。
相手の力の流れに身を任せ、刃で受け流す。
大きな尾の一撃が、桜花の身体を捉えることなく横へ流れた。
そして、そのまま返す刃が玉藻前へ向かう。
しかし、玉藻前も素早く身を引いた。
「小賢しい!」
九本の尾が一斉に動く。
桜花は後方へ跳び、距離を取った。
「桜花さん、次の札を!」
「お願いします!」
こはくが札を投げる。
玉藻前の足元へ落ちた札が、移動速度を鈍らせた。
そこへ白夜が飛び込む。
「今度は逃がさないよ!」
玉藻前が白夜へ牙を向けた。
白夜はすぐに飛び退くが、その動きによって玉藻前の意識が一瞬そちらへ向く。
桜花はその隙を逃さなかった。
「紅残光 一刀流――陸之型:日の光に咲く森の花」
桜蕾が抜かれる。
刃の軌道は一つに定まらず、玉藻前の動きに合わせて変化していく。
玉藻前は尾で防ごうとするが、斬撃の軌道を読み切れない。
刃が毛並みをかすめ、玉藻前の身体がわずかに揺らいだ。
「まだです!」
桜花は間合いを詰め直す。
「弐之型――紅時雨!」
抜刀から、超高速の連撃が放たれる。
一撃で終わることはない。
間を置いて重なる斬撃が、まるで紅い雨のように玉藻前へ降り注いだ。
玉藻前は九本の尾を広げて防ぐ。
しかし、時間差で重なる斬撃によって防御の隙間を突かれ、次々と体勢を崩していく。
「ぐっ……!」
玉藻前の身体が大きく傾いた。
それでも、倒れることはない。
九本の尾が大きく広がり、周囲に無数の狐火が浮かび上がる。
「全員、まとめて焼き尽くしてあげる!」
狐火が一斉に放たれた。
「桜花さん!」
「大丈夫です!」
こはくが札を投げ、白夜が横から駆ける。
狐火の一部が爆発によって逸らされ、別の炎は白夜へと向かう。
白夜はそれを避けながら、玉藻前の注意を引きつけ続けた。
その間に、桜花は正面へと歩み出る。
桜蕾を握る手に力がこもった。
ここで決めるための一撃。
「こはくさん、白夜。お願いします」
「はい!」
「任せて!」
二人の返事が重なる。
こはくは残していた札を投げ、玉藻前の足元へ配置する。
札が発動し、玉藻前の動きが鈍る。
さらに白夜が正面から注意を引き、玉藻前の動きを誘導した。
九本の尾が白夜へ向かう。
その瞬間、こはくの札が時間差で爆発した。
玉藻前の身体が揺らぎ、攻撃の勢いがわずかに乱れる。
桜花はその一瞬を見逃さなかった。
「紅残光 一刀流――捌之型:草薙の稲光、残光せし鳳」
静寂。
次の瞬間、桜花の姿が消えたかのように見えた。
桜蕾が抜かれる。
最大火力を誇る奥義。
その一閃は、玉藻前の九本の尾が作る防御を突破し、巨大な身体を捉えた。
刃が走り抜ける。
遅れて、玉藻前の身体が大きく揺れた。
「そん……な……」
九本の尾が力を失い、地面へと落ちていく。
玉藻前は一度、前足で身体を支えようとした。
だが、もう立ち上がることはできなかった。
やがて、その身体から妖気が失われていく。
九尾の妖狐、玉藻前。
その長い悪行は、ここで終わりを迎えた。
「……終わりましたね」
桜花は桜蕾を静かに納めた。
「うん。もう動かないよ」
白夜が玉藻前の様子を確かめる。
こはくも近づき、静かに首を横に振った。
「……亡くなっています」
三人はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
玉藻前によって奪われた命。
利用され、盗みを強いられた子狐たち。
そして、被害を受けた城下町の人々。
すべてが元通りになるわけではない。
それでも、これ以上被害が広がることはなくなった。
*
玉藻前を倒した後、三人は甘味処の奥を調べた。
そこには、これまで盗まれた品々がまとめて保管されていた。
反物、装飾品、日用品、金品。
城下町の商人たちから奪われた品が、数多く残されている。
「こんなにあったんだ……」
白夜が呆れたように呟く。
「これだけの品を、子狐たちに運ばせていたのですね」
桜花は品々を見渡した。
「まずは、持ち主の方々へ返しましょう」
「そうですね。持ち主を確認する必要もありますし、奉行所にも報告しましょう」
こはくの言葉に、二人も頷いた。
玉藻前の遺体については、幕府の役人へ引き渡すことになった。
九尾の妖狐という希少な存在であり、その遺体は妖怪研究学において重要な資料となる。
幕府は遺体を回収し、研究に役立てることを決めた。
こうして、玉藻前との戦いは幕を閉じた。
*
数日後。
盗まれた品々は、持ち主である商人たちのもとへ返されていた。
品を受け取った商人たちは、戻ってきたことに安堵しながらも、複雑な表情を浮かべていた。
盗みを働いていたのは、幼い子狐たちだった。
しかし、その子狐たちが自分の意思で盗みを続けていたわけではない。
親を失い、玉藻前に連れ去られ、逆らうことのできない状況に置かれていた。
事情を聞いた商人たちの中には、子狐たちを責めることをためらう者もいた。
「ごめんなさい……」
「もう、盗みはしません……」
三匹の子狐たちは、商人たちの前で頭を下げた。
声は小さく、身体も緊張で強張っている。
「もういい。これからは、同じことをしなければいいんだ」
「そうそう。戻ってきたんだから、あまり気にしすぎるんじゃないよ」
商人たちの言葉に、子狐たちは顔を上げた。
それでも、すぐに笑顔を見せることはできなかった。
自分たちがしてしまったことを、なかったことにはできない。
それを三匹とも理解していたからだ。
*
その後、三匹は城下町の奉行所へと預けられた。
奉行所では、子狐たちの事情を確認したうえで、今後の生活について話し合いが行われた。
ただ罰を与えるだけでは、何も解決しない。
食事や衣服、安心して暮らせる場所を用意し、少しずつ仕事を覚えてもらう。
そうして、人々の暮らしの中へ戻れるようにする方針が決まった。
「この子たちには、これからの生活が必要です。無理のない範囲で、仕事を覚えていける場所を探しましょう」
奉行所の者がそう話していた時だった。
「それなら、うちで預かることはできないでしょうか」
声を上げたのは、一人の商人だった。
大寿雅友。
城下町で呉服屋を営む男である。
店の名は、大寿呉服。
雅友は、三匹の子狐へ視線を向けた。
「うちは呉服を扱っています。着物を売るだけでなく、裾直しなどの仕立て直しもしていますし、余った布で小物を作ることもあります」
城下町では、まだ誰も本格的には手掛けていない新しい試みだった。
「子狐たちにも、できることから少しずつ手伝ってもらえればと思っています」
「ですが、三匹ともまだ幼いです。仕事を覚えるにも時間がかかりますよ」
奉行所の者が確認する。
「もちろんです。最初から無理をさせるつもりはありません。まずは店で一緒に暮らしながら、少しずつ覚えてもらえれば」
雅友の言葉に、三匹は互いの顔を見合わせた。
「……いいの?」
「本当に、ここにいてもいいの?」
不安そうに尋ねる子狐たち。
雅友は頷いた。
「ええ。歓迎しますよ」
*
大寿呉服へ向かうと、店の中から一人の女性が出てきた。
「あなた、お帰りなさい」
「ただいま。文代、少し話があるんだ」
雅友の妻、文代だった。
雅友から事情を聞くと、文代は三匹の子狐へと近づいた。
「まあ……この子たちが、そうなのね」
三匹は緊張した様子で、文代を見上げる。
「初めまして。私は文代よ。これからよろしくね」
「よ、よろしくお願いします……」
子狐たちが小さく頭を下げる。
文代は三匹の様子を見て、優しく声をかけた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。ここでは、ゆっくり過ごしていいんだからね」
その言葉に、三匹の表情が少しだけ和らいだ。
「あなたたち、これからは私たちの家族ね」
「文代、いいのかい?」
「もちろんよ。こんなに可愛らしい子たちなんですもの」
文代は三匹を見つめ、嬉しそうに微笑んだ。
雅友と文代には、子供はいなかった。
けれど、それを特別な理由にすることはない。
二人は三匹を迎え入れることを、ごく自然なことのように受け止めていた。
「それじゃあ、これからは大寿の姓を名乗ってもらいましょうか」
文代がそう告げると、三匹は目を丸くした。
「大寿……?」
「そう。あなたたちも、今日から大寿の家族よ」
三匹はしばらく言葉を失っていた。
やがて、そのうちの一匹が小さく尋ねる。
「……本当に、家族になっていいの?」
「ええ。もちろんよ」
文代は迷いなく答えた。
その言葉を聞いた三匹の目に、涙が浮かぶ。
「ありがとう……ございます」
今度は、三匹そろって深く頭を下げた。
*
それから、しばらく経ったある日。
桜花たち三人は、城下町を歩いていた。
「ねえ、桜花。あそこ!」
白夜が指差した先には、一軒の呉服屋があった。
店先には着物や反物が並び、軒先には小さな布細工も飾られている。
「大寿呉服……ですね」
こはくが店の看板を見上げた。
店の中では、三匹の子狐たちが雅友と文代の手伝いをしていた。
反物を並べたり、布を運んだり、簡単な仕事を一つずつ覚えているようだった。
「おや、桜花さんたち」
雅友が三人に気づき、声をかける。
「こんにちは。お元気そうで何よりです」
「こんにちは。子狐たちの様子を見に来たんです」
桜花が答えると、三匹が店の奥から顔を出した。
「あっ!」
「桜花さん!」
「こはくさん! 白夜ちゃん!」
三匹は嬉しそうに駆け寄ってくる。
「みんな、元気そうですね」
「うん! ここでお仕事を教えてもらってるの!」
「文代さんも、すごく優しいんだよ!」
「毎日、ご飯もちゃんと食べられるんだ!」
三匹は次々に話し始めた。
その様子を見て、白夜は満足そうに頷いた。
「そっか。よかったじゃん!」
「はい。本当に良かったです」
こはくも穏やかに微笑む。
文代が店の奥から出てきた。
「あら、あなたたちが桜花さんたちね。いつもこの子たちがお世話になっています」
「いえ、私たちは大したことはしていません」
「そんなことないわ。この子たちから、あなたたちの話をよく聞いているのよ」
文代は三匹の頭を優しく撫でた。
「これからも、どうぞ仲良くしてあげてね」
「もちろんです」
桜花は微笑んで答えた。
三匹の子狐たちは、もう怯えた表情をしていなかった。
新しい家族と、新しい居場所。
これから覚えていく仕事も、まだまだたくさんあるだろう。
けれど、そこには確かな温かさがあった。
「じゃあ、あたしたちはそろそろ行こっか!」
「そうですね。雅友さん、文代さん。子狐たちをよろしくお願いします」
「ええ。任せてください」
桜花たちは店を後にした。
背後から、三匹の元気な声が聞こえてくる。
それを聞きながら、三人は城下町の道を歩いていった。
玉藻前が残した傷跡は、すぐには消えない。
それでも、失われたものばかりではなかった。
新しい家族を得た三匹の子狐たち。
彼らがこれから歩む道には、きっと多くの出会いが待っている。
紅い残光が消えた後にも、花はまた咲く。
その花がどこまで伸びていくのかは、まだ誰にも分からない。
今回の話はどうでした?
本格的に壱の型以外の型を出せたのではないでしょうか
裏話としてまず型全て考えてから話を作り始めた今作。なかなかその技を見せる機会が少なく、戦闘は派手にしたい欲求があります。
城下町では一章よりも強力な妖怪を登場させるつもりなので型の披露ができそうです。
次回もお楽しみに




