第2話 当たり
転生した。
どうやら、本当に。
そんな結論に至るまで、そう時間はかからなかった。
*
最初に分かったのは、今世の両親が日本人だということだった。
次に、自分が女であること。
それから、どうやら健康に生まれたらしいこと。
そこまで確認して、私はひとまず安心した。
前世と同じ日本。
性別も同じ。
五体満足。
悪くない。
問題は一つ。
――顔。
これだけは、どうしようもない。
「未来ちゃん、かわいいねえ」
母親が私の頬を指でつつく。
そう。
私の名前は未来になったらしい。
みらい。
悪くない名前だと思う。
まあ、そんなことより。
(かわいい、か)
赤ん坊に対する「かわいい」ほど信用できない評価もない。
赤ちゃんなんて大体かわいいと言われる。
親ならなおさらだ。
私は母親の腕の中から、壁に掛けられた鏡を見る。
当然、よく見えない。
視力がまだ発達していない。
輪郭すらぼんやりしている。
(使えない)
仕方なく諦めた。
今の段階でできることはほとんどない。
骨格も成長途中。
顔のパーツも変わる。
乳児期の顔から成人後の完成形を正確に予測するなんて無理だ。
私は前世で美容を死ぬほど勉強した。
だからこそ分かる。
今は判断材料が足りない。
なら、待つしかない。
*
赤ん坊としての生活は、信じられないほど暇だった。
寝る。
起きる。
飲む。
出す。
寝る。
以上。
(人間って最初こんなに何もできないんだ)
前世では当然、自分の乳児期なんて覚えていなかった。
今世では意識だけが三十歳。
身体は赤ちゃん。
最悪の組み合わせだった。
スマホも触れない。
本も読めない。
歩けない。
喋れない。
美容どころか、自分で顔を洗うことすらできない。
唯一できることは、観察だった。
父親。
母親。
祖父母。
親戚。
顔を見る。
かなり見る。
(母親、小顔だな)
これは良い。
輪郭も悪くない。
鼻も自然に細い。
父親を見る。
(こっちも骨格悪くない)
少なくとも、前世の両親よりかなり期待できる。
もちろん親が美形だから子供も必ず美形になるわけではない。
遺伝はそんな単純じゃない。
組み合わせ次第では普通に崩れる。
それでも。
(期待値は高そう)
私は機嫌よくミルクを飲んだ。
*
三歳。
ようやく、ある程度自分の顔を確認できるようになった。
洗面台の前。
踏み台に乗る。
鏡を見る。
「…………」
右。
左。
正面。
もう一度、右。
「未来ー? 何してるの?」
「かおみてる」
「また?」
母親が笑う。
また、らしい。
仕方ない。
重要なのだから。
私は鏡に近づいた。
まだ三歳。
当然、成人後の顔なんて分からない。
それでも。
(……悪くない)
いや。
かなり良い。
まず頭が小さい。
幼児だからではなく、肩幅や全身との比率で見ても小さい。
輪郭も今のところ綺麗。
目も悪くない。
鼻も幼児特有の丸さはあるけれど、土台を見る限り期待できる。
口元も出ていない。
そして。
私は少し顔を横に向けた。
(配置)
これが一番大きい。
前世で、どうしても欲しかったもの。
目だけなら変えられる。
鼻も変えられる。
輪郭だって、限界はあるけれど削れる。
顎も動かせる。
でも顔というものは、パーツ単体の集合じゃない。
どこに目があるか。
どこに鼻があるか。
どこに口があるか。
頭蓋骨の上にどう収まっているか。
その全体の調和。
前世の私は、それを嫌というほど思い知らされた。
今の私には。
それがある。
「……ふふ」
思わず笑った。
「未来?」
母親が不思議そうに私を見る。
私は鏡から目を離さなかった。
まだ早い。
三歳で勝利宣言するほど馬鹿じゃない。
成長で顔は変わる。
顎も伸びる。
鼻も変わる。
脂肪も落ちる。
歯列も変わる。
それでも。
(今回)
鏡の中の幼い自分を見る。
(かなり当たりかも)
*
五歳になる頃には、それは期待ではなくなりつつあった。
「未来ちゃん、本当にかわいいわねえ」
近所のおばさん。
「モデルさんみたい」
母親の友達。
「お人形さんみたいだね」
知らない店員。
会う人間が、やたらと私の顔について言及する。
前世とは正反対だった。
面白い。
特に面白いのは、大人の態度だった。
子供だから多少は誰にでも優しい。
でも、それを差し引いても違う。
笑顔が増える。
話しかけられる。
何もしていないのに覚えられる。
前世の記憶があるから、余計によく分かった。
(こんな小さい頃から違うんだ)
少し感心した。
不愉快ではない。
むしろ当然だと思う。
美しいものを見れば、好意的な感情を抱きやすい。
私だってそうだった。
だから世界を責める気はない。
前世では不利だった。
今世では有利。
それだけ。
ゲームのルールに文句を言うより、与えられた手札を使った方が早い。
そして今世の手札は。
かなり強そうだった。
*
私は五歳から日焼け止めを塗り始めた。
「未来、今日は曇ってるよ?」
「ぬる」
「幼稚園行くだけなのに?」
「ぬる」
母親は首を傾げながら塗ってくれた。
紫外線は曇りの日にも降り注ぐ。
幼児の肌に成人向けの強い製品を使うつもりはない。
年齢に合ったもの。
必要以上に神経質になるつもりもない。
でも、避けられるダメージをわざわざ受ける理由もない。
帽子も被る。
外では遊ぶ。
成長期なのだから運動は必要だ。
骨量も筋肉も、将来の体型に関係する。
食事も普通に食べる。
痩せる?
五歳で?
論外だ。
成長期に栄養を削って、身長や骨格の発達に影響が出たら取り返しがつかない。
前世で美容を調べていると、たまに思った。
美容に熱心な人ほど、美容のために美容を壊すことがある。
細くなりたいから食べない。
肌を綺麗にしたいから、必要以上に触る。
小顔になりたいから、意味の分からない方法を延々続ける。
私はそれをやらない。
目的は努力することではない。
綺麗になることだ。
だから必要なら食べる。
必要なら寝る。
必要なら運動する。
全部、最終的な完成度のため。
「未来ちゃん、お菓子食べる?」
「たべる」
クッキーを受け取る。
美味しい。
別に砂糖は毒ではない。
量の問題だ。
五歳児がクッキー一枚を怖がってどうする。
私は普通に二枚食べた。
*
同じ頃。
私は、自分の頭にも違和感を持ち始めていた。
最初は、転生者だからだと思っていた。
前世の記憶がある。
大人としての思考が残っている。
だから同年代より物覚えがいいのは当然。
そう思っていた。
ある日。
父親がリビングでニュースを見ていた。
海外のニュースだった。
画面の下に英語の字幕が流れている。
私はまだ英語をほとんど知らない。
ただ。
何となく字幕を見た。
数秒。
次。
また数秒。
意味は分からない。
当然だ。
単語を知らないのだから。
でも。
その夜。
ベッドに入って目を閉じた時。
昼間見た字幕が。
そのまま浮かんだ。
「……?」
私は目を開けた。
もう一度閉じる。
浮かぶ。
単語の並び。
綴り。
全部。
翌日。
私は紙と鉛筆を持ってきた。
思い出しながら書く。
幼児の手だから字は酷い。
でも。
並びは合っている気がする。
父親にスマホを借りた。
「なに調べるの?」
「えいご」
「英語?」
「これ」
昨日のニュースを探してもらう。
動画を再生する。
字幕が出る。
私は紙を見る。
画面を見る。
また紙。
「…………」
同じだった。
一文字。
二文字。
最後まで。
私はしばらく黙った。
父親は横で、
「未来、英語に興味あるの?」
なんて聞いている。
それどころじゃない。
私はもう一度字幕を見る。
知らない文章。
意味も知らない。
ただ一度見ただけ。
なのに覚えている。
(……何これ)
少し考える。
そして。
口元が上がった。
もし。
これが偶然じゃなかったら。
使える。
ものすごく。
使える。
「パパ」
「ん?」
「ほん、ほしい」
「絵本?」
「ちがう」
「じゃあ何?」
私は少し考えた。
前世で、もっと早く身につけておけばよかったもの。
美容情報も。
医学情報も。
新しい論文も。
世界の情報量は、日本語とは比較にならない。
「えいご」
父親が笑った。
「英語の本?」
「うん。いっぱい」
今度は。
持っているものを、一つも無駄にしない。
顔も。
時間も。
この頭も。
全部。
使えるものは使う。
だって。
こんなにいい手札を配られて。
適当に生きるなんて。
もったいなさすぎる。




