第1話 美人は、作れない
「美人は作れる」
初めてその言葉を見たのは、中学生の頃だったと思う。
嘘つけ。
今なら笑って流せる。
でも、当時の私は本気で信じた。
信じたかった、と言った方が正しいかもしれない。
*
鏡に映る自分の顔を、正面、右斜め、左斜めと確認する。
顎を少し引く。
右を向く。
鼻先に指を当てる。
もう少し。
あと、ほんの少しだけ鼻先を前に出せたら。
そう思って、すぐに却下した。
「……やめとこ」
これ以上はダメだ。
高さは出る。
横顔も多少は整う。
でも正面から見たときに鼻の存在感が強くなりすぎる。
鼻翼とのバランスも崩れる。
鼻だけ見れば今より綺麗になるかもしれない。
顔全体は、今よりブスになる。
スマホを手に取って、過去の写真を表示する。
整形前。
一回目。
二回目。
両顎後。
輪郭後。
鼻。
目。
脂肪。
歯列。
一枚ずつスクロールしていく。
変わった。
間違いなく変わった。
昔の私を知っている人間なら、同一人物だとは思わないかもしれない。
実際、久しぶりに会った同級生には気付かれなかった。
努力した。
金も使った。
時間も使った。
痛みにも耐えた。
二十代のほとんどを、美容に使った。
それでも。
「……ここまでか」
鏡の中の女は、ブスではない。
むしろ、世間一般ならそこそこ綺麗な部類に入ると思う。
中の上。
甘めに採点すれば、それくらい。
昔の私からすれば奇跡だ。
だけど、私は知りすぎていた。
美人を。
本当に綺麗な女を。
何百人も見てきた。
**
夜の世界に入った理由は単純だった。
金が欲しかった。
正確には、美容に使う金が欲しかった。
大学にも、普通の会社にも、特に興味はなかった。
月に二十万、三十万の給料から家賃を払って、何年貯めれば両顎ができる?
鼻は?
輪郭は?
歯列矯正は?
肌管理は?
待っている間にも私は歳を取る。
だったら、早く稼げるところに行く。
それだけだった。
当然、最初は売れなかった。
「お前、喋りは悪くないんだけどな」
店長にそう言われた日のことは、今でも覚えている。
“けど”。
その後を言われなくても分かった。
顔。
隣の席には、入店して三日目の女の子がいた。
十九歳。
接客は下手だった。
客が喋っている途中でスマホを見る。
話題を広げない。
酒も作るのが遅い。
連絡もマメじゃない。
なのに、可愛かった。
小さな顔。
横幅の狭い輪郭。
大きすぎないのに印象的な目。
細い鼻。
口元まで綺麗に収まっている。
何より、全部の配置がいい。
本人は美容に詳しくなかった。
スキンケアを聞いたら、ドラッグストアで適当に買ったものを使っていると言った。
美容医療もしていない。
髪も、近所の美容院。
なのに。
その子が黙って笑うだけで、客は嬉しそうだった。
無口なら、
「落ち着いてていいね」
愛想が薄くても、
「媚びてない感じがいい」
LINEを返さなくても、
「人気あるだろうし忙しいよね」
客が勝手に好意的な理由を作ってくれる。
私が同じことをしたら?
ただの接客のできない女だ。
あの日、私は理解した。
顔で負けるなら、顔以外を全部取るしかない。
そこからは、必死だった。
売れている女の接客を見た。
何を話すか。
どこで笑うか。
いつ触れるか。
どの程度酔うか。
客の名前だけじゃない。
職業。
役職。
家族構成。
好きな酒。
趣味。
前回来た日。
次の給料日。
誕生日。
仕事の愚痴。
嫌いな上司。
褒めると喜ぶ場所。
触れてはいけない場所。
全部覚えた。
営業LINEも試した。
朝。
昼休み。
仕事終わり。
深夜。
同じ文章でも、送る時間で反応が変わる。
返信を早くする。
遅くする。
絵文字を増やす。
減らす。
甘える。
褒める。
頼る。
放っておく。
何百回も試した。
客を人間として見るのをやめたわけじゃない。
むしろ逆だ。
徹底的に見た。
人間は、自分が思っているよりずっと分かりやすかった。
認められたい。
頼られたい。
自慢したい。
癒やされたい。
若い女に好かれていると思いたい。
自分だけは他の客と違うと思いたい。
欲しいものが分かれば、あとは渡せばいい。
半年後には、指名が増えた。
一年後には、店でもかなり売れる側にいた。
そして、その金をほとんど美容に突っ込んだ。
整形だけじゃない。
メイクも勉強した。
同じブラウンでも、自分の肌ではどれが一番濁らないか。
アイラインを何ミリ伸ばすか。
眉山を何ミリ外に置くか。
チークをどこから入れるか。
写真を撮る。
比較する。
消す。
また試す。
髪も同じ。
前髪の幅。
顔周り。
長さ。
色。
艶。
湿度による広がりまで記録した。
体も。
体重だけを見るのは早々にやめた。
ウエスト。
ヒップ。
太もも。
二の腕。
肩。
脚のライン。
全身写真を同じ条件で撮って比較する。
細ければ細いほどいいわけじゃない。
一キロ落とした方が綺麗な時もあれば、戻した方が全体の比率がいい時もある。
肌。
歯。
爪。
姿勢。
歩き方。
服。
香り。
私という人間を構成する、目に見えるもの全部。
一つずつ直した。
楽しかった。
少し変える。
昨日より綺麗になる。
また変える。
さらに良くなる。
自分の身体は、私が一生かけて作る作品だった。
だからこそ。
限界も、誰より分かった。
**
「今日、新しい子入るよ」
二十七歳の時だった。
「へえ」
興味なく返事をして、鏡越しにリップの輪郭を確認する。
悪くない。
今日のメイクはかなり完成度が高かった。
肌の調子もいい。
髪も綺麗に巻けた。
ウエストも先週より〇・七センチ絞れている。
自分で言うのもなんだけど、よく作ったと思う。
昔の写真を見れば、同一人物とは思えない。
その時、控室のドアが開いた。
顔を上げた。
「あ、今日から入りました。よろしくお願いします」
女の子が立っていた。
一秒。
たった一秒で分かった。
――ああ。
これは、無理だ。
たぶん二十歳くらい。
化粧は薄い。
というより、上手くない。
眉ももう少し整えられる。
髪だって艶を出せる。
服も、その骨格なら別の形の方が絶対に似合う。
改善点がいくつも見えた。
なのに、綺麗だった。
私より、ずっと。
頭が小さい。
首が長い。
顔の縦横比がいい。
輪郭が綺麗に収まっている。
目と目の距離。
鼻の幅。
口の位置。
全部が自然だ。
手術で一つずつ近づけることはできる。
でも、全部を同時に変えることはできない。
変えすぎれば、今度は不自然になる。
何より。
配置は、交換できない。
私は鏡の中の自分と、その子を見比べた。
何百万。
いや、美容全部ならもっとか。
何年。
痛み。
腫れ。
食事制限。
運動。
勉強。
その全部を積み上げた私より。
この子は、生まれた時点で綺麗だった。
不思議と腹は立たなかった。
もう、とっくに知っていたから。
努力に意味がないわけじゃない。
私は努力で、下の下からここまで来た。
意味はある。
死ぬほどある。
ただ。
スタート地点は、平等じゃない。
そして同じだけ努力するなら。
最初から百点の素材を持っている人間には、勝てない。
「……羨ましいな」
小さく呟いた。
女の子がこちらを見る。
「え?」
「なんでもない。よろしく」
私は笑った。
接客用じゃない。
普通の笑顔だった。
だって、本当に綺麗だったから。
美しいものを見るのは、好きだ。
昔から。
たとえそれが、自分ではなくても。
**
三十歳になった朝。
私は鏡の前にいた。
いつもと同じ照明。
同じ距離。
同じ角度。
だから、気のせいではない。
目元。
ほんの僅かな変化。
他人なら気付かない。
美容に興味のない人間なら、あと何年も気付かないかもしれない。
でも私は分かる。
昨日突然できたわけではない。
少しずつ。
ずっと進んでいた。
「……ああ」
指先で触れる。
肌管理をしている。
紫外線も避けている。
食事も睡眠も気をつけている。
美容医療もしている。
それでも。
老化する。
当たり前だ。
細胞は老化する。
骨も変化する。
脂肪の位置も変わる。
皮膚も変わる。
髪も変わる。
どれだけ手入れしても。
私の許可なんて取らずに。
私の作品が。
勝手に劣化していく。
鏡を見つめた。
二十年以上。
私はずっと、綺麗になりたかった。
ようやくここまで作った。
元が悪いなら、変えた。
足りないなら、補った。
太ったなら、絞った。
似合わないなら、研究した。
努力できることなら、全部やった。
でも。
時間だけは。
止められない。
「……くだらな」
笑った。
人生が嫌いなわけじゃない。
美味しいものも好きだった。
服も好き。
新しいコスメが出れば楽しい。
旅行も好きだった。
生きること自体は、別に嫌いじゃない。
ただ。
これから毎年。
昨日の自分より少しずつ劣化して。
それを美容医療で追いかけて。
追いつけなくなって。
最後には、自分が美しいと思えない身体で生きる。
それが。
どうしても。
私には価値があるように思えなかった。
「次があるなら」
そんなもの、あるとは思っていなかった。
それでも鏡の中の自分に向かって呟いた。
「次は、最初から綺麗に生まれたいな」
できれば。
とびきり。
そうしたら。
今度こそ。
絶対に。
一秒たりとも無駄にしないのに。
*
次に目を開けた時。
視界はぼやけていた。
身体が動かない。
声も出ない。
知らない女が、泣きながら私を見ていた。
「かわいい……」
その横で、男も笑っている。
何が起きたのか理解するまで。
少し時間がかかった。
――まさか。
私は。
もう一度。
生まれたらしい。




