第14話 研究者ごっこ
プログラミングを始めて三日。
私は早くも後悔していた。
「なんで動かないの」
画面には、昨日から何度も見ているエラー。
書き直した。調べた。もう一度書いた。
またエラー。
論文なら読めば少なくとも先には進むのに、こいつは一文字間違えただけで一歩も動かない。
融通が利かなすぎる。
「これ作った人、性格悪いでしょ」
もちろん作った人のせいではない。
分かっている。
でも腹が立つものは腹が立つ。
エラー文をコピーして検索する。
似たような質問が出てきた。
読む。
直す。
実行。
また赤い文字。
「……は?」
さっきより増えた。
どういうこと。
机に突っ伏したくなったけど、額に跡がつくのが嫌なのでやめた。
代わりに椅子の背もたれに寄りかかる。
天井を見た。
研究室に入れない。
だからパソコンで研究する。
そのためにプログラミングを覚える。
理屈は分かる。
昨日の私も納得していた。
でも昨日の私は、今日の私がこんなくだらないところで三時間溶かすことまでは考えていなかった。
スマホを取る。
SNSを開いた。
休憩。
流れてきたのはメイク動画だった。
少し見る。
ベース。
アイシャドウ。
チーク。
完成。
「濃いな」
可愛いけど、私にはいらない。
次。
ヘアアレンジ。
これは可愛い。
保存。
次。
新作リップ。
色を見る。
欲しい。
でも十歳の私が使うところはほとんどない。
「早く大人になりたい……」
研究の時は年齢なんて邪魔でしかないし、美容でも邪魔。
十歳、かなり不便だった。
十分くらい見てからスマホを伏せる。
よし。
戻ろう。
画面を見る。
赤い文字。
やっぱり腹立つ。
*
一週間後。
ようやく少し楽しくなってきた。
自分で書いたものが動く。
データを読み込む。
必要な部分を取り出す。
数字が並ぶ。
最初は何が嬉しいのか分からなかったけど、できるようになると悪くない。
何より。
速い。
人間が一個ずつ見るには多すぎる量でも、処理させれば一瞬だった。
「これ便利じゃん」
今まで論文を読む時、私は人がまとめた結果を見ていた。
でも公開されているデータを自分で扱えるなら、同じデータから別のものを見ることもできる。
少し面白くなってきた。
そこからは早かった。
Python。
統計。
データの扱い方。
必要になったものから覚える。
全部を完璧に勉強してから始めるのはやめた。
そんなことをしていたら時間がかかりすぎる。
使う。
分からない。
調べる。
また使う。
その方が速かった。
*
一か月後。
マーサー教授とのオンライン面談で、画面を共有した。
『それで、何をやったの?』
「公開されてるデータを使って、年齢ごとの遺伝子発現を見てみました」
『もう?』
「はい」
『未来。プログラミングを始めたの、いつだった?』
「先月です」
教授が眼鏡を外した。
画面の向こうで眉間を押さえている。
『……君は時々、私を不安にさせるね』
「なんでですか?」
『いや。続けて』
変なの。
私は作ったものを見せた。
まだ大したことはしていない。
データを取ってきて、整理して、比較しただけ。
それでも、自分で数字を触るのは初めてだった。
説明している途中で、教授が止めた。
『そこ。どうしてその条件にした?』
「他の条件だと差が大きすぎたので」
『それは理由になってない』
「あ」
確かに。
差が綺麗に出る条件を選んだだけになっている。
『欲しい結果に合わせて条件を選び始めたら、研究じゃなくなる』
「……はい」
『君が正しいことを証明するんじゃない。君が間違っている可能性も含めて調べるんだ』
刺さった。
少し。
かなり。
私は画面の数字を見る。
前世の美容情報を調べていた時も、似たようなことを何度もやった。
この施術は効く。
そう思ってから、効くという情報ばかり探す。
この化粧品はいい。
そう思えば、いい口コミばかり目につく。
自分では調べているつもりだった。
でも、欲しい答えを探していただけだったこともある。
「分かりました」
『本当に?』
「たぶん」
『たぶん?』
「もう一回やり直して、それでも同じ結果になったら分かったって言います」
教授が少し笑った。
『それならいい』
*
全部やり直した。
条件を先に決める。
都合が悪い結果も消さない。
比較する。
すると。
最初に見つけた綺麗な差は、かなり小さくなった。
「うわ」
ちょっとショック。
でも。
面白い。
じゃあ、最初にあれだけ差が出たのはなぜ?
そこを調べる。
別の要因。
データの偏り。
年齢。
性別。
疾患。
一個ずつ見ていく。
最初にやりたかったことから、どんどん離れていく。
なのに。
こっちの方が面白かった。
気づいたら夜。
「未来ー、お風呂入ってー!」
下から母の声。
「あと十分!」
「さっきも十分って言った!」
「今度は本当!」
「信用ないよー!」
時計を見る。
一時間経ってる。
「あ」
全然気づかなかった。
保存。
閉じる。
階段を降りる。
母が洗面所から顔を出した。
「最近ずっとパソコンじゃない?」
「研究」
「目悪くなるよ」
「三十分ごとに遠く見てる」
「そういう問題?」
「あと画面の明るさも下げてる」
「そういう問題なのかなあ……」
分からない。
でも視力は大事。
眼鏡で顔の印象が変わるのも嫌だし、コンタクトを毎日入れるのも面倒。
気をつけよう。
*
次の日。
学校で蓮が英語のノートを持ってきた。
「ミラ」
「なに?」
「見て」
机に置かれる。
英単語。
びっしり。
「……何これ」
「英語」
「それは見れば分かる」
「始めた」
そういえば。
英語できるようになって。
って言った。
「本当にやってるんだ」
「やれって言ったじゃん」
「言ったけど」
「忘れてた?」
「ちょっと」
「ひど」
ノートを見る。
丁寧。
私より字が綺麗。
「これ全部覚えたの?」
「半分くらい」
「遅いね」
「始めて一か月なんだけど」
「私はもっと速かったよ」
「ミラと比べんなって前も言ったよね?」
「そうだった」
ページをめくる。
文法。
発音。
ちゃんとやってる。
「いいんじゃない」
「ほんと?」
「うん。このままやれば」
蓮が分かりやすく嬉しそうな顔をした。
「じゃあさ」
「なに?」
「俺もアメリカ行ける?」
「英語できれば行けるでしょ」
「ミラと」
「ああ」
そういう意味。
「私が行くかまだ決まってないよ」
「行くんでしょ?」
「研究するのに一番速いなら」
「じゃあ俺も行く」
「なんで?」
「手伝うから」
「まだ何もできないじゃん」
「だから今やってんじゃん」
それはそう。
少し考える。
別に。
来るなら来ればいい。
邪魔じゃなければ。
「じゃあ頑張って」
「うん」
蓮が笑った。
単純。
*
その日の夜。
マーサー教授に、やり直した結果を送った。
最初とはかなり違う。
綺麗じゃない。
むしろ。
ごちゃごちゃ。
でも、こっちの方が信用できる。
送信。
翌朝。
メールが来ていた。
Much better. Now you have something worth investigating.
ずっと良くなった。
これでようやく、調べる価値のあるものができた。
読み終えて。
少し笑った。
最初に綺麗な結果が出た時。
私はもう研究した気になっていた。
違った。
欲しい結果を作るのは簡単。
自分が間違っているかもしれない状態で、それでも残るものを探す。
たぶん。
そっちの方がずっと難しい。
でも。
その方がいい。
だって。
私は二十歳になった時。
効いたように見える薬が欲しいわけじゃない。
本当に。
私の身体を老化させないものが欲しい。
自分に使うんだから。
誤魔化したところで。
最後に困るのは私だった。
「よし」
パソコンを開く。
昨日のデータ。
もう一度。
研究者ごっこは終わり。
ここからは。
ちゃんと使えるものを探そう。




