第11話 答えはいらない
九歳になった。
最近、マーサー教授が答えを教えてくれなくなった。
正確には。
私が聞いたことと、違うことを返してくる。
『この結果になる理由が分かりません』
送る。
返ってくる。
『君はどう考える?』
知らないから聞いてるんだけど。
考える。
送る。
『他には?』
考える。
送る。
『それを否定するには?』
面倒くさい。
ものすごく面倒くさい。
最初の頃はもっと親切だった。
聞けば説明してくれた。
教科書も教えてくれた。
論文も送ってくれた。
今は違う。
一個聞くと、二個くらい質問が返ってくる。
「……絶対わざとだ」
分かってる。
自分で考えろってことだ。
*
学校から帰る。
手を洗う。
着替える。
髪を結び直す。
おやつ。
机。
今日は論文を一本。
読む。
途中で知らない実験手法が出てきた。
検索。
読む。
元に戻る。
また出てくる。
検索。
戻る。
前よりはずっと速い。
一年前なら、一本読むだけで何日もかかっていた。
今は内容によっては一日で読める。
もちろん、全部じゃない。
難しいものはまだ難しい。
でも。
分からない理由が変わってきた。
前は、言葉そのものを知らなかった。
今は。
書いてあることは分かる。
でも、なぜそう解釈したのか分からない。
とか。
この実験でそこまで言っていいの?
とか。
そっちが増えた。
少し楽しい。
*
夕食の前。
マーサー教授からメールが来た。
珍しい。
私から質問していない。
開く。
論文が一本。
本文。
Find the flaw.
欠点を探せ。
「……」
何これ。
読む。
普通。
もう一度。
普通に見える。
方法。
結果。
統計。
結論。
戻る。
どこ。
一時間。
分からない。
夕食。
「未来、ご飯だよ」
「今行く」
「今日何してたの?」
「間違い探し」
「勉強で?」
「うん」
「楽しそうだね」
「全然」
「じゃあやめれば?」
「それは嫌」
母が笑った。
何がおかしいんだ。
*
お風呂。
髪を洗う。
トリートメント。
待っている間も考える。
実験。
何が変。
条件?
対象?
測定方法?
分からない。
流す。
髪を乾かす。
温度。
距離。
毛先。
こっちは簡単。
やれば結果が分かる。
研究も全部これくらい分かりやすければいいのに。
スキンケア。
鏡を見る。
最近、少し顔が変わった。
子供っぽい丸さがほんの少し減った。
目元はそのまま。
鼻筋。
まだ成長途中。
横。
顎。
問題なし。
髪を前に持ってくる。
こっちの方がいい。
写真。
保存。
一か月前と比較。
大きな変化なし。
よし。
パソコンに戻る。
間違い探し再開。
*
翌日。
まだ分からない。
学校でも考えていた。
「ミラ」
「なに」
「今日一緒に帰れる?」
「図書室行く」
「じゃあ俺も行く」
「いいけど」
放課後。
いつもの席。
パソコン。
蓮は向かい。
最近、蓮は私が何も言わなくても静かにする。
便利。
論文を開く。
もう一度。
「ミラ」
「なに」
「今日なんか機嫌悪い?」
顔を上げる。
「普通だけど」
「そう?」
「なんで?」
「朝から眉間にしわ寄ってる」
「うそ」
スマホのカメラを開く。
本当だ。
「最悪」
指で眉間を伸ばす。
「そこ?」
「癖になったら嫌じゃん」
「ならないでしょ」
「分かんないじゃん」
「何で怒ってんの?」
「怒ってない。分かんないだけ」
「何が?」
画面を向ける。
蓮が見る。
三秒。
「分かんない」
「だよね」
「英語じゃん」
「そこから?」
「九歳だよ俺」
「私もだよ」
「ミラと一緒にしないで」
それもそうか。
画面を戻す。
「先生に聞けば?」
「先生に出された」
「じゃあ聞けばいいじゃん」
「欠点探せって言われた」
「見つかりませんって言えば?」
「嫌」
「なんで?」
「負けたみたいだから」
「誰に?」
「論文」
「論文と戦ってんの?」
「今はね」
蓮が笑った。
うるさい。
*
三日目。
見つからない。
マーサー教授にはまだ送らない。
期限は言われていない。
だったら、まだ考えられる。
関連論文を読む。
同じ方法。
別の研究。
比較。
一つ。
結果が違う。
なんで。
条件を見る。
少し違う。
対象。
年齢。
培養条件。
あ。
戻る。
最初の論文。
確認。
「……これ?」
もう一度読む。
実験条件。
対照群。
ここ。
比較している二つ。
条件が揃っていない。
結果の差を、目的の要因だけで説明できない。
たぶん。
いや。
他にもあるかもしれない。
調べる。
二時間。
これだ。
メールを書く。
問題だと思う部分。
理由。
この結果だけでは結論を出せないこと。
代わりにどういう条件なら確認できるか。
送る。
*
返事は十分後に来た。
早。
開く。
Good.
またそれ。
でも今回は続きがあった。
It took you three days.
三日かかったね。
「……うざ」
絶対分かってる。
その下。
Next time, make it two.
次は二日にしよう。
「は?」
九歳児に何求めてんの。
でも。
少し笑った。
返信。
Next time, give me a harder one.
次はもっと難しいのください。
送る。
数分後。
That’s what I was hoping you’d say.
それを期待していた。
「……」
やられた。
*
それから。
マーサー教授から送られてくるものが変わった。
読むだけの論文は減った。
代わりに。
欠点を探せ。
別の仮説を考えろ。
実験を組め。
この結果を反証しろ。
そんなものが増えた。
答えを聞いても、すぐには教えてくれない。
最初は面倒だった。
今も面倒。
でも。
前より頭を使う。
知識だけなら。
本にある。
論文にもある。
検索すれば出てくる。
覚えるだけなら、私はかなり得意だ。
一度読めば、ほとんど残る。
だから。
たぶん。
教授はもう、そこを鍛える気がない。
*
日曜日。
美容系の動画を流しながら、髪をとかす。
新しいメイク。
保存。
これはいらない。
次。
美容医療。
止める。
見る。
新しい機械。
仕組みを調べる。
広告ページじゃなくて、論文。
読む。
「……微妙」
閉じる。
次。
SNSではすごいと言われている。
でも、研究を見るとそこまででもない。
前世だったら。
広告。
口コミ。
症例写真。
そこまでで判断していたこともあった。
今は。
その先まで見られる。
何を根拠に効果があると言っているのか。
比較対象は。
人数は。
期間は。
誰がお金を出した研究なのか。
見る。
「これ便利だな」
美容にも使える。
マーサー教授にやらされていること。
全部。
研究だけの話じゃない。
美容医療。
化粧品。
サプリ。
広告。
何にでも使える。
良い。
かなり良い。
動画を閉じる。
鏡を見る。
髪。
肌。
顔。
今はまだ九歳。
老化なんて、どこにも見えない。
でも。
あと十一年。
その時までに。
広告に書いてあることを信じる側じゃなく。
何が本当に効くのか。
自分で決められる側になる。
できれば。
効くものそのものを。
私が作る。
その方が確実だった。




