第10話 娘(母視点)
娘は、少し変わっている。
少し。
そう思っていた時期もあった。
*
未来が生まれた日のことは、今でも覚えている。
看護師さんが連れてきた小さな赤ちゃんを見て、最初に思ったのは。
可愛い。
当たり前だ。
自分の娘なんだから。
でも、親の欲目を抜きにしても整った顔をしている子だった。
目が大きいとか、鼻が高いとか。
そういう一つ一つではなくて。
なんとなく、全部の位置が綺麗だった。
夫も同じことを思ったらしい。
「この子、美人になるかもね」
なんて笑っていた。
その時は、それだけだった。
*
三歳。
日焼け止めを嫌がらない。
珍しい子だと思った。
むしろ、自分から塗りたがる。
外へ行く時には帽子。
髪を乾かす時には、熱すぎる風を嫌がった。
最初は私の真似をしているのだと思っていた。
女の子だし。
そういうことに興味を持つのが少し早いだけ。
でも。
「ママ、それ顔擦ってるよ」
三歳の娘にクレンジングを注意された時。
さすがに変だと思った。
「どこで覚えたの?」
「見た」
「何を?」
「スマホ」
「……何見てるの?」
美容の動画だった。
三歳。
私はスマホを取り上げるべきか、本気で悩んだ。
*
四歳。
英語を始めた。
別に英会話教室へ入れたわけではない。
本人が勝手に始めた。
理由を聞いた。
「日本語だけだと読めないのあるから」
何を読むつもりなのか。
その時は分からなかった。
五歳になる頃には、英語の動画を見ていた。
六歳では、本を読んでいた。
七歳。
アメリカの大学教授と話していた。
ここまで来ると。
もう。
どうしてこうなったのか、私にも分からない。
*
「ママ」
「なに?」
「これ買っていい?」
タブレットを渡される。
値段を見る。
「高っ」
「教科書」
「教科書ってこんなにするの?」
「専門書だから」
「図書館にはないの?」
「調べた。近くにはない」
「大学の図書館とか」
「私入れない」
「ああ……」
八歳の娘との会話だった。
「パパに聞いて」
「ママ決められない?」
「一万円超える本は相談します」
「分かった」
未来がタブレットを持って戻っていく。
「未来」
「なに?」
「それ読み終わったら、次また買う?」
「必要なら」
「必要じゃない可能性ある?」
「あるよ」
「ほんと?」
「うん」
少し安心した。
「論文で足りたら買わない」
「……そっか」
安心するところを間違えた。
*
学校では。
今のところ大きな問題はない。
友達もいる。
たぶん。
少なくとも、一人はよく名前を聞く。
蓮くん。
「今日、蓮くんは?」
「いたよ」
「何したの?」
「別に」
「一緒に帰った?」
「うん」
「仲いいね」
「そう?」
本人にはよく分かっていないらしい。
蓮くんのお母さんと授業参観で会ったことがある。
「蓮が未来ちゃんの話ばっかりするんですよ」
そう言って笑っていた。
少し申し訳なくなった。
うちの娘。
蓮くんの話、ほとんどしません。
言わなかったけど。
*
授業参観。
未来を探す必要はなかった。
すぐ分かった。
親だから、ではない。
目立つ。
八歳になって、顔立ちはかなりはっきりしてきた。
幼稚園の頃は、ただ可愛い子だった。
今は。
少し違う。
同じ制服。
同じ年齢。
同じ教室。
なのに、未来だけ妙に完成して見える。
姿勢もあると思う。
髪もいつも綺麗だ。
本人が毎日気にしている。
肌も焼けていない。
でも。
それだけではない。
「未来ちゃん、本当に可愛いね」
隣のお母さんに言われた。
「ありがとうございます」
何度目だろう。
最近、増えた。
スーパー。
美容院。
学校。
知らない人にまで言われることがある。
本人は。
全く喜ばない。
褒められ慣れたとか、そういう感じでもない。
この前も。
「未来ちゃん、美人さんねえ」
近所の人に言われて。
「ありがとうございます」
ちゃんと笑って。
家に入った瞬間。
「今日湿度高い。髪広がってる」
それだけ。
「さっき美人って言われたじゃん」
「うん」
「嬉しくないの?」
「嬉しいよ」
「見えない」
「だって知ってるし」
知ってる。
自分で。
「未来、自分のこと美人だと思ってるの?」
「思ってるよ」
即答だった。
「すごいね」
「何が?」
「普通ちょっと謙遜するよ」
「ママしかいないのに?」
そういう問題なのだろうか。
「外では言わないよ」
「なんで?」
「面倒な人いるから」
八歳。
誰に教わったんだろう。
*
授業が始まる。
先生が黒板に問題を書く。
子供たちが手を挙げる。
未来は挙げない。
知っているはずだ。
家では、もっとずっと先のことをやっている。
でも手を挙げない。
先生に当てられた。
答える。
正解。
また窓の外を見る。
先生。
ごめんなさい。
家でも注意してるんです。
一応。
*
休み時間になった。
子供たちが動き出す。
未来は席に座ったまま。
男の子が一人寄ってきた。
たぶん。
あれが蓮くん。
何か話している。
未来が答える。
蓮くんが笑う。
未来は机の中から小さな鏡を出した。
前髪を直す。
蓮くんがまだ何か言っている。
未来が鏡を見たまま答える。
なんだろう。
ものすごく。
未来らしい。
少し笑ってしまった。
*
家に帰って。
未来はランドセルを置いた。
手を洗う。
おやつ。
宿題。
終わる。
そこから専門書。
夕食。
お風呂。
スキンケア。
髪を乾かす。
鏡。
「ママ」
「なに?」
「私、左右で眉毛の生え方ちょっと違う」
「……そう?」
「ほら」
近づいてくる。
見る。
分からない。
「同じじゃない?」
「違うよ」
「どこ?」
「ここ」
「分かんない」
「そっか」
鏡に戻った。
気になるらしい。
でも抜いたりはしない。
「今いじると変になるから、もう少し大きくなってから考える」
そう言っている。
こういうところは妙に冷静だ。
美容に夢中なのに。
思いつきでは何もしない。
調べる。
比較する。
待つ。
それは勉強でも同じだった。
*
夜。
夫と二人になった。
「未来、今日どうだった?」
「いつも通り」
「授業聞いてた?」
「聞いてなかった」
「あー……」
「でも当てられたら答えてた」
「先生大変だな」
「ね」
少し笑う。
それから。
「今日また可愛いって言われた」
「未来が?」
「うん」
「そりゃ可愛いでしょ」
「親バカ」
「そっちもでしょ」
「まあね」
少し黙る。
「ねえ」
「ん?」
「未来って、将来どうなるんだろうね」
夫が考える。
「研究者じゃない?」
「そういう意味じゃなくて」
「分かってる」
七歳で海外の研究者にメールを送って。
八歳で専門書を読んで。
分からないことがあると、何時間でも調べる。
それなのに。
日曜日になると二時間ずっと美容動画を見て。
髪の毛一本で悩んでいる。
よく分からない。
天才。
そう呼んでしまえば簡単なのかもしれない。
でも。
それだけでもない気がする。
未来には。
ずっと何か。
急いでいるようなところがある。
誰も追いかけていないのに。
一人で。
何かに間に合わせようとしている。
「二十歳までに老化止めるんだって」
夫が言った。
「知ってる」
「まだ言ってる?」
「今日も言ってた」
「本気なのかな」
「本気でしょ」
そこだけは。
もう疑っていない。
できるかどうかは分からない。
たぶん。
普通に考えたら無理なんだと思う。
でも。
未来がそれを諦めるところは。
なぜか想像できなかった。
「とりあえず」
「うん」
「本代はかかりそう」
夫が笑った。
「そこ?」
「今一番現実的な問題」
「まあ、買ってあげようよ」
「一万円超えてるよ」
「……図書館探す?」
「未来がもう探してた」
「ああ」
「近くにはないって」
「じゃあ買うか」
そうなるよね。
明日。
未来に言おう。
たぶん。
「ありがとう」より先に。
「いつ届く?」
って聞かれる。
そんな気がした。




