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婚約解消した当て馬令嬢は魔法百貨店を立て直す  作者: 星舟能空


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第99話 折れた旗を直す店

 暗がりの中で、バシールが抱えてきた反射笠だけが、割れた天窓の光を鈍く返した。


 砂を含んだ風は、扉を開け放った展示館を奥まで舐め、倒れた箱の隙間で乾いた音を立てている。避難した客は通りの向こうへ移り、広場には主催者の安全係と、王冠、星灯り、《砂鴎工房》の者だけが残っていた。折れた旗柱へつながっていた導線には無入力札が掛けられ、残った力がないと確かめるまでは、誰も素手で触れない。


「うちの笠を貸せと言ったのは、どっちだ」


 バシールは、金色の館と私を見比べた。抱えた笠は王都の品より縁が低く、砂風を上へ逃がすため重く作られている。裏側に打たれた《砂鴎工房》の焼印は、煤で半分ほど黒かった。


「両店です」と私は答えた。「旗灯を仮に戻すため、王冠の安定核と、こちらの調整輪にも合わせたいのです」


「なら工房名は表へ出せ。『南方の笠』で済ませるなら貸さない」


「工程札へ、バシールさんの名と工房名、固定法を入れます。笠の貸出料、加工が必要になった場合の材料と作業料、技術を使う費用は別に支払います」


 事故の後で名を取り戻そうとする声を、復旧を急ぐ邪魔として扱うことはできなかった。私は会場の会計係を呼び、口約束ではなく支払票を作ってもらった。バシールは金額より先に、誰の名義で払われるのかを確かめた。主催者の旗灯を直す仕事なので、両店が善意で無償奉仕した形にせず、主催者が費用を持つ。王冠の効果核と受け具も有償貸与、星灯りの調整輪と測定作業にも対価を置く。


 マクシムが連れてきた王冠の技師は、標準核の封を開けず、筐体ごと修理台へ置いた。箱には《王冠百貨商会》の工程責任者と製作工房の名があり、技師は自分の担当を「接続と安全確認」と追記して署名した。ニナは《星雫灯》の交換式調整輪と温度札を並べ、自分が担えるのは出力調整と停止までで、王冠の核を開かないと工程票へ書く。バシールも反射笠の固定位置を指で示し、三者の境を消さなかった。


「綺麗に一つへ見せるのは、灯ってからでいい」とマクシムが言った。「中まで一社製に見せれば、壊れた時に誰を呼ぶか分からなくなる」


 王冠の館を先に開ける方法はあった。予備核を旗灯から切り離して館へ直接つなげば、金色の列だけは戻せる。星灯りも船から持ち込んだ蓄光板で、狭い試用卓なら明るくできた。けれど広場の避難路と両館の安全確認を終えず、一方ずつ客を戻せば、暗い方へ人が流れて混雑する。


「旗灯から戻しましょう」とマクシムが先に決めた。「館の売上は、そのあとだ」


 暗い修理台を通りへ向け、作業は公開した。成功してから幕を開けるのではなく、何を借り、どこを触り、誰が止めるのかを、見物人にも読める大きさで掲げる。王冠の標準核は出力が安定し、共通留め具は裂けた古い受けの代わりへ寸法どおり収まった。そこへバシールの笠を載せ、最後に星灯りの調整輪をつなぐ。


 組み上げる前に、三者は互いの工程票を読み合わせた。王冠の技師は標準核が旗灯への常設を想定した品ではないことを告げ、会期が終われば外す条件を付ける。バシールは、笠の縁を削れば軽くできるという案を拒んだ。砂を逃がす角度が失われれば、見た目だけ現地品を使うことになる。ニナは調整輪を核の最大出力まで上げないと書き、主催者の安全係へ停止の合図を渡した。


「誰が最後に止めるのです」と、見物人の中から尋ねる声がした。


「点灯を行うニナと、配線を管理する主催者の担当が、別々に停止を確かめます」と私は答えた。「一方が止めたと言っても、もう一方の札が戻るまでは近づけません」


 暗闇が長引くほど、店を開けたい焦りは大きくなる。通りの商人は、客が別の区画へ流れてしまうと訴え、館の係員も入口の向こうで商品を心配していた。私も、今日だけの売上と、会期を逃せば帰ってしまう客の顔を思った。それでも、急いでいることは接続の強さを一つも増やしてくれない。


 ニナが停止位置を確かめ、私は主催者へ点灯の許可を求めた。無入力札がすべて回収され、安全係が通りへ合図を出す。


「最低から入れます」


 調整輪が動くと、標準核の内側に淡い光が生まれた。そのまま笠へ広がるはずの光が、片側へ寄る。金具がかすかに鳴り、重い反射笠の縁が沈んだ。


「停止!」


 ニナが輪を零へ戻す。光が消えた直後、笠の留め具が斜めに滑り、受けへ白い傷を引いた。落下防止綱が支えたものの、そのまま出力を上げていれば、笠ごと通りへ傾いていただろう。


 見物人の間に失望のざわめきが走った。復旧を急ぐなら、幕を閉じ、別の部品へ替えてから成功だけを見せる方がよい。私は一度目の工程札へ、笠の重さによる傾きと停止時刻を書いた。


 主催者の係員が、失敗札をいったん裏返してはどうかと耳打ちした。原因が分からないままでは不安を煽り、博覧会全体の評判を落とすという。もっともな恐れだった。遠巻きにしていた客の中には、足早に去る者もいる。


「原因が分かるまで、『調査中』と足します。終わったことにはしません」


 私は札を表へ残し、その下へ新しい紙を吊った。最初から分かっていたような顔で説明するより、今どこまでしか分からないかを見せる。胸の奥では、せめて誰か一人の単純な手違いであってほしいという醜い願いが動いていた。ひとりの螺子の締め方にできれば、三つの店が組んだ仕組みまで疑われずに済む。けれど白墨が示したのは、どの部品も単独では規格どおりで、重さと受け方を組み合わせた時にだけ生まれる傾きだった。


「王冠の留め具が弱いのか」と、通りから声がした。


 王冠の技師は傷を隠さず、留め具を外して掌へ載せた。


「寸法は合っています。ただし、この受けは標準笠の重さを二点へ逃がす型です。現地笠の重心が風上へ寄ることを、組む前の確認で拾えませんでした」


「笠が重すぎると言いたいのか」


 バシールの声が硬くなる。


「砂風へ耐えるには、この重さが要るのでしょう。王冠の標準笠へ替えれば留め具は安定しますが、同じ風でまた旗が振られる」


 互いの品を欠陥と呼ぶ代わりに、合わなかった接点を修理台へ戻した。ニナが白墨を引くと、笠は最初の位置から細い線の幅だけ傾いている。調整輪を強く締めて姿勢を保つ案も出たが、彼女は首を振った。


「輪は出力を整える部品です。重さを支えさせれば、停止へ戻りにくくなります。最初の光を下げ、固定を先に直したいです」


 バシールは笠の固定穴を風上へ移すと言った。完成した工房品へ穴を開け直せば、閉幕後に通常品としては売れない。私は追加加工だけでなく、その傷によって失われる品の価値も支払票へ加えた。


「穴を守って人へ落とした方が、工房の恥だ」と、彼は短く答えた。


 王冠の技師は、同じ共通寸法の四点受けへ替えた。穴の間隔は変えず、笠の重さを広く支える型だ。ニナは調整輪の初期出力を下げ、停止へ戻る余白を残す。誰か一人の工夫で直った形にせず、変更を一つずつ工程札へ足した。


 二度目の接続前には、見物人をさらに下げた。留め具へ横風を当て、笠の温度を測り、停止輪を別の手でも戻す。最初に失敗したからこそ、次の点灯を拍手へ急ぐことはできない。


 標準核へ力が入り、今度は光が笠の中央へゆっくり満ちた。星灯りの調整輪を上げても傾きはなく、低い縁が砂を含む風を上へ逃がす。熱色札が白から黄へ移りかけると、バシールが手を近づけようとした。


「まだ触らないでください」とニナが止める。「停止して、残る熱を測ってからです」


 光を落とし、再び点ける。風を強め、導線を軽く引き、停止後の残りを確かめる。すべてを終えた時、仮の旗灯から分かれた配線へ、王冠館の金色が一列ずつ戻った。星灯りの小さな卓にも白い光が灯り、通りの両側から拍手が起きた。


 私は成功札を掲げる前に、一度目の失敗札をその隣へ残した。閉幕後は外す仮設品であること、元の旗灯を越える出力にしないこと、王冠の標準核と四点受け、《砂鴎工房》バシール製の耐砂反射笠と固定位置、星灯りの調整輪と温度測定を、同じ大きさの文字で記す。主催者の避難誘導と配線管理にも、担当者名が入った。


 会計係は、王冠へ貸与料と技師の作業料を、バシールへ笠の貸与、追加加工、技術料、販売できなくなった分を、星灯りへ調整輪の貸与とニナの作業料を渡した。復旧が宣伝になったからという理由で、誰の支払いも削らなかった。受取票を確かめたバシールは、ようやく笠の焼印から手を離した。


 王冠の技師も、工程札の自分の名を指し、閉幕後の取り外しに立ち会う費用が抜けていると告げた。点けた日の作業料だけでは、仮設品を安全に終わらせる仕事が無償になる。会計係は嫌な顔をしたが、主催者の責任者が欄を加えた。ニナの温度確認も、今夜一度で終わらない。展示を再開している間の記録と、異常があった時に止める当番を、店の通常勤務へ紛れ込ませず別の作業として計上した。


 灯りが戻れば、直した者には拍手が届く。だが閉幕した朝、まだ熱の残る金具を外す者を見に来る客はいない。見えない終わりへ先に代金を置いたことで、旗灯はようやく借り物の寄せ集めではなく、期限を持った仕事になった。


 復旧した館へ客を戻す時も、王冠から先、星灯りから先とはしなかった。主催者の安全係が通路を分け、停止位置と避難路を両館で見せてから扉を開ける。昼まで金色の列を羨んでいた私が、その列と一緒に戻る人波を見て安堵していることに気づき、可笑しいような、少し寂しいような気持ちになった。


「名が光より小さければ、点いたあとでも外すつもりだった」


「同じ高さへ掛けました」


「王都の店主は、名前に細かいな」


 彼の目には、初めて笑いがあった。


 夜、アルノルトへ便箋を開いた。戻った灯りの美しさより先に、留め具が傾いたことを書いた。


『今日は、あなたに見せたかった失敗が二つありました。一つは旗灯を最初の試みで直せなかったこと。もう一つは、早く直したいと思った瞬間、工房名と支払いを後へ回しかけたことです』


 彼なら褒めるだろうか、叱るだろうか。答えを先に求めず、帰った時に同じ卓で話したいと結んだ。


 封をしたところへ、サフィアが現れた。彼女は復旧した旗灯を見上げるのではなく、試用を終えた客の票箱を見ている。


「今の直し方なら、《星灯り》を独占で輸出できるわ。試用所も修理所も、商会で用意する」


 願ってもない申し出のように聞こえた。現地の時間を知り、売れなかった客をもう一度呼べるサフィアなら、王都から店を一つ出すよりずっと確かな網を作れる。


「その代わり、何をお求めですか」


「来場者全員の相性個票。誰が何を使えず、どの改良なら買ったかまで」


 彼女は悪びれなかった。粗い人気だけで仕入れれば、南方に合わない灯りを大量に抱える。個々の失敗まで分かれば、値下げや贈答へ回す前に止められる。その理屈は正しかった。


「個票は渡せません」


「なら、本人から買う。一件ごとに代金を払うわ」


 サフィアが示した金額は、灯りそのものよりはるかに高かった。


 翌朝、ナディアの卓へ置かれたのは、同じ客をめぐる三種類の紙だった。白い個人相性票、青い匿名集計への同意票、そして商品を買った者だけに作られる購入履歴。そのどれにも、同じ値札を付けてよいはずはなかった。

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