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婚約解消した当て馬令嬢は魔法百貨店を立て直す  作者: 星舟能空


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120/150

第120話 安くなった星灯り

「店が四割安くなったのなら、この灯りも四割引きですか」


 一階の値替え台へ置いた赤い評価書を、開店前から待っていた客が覗き込んだ。国はまだ採決の結果を知らせていない。それでも《星灯り魔法百貨店》の担保価値は、昨日までの評価より四割低いと、乾いた公文書の文字で決まっていた。


「商品の値段とは別です。下がる部分と、残る費用を一緒に見ていただけますか」


 ベルタと新しい値札を並べた。専売条件を外した品、複数工房が作れる共通部品を使う品、再生材を表示する品、従来の専用品を直して使う品。店の売却価値が下がったからと、同じ率で安くなるわけではない。


 共通接触部は作れる工房が増えれば、仕入れを競い、量産で部品代を下げられる可能性がある。再生材なら新しい鉱石を減らせる一方、分解と検査、元の所有者への対価、短い間隔での再検査が要る。有償公開規格を使う修理には、教材、認定、検査、工程名義の料金が載る。専用部品しか使えない古い品は、修理先が限られたまま高く残るものもあった。


 客は共通部品の札と、評価書を見比べた。


「店は安くなったのに、職人へ払う分は安くしないのね」


「店だけが持っていた独占と、高い粗利が減った評価です。今日この部品を安全に付ける手まで、四割なくなったわけではありません」


 祝賀の一律値引き札は用意しなかった。国有化を免れるかもしれない日だからこそ、赤い評価を客寄せの冗談へ変えたくなかった。


 店員と職人にも、各階の品を手にしたまま知らせた。マルタは従来より低い売上見込の表を持ち、ルチアは外部工房の認定が増えた時に必要になる事故照会の札を並べる。ニナが教育へ出る日は、店内の修理台からその手が抜ける。新しい教育料には、新しい仕事と不在が伴っていた。


「国へ渡さずに済めば、店は守られたのでしょう?」


 若い店員が、評価書の赤字をもう一度読んだ。


「所有が残っても、専売の利益は減ります。担保が下がれば、借り換えの条件が悪くなるかもしれません」


「給金はどうなりますか」


「今月分は支払います。まだ決まっていない公共契約や、将来誰かが買うかもしれない額を、今ある金として数えません」


 店を国へ売っていれば、雇用と債務をまとめて守れたという利点は残る。私たちの案が失敗すれば、選ばなかった代価は、理想を語った私だけでなくここで働く人へ届く。だから大丈夫だとは言えず、現在の契約期限と修理・教育の仕事を、話せる範囲で開いた。


「公開された手順を覚えて、別の工房へ移ることはできますか」


 倉庫係の問いに、ルチアが先に頷いた。


「雇用契約と工程名義を守るなら、選べるわ。ここへ残ることを、技術を学ぶ条件にはしないと決めたでしょう」


 守られた店に忠誠を、と言わせる祝賀幕も出さなかった。店員たちは歓声を上げず、自分の勤務表と値札を見比べ、変わる仕事へ質問を書き込んだ。


 古参の店員が、専用品の棚へ掛けていた金縁の札を外した。


「この品が星灯りでしか直せないことを、ずっと価値として説明してきました」


「嘘ではありませんでした」


「今日からは、それが不便だったとも言うのですね」


 私はすぐには答えられなかった。専売が店を支え、職人へ長い注文を渡してきた事実もある。原料が足りなくなった時、その閉じた修理先が客を待たせたのも事実だった。店員は返事を待たず、金縁札の跡を布で拭き、共通部品と専用部品の違いを書いた白札へ替えた。


「どちらを勧めるか、また覚え直します」


「教育にかかる勤務時間も、表へ足してください」


 彼女が頷いたので、私は胸の奥に残った安堵を、明るい励ましへ言い換えずに済んだ。


 通常営業の鐘が鳴ると、最初に来た客は、共通接触部を付けた《星雫灯》を返品台へ置いた。


「公開された規格なら、どの店でも直せて、誰にでも合うのだと思ったの」


 留め具は正しい寸法へ収まり、安全試験にも合格している。けれど本人がいつもの左手で長く使うと、弱い入力を途中で拾わず、灯りが落ちた。共通なのは部品の接続と安全の境界で、触れる人の違いまで一つにする規格ではない。


 七階の試用室へ上がり、客が普段座る高さに灯りを置いた。最初は淡い星が机へ広がる。帳面をめくり、左手を離してまた触れると、光が一度だけ迷うように揺れ、そのまま文字の端を暗くした。短い店頭試験では見落とせる変化だった。


「家では、ここで針へ糸を通すの」


 客は暗くなった場所へ縫い針を置いた。安全な範囲で灯っていても、その作業には足りない。ニナは入力を強く拾うよう調整し、同じ時間だけ縫い物を続けてもらった。今度は光が落ちなかった代わり、熱色札がゆっくり黄色の上へ近づく。客は針を布へ戻し、首を振った。


「同じ灯りを、普段の時間で試し直しましょう」


 従来の専用部品、再調整した共通部品、手持ち品を修理して使い続ける方法、返金を、本人の前へ置いた。従来品なら起動するが、修理できる工房が限られ、費用も高い。共通部品を弱い入力へ寄せると光は落ちなくなったものの、長く灯すうち熱色札が黄色の上へ進んだ。手持ち品には、同じ故障が戻る可能性がある。


「どれも、安心して選べないわ」


「今日は何も持ち帰らず、返金もできます」


 客はしばらく修理跡を指で撫でてから、返金を選んだ。公開規格が始まった日に、その品を持ち帰らせれば、返品率だけはきれいにできる。私は黄票を照合し、通常の返品条件で代金を返した。


 返金の手続きが進んでから、左手の弱い入力で合わなかったことを匿名の改良集計へ使ってよいか尋ねた。本人は、次の規格改訂までという期限なら結果だけを残し、名前と購入額は使わないでほしいと言う。青い匿名札と黄色の購入票を別の箱へ入れた。


「途中で匿名札を戻しても、返金は変わりませんか」


「変わりません。これは品物を返した代金です」


 客は青札を一度手に戻し、文面を読み直してから箱へ入れた。何も買わずに帰る背中を見送り、返品された共通部品を再試験棚へ置く。安全不合格と本人への不適合を分け、製造工房と認定者へは個人を除いた試験結果だけを返す。公開規格になっても返品は消えない。ただ、原因が《星灯り》の奥だけへ閉じず、作った工房まで戻る道ができた。


 昼過ぎ、行政の封書が届いた。蝋を割るベルタの手元へ店員が集まりかけたので、私は通常客の返金卓を塞がない位置へ移動した。


 公益会社による一括国有化案は、否決された。


 《星灯り》の建物、王冠の物流、鉱山、小工房、相性個票を、ひとつの国有資産にはしない。行政は代わりに供給組合から、地域安全在庫の維持、緊急輸送、原料検査、修理、返品窓口、鉱山の安全を、通常契約で買う。契約ごとに価格と責任区間、停止条件、引継ぎ先を置き、相性個票の移管条項は採用されなかった。


 静かな息が店内を満たし、それから誰かが「勝ったのですね」と言った。


「国有化案は否決されました」


「同じことでは?」


 私は赤い評価書を封書の隣へ置いた。


「店は残りました。独占の利益と担保価値は減り、公共の責任は契約として残ります。今日の返品もなくなりません」


 万歳の代わりに、契約が実際に動く順を試した。辺境支店が不足を報告し、供給組合が公開競りに残った材を照合する。王冠の防湿箱が運び、認定工房が受入検査をし、支店で使う本人が試す。合わなければ返品して原料を戻す。行政は配送した時だけでなく、待機在庫と返却の仕事にも料金を払う。


 一つの会社へ命令しなくても、別々の所有者が契約でつながる。その分、照合も請求も増える。行政は安いから選んだのではなく、個票を移さず、現地が停止できる余地へ、その手間を払うと決めた。


 最初の運送札を持ってきた王冠の係は、行政の印があるからと裏口へ荷を置かなかった。受取担当と封印番号を照合し、地域最低用と修理予約用を別の棚へ収める。認定工房の検査で止まった箱には、納品完了の印が付かず、王冠へ戻すのか、その場で再検査するのかを契約の責任区間から選んだ。


 同じ頃、通常の返品窓口では先ほどの客へ代金を返している。公共契約の箱が入ったからと返金箱へ回す金を借りず、行政からの前払分も、まだ終えていない在庫維持と輸送の分として封をした。国有化を断った日の帳簿には、祝いの収入ではなく、自由に使えない仕事の金が増えた。


 午後、七階の精算台で、小さな入金鐘が鳴った。別工房が、ルチアとニナたちの教育手順を使った初めての料金だった。


「店の売上へ入れるのですか」


 ニナが明細を覗く。


「先に、使われた工程へ分けます」


 教材と試験片、認定検査、ルチアの耐久基準、ニナの調整手順、ヨナスの接続条件、改訂に加わった王冠技師。作った名と費用を辿り、ベルタが別々の欄へ記す。


「給金を頂いているのに、名義料も受け取るのですか」


「店内で働く時間への給金と、外部が手順を使う料金を同じにはしません」


 初めての教育料だけで、失った高い粗利が戻るわけではなかった。それでも公開した日から技術を作った人だけが貧しくなる形にはせず、値札に残した仕事へ金が動いた。


 閉店後、ベルタと通常棚を回った。安くなった共通部品、検査費の残る再生品、教育料を含む修理、高いままの専用品、今日返金した《星雫灯》。値札を書き替え、返金箱の支出を記し、公共契約のうち将来の仕事へ拘束される分を売上から外す。国有化否決の知らせより、レジの音はずっと地味だった。


 アルノルトは採決の場にも、契約の確認にも現れなかった。債権者代理と審査から忌避した線を越えず、閉店の鐘が鳴ってから、一私人として店の外で待っていた。


「おめでとう、と言ってもよいですか」


「店が国有化されなかったことには」


「四割には?」


「慰めてください」


「大きな低下です」


 彼は、社会の価値は上がったのだから実質は勝利だと甘く言い換えなかった。その率直さへ苦笑し、私は差し出された手を取った。


「借り換えは、難しくなるでしょうね」


「一般論なら。具体的な債権条件は、今の私には分かりません」


「そのままでいてください」


 彼の掌は、夜気に冷えた私の指を急かさず包んでいた。公の判断を彼へ戻さず、一人で決めた損も小さく飾らずに話せる。そのまま隣を歩けることが、離れていた頃より温かかった。


 帰り道の角で、公爵邸へ向かう馬車と店へ戻る道が分かれた。アルノルトの指がわずかに力を増し、私も離しがたくなったが、今夜から同じ家へ帰ると言える段階ではない。


「明日も、迎えに来てもよいですか」


「閉店後なら。採決の資料は持ってこないでください」


「君も債権者名簿は見せないで」


 笑って手を離した。寂しさは残ったが、その寂しさを埋めるために職務の境界を越えようとは思わなかった。私は店へ引き返し、閉店後に届くはずの新しい名簿を、自分の鍵で開けることにした。


 店へ戻り、更新された債権者名簿を開いた。担保評価が下がったことで、いくつかの債権が市場で売買されている。脅迫も偽造もない合法な取引で、ここに新しい残高を書く必要もない。分かるのは、以前の債権者が回収の確かな先へ売り、競争相手につながる基金がそれを買ったという順位だった。


 最大の欄に記された名は、《王冠百貨商会関連基金》。


 国は《星灯り》を買わなかった。その夜、王冠につながる基金が、店のいちばん大きな債権者になっていた。


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