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婚約解消した当て馬令嬢は魔法百貨店を立て直す  作者: 星舟能空


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110/150

第110話 新品を売らない一週間

「今日は、買っていただかない練習をします」


 ニナがそう告げると、開店前の一階に戸惑った笑いが広がった。


 彼女の背後では、新品棚を覆う淡い灰色の布が、吹き込む朝風にかすかに揺れている。昨夜まで催事のために磨かれていた《星雫灯》も、新型の保温具も、その下にあった。入口の掲示には、導魔雲母を使う新品の販売を一週間休止すると記してある。


 再生できた雲母は四個分。翌月に届く見込みは従来の四分の一。そこで新品を売り続ければ、既に私たちの品を使っている客が壊れた時、交換する一片までなくなる。南方で注文を得た成功が、国外へ出す品だけでなく、同じ厚みを求める商人たちの買付けを呼び、王都の材料棚を痩せさせた。売れなかった頃とは逆の理由で、店は布を掛けることになった。


「新品を勧めなければ、何を話せばよいのですか」


 店員のひとりが尋ねた。


「欲しい商品の名より、困っていることを聞いてください。いつ起きたか、誰が使うか、どの姿勢で止めるか。今の品を直せるのか、借りれば足りるのか、何も買わず待てるのか」


 ニナはちらつく学習灯を台へ置き、店員役に渡した。新品の灯芯を勧めた者へ、灯りを消して反射笠を外すよう促す。留め具が緩み、笠が微かに震えていた。光の揺れは灯芯ではなく、振動した笠が作っている。


「共通留め具を締め直せば戻ります。導魔雲母は使いません」


「では修理を受けます、と言えばよいのですね」


「自分で直せる範囲も言ってください。灯核まで熱が残っていたら、私ではなくルチアへ。売らない接客は、何でも直せるふりをすることではありません」


 店員は灯りを持ち直し、今度は症状から聞き始めた。朝の声が少しずつ落ち着いてゆく。何かを売らなければ客を帰せないと思っていた手が、修理票と貸出票、延期の札へ伸びるようになった。


 開店鐘が鳴ると、布の前で足を止める客が続いた。広告を見て来た人もいる。一週間後なら必ず買えるのかと問われたが、約束はしなかった。入荷も再生歩留まりも決まっていない。休止が終わる前に値が上がると急かすことも、新品を取り置けば特別な客になれると煽ることもしない。


 一階には、既に予約していた客のため、待つ、返金を受ける、代わりの品を借りる、雲母を使わない品を試す、という札を並べた。待つと選んだ人へ、毎朝もう一度同意を求めない。納期や条件が変わった時、店から連絡して選び直してもらう。返金を受けても、次の試用から締め出さない。


 贈答用の星雫灯を予約していた男性は、灰色の布を乱暴にめくりかけた。


「ここにあるではないか」


「展示の新品です。販売を止めています」


「祝いの日は待ってくれない。金なら払う」


 使う相手と場所を尋ねると、王宮を訪れる客へ贈る儀礼品で、客室には既に灯りがある。雲母を使わない装飾灯、修理券を贈る案、延期、返金を示したが、男性はどれも気に入らなかった。


「新品でなければ、こちらの面目が立たない」


「そのご希望は変えなくて構いません。ただ、今週はお渡しできません」


 彼は返金を選び、硬貨を受け取ると、王冠なら売るだろうと言い残した。止めなかった。取り置かれていた部品は拘束在庫から外れたが、次に並ぶ人へその場で渡さず、修理と地域最低を照合する箱へ戻す。


 男性と入れ替わるように、小さな保温具を抱いた女性が窓口へ来た。夜、乳児のための湯を保つ。部屋に油火を置けず、今の具は接触部が熱を残すようになったという。


「さきほどの方より、後から来ました」


「順番だけで決めていません。今夜、代わりがないかを先に確かめます」


 貸出品を本人に試してもらう。昼の明るい台では起動できたが、乳児を腕に抱く姿勢を取ると、指が入力板の端まで届かない。女性は子を落とさぬよう身体を傾け、手首で何度も触れようとした。


「少し慣れればできます」


「夜中に慣れるまで試していただく品にはしません」


 ニナが別の貸出品へ足板をつなぐ。雲母を使わない古い仕組みで、足もとへ置けば片腕を空けずに起動できる。女性は子を抱いたまま湯を入れ、蓋を閉め、足で止めた。光沢も新しさもない道具だったが、彼女の夜にはよく合った。


「これを借ります。修理は待てます」


 貸出費、洗浄、返却後の再試験を説明し、次の利用者がいても突然取り上げない条件を出す。生活必需だから無料、にはしない。費用を消せば、洗い、試す人の仕事も消えてしまう。


 午後には、業務用の乾燥具が五階へ運ばれた。表面の摩耗だけなら削り直せそうに見え、持ち主も「新品を売らないなら、古い物を長く使わせてくれ」と頼んだ。


 ルチアが外装を開いて微量の魔力を通すと、停止したあとも接触部の奥に赤い筋が残った。


「ここで止めます」


「磨けばまだ使える。仕事を休めというのか」


「この熱は、磨いた面の下に残っています。延命すれば、次に止まらない場所が見えなくなる」


 持ち主の声が荒くなった。受けた仕事があり、乾燥が遅れれば取引先へ渡せない。新品を止めた店が修理まで断るのか、と責められても、ルチアは赤札を外さなかった。


 代替の貸出品を試す。強すぎて布を傷める品は外し、作業台へ収まらない品も戻す。速度は落ちるが、本人の足板で確実に止まる乾燥具が残った。持ち主は作業量を減らすことになる。それでも危険な延命よりはましだと、唇を噛みながら貸出を選んだ。


「売らない一週間を、直せる一週間と呼んではいけませんね」


 そばで見ていた店員が呟く。


「ええ。直せないと告げる日もあります」


 ルチアは愛想なく答えたが、持ち主が貸出具で停止を試し終えるまで、その場を離れなかった。


 布を掛けた新品棚の周りでも、店は静かにはならなかった。星雫灯の本体を買い替える代わりに、共通留め具だけを交換する。保温鍋は雲母片へ触れる前に、歪んだ蓋を研ぎ直す。成長して高さの合わなくなった学習灯には台座を足し、旅行箱は革帯を直して接触部へ偏っていた重みを逃がす。古い品が持ち込まれるたび、磨く音、糸を締める音、試験の小鐘が階段を上り下りした。


 ニナは店員の横に立ち、客へ何を売ったかではなく、何を使わずに済んだかを一緒に確かめた。ただし、雲母を使わなかった一件を手柄の札にはしない。別の部品と工賃が必要なら、その価格を出す。調整して戻った品が翌日また止まれば、修理完了の印を取り消す。


 実際、最初の日に直した染色釜の接触部が、再び運び込まれた。濡れた手袋で斜めに押すと、作業が長くなった頃だけ反応が遅れるという。入力板の調整ではなく、熱を受けた台座そのものがわずかに歪み、冷えると片側へ戻っていた。


「先日は止まりました」と店員が言いかける。


「先日だけです」


 ニナは修理完了票を外した。台座交換には雲母を使わないが、大きく開くためルチアの担当になる。再来店の手間と、最初の試験で長時間使用を再現できなかったことも記録した。修理件数をよく見せるため、同じ品を成功と再修理へ重ねて数えない。


 一週間の半ば、会計台は新品催事の時とは違う音を立てていた。高い商品を包む紙の音は少なく、修理工賃が入り、貸出保証として預かった金が増え、予約取消しの返金が出てゆく。催事の飾りと広告へ既に払った分は戻らない。再生材の検査にも費用がかかる。


 マルタは預り金を売上へ混ぜず、返却する日まで別の封へ置いた。修理で入った金も、新品を売らなかった損へひとまとめにしない。帳簿は華やかではなかったが、何もしていない週でも、修理が繁盛した成功催事でもないことが分かる。


「客が同じ品を持ち帰っているのに、店員の手は以前より塞がっています」


「新品なら箱を渡して終わる人にも、今は故障の場所を聞きますから」


 ニナは疲れた指を伸ばし、それでも次の店員へ声を掛けた。


「『新品がありません』で終えないでください。『買わなくて大丈夫です』のあとに、どう使い続けたいかを聞きます」


 彼女が初めて売場へ立った頃は、合う品を見つけて売ることに懸命だった。いまは、買替えを止めることも、資格の外をルチアへ渡すことも、客を失うのではなく仕事の一部として教えている。


 休憩に入ったニナは、誰もいない試用台で、緩んだ留め具を何度も締め直していた。


「教える側でも、怖いの?」と尋ねると、彼女は手を止めずに頷いた。


「売らなくていいと言った人が、そのまま戻らなかったらと思います。でも、戻ってもらうために危ない修理をしたら、もっと嫌です」


 いつもの明るい声ではなかった。私は大丈夫だと励ます代わりに、今日戻らなかった客と、別の品を借りて帰った客を、明日の引継ぎへ分けて書いた。戻るかどうかは客が決める。店にできるのは、戻った時に前の怒りや迷いから話を続けられるよう、選ばなかった札まで残しておくことだった。


 ニナはようやく留め具から手を離し、指についた油を布で拭った。


「それなら明日も、『買わなくて大丈夫です』から始めます」


「ええ。笑えない日には、無理に笑わなくていいわ」


 最終日が近づいても、新品棚の布は外せなかった。再生片だけで不足は埋まらず、問屋から届く知らせも変わらない。待つ客には、休止を延ばす可能性と、いま返金へ変えられることを伝え直した。辛抱した人ほど先に買える、という褒美は置かない。待ったことが、その後も待ち続ける義務にはならない。


 閉店後、アルノルトが迎えに来た。店内には研磨した金属の匂いが残り、灰色の布は夜の中で水面のように沈んでいる。


「新品を止めても足りません。四個分は、合わない人には使えない。王冠の契約を受けていれば早く直ったかもしれない客も待っています」


 私は息を継ぐ間もなく、次にできることを並べた。鉱山へ行く。再生回収を広げる。別素材の工房を探し、供給の契約を作り直す。言葉にしているあいだだけ、遅れる客の顔を見ずに済むような気がした。


「エステル」


 名を呼ばれ、次の案が喉でほどけた。


 口を閉じると、研磨具の止まった店は驚くほど静かだった。彼の前でまで説明を止めれば、空棚を覗いた時の冷たい風が胸の内へ入り込んでくる。


 私は一歩近づき、アルノルトの肩へ額を預けた。外套の布は少し冷たく、その下の体温がゆっくり額へ移る。彼の手が背へ触れたが、抱き寄せて問題を小さくするようなことはしなかった。


「怖いです」


「はい」


「また店が空になります。今度は、売れなかったからではなく、売れたから」


「聞いています」


 大丈夫だとも、私ならできるとも言わない声だった。債権側の金も、監査側の情報も差し出さず、私が額を離すまで、ただそこにいる。


「同じ家へ帰りたいという話を、取り消しますか」


「取り消しません」


「私もです」


 暮らす家も、債権と職務の境界も、まだ決めることばかり残っている。それらを今夜の体温だけで決めてしまおうとは、どちらも言わなかった。それでも怖いと言った夜が二人の将来から外されなかったことに、息が少し深くなった。


 その時、閉じた扉が強く叩かれた。鉱山からの急使が、問屋の封を持っている。


 通告には、危険を承知した増産へ応じなければ、星灯りとの供給契約を終えるとあった。リーゼが坑道を止めれば、翌月の四分の一さえ届かない。


 灰色の布の下で、売らなかった新品の輪が冷たく光った。


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