第102話 異国の返品日
「壊れたのではないの。好きではなくなった」
販売日よりも長い列の先頭で、女性はためらいながら箱の蓋を開けた。布に包まれていた《星雫灯》は、促されるまま触れると素直に灯る。硝子にひびはなく、熱色札も安全を示す黄色で止まった。星形の光が返品卓の背後を泳ぎ、白壁に掛けた赤い減点票の上まで、淡く揺れながら昇ってゆく。
「夜市では、きれいだと思ったのよ。家へ持ち帰って、二晩見たら、壁で動く星が落ち着かなくなって」
女性は最後の言葉を小さくし、故障でなければ返せないのかと私を窺った。店に迷惑をかける客だと、すでに自分で自分を叱ってきた顔だった。
「掲示した期間のうちですから、心変わりとしてお受けします」
「理由は、それでよいの?」
「ご家族に反対されたのか、ほかの品を見つけたのか、といったことは伺いません。『動く星が落ち着かない』という理由だけ、匿名で残してもよろしいですか」
彼女が頷いたので、購入日と使用札を確かめ、包装と付属品を本体と同じ番号で留めた。星を映さない笠も試せると伝えたが、今日は何も要らないと言う。その答えを変えようとせず代金を返すと、女性の肩は、空になった箱と一緒に少しだけ軽くなった。
外では、砂を含んだ風が天幕を鳴らしていた。列は曲がり角の先まで続き、腕に箱を抱えた人の汗が色鮮やかな布へ滲んでいる。予想の四倍という数字を昨夜見た時には、紙の上に収まる災難だった。けれど扉を開けてしまえば、ひとりずつに使った夜があり、困った理由があり、返すまで迷った時間がある。早く片づけたいという焦りが胸へ上がるたび、私は先頭の女性が箱を開けた時の声を思い出した。
返品卓には、判断を急いで混ぜないための色布を敷いた。用途に合わなかった品は青、店の説明や推薦に誤りがあったものは白、湿気や塩、砂塵による損傷は茶、心変わりは緑。ただし布の色だけで返金の可否を決めるのではない。箱を開き、現物と包装、使用札、外れた部品を照らし合わせる。隙間から落ちた砂や水滴まで小袋へ取り、戻った品には清掃、再試験、部品取り、危険回収のどこへ置くかが決まるまで、販売棚と同じ布を掛けなかった。
返金箱も通常の売上から離し、会期前に積んだ返品基金を開いた。黄票と金額を二人で照合してから払い出すたび、サフィアの計算板で残りが減ってゆく。
「売れた日の帳簿だけ持って帰れば、大成功に見えたでしょうね」
彼女は汗で額へ張りついた髪を指先で退け、窓の外の列を見た。
「今日が来た途端に、別の商売になったように見えます」
「別ではありません。売った日に、この仕事まで始まっていたのです」
口ではそう答えたものの、減る金を見る痛みが消えるわけではない。返すために置いた金なのに、こんなにも多く戻るとは思っていなかった。次の国外契約へ同じ費用を載せたら、価格は上がり、買わない人も増えるだろう。それでも今の列をなかったことにして安い価格を作れば、次に並ぶ人の代金を、未来の売上へ取りに行くことになる。
次に開いた箱から、黒っぽく湿った砂が卓へ流れた。潮と麻袋の匂いが立ち、客は申し訳なさそうに灯りを持ち上げる。港倉庫で使っていたという。起動はするが、調整輪が途中で引っ掛かり、力を込めると灯りが不意に強くなった。
「砂の中に置かれましたか」
若い店員が問いかけたので、私はそっと首を振った。
「仕事場では、どんな時に砂が舞うのか教えてください」
袋を開けば細かな粉が立ち、海風が戸口から吹き込む。客は説明書どおり、使い終わるたび乾いた布で外側を拭いた。けれど内側へ入った砂の落とし方は、どこにも書かれていなかった。保証札には通常の砂塵環境を含むとある。使い方の悪さを探す質問を重ねれば、こちらの説明が足りなかった事実だけが、砂より先に払われてしまう。
ニナは客の前で外装を開け、反射笠を外して調整輪の溝を光へ透かした。指先の動きが灯核の縁で止まる。
「輪の溝までは、ここで清掃して交換できます。ただ、核の縁にも砂が見えます。そこから先は私の資格では開けません」
「今日、持ち帰れないのか」
「代わりの灯りをお貸しするか、返金を選べます。お預かりなら、資格のある工房で検査してから、見積りをお知らせします」
客は代替灯を選んだ。ニナが何でも直してみせれば、見物人から拍手は起きただろう。代わりに卓へ残ったのは、開けられないまま灰色の回収札を結ばれた灯りだった。
白布の卓へ来た家族は、開幕前に撤去した誤訳札の写しを持っていた。『一度触れれば自動調整』という言葉を信じ、三人で同じ灯りを交替して使ったところ、最初の人の入力が残り、次の人には暗く、最後の人には熱くなったという。もう掲示していない説明だから無効だとは言えない。私たちの名で渡った紙だ。
通訳と一緒に、返金、別の品の試用、三人それぞれに合わせる調整、何も持ち帰らない、という選択を絵札で示した。家族は相談の末、返金を選んだ。誤訳を正す費用も、通訳をやり直す費用も、客へは載せない。写しがどこから渡ったかを白い札へ書き、同じ紙が残っている場所を辿る店員を出した。
長時間の写字で紙が反るという客には、売った時の短い試用では見えなかったことを認め、紙の損まで店の推薦事故として扱った。現地の置き灯と王冠の机上灯も同じ机へ借り、もう一度、本人に文字を書いてもらう。客が選んだのは王冠だった。《星灯り》の返品卓で競争相手の品が売れ、私は青い札の結末へそのまま記した。
昼を過ぎても列は縮まらなかった。何も持たず帰る人もいれば、反射笠だけを替える人、保証外の傷を値段を確かめて有償修理する人、危険な亀裂のため品を回収便へ預ける人もいる。箱が一つ戻るたび、売上の記録が逆向きに歩いてくるようだった。審査員は列の長さを確かめ、赤い評価板へ返品率を書き加えた。
緑の布へ置かれた心変わりの箱が増えると、受付の店員が小声で言った。
「せめて『不適合』へ移してはいけませんか。気まぐれで返されたように見えれば、店にも、お客様にもよくありません」
星の影が眠りを妨げた人には、不適合と言えるかもしれない。飽きたとだけ話した人の札まで青へ移せば、見栄えのよい理由を店が贈ることになる。
「本人が選んだ言葉を、恥ずかしくない名前へ直す必要はないわ。心変わりでも返せると掲示したのは、私たちです」
店員は緑札を裏返さず、箱へ結んだ。客の理由を美しく整えないことは、突き放すことと紙一重だったので、通訳には、責めるための分類ではなく、同じ条件で返金を受けるためだと説明してもらう。列の後ろでそれを聞いた人が、胸に抱えていた箱を少し下ろした。
裏口へ運べば、華やかな展示からだけは隠せる。私は一度、積み上がる箱を見てそう考え、すぐに自分が考えたことへ息が詰まった。見えない場所へ動かせば、返品した人まで見せたくないものになる。箱は展示壁の前で開き続けた。
隣の修理卓では、ニナと現地修理者たちが、互いの工具を一つずつ交換していた。ニナが教えるのは、反射笠と調整輪、共通留め具を安全に外せる範囲である。灯核へ届く微細な亀裂を見つけた時には、光に透かしたまま手を止めた。
「この程度なら、こちらでは樹脂で埋める」
現地の修理者が言うと、ニナは否定する前に、どの樹脂をどの外装へ使うのかを尋ねた。
「外装なら、その方法を教わりたいです。でも灯核の亀裂は、閉じ込めた熱が別の場所へ抜けます。私は王都でも開けません」
「売った国まで戻すのか」
「今は、そうします。ここで大修理を認める資格と訓練を、一日で作ったことにはできないので」
言い負かされたのではなく、相手は亀裂をもう一度灯りへ透かし、灰色箱へ置いた。それから立場を替え、砂詰まりを防ぐ清掃を見せてくれる。笠を下へ向け、まず縁を払う。王都式に上から布を当てると、細砂を溝へ押し込むのだという。薄い布輪を留め具へ挟む方法は乾いた市場で有効だが、港の湿気では布が水を抱くので使わない。
《砂鴎工房》のバシールが、固定具を斜めに差し込む手を見せた。ニナは真似をして、最初の一度は印の向きを逆にした。
「王都の人は、印を上に揃えたがるね」
「ええ。間違えた方も教材へ描きます。正しい絵だけでは、今の私のように入れた人が気づけません」
現地修理者の作業時間、教材、工房名を記録し、決めた作業料を払う。こちらの技術を授けたという体裁ではなく、南方の砂と湿気の中で磨かれた手順を、私たちも対価を払って学ぶ。王都へ持ち帰る教材には、ニナの名と同じ大きさで彼らの名が入った。
午後遅く、ナディアが使い慣れた灯りを持ってきた。新品の外装を薦めかけた店員に、彼女は魚籠を置かないまま眉を上げる。
「この灯りの代金は、もう払ったよ。向きを考えたのもわたしなのに、もう一つ全部買うの?」
「改良する部分だけで試しましょう」
私は新品札を下げた。ナディアの手持ち灯へ横向き笠と固定具を付け、濡れた台を傾け、魚籠の角を当て、そばを人に通ってもらう。光が他人の目へ入らず、熱が横へ逃げ、短く点けたり消したりしても調整輪が強光へ跳ねない位置を探した。試験協力への代金は先に彼女へ払い、その金と有償改良の代金を相殺しなかった。発案した報酬を受け取ることと、自分の道具を買うことは、同じ財布の中でも別の選択だった。
夜明け前の魚市で再試用すると、潮に濡れた石床が青白く光った。ナディアは右手で魚籠の縄を支え、砂除け布を掛けた左手で、灯りへ短く触れる。横へ向いた光は白壁へ当たり、値札へやわらかく返った。客が来るたび消し、また点けても、以前のような眩しい脈は起こらない。
「五。今度は、五に見える」
濡れた銅貨と値札を見比べても、彼女の眉間には皺が寄らなかった。私は成功札へ、売れた品の数ではなく、右手を魚籠から離さず値札を読めたことを書いた。
会場へ戻ると、審査台からの通知が待っていた。情報管理の減点と、予想の四倍に膨らんだ返品率によって、《星灯り魔法百貨店》は金賞候補から外れる。紙を持つ指へ汗が滲み、墨がわずかに移った。悔しさのすぐ隣で、ナディアが数字を読んだ声だけが、妙に明るく残っている。どちらかを使って、もう一方をなかったことにはしたくなかった。
アルノルトへの手紙にも、金賞候補から落ちたことを書き、その次へ、ナディアが五を五と読めたことを書いた。彼の言葉で敗北を美しい勝利へ直してもらうための手紙にはしない。
最終審査台へ運ぶ箱を選ぶ頃、南方の日はもう傾いていた。成功した灯りの隣へ、返金票、誤訳札、砂の入った小袋を収める。いちばん大きな灰色箱には、白い札を結んだ。
『現地では直せなかった品』
明日の審査へ持ってゆく荷は、売れ残りよりも、売ったあとに戻ってきたものの方が重かった。




