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第9話 真実の露呈

 四畳半のボロアパート。

 朝の陽光が差し込む中、鈴木悠作は昨日ゴミ捨て場から拾ってきた子犬「ポチ」のトレーニングに励んでいた。

 フェンリルの幼体であるポチの銀色の毛並みは、朝日に照らされて神秘的な輝きを放っている。つぶらな黒い瞳が、悠作の手元にある「茹でた豚肉の切れ端」をじっと見つめていた。


「よし、ポチ。まずはお座りだ」


 悠作が声をかけると、ポチは素直にちょこんと腰を下ろした。その際、床板がミシッと重々しく軋む音がしたが、悠作は築40年のアパートの老朽化のせいだと片付けた。実際には、S級幻獣であるフェンリルの骨格と筋肉の密度が常軌を逸しており、その小さな体躯からは想像もつかないほどの重量があるためだった。


「おお、賢いな。次はお手だ」


 悠作が右手を差し出す。ポチは一瞬、首を傾げたが、すぐに意図を理解したのか、嬉しそうに尻尾を振った。

 パタパタと振られる尻尾から放たれる絶対零度の魔力により、夏の暑さが残る室内が一気に冷え込み、フローリングの表面に薄っすらと霜が降りる。


「……お? 急に涼しくなったな。すきま風か? まあ、冷房代が浮いて助かるけど」


 悠作は物理法則を無視してカンストした異常な温度耐性を持っているため、冷蔵庫の冷凍室以下の致死的な冷気を「心地よい涼しさ」程度にしか感じていない。


『ワフッ!』


 ポチは元気よく鳴くと、差し出された悠作の掌に向けて前脚を振り下ろした。


 ——パンッ!!!


 乾いた破裂音が四畳半に響き渡った。ポチの嬉しさのあまり音速を超えて振り抜かれた前脚が、空気を圧縮して小さな衝撃波を生み出したのだ。常人であれば手首から先が複雑骨折して吹き飛ぶほどの威力である。

 だが、悠作の掌は、それを「ちょっと強めのハイタッチ」として難なく、そして無傷で受け止めていた。


「おっと。元気だな、ポチ。でも、お手の時はもうちょっと優しく頼むぞ。痛くはないけど、音がデカくて近所迷惑になるからな」


 悠作が苦笑いしながらポチの頭を撫でると、S級幻獣の幼体は「自分の全力のじゃれつきをノーダメージで受け止め、さらに優しく撫でてくれる」という事実の前に、悠作を「絶対に服従すべき群れのボス」として完全に認定した。

 ポチはコロンと仰向けに転がり、無防備な腹を見せて『クゥ〜ン』と甘えた声を出した。


「ははっ、可愛い奴め。よし、ご褒美だ」


 悠作が豚肉の切れ端を空中に放り投げると、ポチはバネ仕掛けのように跳躍し、空中でアクロバティックに回転しながら見事にキャッチした。着地の際、ポチの爪が空気を切り裂き、微小な真空の刃が発生して壁紙を数cmほどスパッと切り裂いた。


「おっと、壁紙が破れちゃったな。退去の時に敷金から引かれないように、後でカレンダーでも貼って誤魔化しておかないと」


 悠作は、S級幻獣の恐るべき殺傷能力の片鱗を「ちょっとやんちゃな子犬のイタズラ」という極めて矮小なスケールで自己完結させていた。


「やっぱり犬はいいな。面倒なギルドの人間関係や、理不尽な罰金の取り立てに比べたら、いくらでも癒やされる」


 悠作は、全ての罪と罰金を被ってくれた命の恩人・炎上烈への感謝を胸に抱きながら、平和な午前中の時間を満喫していた。


★★★★★★★★★★★


 一方その頃、デジタルの海は、かつてないほどの大嵐に見舞われていた。


 前日、全世界に向けて行われたB級パーティ『紅蓮の剣』のリーダー・炎上烈の記者会見。「魔竜を瀕死まで追い詰めたのは自分たちであり、あのポーターは偶然とどめを刺しただけのハイエナだ」という主張は、一般層をある程度納得させたものの、多くの探索者オタクや技術者たちの間に「決定的な違和感」を植え付けていた。


 世界中の優秀なハッカー、魔導具エンジニア、そして真実を追求するネットの特定班たちが、水面下で一斉に動き出していたのである。

 彼らが目を付けたのは、悠作の無双劇を配信したドローンカメラ『ハエドリ』のシステムログだった。


「映像のスタート位置がおかしい。魔竜のブレスの予備動作から始まっているが、ハエドリは常時録画機能を持っているはずだ」

「墜落した衝撃でメインサーバーへの送信が数秒間途切れたんだ。だが、機体内部のローカルメモリや、ギルドのクラウドサーバーのバックアップ領域には、墜落直前の『欠落した数十秒』のデータが必ず残っているはずだ。炎上が主張するような激しい戦闘があったのなら、その痕跡が記録されている」


 数万人の有志が、それぞれの技術と知識を持ち寄り、ギルドの強固なセキュリティの隙間を縫ってクラウドの深淵へと潜り込んでいく。

 そして、会見から1日半が経過した昼過ぎ。

 ついに一人の匿名ユーザーが、暗号化されたデータのサルベージに成功し、とある動画共有サイトの裏掲示板に一つのURLを投下した。


 タイトル:『【真実・完全版】紅蓮の剣リーダー、ポーターを囮にして逃亡する決定的瞬間』


 その動画は、SNSの爆発的な拡散力によって瞬く間に表の世界へと溢れ出し、全世界の人々の目に触れることとなった。

 再生された映像は、薄暗い地底湖の畔から始まっていた。

 画面の中央には、恐怖で腰を抜かし、地面に尻餅をついている炎上烈の姿。そこには、魔竜と互角に渡り合った形跡など微塵も存在しない。そして、後方には重そうな荷物を背負って静かに立つ悠作の姿がある。


 魔竜の巨大な顎が開き、超高熱のブレスの準備が始まったその時。

 烈が突如として狂ったように跳ね起き、あろうことか、すぐ後ろに立っていた悠作の腕を強引に掴むと、魔竜の射線上の目の前へと力任せに突き飛ばしたのだ。


『す、すまねえっ! お前が囮になってくれ!! 俺様はまだ死ねないんだ、歴史に名を残すS級探索者になる男なんだよぉぉっ!!』


 烈の醜悪な絶叫と、狂気に満ちた顔が、高画質のカメラにはっきりと収められていた。

 そのまま烈は、手元のハエドリのコントローラーを放り投げ、仲間たちと共に一目散に逃走する。

 放り投げられたコントローラーの視点がぐるぐると回転し、岩肌にぶつかって静止した直後から、あの「虚無顔ワンパン」の伝説の配信がスタートしていたのである。


 この完全版アーカイブの流出により、烈が記者会見で語った「彼を庇おうとした」「我々が魔竜を瀕死にした」という主張は、一ミクロンの弁解の余地もない完全な『嘘』であったことが白日の下に晒された。


 D-Tubeのニュースチャンネルや、各種SNSのタイムラインは、烈に対する凄まじい怒りと非難の嵐で完全にパンク状態となった。


【D-Tube コメント欄 / SNSの反応】

《おいおいおいおい! 庇うどころか、完全に自分から突き飛ばして囮にしてんじゃねえか!!》

《最低のクズ! 探索者の風上にも置けないゴミ!》

《よくもあんな堂々と嘘の記者会見ができたな。サイコパスかよ》

《120kgの荷物背負わせたポーターをS級ボスの前に突き出すとか、殺人未遂だろこれ》

《スポンサー企業、軒並み契約解除と莫大な違約金請求の声明出してるぞwww 当然の報いだな》

《ギルド本部も激怒してる。炎上烈の探索者免許、永久剥奪の手続きに入ったってさ》

《ざまぁみろ! 地獄の底まで炎上しやがれ!》


 烈へのヘイトが限界突破し、彼が社会的に抹殺されていく一方で、人々の関心は、映像の中に残された「もう一つの異常性」へと向けられていった。

 突き飛ばされ、絶体絶命の囮にされたはずの悠作の「態度」である。


《ちょっと待て。みんな、虚無ニキ(ポーター)の動きをよく見てみろ》

《烈に突き飛ばされた時、あいつ……全く抵抗してないぞ?》

《マジだ。あのカンスト級の力があるなら、烈の手を振り払うことなんて造作もないはずなのに……》

《わざと突き飛ばされた……? いや、違う。あいつは最初から、逃げる仲間たちのために『自ら盾になる』つもりだったんだ!》

《だからあんなに無抵抗で、一歩も後ろに下がらなかったのか!》

《そしてあの虚無顔……『自分の命なんてどうでもいい。ただ、この馬鹿な仲間たちだけは逃がしてやりたい』という、究極の慈愛と自己犠牲の顔だったんだ……!》

《なんてことだ……俺たちはなんて偉大な英雄を、ただのバズり動画として消費していたんだ……!》

《クズみたいなリーダーでも、仲間として命を懸けて守り抜いたんだな……。泣けてきた》


 悠作が抵抗しなかったのは、単に「突然腕を引かれたことに驚いた上に、いちいち足腰に力を入れて踏ん張るのが面倒くさかったから」に過ぎない。そして無表情だったのも、「保温調理器から角煮を引き上げる最高のタイミングに遅れる」という極めて個人的な焦燥感によるものだ。

 しかし、映像という客観的な事実と、人々の「そうであってほしい」という願望が組み合わさった結果、悠作の行動は「裏切り者すらも守り抜く、聖人君子のような自己犠牲」という、神話レベルの勘違いへと昇華されてしまったのである。


「虚無ニキ」という愛称は、もはや親しみを込めたネットミームではなく、真の英雄に対する「畏敬の念」を込めた称号へと完全に変わりつつあった。


★★★★★★★★★★★


 そんな、世界中を巻き込んだ情報戦と、炎上烈の社会的な大破滅、そして自身への神格化が最高潮に達していることなど、当の鈴木悠作は一ミリも知る由がなかった。


 昼過ぎのアパート。

 故障したスマホは机の上に放置されたままであり、テレビの電源もつけていないため、現在の彼に外部からの喧騒は全く届いていない。

 悠作は、気持ちよさそうにフローリングの上で丸まって昼寝をしているポチの隣で、週刊誌の漫画を読みながらゴロゴロとくつろいでいた。ポチから放たれる心地よい冷気のおかげで、夏の昼下がりでもエアコンいらずの快適な空間が保たれている。


(それにしても、炎上さん……今頃、あの法外な罰金と器物破損の賠償金の取り立てに苦労してるんだろうな……。俺の代わりに全ての罪を被ってくれた、あの熱い記者会見の姿、一生忘れないぜ)


 悠作は、完全に社会から抹殺されようとしている炎上烈に対して、心の底から純粋な感謝と尊敬の念を送っていた。


「俺にできることは、彼の尊い犠牲を無駄にせず、この平穏な日常を守り抜くことだ。……よし、今日の夕飯は奮発して、特売の豚肉をたっぷり使った肉野菜炒めにしよう」


 世界が彼を英雄として崇め立て、かつての雇い主が地獄の業火で焼かれている最中。

 最強の無自覚ポーターは、夕飯の献立という極めて個人的な幸福の追求にのみ、その全思考を傾けていたのである。

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