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第8話 『紅蓮の剣』の嘘

 探索者ギルド日本支部の大会議室は、異様なまでの熱気とフラッシュの閃光に包まれていた。

 緊急で開かれた記者会見。その壇上の中央で、大量のマイクを向けられているのは、B級パーティ『紅蓮の剣』のリーダー、炎上烈だった。


 彼の額には滝のような冷や汗が浮かび、豪華な赤い魔導甲冑の下で、足は微かに震えていた。

 無理もない。彼らは昨日、未踏の深層エリアでS級災害指定ボス『災厄の魔竜』に遭遇し、自らの専属ポーターを囮として置き去りにして逃亡するという、探索者としてあるまじき大罪を犯したのだ。

 逃げ帰った直後、烈は「俺様たちは全滅の危機を悟り、苦渋の決断で撤退した」とギルドに虚偽の報告をしていた。


 だが、状況は最悪の形で一変した。

 パニックで放り捨てた『ハエドリ』のカメラが生き残っており、見捨てたはずのポーターが、あろうことか魔竜を「デコピン一発」で瞬殺する映像が、全世界に生配信されてしまったのだ。


(クソッ……! なんであんな底辺のゴミが、S級ボスを倒してんだよ!? あり得ねえだろ!!)


 烈の心中は、恐怖と混乱、そして自身の保身への執着でぐちゃぐちゃになっていた。

 ポーターを見捨てた罪が公になれば、探索者免許の剥奪どころか、社会的に完全に抹殺される。スポンサーからの多額の違約金も発生するだろう。

 それを回避するために、烈のプライドと見栄が弾き出した「最悪の嘘」が、今まさに彼の口から語られようとしていた。


「えー、皆さんに真実をお伝えします」


 烈は震える声を必死に押し殺し、わざとらしく沈痛な面持ちを作ってマイクを握った。


「あの動画の切り抜きだけを見て、我々が彼を囮にしたと誤解されている方が多いようですが……それは全くの事実無根です」


 会場がざわめく中、烈は言葉を紡ぐ。


「我々『紅蓮の剣』は、あの魔竜と数時間に及ぶ死闘を繰り広げました。そして、私の究極奥義である『遅効性爆炎呪』を魔竜の体内に撃ち込むことに成功したのです! あの時、魔竜はすでに瀕死の重傷、HPは残り1%にも満たない状態でした!」


 記者のひとりが、鋭い声を上げる。


「しかし炎上さん! 映像では、あなたがポーターの鈴木さんを突き飛ばしているように見えましたが!?」


「あ、あれは! 彼を庇おうとしたんです! 瀕死の魔竜の最後の足掻きから、彼を安全な場所へ押しやろうとした結果、あのような形に……。そして我々は、呪文の爆発に巻き込まれないよう、戦略的撤退を指示したのです」


 烈は血走った目でカメラを睨みつけた。


「そして、あのポーターの『デコピン』。あれは単なる偶然です! 彼が怯えて手を上げた瞬間に、私の『遅効性爆炎呪』が発動し、魔竜の首が内部から吹き飛んだに過ぎません。つまり、魔竜を討伐したのは我々『紅蓮の剣』であり、あのポーターは我々の手柄を横取りした卑劣なハイエナなのです!!」


 論理は破綻しかけていたが、烈は勢いだけで押し切ろうとした。


「ただの荷物持ちがS級を倒せるわけがない」という常識が邪魔をして、一部の記者たちが「なるほど、それならば辻褄が合う」と納得し始めている。


 烈は内心でほくそ笑んだ。これで自分は悲劇の英雄であり、あの忌々しいポーターこそが世間から非難されるべき悪党になるのだ、と。


★★★★★★★★★★★


 一方その頃。

 そんな醜悪な記者会見が全国放送されていることなどつゆ知らず、鈴木悠作は、至高の朝食『角煮バターチャーハン』を平らげた後の満足感に浸りながら、アパートの1階にあるゴミ捨て場へと足を運んでいた。


「ふぅ。今日はもう絶対に外に出ないぞ。ギルドへの欠勤連絡も終わったし、夕飯まではゲームでもして過ごそう」


 手提げのゴミ袋をコンテナに放り込んだ時、悠作の耳に、微かな物音が届いた。


『キュゥ……』


「ん?」


 悠作がコンテナの裏を覗き込むと、そこには段ボール箱の陰で丸まっている、小さな毛玉のような生き物がいた。

 銀色に輝く美しい毛並みと、ピンと立った三角の耳。黒くてつぶらな瞳が、警戒するように悠作を見上げている。


「……犬か? こんなところで。見た感じ……豆柴の雑種ってところか」


 悠作の動物の知識は、一般人のそれよりもさらに乏しかった。

 目の前にいるのは、ダンジョンの最深部や、極めて高濃度の魔力溜まりにしか生息しないとされるS級幻獣『フェンリル』の幼体である。

 本来なら絶対に地上に現れるはずのない生物だが、そこには明確な理由があった。

 昨日、悠作はスーパーの特売に間に合わせるため、ダンジョン深層から地上へ向かって、邪魔な岩盤を次々と粉砕しながら「物理的な直線のショートカット」を行っていた。その彼が残したデタラメな破壊の跡が、そのまま地上へと続く巨大な直通トンネルとなり、偶然にもこのアパートの裏手にある下水溝へと繋がってしまっていたのだ。

 この小さな幻獣は、親とはぐれた後、悠作が強引に開通させたその風通しの良いトンネルをトコトコと辿り、そのまま迷い出てきてしまったのである。


 幼体とはいえ、S級幻獣である。

 その小さな体からは、周囲の空気を凍らせるほどの絶対零度の魔力が絶えず漏れ出しており、近所の野良猫やカラスは本能的な恐怖を感じて100m以内に近づくことすらできていなかった。

 実際、段ボール箱の周囲だけ、真夏日にもかかわらず薄っすらと霜が降りている。


 だが、カンストした物理耐性と温度耐性を持つ悠作は、その致死性の冷気を「今日の風は少し涼しいな。日陰だからか」程度にしか感じていなかった。


『グルルルッ……!』


 フェンリルの幼体は、未知の巨大な生物に対し、誇り高き幻獣としての威嚇の唸り声を上げた。そして、目にも止まらぬ速度で跳躍し、悠作の差し出した右手の指に、鉄骨すら噛み砕く鋭い牙を突き立てた。


 ガキンッ!!


「痛っ! こら、急に噛むな!」


 悠作は「普通の人間」として反射的に痛がる素振りを見せ、指を引っ込めようとした。


「……キャン!?」


 しかし、悲鳴を上げたのはフェンリルの幼体の方だった。渾身の力で噛み付いたはずなのに、相手の皮膚に傷一つつけられないどころか、自分自身の牙が砕けそうになったからだ。


「……あれ? 痛いと思ったら、全然血が出てないな」


 悠作は自分の指先と、涙目で後ずさる子犬を交互に見比べた。


「なんだ、威勢がいい割には甘噛みか。まだ乳歯だから痛くないんだな。びっくりさせやがって」


 悠作の「自分は普通の弱い人間だ」という強固な思い込みは、相手の牙がどれほどの破壊力を持っていたかという事実を、完全に「甘噛み」という都合の良い解釈で上書きしてしまった。


 本能が告げていた。フェンリルにとって、目の前にいるこの気だるげな二足歩行の生物は、自分たち幻獣の頂点に君臨する竜すらも赤子扱いできる、理不尽なまでの『怪物』であると。


「腹でも減ってるのか? 震えてるし。……まあ、昨日の豚肉の端切れでも茹でてやれば食うか。ちょうど一人で飯食うのも飽きてきたところだしな」


 悠作は、恐怖で震えるフェンリルの首根っこをヒョイとつまみ上げた。

 S級幻獣は完全に抵抗の意志を喪失し、借りてきた猫のように大人しくぶら下がった。


「よし、今日からお前は『ポチ』だ。仲良くしようぜ、ポチ」


 悠作は、伝説の魔狼を「豆柴のポチ」と勝手に命名し、そのまま抱きかかえて四畳半のアパートへと戻っていった。


 部屋に戻った悠作は、さっそく小鍋で味付けなしの豚コマ肉を茹で始めた。

 ポチは部屋の隅で大人しく丸まりながら、悠作の規格外の頑強さと、そこから生み出される謎の美味しそうな匂いに、完全に野生のプライドを捨てて尻尾を振り始めていた。


「ほら、食え。熱いから気をつけろよ」


 茹で上がった肉を冷ましてから皿に出してやると、ポチは一瞬でそれを平らげた。


「よく食うな。よしよし」


 悠作が満足げにポチの銀色の毛並みを撫でながら、何気なく部屋の古いテレビの電源を入れた。

 画面には、ちょうど『紅蓮の剣』の記者会見の模様が映し出されていた。


『——つまり! あのポーターは我々の手柄を横取りした卑劣なハイエナなのです!! 我々が魔竜を瀕死に追い込んでいなければ、あのような奇跡は絶対に起きませんでした! 全ての功績と、そしてダンジョン環境を破壊した責任は、この炎上烈にあるのです!』


 画面の中で、烈が顔を真っ赤にして力説している。


 悠作は、その放送を見て目を丸くした。

 そして、彼特有の、極めて低次元で事なかれ主義な論理エンジンが高速で回転し始めた。

 悠作の脳内で、全ての点と点が線で繋がった。


(さすがB級パーティのリーダーだ。俺みたいな素人には見えなかったが、あのトカゲはすでに『遅効性爆炎呪』とやらで命の灯火が消えかけてたんだな。俺は本当に、ただ最後に触っただけだったんだ)


 そして、悠作の勘違いはさらに飛躍する。

 先ほどギルドのロビーで、近藤ギルド長たちが「トカゲ退治の件で話がある」と接触してきたのは、間違いなく「無許可での指定ボス討伐」と「ダンジョン環境の物理的破壊」に対する、莫大な罰金の請求だったはずだ。悠作はそう確信している。

 だが今、烈は全国放送のカメラに向かって、「魔竜を倒したのは自分であり、環境破壊の責任も自分にある」と高らかに宣言してくれたのだ。


(炎上さん……! あんた、わざわざ俺みたいな底辺のポーターを庇って、あの莫大な罰金と責任を一人で被ってくれるつもりなのか……!?)


 悠作の胸に、かつてないほどの熱い感動が込み上げてきた。

 昨日は自分を突き飛ばして逃げたクズだと思っていたが、あれも「素人の俺を戦いから遠ざけるための、不器用な気遣い」だったに違いない。

 烈は今、世間からのバッシングやギルドからのペナルティという巨大な十字架を、一身に背負おうとしているのだ。


「すげえよ、炎上さん。あんた、本当の男だ」


 悠作はテレビに向かって、深く深く頭を下げた。

 自分が「世界最強」として崇められていることなど一ミクロンも想像せず、ただ「理不尽な罰金から逃れられた」という圧倒的な安心感に包まれながら。


『ワフッ!』


 足元で、豚肉のおかわりを要求するポチが、可愛らしく鳴いた。


「おっと、すまんすまん。今すぐ追加を茹でてやるからな」


 世界中が、虚無ニキの正体探しと『紅蓮の剣』の虚偽の主張に対する大激論で真っ二つに割れ、歴史的な情報戦の様相を呈している中。

 当の鈴木悠作は、命の恩人炎上烈への感謝を胸に抱きながら、拾ってきた謎の豆柴の世話に精を出していた。

 彼の愛する平穏な四畳半の日常は、勘違いと偶然の連続によって、今日も奇跡的に守られ続けているのだった。

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