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第18話 ネギ・パリィ

 四畳半のボロアパートに、奇妙な同棲生活の足音が定着しつつあった。

 鈴木悠作は、壁掛けの古びた時計を見上げ、小さく息を吐いた。時刻は16時30分。近所のスーパー『アオバ』で開催される、夕方のタイムセールの開始時刻が刻々と迫っている。


「よし。今日の夕飯は、特売の鶏肉と大量の長ネギを使った『鶏ネギ塩炒め』にするか。ネギは鮮度と太さが命だ。モタモタしていると、近所の熟練主婦たちに良い束を全部持っていかれてしまう」


 悠作は色落ちしたジャージのジッパーを上まで引き上げ、出撃の準備を整えた。

 彼が玄関のドアノブに手をかけたその時、部屋の隅でポチのブラッシングをしていた高橋すずが、目を輝かせて勢いよく立ち上がった。


「ゆ、悠作様! どちらへ行かれるのですか!?」

「スーパーだ。夕飯の買い出しにな。今日は鶏肉とネギをたっぷり使った炒め物にするから、鮮度のいいネギを見繕いに行きたい」

「買い出し……! でしたら、この家政婦たるすずに是非ともお供させてください! 悠作様のお荷物持ちでも、露払いでも、何でもこなしてみせます!」


 すずの瞳が、限界オタク特有の危険な熱を帯びてキラキラと輝いている。


(ただ近所のスーパーに行くだけなのに、露払いってなんだよ。大名行列じゃないんだぞ)と、悠作は内心で呆れ果てた。極度の事なかれ主義である彼にとって、目立つ行動は最大のタブーである。しかし、数日間の家事労働で彼女の真面目さを認めていた悠作は、自分に都合の良い条件を突きつけた。


「……まあいい。ただし、絶対に騒がないこと。そして、買った荷物は全部お前に持たせるからな。タダで荷物持ちが雇えるなら、悪くない取引だ」

「っ……! はいっ! 喜んでお供いたします!」


 悠作の「荷物持ちとしてこき使う」という打算的な発言を、すずの限界突破した脳は「お前を連れて歩いてやる」という甘美な響きへと自動変換していた。

 彼女は光学迷彩機能のついたコートを深く羽織り、顔の大部分をサングラスとマスクで覆い隠した。A級魔法剣士としての魔力隠蔽技術をフル稼働させ、トップアイドルのオーラを極限まで押し殺す。


「完璧な変装です。これなら誰にも、私が天音ルミだとはバレませんし、悠作様との神聖なる初デートの邪魔も入りません……!」


 すずはコートの下でガッツポーズを作りながら、悠作の3歩後ろを小走りでついていった。


 ★★★★★★★★★★★


 アパートの外は相変わらず群衆に囲まれていたが、悠作の『明鏡止水』の隠密歩行と、すずのA級の隠蔽魔法が合わさることで、誰の目にも留まることなくスーパーへの到達に成功した。


「よし、着いたぞ。今日はお前が荷物持ちだからな、カートはいらない。直接カゴを持て」

「はいっ! 悠作様のお買い物のすべてを、この目に焼き付けさせていただきます!」


 店内は、夕方のタイムセールを狙う買い物客で戦場のような熱気を帯びていた。

 悠作の目つきが、ダンジョンで獲物を狙う狩人のように鋭さを増した。彼は無駄のない歩法で鮮魚コーナーと精肉コーナーをすり抜け、今日の主役である野菜売り場へと直行した。


「あったぞ。茨城県産の極太長ネギ、3本束で198円。……素晴らしい。葉先までピンと張っていて、白い部分の巻きも固く、持った時のずっしりとした重量感が水分をたっぷり含んでいる証拠だ。今日のネギは大当たりだ」


 悠作は、陳列されたネギの束の中から最も状態の良いものを瞬時に見極め、2束をすずの持つカゴへと放り込んだ。

 続いて、特売の鶏もも肉、ごま油、タイムセールの目玉である『Lサイズ卵』、そして翌日の朝食用の納豆などを次々と確保していく。迷いのない、計算し尽くされた完璧な導線。


 すずは、カゴを持つ手を震わせながら、その背中を見つめていた。


(ああ……なんて無駄のない身のこなし。スーパーマーケットという日常の空間ですら、悠作様にとっては己の戦術を研ぎ澄ます修練の場なのですね。この鶏肉や卵を選ぶ眼光、間違いなく急所を的確に見抜く暗殺者のそれです……!)


 すずの重度な勘違いフィルターは、ただの主夫の買い物風景すらも至高のエンターテインメントへと昇華させていた。


「よし、必要なものは全部揃った。レジが混む前に撤収するぞ」


 悠作は素早く会計を済ませると、パンパンに膨れ上がった重いスーパーの袋を2つ、すずの両手に持たせた。


「約束通り、荷物持ちは任せたぞ」

「はいっ! 悠作様から託されたこの重み……! 命に代えても守り抜いてみせます!」

「大袈裟だな。特売で買った卵が入ってるから、絶対に割らないように気をつけろよ」


 買い出しを終えた2人は、夕暮れ時の赤く染まった裏道を歩き、アパートへの帰路についていた。夕飯の準備を急ぐ近隣住民の夕餉の匂いが漂う中、悠作の頭の中は、すでに「帰って鶏肉を酒と塩で揉み込み、ネギをごま油で焦げ目がつくまで焼く。ネギの香ばしさと鶏肉の脂が合わさったところで、塩ダレを絡めて一気に炒め上げる」という調理の完璧な段取りで一杯だった。


 だが、その平和な思考は、裏路地の曲がり角を曲がった直後、前方を塞ぐように立ち塞がった一つの影によって物理的に遮断された。


「……ハロー。やっと見つけたヨ。ずっと待ってたんだからネ」


 夕日に照らされ、ピンクとブロンドの派手なグラデーションヘアを揺らす長身の女。

 ノルウェー出身のA級格闘家、フレヤ・ヨネルだ。

 彼女は、ギルドのロビーで悠作に「完全なる塩対応」をされて以来、闘争心と好奇心に火をつけられ、悠作の帰宅ルートを先回りして待ち伏せしていたのである。


「ユー、ギルドではアタシのこと完全にシカトしたよネ。チョーむかつくけど、チョーかっこよかった! だから、ここでアタシの実力を見せつけて、ユーを本気にさせてあげる!」


 フレヤはサングラスを投げ捨て、肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべた。

 彼女の全身から、A級上位特有の濃密な魔力が立ち昇り、周囲の空気がチリチリと熱を帯びていく。彼女の異名『爆炎の戦乙女』が示す通り、彼女の格闘術は常に超高熱の爆発魔法を伴うのだ。


「なっ……! あなたは、ノルウェーのフレヤ・ヨネル!? なぜこんな所に!」


 荷物を持っていたすずが、A級の同業者としての危機感から鋭い声を上げた。


 しかし、悠作の反応は全く異なっていた。

 彼の徹底した自己防衛本能と事なかれ主義は、目の前の状況を極めて日常的で矮小なスケールのトラブルとして処理したのである。


(……おいおい、マジかよ。ギルドにいたあの海外の迷惑系YouTuberじゃないか。わざわざ俺の帰り道を待ち伏せして、ドッキリ動画の続きを撮ろうってのか? 周りが不自然に熱くなってるのは、服の下に隠し持った携帯ヒーターか、手品用の発火装置の類だな。こんなチンピラ外国人の炎上企画に付き合ってられるか。俺は早く帰って鶏肉を漬け込まないといけないんだ)


 悠作は深い深いため息をつき、心底うんざりした冷たい視線をフレヤに向けた。


「……悪いけど、そういうカメラを回して通行人を驚かせるような動画企画には協力できない。邪魔だからそこをどいてくれ」

「動画企画? ハハッ、ユーは何を言ってるの? アタシは本気で、ユーと殺し合いたいだけヨ!!」


 悠作の冷淡な態度が、フレヤの導火線に完全に火をつけた。

 彼女はアスファルトを蹴り砕き、弾丸のような速度で悠作との距離を詰めた。


「受けてみな! アタシの最高火力の蹴り! 『爆炎流星脚』!!」


 フレヤの右脚が、業火を纏いながら悠作の首筋へと振り抜かれる。

 空気を焼き焦がす圧倒的な熱量と、鋼鉄の扉すら紙屑のように粉砕する物理的破壊力。A級の奥義が、無防備なジャージ姿の男へと襲いかかった。


「悠作様! 危ない!!」


 すずが悲鳴を上げ、両手に持っていたスーパーの袋をアスファルトの地面へ放り出し、魔法剣の詠唱に入ろうとした、その刹那。


 悠作の頭の中にあったのは、死への恐怖でも、敵への迎撃の意志でもなかった。


(……おい馬鹿! 卵が入ってるって言っただろ! コンクリートに袋を放り投げたら、特売のLサイズ卵が全滅しちまうじゃないか!!)


 悠作は、夕飯の要である食材を死守するという、極めて切実な目的のためだけに動いた。

 彼は超人的な反応速度で、すずの手から離れ、重力に従って落下し始めた袋の持ち手をガシッと掴み取った。卵の安全を確保した安堵も束の間、目前にはフレヤの放った炎の蹴りが迫っている。

 悠作は、掴み取った袋の隙間から、無造作に『極太の長ネギ』を一本引き抜いた。

 その瞬間、彼が10年間の過酷なポーター業務で無意識のうちに極め尽くしてきた二つの固有スキル、【絶対運搬】と【超次元収納】が、極めて自然な動作の延長として完璧な融合を果たした。


【絶対運搬】の「運ぶ対象を外部の衝撃から守り、絶対に破損させない」という概念防御。そこに、【超次元収納】の奥底に眠る数万トンに及ぶ『圧縮された質量』を、彼自身のカンストした魔力制御によって一瞬で長ネギという媒体へと注ぎ込んだのだ。

 彼にとっては「荷物を壊さないように保護しつつ、重いものを扱う」という、息をするのと同じくらい当たり前で純粋な技術の結晶に過ぎなかった。


 結果として、悠作の手に握られた一本の長ネギは、その青々とした瑞々しい見た目を保ったまま、「絶対に折れない、数万トンの質量を持った規格外の概念兵器」へと変貌を遂げていた。


(チッ、ふざけやがって。手品用の火薬かなんか知らないが、こんな火の粉を撒き散らされたら、せっかく買ったこのネギまで焦げちまうだろ。葉先が焼けたら風味が台無しじゃないか)


 悠作は、まるで夏の夜に顔の周りを飛ぶ蚊を払いのけるような、あまりにも気だるげで適当な動作で、その長ネギを軽く振った。


 ——パァンッ!!!


 フレヤの放った必殺の『爆炎流星脚』と、悠作の振った『長ネギ』が衝突した瞬間。

 爆炎はネギに触れた瞬間にまるで嘘のようにかき消され、フレヤの体は、ダンプカーに正面衝突されたかのような理不尽な衝撃を受けて空中で回転し、そのまま地面へと激しく叩きつけられた。


「……ガッ、ハァッ!?」


 フレヤはアスファルトを数メートル転がり、むせ返りながら仰向けに倒れた。

 彼女の右脚は激しく痺れ、完全に感覚を失っていた。直撃したわけではない。ただネギで「軽く払われた」だけの余波で、A級のオーラ防御が完全に粉砕されたのだ。


「……は? え……? アタシの全力の奥義が……ネギで……弾かれた……?」


 フレヤは信じられないものを見る目で、悠作の手にある長ネギを見上げた。

 ネギの表面は、爆炎の影響を微塵も受けておらず、買ったばかりの青々としたツヤを保っている。


 悠作は、倒れ込んだフレヤを冷たい目で見下ろした。


(ドッキリ企画の割には、随分と派手に転ぶ劇団員だな。だが、こんな面倒な連中に付き合っていたらキリがない。さっさと警察をチラつかせて追い払うに限る)


「おい。手品の火薬で人の食べ物を焦がそうとするのは立派な器物破損だぞ。これ以上付きまとうなら、警察を呼ぶからな。……行くぞ、すず。鶏肉が傷む前に帰るんだ」


 悠作はネギを袋に戻すと、フレヤにはそれ以上一瞥もくれず、再びアパートへと歩き出した。


 残されたフレヤは、地面に寝転がったまま、遠ざかる悠作の背中を呆然と見送っていた。


「ネギ一本で……アタシの全力を防いだって言うの……? 防御を捨てた攻撃特化の戦術じゃなかったの……!?」


 彼女の脳裏に、圧倒的な敗北感と、それを遥かに凌駕する強烈なリスペクトが湧き上がってくる。


「……ワオ。規格外すぎるネ。ヤバい……アタシ、完全に惚れちゃったカモ……!」


 陽キャの戦闘狂は、痛む右脚を擦りながら、頬を真っ赤に染めて恍惚とした笑みを浮かべていた。


 一方、悠作の斜め後ろを歩くすずは、息を呑み、全身の産毛が逆立つほどの戦慄と感動を覚えていた。


(ああっ……! 悠作様……! スーパーで買ったばかりのただの長ネギに、神話級の質量と魔力防御を瞬時に付与してパリィするなんて……! これが、人類最強の武神の『日常』……! 私はなんて素晴らしい方とお買い物を……!!)


 最強の無自覚ポーターは、背後で限界オタクと戦闘狂の2人が自分に対する神格化を臨界点まで突破させていることなど知る由もなく。

 ただひたすらに、「鶏肉に塩を振るタイミング」という、今夜の夕食のクオリティを左右する重大な決断にのみ、その全思考を傾けているのだった。

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