第17話 陽キャ戦闘狂の道場破り
トップVtuberである高橋すずが、「家政婦」という名目で四畳半のボロアパートに居座り始めてから、数日が経過した。
鈴木悠作は、朝からため息をつきながら、自身の薄っぺらい財布の中身を確認していた。
(……エンゲル係数がヤバいな)
すずは、悠作の「タダ飯は食わせない。家事を手伝え」という条件を完璧にこなし、部屋の掃除から洗濯まで、A級魔法剣士の魔力コントロールを無駄遣いしてピカピカに仕上げていた。
その労働力と引き換えに、悠作は毎食のように手料理を振る舞っているのだが、この絶世の美女、驚くほどよく食べるのだ。彼女の細く引き締まった体のどこに、昨日の余り物チャーハン3杯分が消えたのか、悠作には理解できなかった。
さらに、S級幻獣フェンリルの幼体である『ポチ』も順調に成長しており、悠作のささやかな食費予算はすでに限界を突破しつつあった。
(ギルドに行って、数日前までのポーターの日給を引き出してこないとな。未だにスマホの充電器が壊れたまま放置してるから、口座の振り込み確認すらできないし)
悠作は一瞬、「すずにドローン便で新しい充電器や食材を注文させればいいのでは?」と考えた。だが、極度の警戒心は即座にその甘い考えを否定した。
(ダメだ。食費や日用品までこの女に立て替えさせれば、俺は確実に『借り』を作ることになる。それを口実に「これだけ尽くしたのだから妻にしてください」と法外な要求を押し通されたら、俺は反論できなくなる。自分のテリトリーの主導権を死守するためには、面倒でも自分の金で生活費を賄わなければならないんだ)
悠作は、使い古された色落ちジャージを羽織ると、玄関のドアノブに手をかけた。
アパートの外は、彼が「借金取りやマスコミの張り込み」だと勘違いしている、数万人のファンや報道陣によって依然として包囲されている。
だが、10年間にわたりダンジョンという死地で「いかに疲労せず、誰にも見つからずに生還するか」を突き詰めてきたポーターの隠密技術――本人はただ人混みを避けて歩いているだけのつもりだが、周囲から見れば『明鏡止水』の極致――をもってすれば、群衆の死角を縫って外へ出ることは容易かった。
「……行ってくる。留守番頼むぞ。絶対に窓を開けるなよ」
「はいっ、悠作様! いってらっしゃいませ!」
すずの限界オタク特有の熱を帯びたお見送りを受けながら、悠作は音もなくアパートを抜け出し、最短ルートの裏道を通って探索者ギルド日本支部へと向かった。
★★★★★★★★★★★
ギルドのロビーは、相変わらず騒々しかった。
悠作は気配を完全に殺し、誰の目にも留まらないように壁際をスルスルと移動して、顔馴染みの受付嬢・伊藤みのりのいるカウンターへと滑り込んだ。
「おはようございます、みのりさん。先日のポーター業務の日給、引き出しに来ました」
突然目の前に現れた悠作に、みのりは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにいつものクシャッとした温かい笑顔を向けた。
「おはようございます、悠作さん! お待ちしていました。……あ、あの、例の『特別報酬』の件ですが……」
「あ、そういうのはいいです。俺は自分が働いた分の日給さえ貰えればそれでいいんで。あの手切れ金みたいなのは受け取れません」
「ふふっ。わかりました。悠作さんの口座には、通常のポーター日給分だけを現金でご用意していますね」
みのりは手際よく手続きを済ませ、封筒に入った現金を悠作に手渡した。
悠作はホッと胸を撫で下ろした。これでまた数日は、スーパーの特売で戦える。
彼が踵を返し、一刻も早くこの面倒な場所から去ろうとした、その時だった。
「Oh! ユーが噂の『キョムニキ』ね! やーっと見つけたネ!!」
ロビーの喧騒を切り裂くような、弾けるほど明るく、そして挑発的な声が響き渡った。
悠作が顔をしかめて振り返ると、そこには目を疑うようなド派手な人物が立っていた。
年齢は20代半ばほど。170cmを超える長身に、スポーツブラとタイトなレギンスという、ダンジョンを舐めているとしか思えない露出度の高い格好。だが、その肉体は無駄な脂肪が一切なく、ダンサーのようにしなやかでグラマラスな筋肉に覆われていた。
何よりも目を引くのは、エキゾチックで非常に華やかな顔立ちと、ピンクとブロンドの鮮やかなグラデーションに染め上げられた長い髪だ。
彼女は、片手に派手なサングラスを持ちながら、肉食獣のようなギラギラとした笑みを浮かべて悠作に近づいてきた。
ノルウェー出身のA級上位格闘家、フレヤ・ヨネル。
考えるより先に拳と爆発魔法が出る戦闘狂であり、自身の破壊活動に近い戦闘動画をアップしては世界中に熱狂的なファンを生み出している、生粋の『陽キャ・パリピ探索者』である。
彼女は、ネット上で神格化されている「虚無ニキ」の動画を見て好奇心を抑えきれず、わざわざ北欧から日本支部まで飛んできたのだ。
フレヤの登場に、ロビーにいた探索者たちが色めき立った。
「おい、嘘だろ……。あれ、ノルウェーの『爆炎の戦乙女』、フレヤ・ヨネルじゃないか!?」
「なんであんなS級クラスの化け物が日本に……! まさか、虚無ニキに挑みに来たのか!?」
「世界最強の矛と、悟りを開いた盾……! 世紀の一戦が始まるぞ!!」
周囲の熱狂などどこ吹く風で、フレヤは悠作の目の前まで歩み寄ると、バンッと自分の豊かな胸を張った。
「動画見たヨ! あのデカいドラゴンを指先一つでドカーン! チョーヤバかった! アタシ、強いヤツ大好き! だから日本まで来ちゃった! ねぇ、アタシとヤり合え!!」
フレヤは、海外特有のフランクすぎる日本語で、真っ直ぐに悠作を指差した。
その瞳の奥には、強者と純粋に殺し合いたいという、戦闘狂特有の獰猛な炎が燃え盛っている。
だが、極度の事なかれ主義である悠作は、彼女の言葉と見た目、そして周囲の騒ぎを、全く別の「最悪のトラブル」として都合よく解釈していた。
(……は? ヤり合え? ……白昼堂々、ギルドのロビーでなんて破廉恥なことを大声で叫んでるんだこの女は。派手な金髪に露出度の高い服、そして片言の日本語。さらに、周りの奴らがやたらと大げさな名前を叫んで盛り上げている。……間違いない。こいつ、海外の悪質な迷惑系YouTuberか何かのドッキリ企画だな。周りで騒いでる奴らも、動画を盛り上げるために雇われたサクラに決まってる)
悠作は、フレヤの放つ凄まじい闘気を「頭のネジが飛んだヤンキーのダル絡み」と完全に誤認し、心底気持ち悪いものを見るような冷ややかな視線を向けた。
(ここで下手に反応して隠しカメラに撮られたら、肖像権の侵害だなんだと難癖をつけられて、慰謝料を請求されるのがオチだ。ここは絶対に相手にしてはいけない)
「……悪いけど、そういう怪しい商売には興味ないんで。他を当たってくれ」
悠作は一切の感情を交えずにそう言い捨てると、フレヤの横を素通りして出口へと歩き出した。
そのあまりにも素っ気ない態度——A級上位の放つ強烈な威圧感を、そよ風のように無視する『完璧な塩対応』に、ロビーの探索者たちは息を呑んだ。
「シカト……!? アタシの挑発を、完全にスルーした!?」
フレヤもまた、予想外の反応に目を丸くした。
これまで、彼女が挑発して乗ってこなかった探索者はいない。皆、彼女の圧倒的な力に屈するか、プライドを刺激されて怒り狂うかのどちらかだった。
だが、目の前の男の瞳には、怒りはおろか、フレヤという存在に対する「欠片ほどの興味」すら宿っていなかった。
「ワオ……。マジかよ……。アタシの殺気、全然効いてない……。なんて底知れない男……!」
フレヤの頬が、カァッと熱を帯びた。
強さへの純粋なリスペクトと、未知の領域に立つ男への強烈な好奇心。
「……チョークールじゃん。超カッコいい! アタシ、絶対にユーを振り向かせてみせるからネ!!」
戦闘狂のハートに、新たなる、そしてより厄介な炎が点火された瞬間だった。
そんなフレヤの決意など一ミクロンも届いていない悠作は、「変なキャッチに捕まる前に、早く帰って昼飯の準備をしよう」と、帰りのスーパーの献立のことだけを考えていた。
★★★★★★★★★★★
裏道を抜けて、無事に四畳半のアパートへ帰還した悠作。
「おかえりなさいませ、悠作様!」と嬉しそうに出迎えるすずと、足元で尻尾を振るポチの頭を撫でながら、彼は買ってきたスーパーの袋をキッチンに置いた。
「よし。今日の昼飯は、少しジャンクに行くぞ。近所の八百屋で、立派な皮付きの生トウモロコシが安く手に入ったからな」
袋から出てきたのは、青々とした皮に包まれた、ずっしりと重い『軸つきコーン』が3本だ。
悠作はジャージの袖をまくり上げ、真剣な職人の顔へと引き締まった。
「トウモロコシは鮮度が命だ。収穫された瞬間から糖分がデンプンに変わっていくからな。そして、茹でるより、こうやって旨味を凝縮させるのが一番美味い」
悠作は、トウモロコシの皮を最後の薄皮一枚だけ残して剥き、そこに軽く塩水をすり込んだ。そのままラップで包み、電子レンジへと放り込む。
「薄皮を残してレンジで蒸すことで、トウモロコシ自身の水分で蒸し上げられ、甘みと香りが逃げずに内側に閉じ込められるんだ」
数分後、レンジから取り出したトウモロコシは、薄皮を剥くと、まるで宝石のように輝く黄金色の粒がびっしりと並んでいた。
だが、悠作の調理はこれでは終わらない。
使い込まれた鉄のフライパンを強火で熱し、そこに多めのバターを溶かし入れる。
ジュワァァッという音とともに、動物性の芳醇な香りが四畳半に広がる。
悠作は、蒸し上がった軸つきコーンをフライパンに投入し、焦げ目がつくように菜箸でコロコロと転がした。
「仕上げはこれだ」
醤油に少量の砂糖とみりんを混ぜた特製のタレを、熱々のフライパンの鍋肌に沿ってジュワッと回し入れる。
——ボワァッ!!
焦げた醤油とバターの強烈な香りが爆発的に立ち昇り、まるで夏の夜祭りの屋台を凝縮したような、圧倒的で食欲をそそる匂いが部屋中を支配した。
コーンの表面がタレを纏ってテリテリに輝き、所々に完璧な焼き目がついたところで火を止める。
「できたぞ。屋台の味を極限まで高めた、鈴木流『焦がしバター醤油コーン』だ」
「わぁっ……! すごい香りです! まるでお祭りのような……!」
すずが、目を輝かせて歓声を上げる。
「慌てるな。このパンチの効いた塩気と旨味を受け止めるには、それに負けないくらい極端でジャンクな飲み物が必要だ」
悠作はそう言うと、戸棚の奥から、海外の輸入食品店で買っておいた小さな紙袋を取り出した。
「これは……?」
「『クールエイド』だ。アメリカの子供たちがよく飲む、強烈な色の粉末ジュースさ」
悠作はガラスのピッチャーに氷水を並々と注ぎ、そこに『トロピカルパンチ味』の真っ赤な粉末と、たっぷりの砂糖をドサドサと投入してかき混ぜた。
ピッチャーの中の水は、一瞬にして人工的で鮮やかなルビー色に染まり、チェリーやフルーツパンチの甘酸っぱい香りが漂う。
「さあ、食え。熱いうちにな」
ちゃぶ台に置かれた、香ばしい焦がしバター醤油コーンと、極彩色のクールエイドの入ったグラス。
「い、いただきます……!」
すずは、コーンの両端を両手で持ち、熱さに気をつけながらカプリと噛み付いた。
「——っ!!?」
すずの脳内に、雷に打たれたような衝撃が走った。
口の中で、プチッ、ジュワッと弾けるトウモロコシの極上の甘さ。レンジで蒸されたことで限界まで引き出された糖度に、焦げた醤油の香ばしさとバターの圧倒的なコク、そして絶妙な塩気が絡み合い、脳の快楽中枢を直接殴りつけてくる。
噛めば噛むほどに旨味のジュースが溢れ出し、手が止まらなくなる。
「おい……美味しい……! なんですかこれ!? 醤油のしょっぱさとコーンの甘さが、こんなに合うなんて……!」
「そこで、クールエイドを一気に流し込んでみろ」
悠作の言葉に従い、すずは真っ赤なジュースの入ったグラスを呷った。
「あ……っ!」
すずは、その信じられないマリアージュに目を見開いた。
焦がしバターと醤油の重たい塩気が口の中に残っているところに、クールエイドの強烈で人工的な甘酸っぱさが雪崩れ込んでくる。
高級なワインや繊細な紅茶では、この屋台料理の暴力的な味に負けてしまう。だが、この極端にジャンクな甘さを持つクールエイドだからこそ、互いの強い主張がぶつかり合いながらも、口の中をスッキリと洗い流し、味覚を強制的にリセットしてくれるのだ。
甘い、しょっぱい、甘酸っぱい。
その終わりのない悪魔のトライアングルに、すずの脳内は完全にバグを起こし、無限ループの沼へと引きずり込まれていった。
「どうだ。このジャンクな組み合わせこそが、真夏の昼下がりの最適解だろ」
悠作は、自分のペアリング理論の正しさを確信し、口の周りを汚しながら満足げにコーンを貪っていた。
(圧倒的な武の極致でありながら、こんな庶民的でジャンクな食材すらも、至高のエンターテインメントへと昇華させてしまう……! 悠作様、あなたの引き出しは一体どれだけあるのですか……!)
すずは、口の周りにバターと醤油をつけながら、一心不乱にコーンを貪り、赤いジュースを飲み干し続けていた。
一方その頃。
探索者ギルドのロビーでは、フレヤ・ヨネルが鼻息を荒くして、スマホの画面を睨みつけていた。
「『キョムニキ』……鈴木悠作。マジで最高にクールな男ネ。アタシ、絶対にあの無表情を本気にさせて、アタシの炎で燃やし尽くしてあげるんだから……!」
最強の無自覚ポーターの平穏な四畳半に、新たなる陽キャの台風の目が、猛烈な速度で接近しつつあることなど、悠作はコーンの粒を歯に挟ませながら、一ミクロンも気づいていないのだった。




