第16話【掲示板回】同接記録更新と手料理の罠
名もなき探索者たちが集う、世界最大の匿名インターネット掲示板。
そこは今、かつてない熱狂と狂乱の渦に包まれ、サーバーが悲鳴を上げていた。
【スレッド名:【同接300万】天音ルミ釈明配信・虚無ニキ降臨スレ Part88】
1:名無しの探索者
同接300万人突破ってマジかよwww D-Tubeのサーバーよく落ちなかったな。
完全に歴史の教科書に載るレベルの伝説配信だったわ。
23:名無しの探索者
まさかあの『虚無ニキ』が、トップアイドルの部屋(氷の城の設定どこいったw)で同棲してるなんてな。
しかもルミちゃん本人が「家政婦としてお仕えしている」って断言したぞ。A級魔法剣士を家政婦にする男ってなんだよ……。
45:名無しの探索者
同棲の衝撃もヤバかったけど、それ以上に虚無ニキの『お言葉』がヤバすぎた。
「防御戦略? んなもん時間の無駄だろ」
背筋が凍ったわ。S級ボスの攻撃を前にして、あんなセリフ吐ける人類が他にいるか?
72:名無しの探索者
「敵が動く前に持てる最大の火力で殴り倒す。それが一番安全で効率的」
これ、究極の真理だよな。中途半端にガードしようとするから事故るんだ。
俺も今日から大盾売って、両手剣に持ち替えるわ。
105:名無しの探索者
72
やめとけ死ぬぞwww
あれは魔竜のブレスをデコピンで消し飛ばせる『圧倒的な力の絶対値』があるから成立する戦術だ。凡人が真似したらワンパンで消し炭になるわ。
142:名無しの探索者
でも実際、上位陣のS級探索者たちの間でも激震が走ってるらしいぞ。
ギルドのトップランカーたちが「我々は守りに入りすぎていた」「虚無ニキの境地に達するには、全ての防御を捨てる覚悟が必要だ」とか言って、防具を脱ぎ捨ててダンジョンに潜り始めてるって噂だ。
188:名無しの探索者
影響力エグすぎだろwww
あと、一番恐ろしかったのは、あの金言を「裏でアクションゲームやりながら片手間で言ってた」ことだよな。
S級ボスの討伐を「あと10周は回さないとダメだな」って、完全に素材集めの周回感覚じゃねーか。
210:名無しの探索者
魔竜レベルのS級ボスを「素材集めの雑魚」扱い……。
次元が違いすぎて、もう嫉妬すら湧かない。ルミちゃんが限界オタクになって崇拝するのも納得だわ。俺だって虚無ニキの家政婦になりたいもん。
255:名無しの探索者
虚無ニキ、一生ついていきます!!
究極の火力こそが絶対の防御なり!!
310:名無しの探索者
なんかもう、世界中の攻略サイトのwikiが「防御ステータスは死にステ」って書き換えられ始めてるぞ。
ギルドの訓練所でも、新人が盾を投げ捨ててひたすら素振りの練習してる。
たった一言で世界の戦闘ドクトリンを変える男、鈴木悠作。
★★★★★★★★★★★
世界中の探索者たちが新たな「攻撃特化の教典」の誕生に沸き返り、トップランカーたちが次々と防具を売り払うという異常事態を引き起こしている翌日の昼下がり。
当の震源地である四畳半のボロアパートは、拍子抜けするほど穏やかな空気に包まれていた。
「……ふわぁ。昨日はゲームのレアドロップが全然落ちなくて、つい夜更かししちまった」
鈴木悠作は、大きく欠伸をしながらちゃぶ台の前に座り込んだ。
彼の向かいでは、高橋すずが正座をして、分厚いノートに何やら熱心に書き込みをしている。
「おはようございます、悠作様! 昨日の悠作様の『防御不要論』、一言一句違わず書き留めさせていただきました。私の魔法剣のスタイルも、これからは防御魔法の構築プロセスを全て破棄し、詠唱のリソースを100%攻撃力に回す戦術へとシフトいたします!」
すずの瞳は、新たなる武の真理を見出した求道者のようにキラキラと輝いていた。
悠作は、その痛々しい発言を聞いて心底呆れた顔をした。
(……魔法剣? 詠唱のリソース? なんだその痛々しい設定は。ネットの悩み相談か配信業か知らないが、客商売でそんな中二病全開のキャラクターを演じてるのか。まあ、世の中にはそういうイタい設定がウケる奇特な層もいるらしいが、いい年した大人がプライベートでまでそんな極端な設定に入り込んでたら、確実にヤバい奴扱いされるぞ)
悠作は「事なかれ主義」の観点から、彼女の奇行を『ネット営業用の痛いキャラ作り』だと都合よく解釈し、冷めた口調で忠告した。
「お前な、ネットの仕事でどんなキャラ設定を作るかは個人の自由だが、現実の人間関係でそんな極端な設定を押し通そうとしたら痛い目見るぞ。まあ、俺には関係ないから好きにしろ。……それより、昼飯にするか」
悠作が立ち上がり、キッチンへ向かおうとしたその時だった。
彼の足元で、S級幻獣フェンリルの幼体である『ポチ』が、自己主張を始めた。
『ワフッ! ワフッ!』
ポチは短い銀色の尻尾をパタパタと振りながら、悠作のジャージの裾を前脚でカリカリと引っ掻き、上目遣いで「早くご飯をちょうだい!」と要求吠えをしているのだ。
パタパタと振られる尻尾から、室内の空気を一瞬で凍りつかせるような鋭い冷気が広がるが、カンストした耐性を持つ悠作にとっては心地よい扇風機代わりである。
「おっ、ポチもお腹が空いたか。ちょっと待ってろ、今お前の分の肉も茹でてやるからな」
悠作が頭を撫でてやると、ポチはさらに嬉しそうに飛び跳ねた。
『ワフッ! キュゥン! ワフッ……ワ、フ……』
元気いっぱいに吠えていたポチだったが、突如としてその動きが鈍くなった。
ポチのまぶたが、まるで重い鉛でも乗せられたかのように、トロンとゆっくり下がり始める。
『ふぁぁ……』と、小さな口を大きく開けて欠伸をしたかと思うと、四つ足で踏ん張っていたはずのバランスが徐々に崩れていった。
「おいおい、どうした?」
悠作がしゃがみ込むと、ポチは「ご飯食べたい」という本能と、「子犬特有の限界を超えた睡魔」との間で数秒間激しい攻防を繰り広げた後——ついに睡魔が勝利し、立った状態からコテッと横に倒れ込んだ。
そして、そのまま『スゥ……スゥ……』と、幸せそうな寝息を立てて完全に熟睡してしまったのだ。
「ははっ、限界まで起きてようとする人間の子供みたいだな。仕方ない、ポチのご飯は起きてからにするか」
悠作は苦笑いしながら、床で丸まっているポチの小さな体をそっと抱き上げた。そのまま部屋の隅にあるふかふかのクッションの上へと優しく寝かせ、風邪を引かないように、押し入れの奥から引っ張り出してきた自分の使い古しのタオルケットを二重にしてかけてやる。
その一連の光景を後ろで見ていたすずは、呼吸を忘れて硬直していた。
(ああっ……! なんという尊い光景……! 人類最強の武神が見せる、小さな命への慈愛に満ちた優しい微笑み……! そして、S級幻獣のあまりにも無防備で愛らしい寝姿……! ギャップの致死量で私の心臓が爆発してしまいます……!)
限界オタクのすずは、声にならない悲鳴を上げながら、胸を強く押さえて床を転げ回りたい衝動を必死に堪えていた。
「よし、邪魔者も寝たことだし、パパッと昼飯を作るか。今日は冷蔵庫の余り物の一掃だ」
悠作はジャージの袖をまくり上げ、歴戦の職人のような鋭い目つきで使い込まれた鉄のフライパンを構えた。
彼が取り出したのは、昨夜の『チキンムアンバ』を作る際に少しだけ切り落としておいた鶏もも肉の端材と、タッパーに大量にストックされている刻みネギ。そして、昨夜の夕食で多めに炊いておき、ひと晩冷蔵庫で寝かせてほどよく水分の飛んだ冷やご飯と、卵が二つだ。
「これだけあれば十分だ。男の昼飯の最適解、『余り物チャーハン』を作る」
悠作はフライパンを強火にかけ、スーパーの精肉コーナーでタダでもらってきた牛脂を溶かす。
ラードの動物性の甘く香ばしい香りが立ち昇ったところで、溶き卵を流し込み、半熟状態になった瞬間に間髪入れずに冷やご飯を投入した。
ジュワァァァッ!!
油と水分が弾ける暴力的な音が響き渡る。
ここからは時間との勝負だ。悠作のカンストした腕力と精密なスナップが、重い鉄のフライパンを軽々と、そして恐るべき速度で煽り始める。
空中に舞い上がる米粒一つ一つに、ラードと卵が均等にコーティングされ、ダマになっていたご飯がみるみるうちに黄金色のパラパラな状態へとほどけていく。
「鶏肉の端材とネギを投入。味付けはシンプルに塩コショウと、隠し味にこいつだ」
悠作は、オイスターソースを小さじ一杯だけ鍋肌に垂らし、最後に少量の醤油を焦がして香りをつけた。
あっという間に完成したチャーハンを、中華料理店のように丸くお椀型に整え、二つの皿に盛り付ける。
「ほら、できたぞ。余り物で適当に作ったチャーハンだ。さっさと食え」
ちゃぶ台に置かれたそれは、適当な余り物で作ったとは到底思えないほど、黄金色にキラキラと輝いていた。
ネギの青々とした色彩と、卵の黄色、そして醤油とオイスターソースの焦げた香ばしい匂いが、すずの食欲を容赦なく刺激する。
「い、いただきます……!」
すずはスプーンを手に取り、黄金の山を崩して一口頬張った。
「——っ!!?」
すずは目を見開き、背筋に強烈な電流が走るのを感じた。
口に入れた瞬間、パラパラにほぐれた米粒が舌の上で踊る。一粒一粒が卵とラードの旨味のコーティングを纏っており、噛むほどに甘味が溢れ出す。
細かく刻まれた鶏肉の端材からは、ムアンバの時とは違うダイレクトな肉の脂が溶け出し、ネギのシャキシャキとした食感と爽やかな辛味が、油の重さを完璧に中和している。
そして、隠し味のオイスターソースが、単調になりがちな塩コショウの味に、信じられないほどの深みと複雑なコクを与えていた。
「おい……美味しい……! なんですかこれ、本当にただの余り物ですか!?」
すずはスプーンを動かす手が止まらなくなり、狂ったようにチャーハンを口に運び続けた。
「私が高級な中華料理店で食べてきた、一皿数万円のフカヒレチャーハンよりも、何倍も、何十倍も美味しいです! 米粒の一つ一つが生きているみたいにパラパラなのに、決してパサパサしていない……! 完璧な火入れと、味のバランス……!!」
「大袈裟だな。強い火力で手早く炒めて、油で米をコーティングしただけだ。冷蔵庫でひと晩寝かせた冷やご飯を使うと、余分な水分が飛んでてパラパラになりやすいんだよ。まあ、牛脂を使ったのが一番のポイントだがな」
悠作は、自分の料理の腕と節約術が褒められたことに気を良くし、ホクホク顔で自分の分のチャーハンをかき込んでいた。
(武の極致を極めた攻撃思想の持ち主でありながら、冷蔵庫のあり合わせの端材だけで、一流の料理人すら凌駕する至高の一皿を錬成してしまう……! 悠作様、あなたはどこまで完璧な存在なのですか……!)
すずは、最後の一粒までお皿を舐めるように平らげると、熱い吐息を漏らした。
「悠作様……! 私の胃袋はもう、完全にあなたのものです! あなたの手料理なしでは、生きていけない体にされてしまいました……!」
「……だから、いちいち言い回しが重いんだよ。ただの家政婦のまかない飯だろ。そんなに気に入ったなら、明日のトイレ掃除も念入りに頼むぞ」
世界中の探索者たちが「防御を捨てる」という新たな教典に熱狂し、ダンジョンで無謀な突撃を繰り返して大混乱に陥っている中。
最強の無自覚ポーターは、すやすやと眠るS級幻獣の寝息をBGMに、ただの余り物チャーハンの出来栄えに満足し、静かで平和な昼下がりを満喫しているのだった。




