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第15話 地獄のコラボ配信

 前代未聞の「配信映り込み事故」から一夜が明けた。

 四畳半のボロアパートの室内は、重苦しい沈黙と、一人の限界オタクの震える息遣いに支配されていた。


「お、終わりました……。私のスマホ、通知がカンストして熱暴走寸前です。事務所の社長からは着信が100件を超え、SNSのフォロワーは一晩で50万人も増えましたが、コメント欄は完全に無法地帯……」


 部屋の隅で膝を抱える高橋すずは、絶望的な顔で自身の魔導スマートフォンを見つめていた。

 昨夜の配信事故により、トップVtuber『天音ルミ』と、世界を震撼させた正体不明の人類最強『虚無ニキ』が同棲しているという疑惑は、瞬く間に全世界へと拡散された。

 各種メディアのヘッドラインは「氷の女王、最強の男と熱愛発覚!?」「虚無ニキの正体、ついに判明か」という文字で埋め尽くされている。


「おい、お前。昨日からずっとスマホ見て震えてるが、大丈夫か?」


 そんな絶望の淵にいるすずに、ちゃぶ台の前であぐらをかいている鈴木悠作が、心底面倒くさそうな声をかけた。


「客を怒らせたんだろ? ネットの悩み相談か架空請求か知らないが、あまり悪質な商売なら足を洗った方がいいぞ。大家に目をつけられて俺まで退去勧告を食らうのは御免だからな」


 悠作は、すずの置かれている状況を「怪しいネットビジネスで顧客とトラブルになり、クレームの電話が鳴り止まない状態」だと都合よく解釈していた。彼にとって、Vtuberや同接100万人といった概念は、遠い異国の言語と同じくらい理解不能なものなのだ。


「ち、違います悠作様! 決して怪しいお仕事では……! ただ、どうしても皆様に『弁明』をしなければならない状況になってしまいまして……!」


 悠作は顔をしかめた。本来ならそんなトラブルの火種は即刻外へ放り出すべきだ。だが、もし彼女を外に追い出して、道端で泣き叫ばれたり、逆上した相手の客が直接アパートに乗り込んできたりする方が、退去勧告の決定的なリスクになる。


「弁明ね。まあ、自分の不始末は自分で片付けるのが社会人の基本だ。……外で騒がれて大家に目をつけられるよりは、俺の目の届くところで静かに終わらせた方がマシか」


 悠作はリスクを天秤にかけ、自室での対応を渋々許可した。


「いいか。絶対に大声を出すなよ。近所迷惑になったら即刻叩き出すからな。適当に謝罪して早く終わらせろ。……俺は夕飯の支度をする」


 悠作は立ち上がり、冷蔵庫を開けた。

 彼にとって、他人の仕事のトラブルなど、今日の夕飯の献立の足元にも及ばない些末な問題だ。


「今日は少し趣向を変えて、アフリカの郷土料理『チキンムアンバ』を作るか。昨日、お前がドローン便で余計に頼みすぎたトマト缶とピーナッツバターを消費しないといけないからな」


 悠作はフライパンを手に取ると、真剣な顔つきでコンロに向かった。

 フライパンにたっぷりの油を引き、大きめにカットした鶏もも肉の皮目を下にして強火で焼く。香ばしい焼き目がついたら一度取り出し、同じフライパンでスライスした玉ねぎと、みじん切りにした大量のニンニクを炒める。

 キッチンに、ニンニクと鶏の脂の暴力的な香りが立ち昇った。


「ここにトマト缶を丸ごと1つ投入し、酸味を飛ばすようによく炒める。そして味の要だ」


 悠作は、無糖のピーナッツバターを大さじで山盛り3杯、鍋にドサリと加えた。

 さらにチリパウダー、クミン、コリアンダーといったスパイスを振り入れ、水を注いで煮立たせる。先ほど焼いた鶏肉を戻し入れ、最後に斜め切りにしたオクラをたっぷりと加えた。


「オクラの粘り気が、スープ全体に自然なとろみをつけてくれる。ピーナッツバターの濃厚なコクと、トマトの酸味、スパイスの刺激。これらが鶏肉の旨味と一体になるまで、弱火でじっくり20分煮込む」


 鍋から漂う、エスニックで極めて濃厚な香りが四畳半の空気を塗り替えていく。

 部屋の隅にいるポチも、その匂いに釣られて尻尾をパタパタと振り始め、周囲の空間に霜を降らせていた。


「よし。煮込んでいる間に、俺は日課のゲームを消化する。お前はさっさと謝罪の電話を終わらせろよ」


 悠作はそう言うと、お湯を沸かし始めた。マグカップに純ココアパウダーと砂糖を入れ、少量の熱湯で練ってから、温めた牛乳をたっぷりと注ぐ。

 そして、その水面に、大粒のマシュマロを3つ浮かべた。マシュマロがココアの熱で次第に溶け出し、表面を白いフワフワの泡で覆っていく。


 悠作は『マシュマロ入りホットココア』の入ったマグカップを片手に、ちゃぶ台の前に座り、使い古された携帯型ゲーム機を起動した。

 彼がプレイしているのは、理不尽な難易度で知られる超ハードコア・ハンティングアクションゲームだった。


★★★★★★★★★★★


 一方、悠作から「許可」を得たすずは、震える手で魔導スマホをセットし、配信の開始ボタンを押した。

 ARフィルターが起動し、氷の女王のアバターが画面に映し出される。

 そして、配信が開始されたわずか10秒後。

 同接のカウンターは、異常な速度で跳ね上がり、一瞬にして世界記録である150万人を突破した。


【コメント欄】

《キターーーーー!!》

《釈明会見枠!》

《ルミちゃん! 後ろの男は誰なんだ! 虚無ニキなのか!?》

《カメラを回せ! 虚無ニキを映せえええ!》

《人類最強と同棲ってマジなんですか!?》


 滝のように流れるコメントの濁流。

 すずは冷や汗を流しながら、必死に弁明を試みた。


『み、皆様! 昨日の件ですが、あれは誤解です! わたくしは決して怪しい関係などではなく、ただ、彼の偉大なる力に感銘を受け、家政婦としてお仕えさせていただいているだけで——』


《家政婦!? A級のトップアイドルが!?》

《嘘だろ、あの虚無ニキの部屋に住み込みで働いてるのか!》

《むしろ解像度上がったわ。強すぎて誰も逆らえないんだろ》

《ねえルミちゃん! 虚無ニキ今何してるの!? 話聞かせて!》

《スパチャ10万円投げます! 虚無ニキに1つ質問させてください!》


 画面は、すずへの追及から「虚無ニキへの質問コーナー」へと完全に切り替わり、世界中の富裕層や探索者たちから、数万円、数十万円単位のスーパーチャットが雨霰と降り注ぎ始めた。

 すずは完全にコントロールを失い、困り果てた目で後ろを振り返った。


 そこには、マグカップのココアを啜りながら、ゲーム機の画面を真剣な顔で睨みつけている悠作の姿があった。

 ゲームの画面内では、悠作の操るキャラクターが、画面を埋め尽くすほどの巨大な『雷竜』の苛烈な連続攻撃を、紙一重のローリングで回避し続けている。


「あ、あの……悠作様。私の顧客の方々が、どうしても悠作様に聞きたいことがあると仰っておりまして……」


 すずが恐る恐る尋ねると、悠作はゲーム機から目を離すことなく、気だるげに答えた。


「あ? 俺に? 悩み相談か何かの客だろ。適当に答えればいいだろ。……チッ、このボスの連続攻撃、判定が理不尽すぎるな。また避け損ねた」

「そ、それが……皆様、悠作様の『強さの秘訣』を知りたいと。……たとえば、『S級クラスの致命的な攻撃に対して、どのような防御戦略を取っているのか』と……」


 コメント欄の総意を代弁するすず。

 世界中の名だたるS級探索者たちも、固唾を飲んでその答えを待っていた。人類最強の男は、あの魔竜のブレスをどうやって無効化したのか。どのような強固な魔力障壁を展開しているのか。


 悠作は、ゲームのコントローラーのボタンを激しく連打しながら、内心で呆れ返っていた。


(……S級? 致命的な攻撃? なんだその中二病全開の質問は。さては、ゲームやアニメの設定に例えて人生相談をしてくる痛い客だな。面倒くさいが、こっちも今ちょうど理不尽なゲームで行き詰まってるし、適当にゲームの攻略論でも語ってあしらっておくか)


 悠作は極めて不機嫌そうに吐き捨てた。


「防御戦略? ……んなもん、時間の無駄だろ」


『——え?』


 すずと、画面の向こうの150万人の視聴者が、一斉に息を呑んだ。


「いいか。敵のモーションを見ていちいちガードに回ってたら、こっちのDPS(時間あたりのダメージ量)が落ちるだけだ。戦闘が長引けば長引くほど、こっちの集中力が切れて事故る確率が上がる」


 悠作の頭の中にあるのは、今プレイしているアクションゲームの攻略論だ。このゲームにおいて、「盾で防御する」という行為はスタミナを激しく消費し、反撃のチャンスを失うだけの非効率な悪手とされている。


「だから、防御なんて一切考えるな。ガード用の装備もスキルも全部外して、その分を全部『攻撃力』に極振りするんだ。敵が攻撃してくる前に、持てる最大の火力で殴り倒して、何もさせずに殺す。それが一番安全で、一番効率的な狩りの方法だろ。……よし、討伐完了。……はあ? またレアドロップ落ちねえのかよ。クソゲーが。あと10周は回さないとダメだな」


 悠作はそう言って、マシュマロの溶けた甘いココアをズズッと啜った。


 一方。

 配信のコメント欄は、数秒間の完全なフリーズの後、ビッグバンを引き起こした。


【コメント欄】

《ぼ、防御は……時間の無駄……ッ!?》

《敵が動く前に殺す……だから魔竜のブレスに対しても、一切防御魔法を展開しなかったのか!》

《防御を捨てて、全てを攻撃に極振りする……『究極の攻撃特化思想』!!》

《『それが一番安全な方法』……次元が違いすぎる!》

《しかも聞いたか!? 今、S級討伐のことを『あと10周は回さないと』って言ったぞ!》

《アイツにとって、S級モンスターは素材集めのために周回ファームするだけの雑魚ってことかよ!!》

《神だ……これこそが武の極致だ!!》

《虚無ニキ万歳! 究極の火力こそが絶対の防御なり!!》


 世界中のトップ探索者たちの常識が、悠作の「ただのゲームの愚痴」によって根底から破壊され、新たなる教典として崇め奉られた瞬間だった。

 すずもまた、感極まったように両手で口を覆い、ボロボロと涙を流していた。


(ああ……悠作様……! なんて深い武の哲学……! 己の肉体一つを信じ抜き、敵の命を最短で断ち切る絶対の自信……! だからこそ、あのような悟りを開いた『虚無顔』でいられるのですね……!)


「おい。さっさと電話切れよ。ムアンバが煮上がったぞ」


 悠作の催促の声で、すずはハッと我に返った。


『み、皆様! 本日は大変貴重な金言をいただきました! お師匠様のお食事が完成しましたので、わたくしはこれで失礼いたします!』


 すずは半ば強制的に配信をブツッと切り、ホログラムモニターを消去した。


「本当に、いちいち大袈裟な連中だな……」


 悠作は呆れながら、ちゃぶ台の上に、湯気を立てるチキンムアンバと、炊きたての白米をよそった深皿を並べた。


「さあ、食え。鈴木流・特製チキンムアンバだ」


 オレンジ色に輝く濃厚なシチュー。

 すずはスプーンを持ち、恐る恐るそれを口に運んだ。


「——っ!!」


 すずの瞳孔が限界まで見開かれた。

 口に入れた瞬間、ピーナッツバターの暴力的なまでの濃厚なコクと甘みが広がる。しかし決してくどくはない。トマトの爽やかな酸味がその重さを中和し、クミンやコリアンダーといったスパイスの香りが、鼻腔を鮮烈に駆け抜けていく。

 よく煮込まれた鶏肉は、スプーンで触れただけでホロホロと繊維が崩れるほど柔らかく、鶏の旨味がスープの奥底まで染み渡っている。オクラの自然なとろみが、その全てを一つにまとめ上げ、白米との相性を悪魔的なレベルにまで引き上げていた。


「おい……美味しい! なんですかこれ!? ピーナッツのコクとトマトの酸味が、こんなに完璧に調和するなんて……! 鶏肉も、口の中でとろけます!!」


 すずは、先ほどまでの世界的な大炎上や、150万人の前での釈明など完全に忘れ去り、一心不乱にムアンバと白米をかき込んだ。


「慌てて食うな。……そこで、こいつを一口飲んでみろ」


 悠作が差し出したのは、彼が先ほどまで飲んでいた、マシュマロがドロドロに溶け出したホットココアだ。


「え……? このエスニックな辛みのあるシチューに、激甘のホットココアですか?」


 すずは少し躊躇したが、悠作の言葉には逆らえず、マグカップに口をつけた。


「あ……」


 すずは驚きに息を漏らした。

 チキンムアンバの強烈なスパイスとピーナッツの油分で疲労し始めていた舌が、ココアの深い苦味とマシュマロの暴力的な甘さによって、強制的にリセットされたのだ。

 塩気とスパイスの後に来る、圧倒的な甘味と温かさ。それが脳の快楽中枢を刺激し、再びムアンバを強烈に欲する無限のループ(温と温、辛と甘のコントラスト)を生み出している。


「どうだ。スパイスの効いた煮込み料理には、冷たい水や酒もいいが、あえて極端に甘くて温かい飲み物を合わせることで、味覚のギアが強制的に切り替わるんだ。脳がバグって無限に食えるだろ」


 悠作は、自分の型破りなペアリング理論が実証されたことに満足し、ホクホク顔でチキンムアンバを頬張っていた。


(武の極致を極めた究極の攻撃思想……からの、この家庭的で完璧な料理とペアリング……! 悠作様、あなたの底は一体どこにあるのですか……!)


 世界中で「防御は時間の無駄」という新たなる戦闘ドクトリンが大流行し、大勢の探索者が防御を捨ててダンジョンで大怪我を負う事態が続発している中。

 最強の無自覚ポーターは、ゲームのレアドロップが落ちないことに舌打ちしながら、ピーナッツバターとマシュマロという高カロリーの暴力に、ただ一人静かに身を委ねているのだった。

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