閑話 次の道
村を出てしばらく歩くと、街道が二つに分かれていた。
片方は山沿いに続き、もう片方は緩やかな坂を下っている。道標にはそれぞれ違う町の名前が刻まれていたが、ヴァルドは足を止めただけで、どちらへ進む様子もない。
ミレナも足を止め、ヴァルドと道標を交互に見た。
「それで、どっちへ行くんですか?」
「知らん」
「……目的地も決めずに村を出たんですか?」
「道があったからな」
「分かれ道になりましたけど」
「なら決めろ。俺はどちらでもいい」
「そういう人が一番困るんですよ」
ミレナはため息をつき、肩から下げていた鞄から折り畳んだ地図を取り出して道標と見比べた。
「どちらの町も、ここから2日くらいですね。こっちは途中に旅人用の休憩所があります」
「ならそっちだ」
「休憩所があるから?」
「ああ」
「ちゃんと理由あるじゃないですか」
「今できた」
「でしょうね」
ミレナが地図を畳むと、ヴァルドはもう坂を下り始めていた。
「待ってくださいよ」
「決めたのだろう」
「決めさせたんでしょう!」
ミレナは地図を鞄へ押し込み、その背中を追った。
しばらくすると、街道は木立の間へ入った。鳥の声と2人の足音くらいしか聞こえなくなった。
しばらく歩いたところで、ミレナが口を開いた。
「そういえば、ヴァルドさん。護衛のお金、どうしました?」
「金?」
「セドリックさんからもらったでしょう。村までの護衛代」
「ああ」
ヴァルドは外套の内側へ手を入れ、小さな革袋を取り出した。
「……開けました?」
「いや」
「いくら入ってるか知ってます?」
「知らん」
「宿や食事の相場は?」
「知らん」
「言われた額をそのまま払ってたでしょう」
「足りるなら問題ない」
「あります。普通にぼったくられますよ」
「なら返させればいい」
「その前に騙されないでください」
ヴァルドは革袋を見たあと、外套の内側にしまった。
「せめて数えてくださいよ」
「面倒だ」
「自分のお金なんですから、そこは自分でやってください。相場はあとで教えますから」
「いらん」
「要ります」
ヴァルドは返事をしなかった。
夕方になる頃、2人は街道沿いの休憩所へ着いた。
屋根と三方の壁があるだけの簡素な建物で、少し離れたところに井戸がある。先客の旅人が2人いた。ミレナが軽く会釈すると向こうも会釈を返し、ミレナたちは少し離れた場所に荷物を置いた。
ミレナは薪を数本集め、火を起こした。
「今日の夕飯はこれです」
鞄からパンと山羊のチーズ、それに干し茸を取り出した。
「茸か」
「嫌いなんですか?」
「別に」
「じゃあ問題ないですね」
ミレナは小さな鍋に水を入れて干し茸を戻し、少量の塩を加えた。パンを火のそばへ置くと、ヴァルドがそちらを見ていた。
「食べます?」
「見ていただけだ」
「じゃあいりませんね」
ミレナが自分の分だけ取ろうとすると、ヴァルドが手を出した。
「食べるんじゃないですか」
「食わんとは言っていない」
「面倒くさいですね」
パンを渡すと、ヴァルドは何も言わずに齧った。
ミレナも自分の分を取り、干し茸の汁と山羊のチーズを一緒に食べた。食べ終えると、残ったパンを布に包んで明日の朝の分として鞄に戻し、それから薄い冊子と筆記具を取り出した。
「何だ、それは」
「日記です。旅の記録も一緒ですけどね」
ミレナは膝の上で冊子を開いた。
「毎日書くのか」
「毎日は無理ですよ。でも、忘れないうちには書きます」
今日通った街道や山羊のチーズの味を書き留め、村で聞いた祭りの枝飾りについても書き足した。
ヴァルドが紙面を覗いた。
「そんなものまで書くのか」
「そんなものって?」
「枝だ」
「大事ですよ。土地が変われば、祭りのやり方だって全然違いますから」
「全部記録するのか」
「できるだけ」
「面倒なことをする」
「面倒ですよ。でも、やりたいんです」
ミレナは書き終えた一行を読み返した。
「いつか本にしたいんですよ」
「本?」
「各地の昔話とか、お祭りとか、神さまの話とか。旅をして集めたものを、ちゃんと一冊にまとめたいんです」
「誰が読む」
「子供たち」
「何故、子供だ」
「知らない土地の話って、面白いじゃないですか」
「知らん」
「そういうところですよ」
ミレナは笑い、また冊子へ目を落とした。
「子供って、自分で見に行けないものが多いでしょう。だから本ならいいかなって。行ったことのない町とか、見たことのない海とか、知らない人たちのお祭りとか。読んでる間くらいは、そこへ行った気になれるかもしれないし」
火の中で薪が弾けた。ヴァルドはしばらく黙っていた。
「それも神に命じられたのか」
ミレナは顔を上げた。
「違いますよ。これは私がやりたいんです」
「そうか」
ミレナはまた日記へ戻った。
夜が深くなる頃には、街道を行く人の姿もなくなった。
翌朝、ミレナは昨夜包んでおいたパンを食べ、水筒に水を汲んだ。荷物をまとめて休憩所を出ると、ヴァルドはすでに少し先の道端に立っていた。
「早いですね」
「お前が遅い」
ミレナが並ぶと、ヴァルドは歩き始めた。
木立を抜ける少し手前で、頭上から短い鳴き声がした。枝には、胸元だけ淡い橙色の小鳥が止まっていた。
ヴァルドが足を止めた。
「あれは何だ」
ミレナも立ち止まり、枝を見上げた。
「鳥ですよ」
「それは分かる。何という鳥だ」
「名前ですか?」
「ああ」
ミレナはしばらく眺めた。
「……私も知りませんね。見たことはある気がするんですけど」
「そうか」
「次の町で聞いてみます?」
「好きにしろ」
ヴァルドはまた歩き出した。ミレナもその後を追った。
木立を抜けたところで、ミレナは鞄から地図を出した。
「そういえば、この先の町に古い旅人の歌が残ってるらしいんですよ」
「歌?」
「道を覚えるための歌らしくて、昔の街道や、もうない橋の名前が残ってるそうです」
「それを聞きたいのか」
「はい」
「なら行けばいい」
「……ヴァルドさんも来るんですよ」
「お前がついてきているのだろう」
「今それを言います?」
「事実だ」
「じゃあ、先に行けばよかったでしょう」
「お前が来るのだろう」
「……行きますよ」
「なら早くしろ」
ヴァルドはもう歩き始めていた。
「やっぱり言い方が腹立ちますね」
ミレナは地図を畳み、先を行くヴァルドに追いついた。




