第2話 山の外
翌朝、ユアンが村の広場へ下りると、昨夕よりずっと人が多かった。
昨日、荷馬車の覆いを外し始めた頃には、もう日が山の端にかかっていた。今朝は3台とも荷台が大きく開かれ、布地や塩、油、鉄の道具が広場へ並べられている。
塩の袋を覗き込む者もいれば、布を指でつまんで商人と値段を話している者もいた。荷置き場では、村から売る炭や干し茸を商隊の男たちが確かめている。
ベルクからは、商人が家の炭を見始めたら呼びに戻るよう言われていた。ユアンはまず、自分の家の炭が昨夜のまま積まれているのを確かめた。
「昨日の坊主、ちょうどいい」
声をかけてきたのは、昨夕も荷馬車の場所を空けるよう頼んできた男だった。
「そこの木箱、布の横まで持ってってくれ」
「俺、商隊の人間じゃないんだけど」
「知ってる。だから頼んでる」
「それ、理由になってないだろ」
「嫌ならいいぞ」
男が木箱を持ち上げようとしたので、ユアンは反対側に回って手をかけた。2人で布地の横まで運んで下ろすと、ユアンは広場を見回した。
剣を腰に下げた男は、御者と一緒に荷馬車の車輪を見ている。杖を持った若い男は、荷台の脇で御者と荷縄を確かめていた。弓を背負った女の姿はない。
もう2人の旅人は今日もいた。明るい色の髪を後ろでまとめた女が宿の前で村人と話し、黒い外套の大男は少し離れた場所で、広場を行き交う人間を眺めていた。
「あの2人も護衛なの?」
「ああ。前の町で追加で雇った冒険者だ。あの3人は最初から一緒だ。全員、鉄ランクの冒険者で、山越えにも慣れてる」
男はそう答えると、次の荷物へ向かった。ユアンも荷置き場へ戻ろうとすると、宿の前にいた女と目が合った。
「あ、ちょっといい?」
女は真っすぐこちらへ歩いてきた。
「なに?」
「この村で食べといた方がいいもの、ある?」
いきなり聞かれて、ユアンは少し考えた。
「山羊のチーズかな。あと干し茸。宿で頼めば出してくれると思う」
「じゃあ聞いてみる」
「そんなに食べ物が気になるの?」
「旅に出たんだから、その土地のものを食べたいでしょう?」
そう言って、女は腰の小袋から帳面を取り出した。
「私はミレナ。あなたは?」
「ユアン」
「ユアンね。ありがとう」
帳面を開いたので、ユアンは少し身を引いた。
「俺の名前まで書くの?」
「書かないわよ。チーズって書こうとしたの」
「ほんとか?」
ミレナが笑った。
チリン。
黒い外套の男がこちらへ歩いてくる。
「あ、ヴァルドさん」
ミレナが呼んだが、男は返事をせず、そのまま近くまで来た。遠目でも大きかったが、近くで見ると父や兄よりずっと背が高く、肩幅も広い。
「この子、ユアン。この村の子よ」
「そうか」
ヴァルドと呼ばれた男は、それだけ答えた。
ユアンの目は外套の裾へ落ちた。小さな真鍮の鈴が揺れている。
「その鈴、冒険者がつけるものなのか?」
「違う」
「じゃあ何で?」
「もらった」
「邪魔じゃないの?」
「外す気はない」
ヴァルドは鈴を見ることもなく答えた。
「冒険者なんだってな」
「一応ね」
「勝手に登録された」
「勝手じゃありません。ちゃんと説明したでしょう」
「聞いていない」
「聞いてくださいよ! 身分証もなしに旅する方が面倒なんです」
「俺には必要ない」
「あなたがそう思ってるだけでしょう」
ミレナは帳面を小袋へ戻した。
「ミレナは何ランクなの?」
「私は銅ランク。ヴァルドさんは登録したばかりだから革ランクよ」
「革って、一番下じゃん」
ユアンが見上げても、ヴァルドは何も言わなかった。
「でも、いいよな。冒険者なら好きなところに行けるんだろ?」
「行きたいなら行けばいい」
「……簡単に言うなよ」
「難しいのか」
「難しいだろ。家だってあるし、仕事だってある。俺1人の話じゃないんだよ」
「そうか」
ユアンは口を開きかけて、やめた。ヴァルドはもう広場の方を見ている。
家の炭袋の前で、商人が袋を開けて炭を1つ取り出していた。ユアンはそのまま荷置き場へ走った。
「これ、お前んとこのか?」
「そう。親父呼んでくる」
坂を上がって家へ戻ると、ベルクは窯へ向かう支度をしていた。
「親父、昨日の商隊の人が炭見てる」
ベルクは持っていた道具を置き、壁に立てかけてあった棒を取った。
「行くぞ」
「俺も?」
「お前が呼びに来たんだろ」
2人で広場へ戻ると、ベルクは脚を庇いながら商人の前まで歩き、炭袋を覗き込んだ。
「これ全部、同じ窯か?」
商人が袋を指した。
「こっちの4袋はそうだ。端の2つは前に焼いた分」
「少し小さいな」
「その分、揃えてある」
ベルクが顎で示したので、ユアンは端の袋を開き、中から炭をいくつか取り出して商人の前へ置いた。商人は2つを手に取り、軽く打ち合わせる。乾いた音がした。
「悪くない」
「悪い物は持ってきてない」
「値段の話をしてるんだ」
「俺もその話をしてる」
商人が最初に出した額を聞くと、ベルクはすぐ首を横に振った。
「それじゃ去年より安い」
「こっちはまとめて買うんだ。少しはまけてくれ」
「そっちの都合だろ」
商人は苦笑した。それから何度か値を出し直し、ようやくベルクが頷いた。
「じゃあこれで」
「ああ」
商人が差し出した手を、ベルクが握る。
その横でユアンが炭を袋へ戻していると、父が言った。
「口、ちゃんと縛っとけよ」
「分かってる」
「緩いと運んでる途中で開くぞ」
「だから分かってるって」
「ならいい」
ベルクが商人と話している間、ユアンはほかの袋も確かめ、荷馬車へ積む分を商隊の男と一緒に分けた。
炭袋を運んでいると、荷馬車のそばの杭に繋がれた馬が耳を伏せ、一歩横へずれた。袋を担いだ男がそのまま後ろを通ろうとしている。
「そっちから行くと嫌がるよ。後ろから急に来るから」
ユアンは担いでいた袋を下ろして馬の前へ回り、鼻先に手を出してから手綱を取った。ゆっくり横へ寄せると、男が炭袋を荷台へ積む。
「馬も扱えるのか」
「これくらいなら」
ユアンは手綱を杭へ結び直し、さっき下ろした炭袋を担ぎ直した。
昼前になって、弓を背負った女が村へ戻ってきた。靴には乾いた土がついていた。
「ガレス」
呼ばれて、車輪を見ていた剣の男が顔を上げた。
「どうだった?」
「峠の手前までは問題なし。ただ、上の道で小石が少し落ちてた」
「雨か?」
「それにしては乾いてる」
近くで炭袋を動かしていたユアンが顔を上げた。
「ここ何日も雨なんて降ってないよ」
弓の女は山の方を見た。
「明日の朝、もう一度見てくる」
「頼む、ナディア」
ガレスは御者と車輪の確認に戻り、ユアンも炭袋を持ち直した。
山では石くらい落ちる。
昼を過ぎる頃には、朝から続いていた商売も少し落ち着いた。ベルクは先に窯へ戻り、ユアンは広場に残って空いた籠や縄を片づけていた。
宿の前を通りかかると、ミレナが軒下の椅子に座っていた。膝の上に帳面を開き、片手には白いチーズを挟んだパンを持っている。
「食べたんだ」
「教えてもらったからね」
ミレナがパンを一口かじった。
「おいしい」
「普通だよ、それ」
「ユアンにはね。私は初めてなの」
そう言って、もう一口かじる。
「帳面には何書いてるの?」
「宿のおばさんから聞いた、お祭りのこと。祭りの日には山から枝を持ち帰って、家の戸口に飾るんでしょう?」
「……俺より詳しくなってない?」
「ちゃんと聞いたもの。話も面白かったわよ」
「食べながら?」
「忘れる前に書いてるの」
ユアンが帳面を覗くと、細かい字がびっしり並んでいた。
「字、小さいな」
「たくさん書けるでしょう。私が読めればいいの」
ミレナはまた帳面へ書き始めた。
ユアンは帳面から目を上げ、山あいへ消えていく街道を見た。
「ユアン、こっち手伝ってくれ!」
朝、木箱を一緒に運んだ男に呼ばれ、ユアンはそちらへ走った。
夕方、荷置き場で空いた籠を重ねていると、近くで商人の1人が村の男に尋ねた。
「そういや、オルドはまだ来てないのか?」
「まだだな。そろそろだとは思うが」
「昨日、峠の向こうで会ったぞ。こっちへ向かってたから、明日には着くんじゃないか」
ユアンは重ねかけた籠を持ったまま、峠へ続く道を見た。




