第1話 山の村の少年
炭窯から上がる煙を見て、炭焼き職人のベルクは眉を寄せた。
「まだだな」
「昨日もそれ言ってたじゃん」
「昨日よりはいい」
「じゃあ明日も同じこと言うだろ」
ベルクの次男、ユアンがそう返すと、父は煙から目を離さないまま鼻を鳴らした。
朝露の残る山裾に、土を盛って造られた炭窯が2つ並んでいる。片方は火を落として冷ましている最中で、もう片方からは細い煙が絶えず流れていた。
ユアンは窯の脇に積まれた木を抱え、少し離れた屋根付きの置き場まで運んだ。戻ってくると、ベルクが痛めた脚を庇いながら窯の裏へ回ろうとしていた。
「親父、そっち行かなくていいって」
「見るだけだ」
「昨日もそれでよろけただろ」
「滑ってない」
「よろけたって言ってるんだよ」
ユアンが睨むと、ベルクは面倒そうに息を吐いた。
「分かった。なら奥の木をこっちへ持ってこい。太いのは混ぜるなよ」
「はいはい」
「返事は一回でいい」
そこへ、ユアンの兄ローディが炭の入った麻袋を肩に担いで戻ってきた。
「朝から何やってんだ」
「親父が言うこと聞かない」
「お前が言うな」
「なんで俺まで」
ローディは袋を地面へ下ろし、肩を回した。手も腕も炭の粉で黒くなっている。ユアンの指先も同じように黒かった。
ベルクが袋を眺める。
「それで最後か」
「いや、あと3つ」
「ユアンも手伝え。昼までに下へ運ぶぞ」
ユアンは空いた麻袋を拾った。
今日は焼き上がった炭を村の広場へ下ろす日だった。商人が来ればそこから売れるし、来なければ共同の荷置き場へ積んでおく。
ベルクが脚を痛めてから、窯と村を何度も往復する仕事は、ほとんど兄弟がやるようになっていた。
「最近は言わなくても動くようになったな」
「前から動いてたよ」
「言ってからだ」
「同じだろ」
「全然違う」
横でローディが笑った。
ユアンは口を尖らせながら窯へ戻り、焼き上がった炭を選り分けて袋へ詰めていく。大きさを揃えることも、袋の口をしっかり縛ることも、もうベルクに言われるまでもない。
1袋作り終えて立ち上がると、木々の間から村の屋根が見えた。その向こうを1本の街道が延び、山あいへ消えている。
「ユアン」
振り向くと、ローディが炭袋を1つ差し出していた。
「道眺めてる暇があるなら持て」
「眺めてない」
「じゃあ何見てたんだ」
「……村」
「反対側だろ」
ユアンは袋をひったくった。
二人で炭を担ぎ、山道を下る。途中、傾斜がきつくなったところで、ユアンは前を歩く兄へ声をかけた。
「兄貴、親父の脚、いつ頃ちゃんと治るかな」
「知らん。俺は治療師じゃない。まあ、無茶しなきゃそのうち治るだろ。無茶しなきゃな」
最後だけ、ローディがわざと声を張る。
離れた炭窯の方から、
「聞こえてるぞ!」
とベルクの声が飛んできた。
ローディが笑い、ユアンもつられて笑った。
しばらくして、兄が何でもない調子で言った。
「で、親父には言ったのか」
「……まだ」
「いつ言うんだ」
「分かってるよ」
「俺は別に急かしてないぞ」
「今のが?」
「聞いただけだ。でも、俺に言って終わりじゃないからな」
ローディは振り返らない。ユアンは答えず、炭袋を背負い直した。
村の広場へ着く頃には、雲の切れ間から日が差していた。
広場の中央には井戸があり、その脇に共同の荷置き場と馬を繋ぐ杭が並んでいる。普段は子供が走り回るくらいだが、商人が来る日は塩や油を買う者や、売り物を持ち込む者で急に騒がしくなる。
荷置き場には、薪束や干し茸、樹脂を詰めた壺が並んでいた。兄弟は軒下の空いた場所へ炭袋を積み上げる。
「ユアン、悪い。こっちも炭の隣まで頼む」
近所の男が、手押し車に積んだ干し茸の籠を指した。ユアンはそのまま籠を1つ抱え、炭袋の隣へ運ぶ。
戻ると、杭に繋がれた馬が鼻を鳴らした。
「水もやっとくよ」
男が片手を上げた。
ユアンは手綱を取って馬を井戸端の水桶まで連れていく。馬は勢いよく水を飲み始めた。
「こいつ、また太った?」
「気のせいだ。お前よりは働く」
「じゃあ今度から茸もこいつに運ばせろよ」
男が笑った。
馬を杭のところへ戻し、ユアンは街道へ続く道をちらりと見た。まだ何も来ていない。
その道を通って村へやってくる行商人、オルドの顔が浮かんだ。
――――――
前にオルドが村へ来た時も、ユアンは荷馬車の横にいた。
「海って、本当に向こう岸が見えないのか?」
「見えん」
オルドは荷台を漁りながら答えた。
「どこまで行っても?」
「船で3日進んでも見えんところもある」
「嘘だ」
「じゃあ自分で見てこい」
オルドは村へ来るたび、ユアンの知らない話を一つや二つ持ってきた。海辺では魚を塩漬けにして樽で運ぶらしい。大きな町では、夜になっても人通りが絶えないという。
「この炭も、そういう町まで持ってくの?」
「これは峠の向こうだな。そっから先は買った奴次第だ」
「もっと先まで行くかもしれない?」
「ああ」
ユアンは荷台へ積まれた炭袋を見上げた。
「いいな」
「炭が?」
「違うよ」
オルドが笑った。
「お前、ほんと外の話ばっかりだな」
「だって見たことないし」
荷台の縄を締め終えたオルドが、ふいに言った。
「そんなに見たいなら、次に来たとき、ついてくるか?」
「え?」
「峠の向こうまでだ。飯くらいは食わせてやる。その代わり働け」
ユアンはオルドを見返したまま黙った。
「なんだ。行きたくないのか?」
「行きたいけど……」
「なら次までに考えとけ」
それだけ言うと、オルドは御者台へ上がった。
――――――
「ユアン!」
ベルクの声に、ユアンは顔を上げた。
広場の向こうで、父が棒を杖代わりにして立っていた。
「お前、何してる。まだ残ってるぞ」
「今行くよ!」
ユアンは荷置き場を離れた。
昼までに残りの炭を全部下ろし、食事の後は薪を割った。夕方近くには窯の周りを片付け、明日は上の斜面で切った木を見に行くとベルクから言われて、そのまま頷いた。
ローディが道具を出しっぱなしにしてベルクに怒られ、そのベルクは重い物を自分で運ぼうとして兄弟二人に止められた。
日が山の端へ近づいた頃だった。
「商隊だ!」
村の下の方から、子供の声が響いた。
ユアンの手から薪が1本落ちた。
「ユアン?」
ローディがこちらを見た。
「……なんでもない」
しゃがんで薪を拾おうとして、一度掴み損ねた。
街道の方から、馬のいななきと車輪の軋みが聞こえてくる。
「ちょっと見てくる」
「仕事は?」
「すぐ戻る!」
返事も待たずに坂を下った。
家々の間を抜け、街道の見えるところまで来ると、先頭の荷馬車が姿を現した。その後ろにもう1台、さらにもう1台と続いている。
ユアンは歩みを緩めた。
見慣れた荷馬車ではない。先頭を歩く商人の顔にも覚えがなかった。
オルドではなかった。
「……そっか」
ユアンは小さく息を吐いた。
商隊はそのまま村の広場へ入ってきた。3台もの荷馬車が並ぶと、普段は広く感じる場所が一気に狭くなる。
荷台の隙間から、布地の束や油壺、塩の袋が見えた。誰かが「針はあるか」と声を上げ、別の家の女は注文していた品のことを商人に尋ねていた。御者たちは馬を杭へ繋ぎ、荷台の覆いを外し始めた。
ユアンも邪魔にならないよう、炭袋の脇に置かれていた空の木箱を先にどかした。
商隊の男が炭袋を指した。
「そこの炭、誰んとこのだ?」
「うち。親父が焼いたやつ」
「悪いが、少し寄せてくれるか。荷車を入れたい」
ユアンは頷いて炭袋を動かし始めた。その途中で、商隊の護衛らしい者たちが目に入る。
剣を腰に下げた男、弓を背負った女、それに杖を持った若い男がいた。
その3人とは少し離れて、旅人らしい男女がもう2人立っていた。1人は明るい色の髪を後ろでまとめた旅装の女で、もう1人はひどく背の高い男だった。
男は黒っぽい外套をまとっていたが、武器らしいものは見当たらない。荷下ろしにも加わらず、騒がしい広場を眺めていた。
ユアンが炭袋を抱えて、その男の横を通り過ぎた。
チリン。
ユアンは足を止めて振り向いた。
黒い外套の裾に、小さな真鍮の鈴がついていた。こんなものを外套につけた旅人は初めて見た。
「ユアン、それこっち!」
「今行く!」
呼ばれて炭袋を運び、荷台のそばへ下ろす。
次の袋を取りに戻りかけた時、
チリン。
また鈴が鳴った。
ユアンはもう一度、黒い外套の男を目で追った。




