第9話 新人衛兵と変な薬を作る錬金術師
昼を少し過ぎた門前では朝ほどの混雑こそ収まっていたものの、人の流れが途切れることはなく、リナは記録台の前で通行証を返しながら、次の旅人へ視線を向けた。
そこに立っていたのは、一人の女性エルフだった。
腰まで届く銀色の髪は丁寧に整えられ、長く尖った耳の下をさらりと流れている。
年齢は人間なら二十代半ばほどに見えるが、エルフの実年齢は外見だけでは分からない。
細身の身体には深緑色のローブをまとい、肩から大きな革鞄を下げており、落ち着いた表情と理知的な灰色の瞳からは、いかにも学者らしい知性が感じられた。
綺麗な人だ。それに、見るからに頭が良さそうだった。
「次の方、どうぞ」
「はい。よろしくお願いいたします」
女性エルフは静かな声で答えると、記録台の前で丁寧に一礼した。
「お名前と入都目的をお願いします」
「セシリア・リーフェンです。王立錬金術師協会への研究報告と、新しく開発した薬品の登録申請に参りました」
「錬金術師なんですね」
セシリアが取り出した身分証には正式な錬金術師の資格を示す印章が刻まれており、登録内容にも問題はなかった。
「今回は試作品を含め、九種類の薬品を持参しております。こちらが一覧表です」
「九種類も? すごいですね!」
「半年ほどの研究成果です」
差し出された書類には、薬品ごとの名称や材料、効能、毒性の有無、取り扱い上の注意まで細かく記載されていた。どの項目も整然とまとめられており、これなら検査も順調に進みそうだった。
「すごく確認しやすいです。ありがとうございます」
「必要な検査ですから、当然のことです」
リナは感心しながら最初の項目へ目を向けた。
「では、一番目の薬からお願いします」
セシリアが革鞄を開き、緩衝材に包まれた小瓶を取り出した。淡い桃色の液体が入っており、光を受けると瓶の内側で柔らかく輝いている。
「こちらは《胸部肥大薬》です」
「…………」
リナの筆が止まった。
「……胸部?」
「服用すると胸部の脂肪組織へ選択的に作用し、その体積を増加させる薬です。現在は個人差と持続時間を検証しております」
セシリアは至って真剣だった。
「……効果はあるんですか?」
「確認できています。ただし完成品ではありませんので、十分な保証はできません」
「なるほど……」
説明だけ聞けば、確かに真面目な研究だった。
リナは瓶からセシリアへ視線を移し、何気なくその胸元を見た。
深緑色のローブには、あまり膨らみがない。
「…………」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、その……効果があるのかなって」
セシリアも自分の胸元へ視線を落とし、リナの疑問を理解したらしく小さく頷いた。
「私は服用しておりません」
「……そうなんですか」
「未完成の薬を研究者が安易に服用するのは危険ですから」
「そこはちゃんとしてるんですね……」
リナは安心しかけたが、すぐに別の疑問が浮かんだ。
「では、誰で効果を確認したんです?」
「助手です」
「女性の方ですか?」
「男性です」
「なんで!?」
門柱に寄りかかっていたカイルが、興味を引かれたように顔を向けた。
「男でも効くのか?」
「はい。性別にかかわらず作用することが確認できました」
「助手さんは大丈夫だったんですか!?」
「本人は非常に困っていましたが、三週間ほどで元に戻りました」
「長い!!」
リナはまだ会ったこともない助手の苦労を想像し、桃色の小瓶をそっと元の場所へ戻した。
「……次に行きましょう」
二本目は透明な液体の入った《無毛薬》だった。皮膚へ塗ると一時的に毛が生えなくなるらしく、説明を聞いたリナは思わず首を傾げた。
「それ、普通に欲しい人がいると思いますよ。髭剃りとかにも使えそうですし」
「……需要があるのですか?」
「あると思いますけど」
セシリアはすぐに手帳を取り出し、何かを書き込み始めた。
「毛根の活動を一時的に停止させる実験だったのですが、商品化も検討する価値がありそうですね」
「商品になると思わず作ったんですか!?」
「研究目的は商品開発とは限りませんので」
横からカイルが自分の顎髭を撫でた。
「毎朝の髭剃りが楽になるなら、悪くないな」
「カイルさん、この人の試作品を気軽に使わない方がいいと思います!」
「何でだ?」
「さっきの助手さんの話、もう忘れたんですか!?」
続いて現れたのは、薄黄色の《可憐なくしゃみ薬》だった。
「服用すると、くしゃみが可愛らしくなります」
「……それだけですか?」
「はい。体格や性別に左右されず、柔らかく可愛らしいくしゃみになります」
セシリアによれば、屈強な男性でも「くちゅん」と小鳥のようなくしゃみになるという。
「ちなみに、どなたで試したんです?」
「助手です」
「また助手さん!?」
「非常に可愛らしい結果でした」
「研究に付き合うのも大変ですね……」
リナが同情していると、セシリアは次の瓶を取り出した。こちらは《おしゃべり薬》というらしい。
「頭に浮かんだことを、言葉にせずにはいられなくなります」
「それって、自白剤として使えませんか?」
「難しいでしょう。必ずしも秘密を思い浮かべるとは限りませんから」
「例えば?」
「お腹が空いた、靴に小石が入った、眠い、猫を触りたい、昨日の夕食は塩辛かった、などですね」
「……うるさいだけじゃないですか」
「助手は二時間ほど喋り続けました」
「助手さぁぁぁん!!」
まだ四本目だというのに、リナは男性助手のことが本気で心配になってきた。どれほどの給金をもらっているのか知らないが、もう少し安全で平穏な仕事を探した方がよいのではないだろうか。
五本目の瓶には、ほとんど無色の薬液が入っていた。
「こちらは《透視薬》です。一定時間、物体を透過して見ることができます」
その説明に、リナの表情が引き締まった。
「それ、かなり危険な薬じゃないですか?」
「現状では実用上の欠点があります。透過する対象を選べませんので」
「……どういう意味です?」
「衣服を透過すると、その下の皮膚も透過します。さらに筋肉も透過し、最終的には骨が見えます」
「ただの骨格観察じゃないですか!」
「医学研究には利用できると考えております」
カイルが瓶を眺めながら口を挟んだ。
「荷物検査に使えないか? 箱の中を見られれば便利だろ」
「箱だけでなく中身も透過してしまいますので、その向こう側が見えるだけです」
「……使えないな」
「そこまで透過するなら、透視っていうより素通りですよ!」
研究の技術自体は本物なのだろう。だからこそ、その高度な技術をもう少し違う方向へ使えないものかと、リナは思わずにはいられなかった。
六本目は青色の《猫寄せ薬》だった。
「服用すると、周囲の猫が集まってきます」
「どのくらいですか?」
「前回は二十七匹でした」
「多いですね!?」
「非常に幸せな時間でした」
セシリアがほんの少しだけ嬉しそうな顔をした。
「……もしかして、ご自分で飲まれたんですか?」
「はい。猫は好きですので」
「自分で飲む薬の基準、どうなってるんです!?」
「安全性を確認してから服用しておりますよ」
「猫二十七匹に囲まれるのも、場合によっては危険だと思います!」
その隣に並べられた紫色の薬は《爆毛薬》という、またしても不穏な名前だった。
「毛髪を急速に伸ばす薬です。現在の試作品では、三十分で約四メートル伸びます」
「四メートル!?」
「当初は一メートル程度を目標としておりましたが、想定以上の結果が出ました」
「それ、失敗じゃないんですか?」
「いいえ。四メートル伸ばせることが分かったのですから、研究としては成功です」
「研究者の成功判定って怖いですね……」
リナが額を押さえていると、セシリアは八本目の瓶を差し出した。
中に入っていたのは、見覚えのある赤色の薬液だった。
「……これは普通の回復薬ですか?」
「上級回復薬です。深い傷や骨折の治癒促進にも有効です」
リナの表情がぱっと明るくなる。
「すごいじゃないですか! そういう薬を作れるんですね!」
「もちろんです」
「だったら、最初からそういう薬を研究すればいいのに……」
セシリアは不思議そうに瞬きをした。
「ですが、これはもう作れます」
「はい?」
「既に確立された調合法を繰り返すだけでは、新しい発見は少ないでしょう。分からないことを調べ、可能性を確かめるのが研究ですから」
リナは言葉に詰まった。
確かに、その通りだった。
「正論だな」
カイルまで頷く。
リナも一瞬納得しかけたが、記録台に並ぶ薬瓶を見て我に返った。
「でも、研究してるのが胸とかくしゃみなんですよ!」
「それらにも未知の可能性は存在します」
「格好よく言わないでください!」
最後にセシリアが取り出したのは、厚い布で何重にも包まれた小さな木箱だった。これまでと違う厳重な扱いに、リナの表情から笑みが消える。
「……それは?」
「取り扱いに注意が必要な薬です」
「毒物ですか?」
「いいえ。爆発性も腐食性もありません」
「では、どんな効果が?」
セシリアは木箱の蓋をわずかに開き、中に収められた黒い小瓶を示した。
「《強烈足臭薬》です」
「…………」
リナは無言で箱から手を離した。
「皮膚へ一滴付着すると、足から非常に強い臭気が発生します。体臭抑制薬の研究中に作用が逆転してしまいまして」
「……それ、失敗作ですよね?」
「興味深い副産物です」
「失敗作って言ってください!」
セシリアによれば、効果は約三日間続くという。
横で話を聞いていたカイルも、珍しく小瓶から一歩離れた。
「……漏れないだろうな?」
「ご安心ください。容器は三重構造です」
「なんでそこだけ、そんなに厳重なんですか?」
「以前、研究室で一本割れまして」
「…………」
「一週間ほど使用できなくなりました」
リナは即座に木箱の蓋を閉じた。
「絶対に開けないでください!」
「その予定です」
「王都でもですよ!」
「善処いたします」
「絶対って言ってください!!」
ようやく九種類すべての確認が終わった。
奇妙な薬ばかりではあったが、危険性のあるものは適切に封じられ、必要な申告も行われている。研究品の持ち込みに関する書類にも不備はなく、錬金術師としての資格も正式なものだった。
仕事としては、驚くほどきちんとしている。
研究内容がおかしいだけだ。
「……問題ありません。入都を許可します」
「ありがとうございます」
セシリアは薬瓶を丁寧に革鞄へ収め、緩衝材の位置を確認してから蓋を閉じた。
これで終わりだ。
そう思ったリナへ、セシリアが静かに声をかける。
「ところで衛兵さん。一つお願いがあるのですが」
嫌な予感がした。
「……なんでしょう?」
「新薬の臨床試験へご協力いただけませんか?」
「嫌です」
即答だった。
「まだ効果を説明しておりませんが」
「聞いたらもっと嫌になる気がするので!」
「安全性は十分に確認しておりますよ」
「……ちなみに、何の薬です?」
聞いてから、リナはしまったと思った。
セシリアの灰色の瞳がわずかに輝く。
「感情に応じて髪の色が変わる薬です。怒れば赤、喜べば金、羞恥を感じれば桃色になるよう調整しております」
「嫌です!!」
横からカイルがぼそりと言った。
「お前には便利そうだな」
「どこがですか!?」
「顔だけじゃなく、髪でも分かるようになる」
「今でも顔に出てるって言いたいんですか!?」
「俺は何も言ってないぞ」
「言ってます!」
セシリアは二人を交互に眺め、研究者らしい真剣な表情で頷いた。
「確かに、衛兵さんの場合は薬を使用しなくても感情の変化を十分観察できそうですね」
「セシリアさんまで納得しないでください!!」
リナの声が南門に響く中、セシリアは小さく微笑み、今後の研究に役立てるつもりなのか、手帳へ何かを書き込み始めた。
「……今、何を書いてるんですか?」
「感情表現の豊かな被験者候補についてです」
「候補から消してください!!」
最後まで真面目な顔を崩さないセシリアを見送りながら、リナは深いため息を吐いた。
「……すごく頭のいい人でしたね」
「そうだな」
「でも、なんであんな薬ばっかり作るんでしょう?」
「頭がいいから、普通のことじゃ満足できないんじゃないか?」
「そんな理由で助手さんが苦労するのは可哀想です!」
カイルは小さく笑い、再び門柱へ肩を預けた。
リナは記録台に残った薬品一覧表を整理しながら、いつか本当にあの男性助手に会うことがあったら、せめて優しく接してあげようと心に決めた。
もっとも、その助手が次にどんな実験へ参加させられるのかまでは、考えたくなかった。
【リナの日記】
今日はエルフの錬金術師、セシリアさんが来た。
すごく綺麗な人だった。
頭も良さそうだった。
実際、ものすごく優秀な錬金術師だった。
でも、作る薬がおかしい!!
胸部肥大薬。
無毛薬。
くしゃみが可愛くなる薬。
おしゃべりが止まらなくなる薬。
透視薬。
猫が二十七匹集まる薬。
髪が四メートル伸びる薬。
なんで!?
上級回復薬まで作れるのに、どうしてそっちを研究してるの!?
本人は「分からないことを調べるのが研究です」って言ってた。
確かに正しい。
正しいけど!!
その好奇心をもう少し普通の方向へ向けてほしい!!
あと、男性助手さん。
大丈夫ですか?
胸が大きくなって三週間。
可愛いくしゃみ。
二時間喋りっぱなし。
会ったこともないのに、ものすごく心配になった。
今度セシリアさんと一緒に来たら、優しくしてあげようと思う。
それから胸部肥大薬のとき、セシリアさんの胸元を見てしまった。
ごめんなさい。
でも、効果があるって言われたら、ちょっと確認したくなると思う。
……ならない?
【今日の教訓】
見た目が真面目だからといって、考えていることまで普通とは限らない。
あと、どんなに便利そうな薬でも、安全性が分からないものを気軽に試してはいけない。




