第6話 新人衛兵と嘘つき伝書鳥
昼を少し過ぎた王都南門には、朝の混雑が一段落したあとの穏やかな空気が流れていた。
城壁の影に置かれた記録台で、リナ・フェルドは午前中の入都記録を帳面に書き足していた。
ふと顔を上げると、隣ではカイルが門柱へ肩を預け、腕を組んだまま目を閉じている。
「……カイルさん、寝てませんよね?」
「起きてるぞ。目を閉じて警戒してるだけだ」
「それを居眠りって言うんです。せめて目を開けてください」
カイルは面倒そうに片目だけを開いた。リナが抗議しかけたところへ、一人の旅人が検査位置へ歩いてきた。
三十歳前後の細身の男で、革の旅装に小さな背負い鞄、腰には護身用らしい短剣を下げている。
目立つ装備はないが、左肩には鳩より一回り大きな灰青色の鳥が止まっていた。白い羽毛が首元を襟巻きのように囲み、頭には三本の飾り羽が揺れている。
黄色い瞳だけは妙に人間臭く、鳥はリナを見つめたまま小首を傾げた。
「こんにちは。お名前と入都目的をお願いします」
リナが帳面を開くと、旅人より先に甲高い声が響いた。
「オ姉サン、美人ダネ!」
顔を上げたリナの前で、鳥が翼をぱたぱたと揺らしていた。
「えっ、この子、喋れるんですか?」
「伝声鳥です。名前はピコといいます」
伝声鳥なら知っている。人の言葉を覚え、指定された相手へ伝言を運ぶ賢い魔物だ。こんなにはっきり喋るものなのかと感心しながら、リナは少し照れて微笑んだ。
「……ありがとう」
「嘘ダケド!」
笑顔が消えた。門柱の方から、押し殺したような笑い声が漏れる。
「カイルさん、笑いましたね?」
「笑ってないぞ」
「オッサン笑ッタ!」
「ほら、ピコも言ってます!」
「鳥の言うことを信用するなよ」
都合のいいときだけ鳥を疑う先輩を睨むと、ピコは聞き慣れない名前が気になったらしく、リナの方へ首を伸ばした。
「リナ? リナ、美人!」
「……もう騙されませんからね」
「リナ、チョロイ!」
「誰が教えたんですか、その言葉!」
旅人は深々と頭を下げた。
「すみません。言葉を覚えるのは早いんですが、相手の反応が面白いと、思いついたことまで勝手に喋ってしまって」
「それ、伝言を運ぶ鳥としては致命的では……?」
「私もそう思います」
諦め切った返事に同情しつつ、リナは気を取り直して男の身分証を受け取った。エリック・ノール。商業ギルドへの連絡と、取引先への届け物が入都目的だという。
「借金取リ立テ! 逃亡中! 妻ガ三人!」
「全部違います。そもそも妻はいません」
「四人!」
「増やすな、ピコ!」
エリックが肩の鳥を睨む。呆れた様子に悪意はなく、長旅の間ずっとこうして言い合ってきたのだろうと思わせた。
実際、鳥が身体を揺らすたびに男は自然と肩の角度を変え、落ちないよう支えている。
リナも危うく笑いそうになったが、記録を続けようとしたところで、今度はピコの矛先がこちらへ向いた。
「リナ、恋人イル?」
「いません! ……あっ」
「リナ、恋人イナイ!」
「門の前で繰り返さないでください!」
隣の検査班に並んでいた若い商人まで振り返った。リナが赤くなって帳面へ視線を落とすと、ピコはますます楽しそうに翼を広げる。
「美人ナノニ!」
「……それは、どうも」
「チョロイ!」
「もうっ!」
カイルがとうとう噴き出したので、リナは抗議のため振り返った。するとピコは二人を交互に見比べ、嬉しそうに叫んだ。
「オッサン、リナ好キ! リナ、オッサン好キ!」
「違います!」
「俺も違うぞ」
「なんでカイルさんまでそんなに即答するんですか!」
「お前も即答しただろ」
「それとこれとは話が別です!」
「痴話喧嘩!」
「してませんっ!」
近くの農夫が肩を震わせ、別の列を担当する衛兵まで笑いを堪えている。リナは熱くなった頬を押さえたい気持ちを振り払い、検査へ話を戻した。
「エリックさん、危険物や禁制品はありませんね?」
「はい、ありません」
「爆弾アルゾ! 鞄ノ中!」
その一声で空気が変わった。鳥が嘘を重ねてきたとしても、危険物の申告を聞き流すわけにはいかない。カイルも門柱から身体を起こし、鞄へ目を向けた。
「悪いが、確認させてもらうぞ」
「こいつが言ったことでも調べるんですか……?」
「十回嘘をついても、十一回目が本当じゃない保証はないからな」
エリックの了承を得て鞄を開くと、中身は着替え、水筒、保存食、ギルド宛ての書類と財布だけだった。底や内張りも確認したが、危険物は見つからない。
「問題ありません。ご協力ありがとうございます」
「ほら、だから言ったでしょう……」
「残念!」
「何が残念なんですか、ピコ!」
リナが検査結果を記録する横で、カイルはエリックへ「鞄を見せてくれて助かった」と短く告げた。何も見つからなければそれでいい。
疑わしい言葉に振り回されても、必要な確認だけは省かない――その態度は、ふざけてばかりいる先輩らしくなく、少し見習いたいと思った。
ところが、気を緩めた途端、ピコはまた「恋人募集中!」と叫び始めた。ちょうど列にいた若い冒険者がこちらを見たため、リナは慌てて手を振る。
「募集してませんから! この鳥が勝手に言ってるだけです!」
「……でも、衛兵さんが美人なのは本当だと思いますよ」
冒険者が照れたようにそう言うと、リナの声が詰まった。
「そ、そうですか。ありがとうございます……」
「顔赤イ! チョロイ!」
「ピコ!」
今度こそカイルは顔を背けたが、肩が揺れているせいで笑っていることは隠せない。リナは長棒を握り直して気を落ち着け、エリックへ最後の確認をした。
「この子、本当に伝声鳥として働けるんですか?」
「伝言そのものは正確に覚えます。……余計な言葉を加えなければ」
エリックが実演すると言い、ピコへ向き直った。
「覚えろ。『エリックより。荷物は明日の正午に到着する』」
「エリックヨリ。荷物ハ明日ノ正午ニ到着スル!」
一字一句違わない復唱に、リナは思わず感心した。これなら仕事にも使えそうだと思った直後、ピコは得意げに胸を反らす。
「御者ハ全裸ダ!」
「付け足さないでください!」
「思イツイタ!」
「思いついても喋らないでください!」
エリックは深い息を吐いた。
「重要な連絡にはもう使っていません。今は実家の母への近況報告くらいです」
「それなら多少は安心ですね」
「エリック、王都デ大成功! 来月結婚! 孫ハ双子!」
「お前、母さんに何を伝えた!?」
リナもとうとう堪えきれずに吹き出した。相手が散々困らされてきた気持ちを思えば笑ってはいけないのだろうが、ピコの誇らしげな顔とエリックの絶望的な表情の取り合わせは、どうにも可笑しい。
検査を終えたリナが入都を許可すると、エリックは肩を落として鞄を背負い直した。ピコは「王都征服!」と叫びながら頭上へ舞い上がり、主人に叱られても楽しそうに旋回している。
門をくぐる直前、その鳥がふいに振り返った。
「リナー! 美人ダゾ!」
「……もう騙されません」
「目ツキ怖イ! 恋人イナイ! カイル好キ!」
「余計なことばかり言わないでください!」
リナが長棒を持ち直すと、ピコはひときわ高く舞い上がった。
「デモ、美人ハ本当ダゾ!」
それだけ残し、灰青色の小さな影はエリックを追って王都の通りへ消えていった。リナはしばらく見送り、ようやく帳面を閉じる。
嘘ばかりの鳥だった。信用するものかと思う。それでも最後の一言だけは、ほんの少し嬉しかった。
褒められ慣れていないせいか、からかわれた腹立たしさより、嬉しさの方が後まで残ってしまう。
そんな自分に気づき、リナは誰にも見られていないかと周りを確かめた。
「チョロイ」
隣から聞こえた声に振り向くと、カイルは何事もなかった顔で門柱へ戻ろうとしていた。
「今、なんて言いました?」
「鳥の真似だ」
「カイルさんまで覚えないでください!」
昼下がりの南門にリナの声が響き、別の検査班の衛兵がまた笑った。門の外では次の旅人が順番を待っている。リナは赤くなった頬を整えるように一度息を吐き、いつもの仕事へ戻った。
【リナの日記】
今日は伝声鳥のピコが来た。人の言葉を覚えて届けられる、とても賢い魔物らしい。伝言を覚えるところまでは、本当に賢かった。
問題は、それ以外!!
借金取りだの爆弾だの、思いつくままに嘘をつく。危険物があると言われれば衛兵は調べないわけにいかないのに、本人は「残念!」って。何が残念なの!?
しかも私の名前を覚えてからは、ずっと「リナ、リナ」。美人だと言った次の瞬間には嘘だと言うし、恋人がいないことまで門前で言いふらした。知ってます! 私が一番知ってます!!
知らない冒険者さんまで巻き込まれたけど、その人は本当に美人だと言ってくれた。……あれは、ちょっと嬉しかった。本当にちょっとだけ。
カイルさんとのことも勝手に話を作られた。あれだけは絶対に違う。なのにカイルさんまで笑って、最後にはピコの「チョロイ」を真似した。明日の棒術訓練の相手は決まった。
でも、最後にピコが言った「美人は本当だぞ」は、何となく忘れられない。あの鳥の言うことを信じたら負けだと思うけど、美人だけは本当でもいいと思う。
【今日の教訓】
嘘ばかりつく相手の言葉でも、危険に関わることはきちんと確認する。
それから、褒め言葉にすぐ反応しない。特に相手が伝声鳥の場合は!
……カイルさんの「チョロイ」も、明日から絶対に聞き流す。




