第5話 新人衛兵と馬車検査
昼前の王都南門では、朝一番の混雑が落ち着いたあとも、商人や旅人の往来が続いていた。荷車が通るたびに石畳へ乾いた土がこぼれ、風が吹けば農夫の積んだ青菜の匂いに馬の汗と藁の匂いが混じる。二班に分かれた衛兵たちはそれぞれ入都者を捌き、リナ・フェルドも記録台で帳面を整理しながら次の荷車へ目を向けていた。
やってきたのは、灰色の幌を深く掛けた二頭立ての商用馬車だった。木箱や樽を満載した車体は荷の重さで低く沈み、御者台の男は帽子の下から額の汗を拭っている。
「次は俺が見る」
いつもは門柱へ寄りかかっているカイルが、珍しく自分から歩き出した。リナは記録板を抱えてそのあとに続く。
「どうしたんですか。自分から検査なんて」
「仕事だからな」
「それは知ってますけど、いつもより積極的だなって」
「褒めてるのか、それ」
「半分くらいは」
カイルは返事をせず、御者へ停止位置を示した。男はマルコ・ヘインズと名乗り、南のエルム街道沿いから中央市場へ、小麦粉、干し肉、葡萄酒、衣類、雑貨を運んでいると説明した。提示された書類には目立った不備がない。
カイルは幌をめくって荷台を眺め、すぐに元へ戻した。
「よし」
「……まさか終わりじゃないですよね?」
「まだだ」
安心したリナの目の前で、カイルは前輪を靴先で軽く蹴った。鈍い音がして、御者が怪訝そうに首を伸ばす。
「車輪ですか?」
「車輪は大事だぞ」
「分かりますけど、今は積み荷を調べてるんですよね?」
まともに答える気がないらしい。カイルは後輪と車軸も確かめると、幌を再び持ち上げ、奥の樽を指した。
「奥から三つ目の樽を下ろしてくれ。小箱の下にあるやつだ」
マルコが縄を外し始めたところで、リナは声を潜めた。
「どうして、あれを?」
「周りより重そうだ。下の板が沈んでる」
目を凝らせば、確かにその部分だけ床板がわずかにたわんでいた。荷の詰め方や縄の張り具合に紛れる程度の差なのに、カイルは一目で気づいていたらしい。
石畳へ下ろされた樽の蓋が開くと、酸っぱい発酵臭がむっと立ち上った。リナが鼻を押さえて覗くと、ぬか床の中に青緑色の半透明な塊がいくつも埋まっている。野菜でも肉でもない奇妙な見た目で、そのうちの一つがぷるりと震えた。
「……今、動きましたよね?」
「動いたな」とカイル。
「スライムのぬか漬けです。食用の種類ですよ」とマルコ。
「スライムって漬けられるんですか!?」
リナが目を丸くすると、カイルは平然と「薄く切って炙るとうまいぞ。酒にも合う」と付け加えた。マルコまで嬉しそうに頷いたため、リナは二人を交互に見つめる。
「そこで食べ方の話になるんですか……」
「食い物だからな」
「そういうことじゃなくて!」
樽の中身は適切に処理された食用品で、持ち込みにも問題はなかった。ただし申告には記載されていなかったため、リナが品目を追記する。マルコは謝ってから樽の蓋を閉め、二人がかりで荷台へ戻した。
次にカイルが目を留めたのは、御者台の背後へ括り付けられた革鞄だった。マルコが私物だと説明しても、カイルは確認を求める。中には丁寧に畳まれた着替えとタオルが入っており、リナにはどこにも不審なところが見えない。
「そのシャツの下も見せてくれ」
促されてリナが布を持ち上げると、色とりどりの女性用下着が現れた。思わず手を止めた彼女の横で、カイルは鞄へ掌をかざす。
「やっぱり風魔法か。微弱だけど、ずっと流れてる」
リナも手を寄せてみる。確かに布の間から涼しい風が伝わってきた。
「長旅の暑さ対策ですか。便利ですね」
「ええ、これが一番快適でして」
マルコはごく普通に頷く。しかし、リナはもう一度鞄を見て、どうしても引っかかったことを口にした。
「……それで、どうして女性用なんですか?」
「履いたらいけませんか?」
「いえ! いけないわけじゃないですけど!」
「男性用もありますよ。でも、私はこっちが好きなんです」
あまりにあっさりした返答に、リナは続ける言葉を失った。本人の衣類であり、付与された魔法にも危険はない。衛兵として問題にする理由などなかった。
「……確認できました。失礼しました」
「構いませんよ」
きっぱり頭を下げたリナへ、カイルは眠そうな顔で「問題がなければそれで終わりだ」と言った。分かってはいる。それでも予想外の答えに顔が熱くなるのは止められない。
ところがカイルは鞄を閉じる前に底へ触れ、わずかに眉を動かした。
「衣類にしては重いな。下も頼む」
マルコが服を除けると、小さな布袋から銀貨が何枚も出てきた。リナが身構えるより先に、マルコが「旅費です」と説明する。袋を確認しても、それ以上のものはなかった。
「……普通でしたね」
「怪しいと思ったら確かめる。普通ならそれでいい」
カイルは鞄を返しながら、もう一度荷台を見上げた。今度は右奥、ほかの荷物に押し込まれた小さな麻袋で視線が止まる。
「最後に、それを下ろしてくれ」
マルコの手が一瞬止まった。返事をする前に荷台の奥へ目を向けたのを、リナも見逃さなかった。
「香辛料です」と御者が答える。
「そうか。じゃあ中身を見よう」
カイルは表情を変えず、袋を受け取ると底の縫い目を指先でなぞった。そこだけ布が厚く、押すと不自然に硬い。内側の縫い合わせを調べると、隠し袋から小さな紙包みがいくつも見つかった。
包みの一つを開いた途端、深紅の粉が鮮やかに光を受ける。強い香りはしないのに、指先の周囲が微かに熱を帯びた。
「火竜胡椒だな」
「火竜の……?」
「火山地帯で採れる高級香辛料だ。火竜から採るわけじゃないぞ」
「まだ何も言ってません!」
「顔に出てた」
いつもの調子で返したカイルだったが、マルコへ向き直った声は落ち着いていた。
「申告書に記載がない。どうして隠した?」
マルコは目を伏せ、しばらく黙ったあとで肩を落とした。
「……税を少し、浮かせられないかと思いまして」
リナは帳面の申告欄を見直す。火竜胡椒の記載はなく、紙包みはわざわざ袋の底へ隠されている。禁制品ではなくても、税を逃れるために申告しなかったとなれば話は別だった。
「持ち込み自体は認められてる。ただし申告が必要だ。今回は規定の手続きと追徴税がある」
「……はい。申し訳ありません」
カイルはマルコを決めつけるような言葉を使わず、未申告品の数量を数えてから必要な手続きを説明した。リナも別班の検査の妨げにならないよう記録台を空け、品目と数量を書き直す。処理を終えたマルコは深く頭を下げ、荷物を積み直して市場へ向かった。
馬車の背中が門の奥へ消えるのを見送りながら、リナは隣の先輩へ向き直った。
「最初から、あの麻袋が気になってたんですか?」
「多少な。俺が樽や鞄を見ていたとき、御者も同じ場所を見てた。ところが荷台の右側へ回ったときだけ、あいつは俺より先に奥の袋を見た」
「それに気づいたんですか?」
「袋も押し込みすぎてたしな。もっとも、見てみなきゃ分からん」
リナは荷台のあった場所を振り返る。自分は品物そのものばかり追っていたが、カイルは荷の重さや配置に加え、持ち主の視線まで確かめていた。旅行鞄のように何も出ないこともある。それでも思い込みで決めつけず、必要な確認を怠らないのが経験というものなのだろう。
「……少し見直しました。こういうときは、ちゃんと頼れる先輩ですね」
「こういうときは、って余計だろ」
リナは笑って帳面を閉じかけたが、ふと最初の検査を思い出した。
「そういえば、前輪を蹴ったのにも何か理由があったんですか?」
「いや。ちょっと軋んでる気がしてな」
「密輸とは関係なかったんですか!?」
「車輪が壊れたら市場まで着けないだろ。大事だぞ」
もっともらしく頷いたカイルは、何事もなかったように門柱へ戻っていく。リナはその背中を睨んだあと、まだ続く街道の列へ視線を戻した。
先輩の観察眼は本物だと思う。車輪の心配までしていたのも、仕事のうちなのかもしれない。
……ただ、もう少し普通に説明してくれればいいのに。
【リナの日記】
今日はカイルさんが自分から馬車の検査を始めた。珍しいと思ったら、荷台をちらっと見て「よし」。その次は車輪を蹴った。
なんで!?
でも、ちゃんと見ていた。床板の沈み方で重い樽を見つけたし、荷物の配置や御者さんの視線まで覚えていた。私は積み荷を確認するので精一杯だったから、そこは素直にすごいと思う。
樽の中身はスライムのぬか漬けだった。スライムって漬物になるんだ……。しかもカイルさん、薄く切って炙ると酒に合うって言ってた。
今度市場で見かけても、私は買わない。たぶん。
旅行鞄には風魔法が付与された下着が入っていた。女性用だったのでびっくりしたけど、御者さんは自分で使うそうだ。「履いたらいけませんか?」って聞かれて、何も言えなくなった。
いけなくない。法律にも違反してない。人の好みに口を出すことじゃない。分かってるのに、私だけ動揺してしまった。
その下から銀貨が出たときは何かあるのかと思ったけど、ただの旅費。怪しいと思ったものが全部悪いものとは限らないんだね。
最後に見つかった火竜胡椒は、本当に申告されていなかった。税を浮かせるために隠していたらしく、追徴税が必要になった。持ち込みが認められている品でも、申告を隠していいわけじゃない。
どうして分かったのか聞いたら、御者さんの視線が気になったんだって。カイルさんって、普段あんなに眠そうなのに、見るところはちゃんと見てるんだな。
……ちょっと格好よかった。
本当にちょっとだけ!
ただし、最初の車輪は何だったんですか。理由を聞いたら「車輪は大事だぞ」って。
分かってます! そういう話じゃないんです!!
【今日の教訓】
怪しいと思っても、確かめるまでは決めつけないこと。見た目や好みだけで相手を判断しないこと。そして、荷物だけでなく、持ち主の反応にも注意を払うこと。
……先輩の仕事ぶりは見習いたい。
ただし、説明の仕方まで真似する必要はないと思う。




