第4話 新人衛兵と高名な剣士!?
昼を少し過ぎた王都南門では、朝方の混雑がようやく落ち着き、門を抜ける商人や旅人の足取りにも余裕が戻り始めていた。暖かな陽射しが石畳を照らし、街道から吹き込む風には土埃と、王都の食堂から漂う昼食の香りが混ざっている。リナは記録台で商人の通行証を確認し、帳面の最後の項目へ印を付けた。
「はい、問題ありません。どうぞ」
礼を言って去る商人を見送り、次の入都者へ声をかけようとしたところで、リナの目が一人の男に留まった。
肩まで伸びた茶色い髪を後ろで束ね、革の胸当ての上から鮮やかな赤い外套を羽織っている。腰には銀の装飾が施された長剣が吊られ、革靴も手袋も妙に磨き込まれていた。整った顔立ちに短い髭まで備えているのだが、必要以上に胸を張った立ち姿が、旅人というより舞台役者を思わせる。
「次の方、どうぞ」
男はすぐには進まず、外套を大きく払ってから悠然と検査位置へ歩み寄った。リナは少し不思議に思ったものの、いつも通り帳面を開く。
「お名前をお願いします」
「……ほう。私の顔を見ても分からぬか」
男が意味ありげに微笑んだため、リナは改めてその顔を確かめた。どこかで見た記憶はないし、特に知り合いでもない。
「すみません。以前、お会いしましたか?」
「いや」
「では、お名前をお願いします」
男の笑みが消えた。信じられないものを見るような目でリナを見つめたあと、今度は門柱に寄りかかっているカイルへ顔を向ける。
「そちらの衛兵なら、私を知っているだろう?」
「俺か?」
カイルは眠そうな目を細め、男の顔をしばらく眺めた。
「……誰だ?」
「カイルさんも知らないんですね。よかった」
「なぜ安心する!?」
「私だけ知らないのかと思ったので。あの、後ろも並んでいますから、お名前を教えてもらえますか?」
男は周囲の視線を集めるように咳払いをし、深く息を吸った。
「ならば聞くがいい。その名を心へ刻め!」
「帳面にも書きますので、どうぞ」
「我が名はレオン・グランツ! 各地を巡り、数多の魔物を斬り伏せ、幾多の強敵を退けてきた高名な剣士、レオン・グランツである!」
ちょうど吹き込んだ風が赤い外套を広げる。本人としては申し分のない名乗りだったのだろう。リナは名前を帳面へ記し、顔を上げた。
「レオン・グランツさんですね。ありがとうございます」
「……それだけか?」
「ほかにもお名前があるんですか?」
「そうではない! 高名な剣士だと言っている!」
「ご自分で言うんですね」
思ったことが口をついて出た瞬間、列の後方から噴き出す声がした。レオンが振り返ると、旅人たちは一斉に目を逸らす。剣を携えた冒険者たちまで互いの顔を見合わせていた。
「まさか、ここに私の名を知らぬ者しかいないというのか!」
「少なくとも俺は知らんな」とカイルが答えると、後ろの商人も首を振った。さらに冒険者の一人が「レオン……何だっけ?」と呟いたため、本人が「グランツだ!」と大声で訂正する始末である。
「なるほど。本人が思っているより知られてないんだな」
カイルの感想に、レオンの頬が引きつった。
「なぜ貴様が冷静に分析している!?」
リナはこれ以上続けると後ろの列に迷惑がかかると判断し、帳面を指で軽く叩いた。
「有名かどうかに関係なく、入都の手続きは同じです。目的と滞在予定を教えてください」
「……剣の修行だ。滞在は三日ほどを考えている」
「承知しました。身分証と荷物、それから武器を確認しますね」
レオンの身分証と旅用品に特別な問題はなかった。長剣も一般的な携行武器として扱えるため、リナは王都内での規則を説明する。
「剣を持ち込むことはできますが、正当な理由なく街中で抜くことは禁止です。訓練には指定された施設を利用してください」
「待て。貴様らは、どうやら私の実力を理解しておらぬようだな」
「入都審査では剣の腕前は調べませんので」
「剣士としての名誉に関わるのだ!」
「名誉があっても規則は同じです」
レオンは返事に詰まり、ますます大きく胸を張った。周囲の誰一人自分を知らなかったことが、よほど悔しかったらしい。
「よかろう。ならば我が剣技、その目に焼き付けるがいい!」
外套を跳ね上げて腰を落とすと、右手が長剣の柄を握った。
その瞬間、リナの表情が変わった。門前には商人も旅人も、子供連れの家族もいる。抜剣の禁止を説明した直後に、ここで剣を抜かせるわけにはいかない。
「抜いちゃ駄目です!」
記録台に立て掛けていた長棒を掴み、左足を踏み込む。リナは剣を抜こうとする手元を下から制するつもりで、棒先を鋭く跳ね上げた。幼い頃から身につけた棒術の動きは、考えるよりも早く身体に現れていた。
しかし、レオンも格好よく抜刀しようと深く腰を沈めたところだった。互いの動きが重なり、長棒の先端が、本来なら決して当たってはいけない急所を直撃した。
「――――っ!?」
レオンの身体がびくりと跳ね、抜きかけた剣が鞘の途中で止まる。見開かれた目は一点を見つめ、口だけが半開きになったまま、先ほどまであれほど喋っていた男が一言も発しなくなった。
「あ……」
リナも凍りついた。どこに当たったのかを理解するや、背筋に冷たいものが走る。
「レ、レオンさん? 大丈夫ですか?」
返事はない。レオンの顔から血の気が引き、剣の柄を離した右手が震えながら股間へ下りていく。両膝が内側へ入り、誇らしげに張っていた胸が折れ曲がると、額から脂汗が噴き出した。
「……っ、ぅ……!」
喉の奥から掠れた音が漏れたものの、言葉にはならない。とうとう石畳へ膝をつき、両手で急所を押さえたまま身体を丸めてしまった。
「だ、大丈夫ですか!? 立てますか?」
リナが近づこうとすると、レオンは小さく首を振った。呼吸を整えようとしているのだろうが、痛みが波のように襲ってくるらしく、しばらく動けそうにない。
異変に気づいた周囲の男たちが、揃って顔を青ざめさせた。若い冒険者がそっと両脚を閉じると、隣の商人も、後ろにいた農夫も同じ姿勢になる。
「……うわ、あれは……」
「言うな。見てるだけで痛い」
「俺だったら立てないぞ……」
誰もが気の毒そうにレオンを見守る一方、何人かは無意識に自分の股間の前へ手を重ねていた。リナはその様子に困惑しながら、握っていた長棒を下ろす。
「皆さんまで、どうしたんですか?」
男たちの視線が一斉に棒先へ向かい、リナが持ち直しただけで、何人もが反射的に半歩下がった。
「えっ、なんで下がるんですか!?」
理由が分からずリナが一歩近づくと、相手もまた一歩下がる。話しかけるつもりが、妙な追いかけっこになりかけていた。
その中でカイルだけは門柱にもたれたまま、いつもの眠そうな表情を崩さなかった。ただし、普段はだらしなく開いている脚が、今日は不自然なほどきっちり閉じられている。
「……カイルさん、脚を閉じてません?」
「勤務中だからな」
「さっきまでそんな立ち方じゃなかったですよね?」
「姿勢を正しただけだ」
「急に勤務態度を改善しないでください!」
カイルは返事の代わりに、まだ石畳で丸くなっているレオンへ目を向けた。
「……しかし、見事に入ったな」
「「言うな!!」」
周囲の男たちの声が重なった。リナは驚いて肩を跳ねさせたが、レオンは反応する余裕もなく、両膝を抱えるようにして痛みに耐えている。
剣は結局、鞘から抜かれなかった。もっとも、だからといって済ませてよい話でもない。リナは長棒を脇へ置くと、レオンの顔色と受け答えを確かめ、もう一班の衛兵に門前の誘導を頼んだ。
「すみません、こちらの方を休ませたいので、少し場所を空けてください!」
カイルもようやく門柱から離れ、他の衛兵と協力してレオンを通行の妨げにならない場所へ移す。冷や汗を流す本人がまだ立てないため、無理に動かさず、必要なら治療師を呼べるように手配した。
「……私、腕を止めるつもりだったんです」
「分かってる。人前で剣を抜かせなかったのは正しい。ただ、当たった場所が悪かったな」
カイルの言葉に、リナはしゅんと肩を落とした。レオンは痛みで声も出せないままだったが、しばらくしてようやく呼吸が落ち着き、親指で小さく大丈夫だと合図した。
自称高名な剣士レオン・グランツは、その日、王都南門でついに一度も剣技を披露できなかった。
◇ ◇ ◇
数日後、王都の冒険者酒場では、南門で起きた珍事がすっかり酒の肴になっていた。夕刻の店内には麦酒の木杯が卓を叩く音が響き、焼いた肉の匂いと笑い声が入り混じっている。その一角で、冒険者たちが妙に真剣な顔を寄せ合っていた。
「おい、南門にとんでもない新人女衛兵がいるらしいぞ」
「新人? どんな奴だ?」
「棒術の使い手でな、剣を抜こうとした男を一撃で沈めたそうだ。名前はリナ・フェルド。もう二つ名まで付いてる」
若い冒険者が感心したように身を乗り出す。
「なんて呼ばれてるんだ?」
話していた男は周囲を確認すると、なぜか声を落とした。
「――《ゴールデンロッドのリナ》」
「おお、強そうじゃないか。どんな技を使うんだ?」
返事が途絶えた。隣の冒険者は木杯を置き、事件を目撃していた男は遠い目でそっと両脚を閉じる。
「……男なら、その衛兵の前で迂闊に剣を抜くな」
「なんでだよ?」
「抜こうとした剣士がいた。そいつは、剣を最後まで抜けなかった」
「それだけか? どうやって止めたんだ?」
「……聞くな」
「気になるだろ!」
「知らない方が幸せなこともある。特に男にはな」
事情を知る者たちが揃って神妙に頷いたため、若い冒険者まで何となく脚を閉じ、それ以上は尋ねなかった。
こうして王都の冒険者たちの間に、《ゴールデンロッドのリナ》という妙に勇ましい二つ名が広まり始めたのである。肝心の本人が、その由来を知るまでにはもう少し時間がかかった。
【リナの日記】
今日、カイルさんから変な話を聞いた。最近、冒険者さんたちの間で私に二つ名が付いているらしい。
《ゴールデンロッドのリナ》。最初はちょっと格好いいと思った。棒術を使うからロッドなのかな、とも思った。
でも、由来を聞いて全部分かった。
あの自称高名な剣士の人だった!!
違う!! あれは事故です!! 私は剣を抜こうとした腕を止めようとしただけです! あの人が急に腰を落としたんです!!
なのに最近、南門に来る男性の冒険者さんが妙に素直だと思ったら、これが原因だったらしい。
今日なんて「武器の確認をお願いします」と言いかけただけで、「抜きません!!」って言われた。
まだ抜けなんて言ってません!!
あと、私が長棒を持ち直すたびに脚を閉じるのもやめてください!! 私は普通の衛兵です! そんな恐ろしい二つ名で呼ばないで!!
もちろん、怪我をさせたことは反省している。あのときは本当に焦ったし、次は相手の動きも考えて止めなくちゃいけない。
でもカイルさんが「高名な剣士より先に高名になったな」って笑っていたのは、全然納得できない。
腹が立つ。すごく腹が立つ。
明日、棒術の訓練に付き合ってもらおうかな。
【今日の教訓】
王都の門前で剣を抜こうとする人は、きちんと止めなければならない。
でも、止める場所と力加減には十分気をつけること。相手の動きが重なることだってある。
それから、二つ名は自分の知らないところで勝手に広まるらしい。
……お願いだから、もう少し普通の二つ名にしてください!!




