第3話 新人衛兵と黒騎士
王都南門へ続く街道には、朝から旅人や荷馬車が絶え間なく行き交っていた。石畳を打つ蹄の音と車輪の軋みが商人たちの声に混じり、城壁の向こうでは畑の作物が穏やかな風に揺れている。リナ・フェルドは風に運ばれてきた土埃に目を細めながら、記録台の前で商人の通行証を確認していた。南門ではもう一班も並行して検査を進めており、朝の混雑はようやく落ち着きつつある。
「はい、問題ありません。どうぞ」
礼を言って荷車を押していく商人を見送ったリナは、帳面のページをめくり、次の入都者に声をかけようとして動きを止めた。
列の先頭にいたのは、一人の騎士と一頭の黒馬だった。男は黒鉄色の胸甲と肩当てを身につけ、鎖帷子の上から黒い外套を羽織っている。鎧には長旅でついた細かな傷があったものの、泥も錆も丁寧に落とされており、腰の長剣も華美な装飾のない実用品だった。三十代半ばほどの端整な顔立ちには少し青白さがあったが、落ち着いた目元と礼儀正しい立ち姿は、いかにも物語に出てくる騎士らしい。
連れている黒馬も堂々とした体格で、荷車が近くを通っても動じない。主人が歩調を緩めれば自然に速度を合わせ、手綱を強く引かれることもなく静かに寄り添っている。
「次の方、どうぞ」
騎士は検査位置で足を止めると、手綱を握ったまま丁寧に一礼した。
「ご苦労様です。アルベルト・クロウと申します」
「入都の目的と滞在期間を教えてください」
「王都に住む古い友人を訪ね、馴染みの工房で剣と鎧を整備してもらう予定です。滞在は五日ほどになります」
宿泊証と身分証はすぐに提示され、記載内容にも不備はなかった。必要書類を準備したうえ、質問にも簡潔に答えてくれる。リナにとって、これほどありがたい入都者は珍しい。
「ありがとうございます。立派な馬ですね。名前は何というんですか?」
「ノワールです。長年ともに旅をしてきた相棒でして、私の身体のこともよく理解してくれています」
「身体のこと?」
「……いえ、こちらの話です」
少し妙な言い方だったが、リナはそれ以上聞かなかった。ノワールが差し出した手の匂いを嗅ぎ、穏やかに鼻先を寄せてきたので、つい頬が緩む。
剣の携行について注意事項を伝え、鞍袋の中身を確認する。着替え、毛布、携帯食料、火打ち石、馬の手入れ道具。どれも申告どおりで、検査は驚くほど順調に進んだ。隣でいつものように門柱へ寄りかかっているカイルを呼ぶ必要もなさそうだ。
「では、反対側の鞍袋もお願いします」
「承知しました。……おや、留め具が落ちていますね」
アルベルトは馬の腹の近くに落ちていた小さな金属片を拾おうと、腰を曲げた。リナも何気なくその動きを目で追う。鎧が軋み、黒い外套が前へ垂れ、男の首がゆっくりと下を向いた。
ずるっ。
その首が、横へずれた。
「……え?」
次の瞬間、アルベルトの頭が肩から離れ、ごとん、と石畳へ落ちた。短い黒髪と青白い顔がごろごろと転がり、ノワールの前脚のそばで止まり黒馬は静かに首を下げ、転がった主人の顔へ鼻息を吹きかけた。
「分かっている。今拾う」
頭が普通に喋った。
リナはまばたきもできなかった。顔のない身体がすっと起き上がり、首元に薄い黒い靄を漂わせたまま、自分の頭へ向かって歩き出したのである。
「く、く、く……」
「どうした、リナ?」
異変に気づいたカイルの声が聞こえた途端、リナの喉から悲鳴が飛び出した。
「首ぃぃぃぃぃ!!」
待機列の旅人たちが一斉に振り向き、隣の検査班まで何事かと顔を上げる。首のないアルベルトの身体は敵意がないことを示すように両手を上げたが、その説明は足元から聞こえてきた。
「落ち着いてください。私はデュラハンです」
「先に言ってください!! それに、どこから喋ってるんですか!?」
「こちらです」
「分かってます! 分かるから怖いんです!」
横向きの頭が困った顔で見上げてくる。リナが思わず長棒を握り直すと、近づいてきたカイルが状況を眺めて頷いた。
「なるほど、デュラハンか」
「なんでそんなに冷静なんですか!?」
「珍しいが、別に悪いことをしてるわけじゃないからな」
それはそうだ。確かにそうだが、問題はそこではない。アルベルトの身体は黒馬の足元で頭を拾い、頬についた砂と髪に絡まった小石を丁寧に払ってから、両手で首へ載せ直した。黒い靄が一瞬揺れ、顔は元の位置に収まる。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。検査を続けていただけますか?」
「……続けるんですね」
「まだ反対側の鞍袋を確認されておりませんから」
本人のほうが衛兵の手順を覚えているような返答だった。リナは深く息を吐き、残りの荷物に向き直ったが、予備の蹄鉄や手入れ油を確かめている最中も、ついアルベルトの首へ目が向いてしまう。
「気になりますか?」
「……少しだけ。頭はいつもあんなふうに外れるんですか?」
「普通に生活していれば滅多に落ちません。先ほどは深く俯きすぎました」
「今、普通に落ちましたよね?」
「以後、気をつけます」
アルベルトが申し訳なさそうに頭を下げた。
ずるっ。
「あっ!」
リナは反射的に両手を伸ばし、落ちかけた頭を左右から挟んだ。至近距離で目が合い、二人とも一瞬動けなくなる。
「……ありがとうございます」
「頭を下げないでください!!」
「失礼しました」
「謝るときも頭を動かさないでください!」
慎重に手を離した直後、今度はノワールが主人の肩に鼻先を寄せた。ぐらりと傾いた頭を、リナが再び押さえる。
「ノワールまで! もう少し優しくしてください!」
「腹が減ったようです。普段は気をつけてくれるのですが……」
アルベルトが黒馬の鼻筋を撫でると、ノワールは今度こそ胸当てへ鼻を寄せた。リナはその仕草にほっとしたものの、どうして荷物検査より頭の落下防止に神経を使っているのか、分からなくなっていた。
「しかし、便利そうだな」とカイルが言った。
「何がです?」
「頭を外せること。狭い所を覗くときなんか楽だろ」
「確かに便利ですよ」とアルベルトまで真顔で頷く。「馬車の下を調べるなら、身体ごと潜る必要がありませんから」
「頭だけ下に入れるんですか!?」
「高い棚の上を見るときも、このように持ち上げれば――」
「実演しなくていいです! 今日はもう外さないでください!」
アルベルトは素直に手を下ろした。礼儀正しさだけは、頭が落ちてもまったく変わらないらしい。
やがて荷物と書類の確認がすべて終わった。禁制品も危険物もなく、武器の携行にも問題はない。首が外れるという衝撃的な特徴を除けば、アルベルトはむしろ模範的な入都者だった。
「……問題ありません。入都を許可します」
「ありがとうございます」
アルベルトが反射的に頭を下げようとしたので、リナは慌てて手を突き出した。
「そのままで! お礼は身体だけでお願いします!」
「承知しました」
騎士は首を真っ直ぐに保ったまま、上体だけを丁寧に傾けた。その律儀な姿に、リナは感心すればいいのか疲れればいいのか迷う。
出発前、アルベルトは検査台の脇に置いていた兜を思い出し、顎紐をしっかり留めて被った。
「兜を着ければ、頭も落ちにくくなりますので」
「それなら最初から被っていればよかったんじゃ……」
「入都検査では顔を確認していただく必要があると思いまして」
あまりにもっともな答えに、リナは言葉を失った。確かに顔を隠したままでは身元の確認がしにくい。頭が落ちることより検査への協力を優先したのだと思うと、相手を責める気にもなれなかった。
アルベルトはノワールの手綱を取り、今度こそ門をくぐっていく。黒い外套を揺らす騎士と、その隣を歩く黒馬。後ろ姿だけを見れば、絵物語に登場する立派な騎士そのものだった。
「……普通にいい人でしたね」
「そうだな」
「首は落ちましたけど」
「デュラハンだからな」
リナが何とも言えない顔でその背中を見送っていると、門の内側を通りかかった荷馬車の覆い布が風を受け、大きくはためいた。
驚いたノワールが横へ跳ぶ。手綱を引かれたアルベルトの身体がぐらりと傾き、兜ごと頭が宙へ飛び出した。
「えっ、また!?」
兜が石畳に落ち、顎紐が外れる。中から飛び出した頭はごろごろと転がり、慌てて追いかける首のない身体をよそに、ノワールの前脚のそばで止まった。
「ノワール! そのままにしてくれ、今拾う!」
黒馬は足元の頭を見下ろした。主人と目が合うと、前脚をゆっくり持ち上げる。
「……待て、ノワール」
ぽこん。
蹄が頭を軽く蹴った。強く蹴り飛ばしたわけではないのに、丸い頭は石畳を気持ちよく転がり、一直線に南門へ戻ってくる。
「ノワール!? そっちではない!」
「ちょっと! なんでこっちに来るんですか!?」
石畳に頭をぶつけ続けさせるわけにもいかず、リナは慌てて駆け寄って腰を落とし、両腕を差し出した。
ころん。
アルベルトの頭が、ちょうどその両手へ収まる。またしても至近距離で目が合った。
「……お手数をおかけします」
「なんで最後にまた私が頭を持ってるんですか!!」
首のない身体がこちらへ走ってくる一方、ノワールは満足そうに鼻を鳴らしている。カイルは黒馬を眺め、感心したように笑った。
「賢いな。ちゃんと返したぞ」
「私に返さなくていいです!!」
追いついたアルベルトへ頭を差し出すと、彼は礼儀正しく受け取り、首へ戻した。リナは念のため兜がしっかり留まったことを確認してから、もう一度ノワールを睨む。
「……絶対わざとですよね?」
黒馬はリナを見つめ返し、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
「お前なら受け止めると思ったんじゃないか?」
カイルの言葉に、リナは両手を握り締めた。
「私を頭受け取り係にしないでください!!」
【リナの日記】
今日は立派な黒い鎧を着た騎士が来た。名前はアルベルトさんで、愛馬のノワールも賢くて大人しい。身分証も荷物もきちんとしていて、久しぶりに何も起こらず検査が終わると思った。
首が落ちた。
本当に、石畳をごろごろ転がった。しかも喋った。デュラハンだった。
先に言ってほしい!! 種族を申告する決まりがないことは分かってるけど、心の準備というものがあるでしょう!?
本人は砂を払って頭を戻すと、何事もなかったように検査の続きをお願いしてきた。途中で頭を下げてまた落ちかけるし、ノワールに押されても傾くし、私は荷物より首元を見ていた気がする。
カイルさんは「狭い場所を見るのに便利そうだ」と言っていた。アルベルトさんまで同意していた。……ちょっと便利そうだと思ってしまったのが悔しい。
それでもアルベルトさんは、とても礼儀正しい人だった。顔を確認しやすいように兜を外してくれていたらしい。そこまで検査に協力してくれたことには、ちゃんと感謝したい。
でも最後!!
ノワールが主人の頭を蹴って、私のところへ返してきた。しかも綺麗に両手へ収まった。
返さなくていい!! 私は頭受け取り係じゃない!!
ノワールは絶対わざとだと思う。最後にこっちを見て鼻を鳴らしてたし。
明日は首の落ちない人が来てほしい。普通の人。本当に普通の人。
……最近、この日記で何回これを書いているんだろう。
【今日の教訓】
外見だけで相手を判断しないこと。どんな種族でも、礼儀正しく規則を守る人はいる。
それから、落とし物を拾うのも衛兵の仕事かもしれないけれど――
頭まで受け取るとは聞いていない!!




