第14話 新人衛兵と迷子の獣人少女
午後の王都南門には、昼の混雑が一段落したあとも絶え間なく人と荷車が行き交っていた。城壁の外へ続く街道には旅人や商人が列を作り、荷を積んだ馬車が車輪を軋ませながら少しずつ門へ近づいてくる一方、王都側からは用事を終えて外へ向かう者たちが行き交い、巨大な門の下では人の話し声や馬の蹄、衛兵たちの確認の声が重なり合っている。
南門の入都検査は今日も二班が並行して担当しており、片方の班では野菜を積んだ荷車の確認が進められ、その少し離れた場所ではリナとカイルが旅人たちを順番に処理していた。特に問題のある入都者もおらず、提出される身分証と申告された荷物を一つずつ確かめていけば済む、門番としてはありがたい部類の午後だった。
「身分証をお返しします。入都して大丈夫です」
「ありがとう、衛兵さん」
リナが身分証を返すと、旅装姿の男性は軽く頭を下げ、大きな背嚢を担ぎ直して門の向こうへ歩いていった。その背中を見送ってから記録板へ必要事項を書き込み、次の入都者を呼ぼうとしたところで、リナは背後――つまり王都側から近づいてくる小さな足音に気づいた。
ぱたぱた、ぱたぱたと、子供らしい軽い足音が石畳を叩いている。門の仕事をしていれば王都側を歩く子供など珍しくないため、リナは特に気にも留めなかった。
だからこそ、その声が自分へ向けられたものだとは思わなかった。
「ママーーー!!」
「え?」
振り向く暇もなかった。背後から小さな身体が勢いよくぶつかり、そのままリナの腰へ二本の腕がぎゅっと回される。予想していなかった衝撃にリナは身体を強張らせ、手にしていた記録板を落とさないよう咄嗟に胸元へ抱え込んだ。
「ママぁ……!」
「えっ!? な、なに!?」
腰へしがみついた何者かは離れるどころか、ようやく探していた相手を見つけたとでもいうようにリナの背中へ顔を埋めた。柔らかな頬が制服越しに背中へ押しつけられ、すりすり、ぐりぐりと擦りつけられるたびに、腰へ回された腕にも力がこもる。
「ちょ、ちょっと待って!? 誰!? なに!?」
状況が理解できないリナは両手を中途半端に持ち上げたまま固まり、首だけをどうにか後ろへ向けようとするが、自分の腰へぴったり張りつかれているため顔までは見えない。代わりに見えたのは、小さな頭の上から生えた三角形の獣耳と、腰のあたりで安心した気持ちを表すように左右へ大きく揺れている茶色い尻尾だった。
どうやら獣人の子供らしい。
その様子を、隣で次の入都者の身分証を受け取ろうとしていたカイルも見ていた。カイルの手が止まり、リナの腰へしがみつく小さな女の子と、突然の出来事に両手を浮かせたまま固まっているリナを見比べると、いつも眠そうな目を僅かに細めた。
「……リナ」
「……なんですか」
「子供もいたのか……」
「いるわけないでしょう!?」
南門にリナの声が響き、近くにいた旅人が振り向き、隣の班の衛兵まで一瞬こちらを見る。
「何なんですか、『も』って! 『も』って!」
「いや。ママって呼ばれてるから」
「呼ばれた私が一番驚いてるんですよ!」
「旦那は?」
「いません!!」
「……大変だな」
「違いますからね!?」
反射的に言い返してから、リナは腰へしがみついたままの子供を怖がらせないよう、できるだけゆっくり身体を回した。
「ほら、お姉ちゃんはママじゃ――」
女の子もようやく顔を上げた。
「…………」
「…………」
目が合った。四、五歳ほどだろうか。茶色い髪の間から同じ色の犬らしい耳が覗き、大きな瞳の周りには泣いた跡が残っている。頬にも涙の筋が残っていたが、リナを母親だと思い込んでいたためか、つい先ほどまでは安心しきった表情をしていた。
ところが、正面からリナの顔を見た途端、その表情が変わった。女の子の獣耳が、ぴん、と立つ。
「……ママじゃない」
「うん。そうだよ。お姉ちゃんは――」
怖がらせないよう、リナはできるだけ優しい笑顔を作った。女の子はそんなリナの顔をじっと見つめた。
「……ママより目つき悪い」
「…………」
笑顔のまま、リナが固まった。隣でカイルが顔を背ける。
「カイルさん」
「なんだ」
「今、笑いました?」
「笑ってない」
「肩が震えてますけど!?」
「気のせいだ」
女の子はもう一度リナの顔を見上げると、今度は自分の目元を小さな指で示した。
「ママ、もっとやさしいおめめ」
「トドメささないで!?」
思わず声を上げたリナだったが、女の子はそこでようやく、自分が抱きついた相手が本当に母親ではないことを理解したらしい。先ほどまでぴんと立っていた犬耳が、ゆっくりと横へ倒れていく。
「……ママ?」
小さな顔が周囲を見回す。知らない人、知らない衛兵、大きな門、行き交う馬車。そのどこにも母親の姿はない。
「……ママ、どこ?」
震える声とともに大きな瞳へみるみる涙が溜まっていくのを見て、リナの表情から抗議の色が消えた。
「あ……」
迷子だ。
そう気づいた瞬間、リナは記録板を脇へ置き、女の子を驚かせないようゆっくりと膝を曲げた。石畳の上へ片膝をついて同じくらいの高さまで目線を下げると、泣きそうな女の子の顔を正面から見る。
「大丈夫だよ。お姉ちゃん、衛兵だからね。お母さん、一緒に探そう」
「……ほんと?」
「うん。ちゃんと探すから、大丈夫」
リナが頷くと、女の子は唇をきゅっと結んだままリナを見つめ、やがて小さく頷いた。
その様子を見ていたカイルも、さすがにからかうのをやめて周囲を確認した。
「迷子か」
「みたいですね」
リナは立ち上がりながら、女の子がまた不安にならないよう小さな手を握った。
「どうしましょう。まず名前と、どこではぐれたかを――」
「そうだな」
カイルは頷き、入都検査を待つ列を見る。
「じゃ、俺は検査に戻る」
「はい――え?」
「あと頑張れ」
「ちょっとカイルさん!?」
カイルは既に次の旅人へ向き直っていた。
「仕事がある」
「私にもありますよ!?」
「今のお前には迷子もある」
「勝手に追加しないでください!!」
「次の方、身分証を」
「聞いてくださいよ!」
しかし、カイルの言っていること自体は間違っていない。迷子一人のために二人揃って通常の検査から抜ける必要はなく、隣の班も含めて南門には入都を待つ者たちがいる以上、誰かが通常業務を続けなければならない。……理屈は分かるからこそ腹が立つ。
「……もう」
リナは小さく息を吐くと、改めて女の子の前へしゃがんだ。
「じゃあ、まずお名前を教えてくれる?」
「ミミ!」
「ミミちゃんね」
ハキハキ答えてくれるしこれなら大丈夫かなと、リナは少し安心した。
「お母さんのお名前は?」
「ママ!」
「…………」
いきなり止まった。
「うん。ママだね。でもね、お姉ちゃんが知りたいのは、ママのお名前なの」
「ママ」
「例えば……ミミちゃんにも『ミミ』っていうお名前があるでしょう? ママにもお名前があるよね?」
ミミは真剣な顔でしばらく考えた。
「……ママ!」
「駄目かぁ……」
リナは思わず肩を落とし、横を見る。カイルは旅人から受け取った身分証を確認している。
「カイルさん」
「次。入都目的は?」
「カイルさん?」
「王都での滞在予定は?」
「聞こえてますよね!?」
返事はない。仕方なくリナはミミへ向き直った。
「じゃあ、どこでママとはぐれたの?」
「おみせ!」
「お店ね。どんなお店?」
「いっぱい!」
「いっぱい?」
「おみせ、いっぱいある!」
「……市場かな」
王都で店が多く集まる場所はいくつもあるが、幼い子供が母親と買い物に行く場所なら中央市場の可能性が高い。
「何を買ってたか覚えてる?」
「おいしいの!」
「おいしいの……」
「いいにおい!」
「何の匂いだった?」
「おいしいにおい!」
「情報が一周した……」
リナが困った顔をしている間にも、カイルの側では一人の検査が終わり、次の旅人が前へ進んでいる。
「お魚あった!」
「魚?」
「うん!」
「じゃあ魚屋さんの近くかな?」
「パンもあった!」
「パンも!?」
「おにくも!」
「中央市場っぽいけど、範囲が広い……!」
リナは額へ手を当てた。四、五歳の子供に道順や店名を期待する方が無理なのだろう。大人なら「中央市場の東側にある魚屋の前」とでも答えられるが、ミミにとって重要なのは「いっぱいお店があった」「美味しい匂いがした」という記憶らしい。
「お母さんはどんな人?」
「ママ!」
「それは知ってる!」
つい声が大きくなり、ミミの耳が少し伏せる。
「あ、ごめんね。怒ってないよ」
リナは慌てて声を柔らかくした。
「えっとね。ママの髪は何色?」
「ちゃいろ!」
「茶色。耳も?」
「ちゃいろ!」
「服は?」
「おようふく!」
「…………そうだよね」
遠くを見る。
「カイルさん……」
「頑張れ」
「それしか言わないんですか!?」
カイルは荷物を確認しながらこちらを見もしない。
「服じゃなくて、飾りとか聞いてみろ」
「飾り?」
「その歳なら色や形の方が覚えてるかもしれん」
そ れだけ言うと、カイルは再び旅人へ向き直った。リナは少し考え、ミミへ視線を戻す。
「ミミちゃん。ママ、何か綺麗なものつけてなかった?」
「きれいなもの?」
「髪とか、耳の近くとか」
ミミの耳がぴくっと動いた。
「あかいおはな!」
「赤いお花?」
「ここ!」
ミミは嬉しそうに自分の右耳の横を指差した。
「ママ、ここにおはな!」
「それだ!」
思わずリナの声が弾んだ。
「カイルさん! 赤い花の髪飾りです!」
「よかったな」
「最初から教えてくださいよ!」
「自分で考えるのも経験だ」
「便利ですね、その言葉!」
それでも情報は集まった。ミミは犬系獣人の女の子で、四、五歳ほど。母親も犬系獣人で、茶色い髪と毛並みを持ち、右耳の近くに赤い花の髪飾りをつけている。買い物籠を持っており、魚やパン、肉の店が集まる場所にいたという話から、中央市場周辺ではぐれた可能性が高い。
リナは集めた情報を班長のオスカーへ報告した。オスカーはミミを一目見て事情を理解すると、すぐに市街巡回中の衛兵へ連絡を回すよう手配し、中央市場周辺を中心に母親らしい女性を探すよう指示を出した。
「お前はその子をここで見ていろ。母親の方も衛兵を探している可能性が高い」
「分かりました」
「勝手に市場へ連れていくなよ。行き違いになる」
「はい」
リナは素直に頷いた。以前なら「自分で探しに行った方が早いのでは」と考えたかもしれないが、今は門を離れず、巡回中の衛兵へ捜索を任せる意味も理解できる。迷子の母親が南門へ来る可能性もある以上、自分たちはここでミミを保護している方がいい。
問題は、母親が見つかるまでだった。
「おねえちゃん」
「ん?」
ミミが両腕を上へ伸ばす。
「だっこ」
「…………え?」
「だっこ!」
先ほどまで不安そうだった顔には、もう随分と幼い元気が戻っている。リナは一瞬迷ったものの、まだ母親と離れて心細いのだろうと思えば断る気にはなれず、小さな身体を両脇から抱えて持ち上げた。
「よいしょ……っと」
見た目より少し重いが、腕の中へ収まったミミは嬉しそうに尻尾を振ると、すぐにリナの胸元へ頬を寄せた。
すりすり。
「おねえちゃん、いいにおい」
「そ、そう?」
「ママとちがうにおい」
「そりゃ違うよ」
リナは苦笑しながら、柔らかな茶色い髪をそっと撫でた。小さな獣耳の間を避けて頭を撫でると、ミミは気持ちよさそうに目を細め、さっきまで泣いていたのが嘘のように身体から力を抜いていく。
「すっかり母ちゃんだな」
横から声が飛んできた。
「お姉ちゃんです!」
「最初にママって呼ばれてただろ」
「間違えられただけです!」
リナが抗議している間も、カイルはきちんと仕事を続けている。身分証を返し、次の旅人を呼び、申告内容を確認しながら、ときどきこちらへ視線だけを寄越していた。
しばらくすると、泣き疲れたのか、ミミの尻尾の動きがゆっくりになっていった。リナの肩へ頬を乗せ、小さな瞼が何度も閉じかけている。
「眠くなった?」
「ねむくない……」
「そう?」
「ねむく……」
そこで小さな欠伸が出た。
「眠いじゃない」
リナが笑う。
「リナ」
「なんですか?」
「水、飲ませたか?」
「え」
カイルは書類から目を離さないまま続けた。
「結構泣いてただろ。喉渇いてるかもしれんぞ」
「……そうですね」
リナは用意していた水を少しずつ飲ませた。ミミは両手で器を持ち、思っていた以上の勢いで水を飲んでいく。
「お腹も減ってるかな……」
「勝手に食わせるなよ」
またカイルの声が飛んでくる。
「獣人は種族によって食えない物もある。母親が来るまで水くらいにしとけ」
「……分かりました」
リナは素直に頷いたあと、仕事を続けているカイルの横顔をちらりと見た。迷子だと分かった途端に「あと頑張れ」と押しつけたくせに、こちらをまったく見ていないようで、実際にはちゃんと様子を確認しているらしい。
「カイルさん」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「……次の方どうぞ」
「……聞こえてますよね?」
「仕事中だ」
それ以上は何も言わなかった。
やがてミミがリナの肩へ顔を埋めたまま、うとうとし始めた頃だった。
「ミミ!!」
王都側から女性の叫び声が響いた。その声を聞いた瞬間、それまで眠そうに伏せられていたミミの犬耳が勢いよく立ち上がった。
「……ママ!」
リナの腕の中で身体が跳ねる。
「ママ!!」
「待って、下ろすから!」
暴れるミミを落とさないようリナが急いで地面へ下ろすと、小さな足が石畳を蹴った。王都側から走ってきたのは、茶色い髪と犬耳を持つ獣人の女性だった。右耳の横には、聞き取りどおり赤い花を模した髪飾りがあり、片手には買い物籠が握られている。走ってきたせいで息は乱れ、頬には涙の跡まで残っていた。
「ママーーー!」
「ミミ!」
女性が石畳へ膝をつき、飛び込んできた娘を両腕で抱き締める。
「どこ行ってたの! ずっと探してたのよ!」
「ママぁ!」
「よかった……本当に……!」
母親は何度も娘の頭を撫で、耳や頬に触れ、怪我がないことを確かめるように小さな身体を抱き締めた。ミミも母親の胸元へ顔を埋め、今度こそ本当に安心したように尻尾を激しく振っている。
その光景を見ていたリナの肩からも、知らず知らずのうちに力が抜けていった。ほんの短い時間しか一緒にいなかったが、泣きそうな顔で「ママ、どこ?」と尋ねたミミを見ていたからこそ、母親の腕へ戻った姿を見た瞬間、胸の奥がふっと温かくなった。
「よかった……」
自然に声が漏れた。
母親はミミを抱いたまま立ち上がると、リナへ深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。市場で買い物をしていて、ほんの少し目を離した間にいなくなってしまって……」
「いえ。無事に見つかってよかったです」
「この子、人が多いところで急に走り出すことがあって……本当にすみません」
「大丈夫ですよ。怪我もしてませんでしたから」
リナが笑顔を向けると、母親もようやく安心したように微笑んだ。その腕の中で、ミミがこちらを見る。
「おねえちゃん!」
「うん?」
ミミが満面の笑顔でリナを指差した。
「ママ!」
「違うよ!?」
母親の動きが止まった。
「…………え?」
「違います! 違うんです! 最初に後ろ姿を見て間違えたみたいで!」
「ママ!」
ミミは母親を指差し、次にリナを指差す。
「こっちもママ!」
「いや、まだいないからね!?」
横で検査をしていたカイルが、とうとう吹き出した。
「カイルさん!」
「悪い」
「全然悪いと思ってないですよね!?」
母親も事情を理解したらしく、困ったように笑いながらリナと自分の姿を見比べ
た。
「でも……確かに後ろからなら、少し似ているかもしれませんね」
「え?」
言われてリナも母親を見る。背丈はそれほど違わず、髪の色も近く、体格も大きく離れているわけではない。もちろん犬耳や尻尾といった明確な違いはあるが、泣きながら母親を探していた幼児が後ろ姿だけを見れば、間違えることもあるのかもしれなかった。
リナはそこで、ふと母親の目を見る。柔らかく垂れた目元と、優しそうな瞳。
「…………」
「比べるな」
カイルが言った。
「比べてません!」
「……目つきは母親の勝ちだな」
「余計なお世話です!!」
母親が口元を押さえて笑い、ミミも意味は分かっていないだろうに楽しそうに笑った。
「でも」
カイルは次の身分証を受け取りながら、何でもないことのように続けた。
「後ろ姿だけで母親だと思って抱きついたんだろ。それだけ安心できそうな背中だったんじゃないか」
「…………」
リナは思わずカイルを見る。珍しく、本当に珍しく、少しだけいいことを言ったような気がした。
「カイルさん……」
「母ちゃんっぽいってことだな」
「台無しです!!」
やっぱりいつものカイルだった。
母親は改めてリナたちへ礼を言うと、今度は絶対に離さないというようにミミの小さな手をしっかり握った。
「ほら、帰るわよ。衛兵のお姉ちゃんにさようならして」
「はーい!」
ミミは元気よく手を振る。
「おねえちゃん、ばいばーい!」
「ばいばい。今度はお母さんから離れちゃ駄目だよ」
「はーい!」
母娘が王都の通りへ歩き出す。リナは二人の後ろ姿をしばらく見送り、ようやく迷子騒ぎも無事に終わったと安心して息を吐いた。
ところが十歩ほど進んだところで、ミミが振り返った。
「えいへいママー! ばいばーい!」
「お姉ちゃんだからねーーー!!」
南門にリナの声が響き、隣の班の衛兵が笑い、検査を待っていた旅人たちからも小さな笑い声が漏れる。母親は何度も申し訳なさそうに頭を下げながら、それでも笑顔で娘の手を引いていった。
そ の姿が人混みへ消えてから、リナはようやく確認台へ戻った。
「まったく……」
「よかったな」
「何がですか」
「十七歳で娘ができて」
「できてません!!」
「四、五歳なら、お前が十二、三歳の頃に――」
「計算しないでください!!」
「……早いな」
「そんなわけないでしょ!!」
笑いを堪えているカイルを睨みつけながら、リナは次の入都者から差し出された身分証を受け取った。突然母親にされた午後だったが、迷子は無事に本当の母親のもとへ帰った。それなら、まあ、悪くない一日だったのかもしれない。
……目つきについては、納得していなかったが。
【リナの日記】
今日、子供ができた。
違う。
できてない。
いきなり後ろから、
「ママー!」
って抱きつかれた。
顔まで背中に埋めて、
すりすりされた。
何が起きたのか分からなかった。
カイルさんには、
「子供もいたのか……」
って言われた。
「も」って何。
旦那もいません。
それから振り向いた。
女の子と目が合った。
「ママじゃない」
って言われた。
そこまではいい。
そのあと、
「ママより目つき悪い」
って言われた。
よくない。
全然よくない。
しかも、
「ママ、もっとやさしいおめめ」
って追加された。
四、五歳の子に目つきを指摘された。
ちょっと傷ついた。
でも迷子だった。
名前はミミちゃん。
犬系の獣人の女の子。
お母さんの名前を聞いた。
「ママ」
だった。
どこではぐれたか聞いた。
「おみせ」
だった。
どんな店か聞いた。
「いっぱいある」
だった。
何の匂いがしたか聞いた。
「おいしいにおい」
だった。
幼児からの聞き取り。
ものすごく難しい。
カイルさんは途中から、
「あと頑張れ」
って検査に戻った。
ひどい。
でも髪飾りを聞けって教えてくれた。
赤い花。
それでお母さんの特徴が分かった。
泣いたあとだから水を飲ませろとも言われた。
食べ物は勝手に食べさせるなとも言われた。
ちゃんと見てた。
だったら最初からもう少し手伝ってほしい。
ミミちゃんは途中からすごく懐いてくれた。
抱っこした。
頭も撫でた。
肩で寝そうになってた。
ちょっと可愛かった。
本物のお母さんが来たとき、
ミミちゃんの耳が、
ぴんっ!
ってなった。
すぐに走っていった。
お母さんも泣いてた。
見つかって本当によかった。
本当に。
でも最後に、
「えいへいママー!」
って呼ばれた。
私は十七歳。
お姉ちゃんです。
あとカイルさん。
年齢から逆算しようとしないでください。
十二、三歳で産んだわけないでしょ。
そもそも産んでません。
それから。
お母さんと目つきを比べないでください。
勝ち負けじゃありません。
明日の長棒の訓練。
カイルさんにも付き合ってもらおうと思う。
これは八つ当たりじゃない。
たぶん。




