第13話 新人衛兵と先輩の昔馴染み
午後の王都南門には、昼食時の慌ただしさが過ぎたあとの、穏やかで規則正しい喧騒が戻っていた。高く昇っていた太陽は少しずつ西へ傾き始めているものの、石造りの城壁や門前の石畳にはまだ昼間の熱が残っており、街道から吹き込んでくる乾いた
風が通り抜けるたび、荷車の幌や衛兵たちの外套の裾を小さく揺らしていく。
南門では今日も二つの班が並行して入都者の検査にあたっており、一方では荷車を引いてきた農夫の申告内容を衛兵が確認し、もう一方ではリナたちが旅人や商人の身分証を順番に確かめていた。馬の蹄が石畳を叩く音、荷車の軋む音、入都を待つ者たちの話し声が絶えず重なっているが、これといった騒ぎもなく、人の流れは順調に王都の中へ吸い込まれている。
「身分証をお返しします。問題ありません」
「ありがとう」
リナ・フェルドは中年の商人へ身分証を返し、男が荷袋を担ぎ直して門を抜けていくのを確認すると、手元の記録板へ必要事項を書き込んだ。
働き始めたばかりの頃なら、一人を通すたびに確認事項を頭の中で繰り返し、何か見落としていないか不安になっていたものだが、今では身分証を受け取る手も、質問する順番も随分と自然になっている。
「次の方、どうぞ」
呼びかけると、列の先頭から一人の男が進み出た。年齢は三十代半ばから後半ほどだろうか。日焼けした顔には薄い無精髭があり、短く切った赤褐色の髪にはところどころ癖がついている。身につけている革鎧は決して新しくなく、肩や胸元には補修された跡がいくつも残っていたが、手入れそのものは行き届いていた。
腰には片手剣と短剣、背中には弓と矢筒があり、大きな背嚢には毛布や鍋、野営道具らしい物が括りつけられている。派手さはないが、使い込まれた装備の一つ一つが、この男が長く冒険者を続けてきたことを物語っていた。
「身分証をお願いします」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
男は背嚢の肩紐を片手で直しながら、腰につけた小さな革袋へ手を伸ばした。そのとき、何気なく横へ向いた男の視線が、リナの少し後ろで止まった。
「…………」
革袋へ入れかけていた手も止まり、男は目を細めた。
「…………カイル?」
呼ばれたカイルが、記録板から顔を上げた。
「ん?」
二人の視線が合う。カイルはいつもの眠そうな目で男の顔を数秒眺めたあと、僅かに眉を上げた。
「……ガレスか」
「お前……まだ生きてたのか!」
「第一声がそれかよ」
「いや、だってお前! 何年会ってないと思ってんだ!」
「知らん」
「七年だよ!」
「そうだったか?」
「そうだったか、じゃねえ!」
いきなり始まったやり取りを前に、リナは身分証を受け取るために伸ばしていた手を宙に浮かせたまま、カイルとガレスを交互に見た。
「……お知り合いですか?」
「昔ちょっとな」
「ちょっと!? 何回一緒に依頼受けたと思ってんだ! こいつとは何回死にかけたか分からねえぞ!」
「生きてるならいいだろ」
「そういうところ全然変わってねえな!」
ガレスは呆れたように頭を掻いたものの、その顔には明らかな笑みが浮かんでいた。どうやら、本当に昔からよく知っている相手らしい。
「カイルさんと一緒に冒険者をしてたんですか?」
「ああ。こいつ、何も話してないのか?」
「昔ちょっと冒険者をしてた、くらいしか」
「ちょっとじゃ――」
「身分証」
カイルが遮った。
「……は?」
「入都するんだろ。身分証を出せ」
「今いいところだっただろ!」
「仕事中だ」
「カイルさん」
「なんだ」
「私も続きが気になります」
「仕事しろ」
「気になるんですよ!」
「お前まで乗るな」
ガレスが楽しそうに笑いながら、ようやく革袋から身分証を取り出した。
「ほら、衛兵さん」
「ありがとうございます」
リナは受け取ると、気持ちを切り替えて記載事項を確認する。
「ガレス・ウォードさん。人間、三十六歳。職業は冒険者……」
「そうそう」
「冒険者登録も有効ですね。入都目的は?」
「冒険者組合への依頼報告と、仲間との合流だ。三日ほど滞在する予定で――しかし、カイルが門番かぁ」
「話戻しましたね?」
「いやあ、驚くだろ。昔はこいつ――」
「持ち込み武器」
カイルがまた遮る。
「お前な!」
「検査だ」
「リナちゃんだったか?」
「はい」
「こいつ昔からこうなんだぞ。都合が悪くなると――」
「持ち込み武器」
「二回言うな!」
リナは笑いを堪えながらガレスの装備へ視線を移した。
「片手剣一本、短剣一本、弓が一張ですね」
「ああ。矢は二十四本。あとは予備の弦くらいだ」
「危険物や規制対象品は?」
「なし。薬草が少しあるが、普通の傷薬用だ」
「確認しますね」
「どうぞどうぞ。それでな、リナちゃん。こいつ昔は――」
「ガレス」
「なんだよ」
「余計なこと言うな」
「いいじゃねえか。減るもんでもないだろ」
「俺の平穏が減る」
「何ですか、その理由」
リナが思わず突っ込むと、ガレスはますます面白そうな顔になった。
「こいつな、昔は俺たちの兄貴分みたいなもんだったんだよ」
「…………」
リナの動きが止まった。薬草の包みを確認していた手をそのままに、ゆっくりとカイルを見る。
「…………カイルさんが?」
「なんだ、その間は」
「いえ……兄貴分……」
「ものすごく疑ってるな」
「普段のこいつだけ見てたら、そうなるよな」
ガレスが笑う。
「お前はどっちの味方だ」
「事実の味方」
カイルは面倒そうに頭を掻いたが、ガレスは止まらなかった。
「本当だぞ。新人が入ってくれば何だかんだ面倒見てたし、経験の浅い奴が危ない依頼を受けようとすれば止める。野営地を決めるときも、依頼人が怪しいときも、とりあえずカイルに聞いとけば大外れはしなかった」
「……へえ」
「カイルさん、ちゃんとしてたんですね」
「今もちゃんとしてる」
「そこは自分で言うんですね」
「失礼な後輩だな」
「でも、意外です」
「おい」
「だってカイルさん、普段は何かあるたびに面倒くさいって顔するじゃないですか」
「実際面倒だからな」
「ほら!」
ガレスが声を上げて笑った。
「そこも昔から変わってねえよ。『面倒だ』『帰りたい』『誰か代われ』って言いながら、結局最後までいるんだ」
その言葉に、リナは少しだけ目を瞬いた。思い返してみれば、カイルは変わった入都者が来れば嫌そうな顔をするし、仕事が増えれば溜め息もつく。けれど、本当にリナが困ったときには横から必要なことを教え、危険がありそうなときにはいつの間にか手の届くところへ移動している。口では面倒だと言いながら、放り出された記憶はなかった。
「……なるほど」
「何がなるほどだ」
「いえ。ちょっと納得しました」
「何にだ」
「秘密です」
「気になる言い方するな」
「特に若い連中には慕われてたぞ。こいつ自身は嫌がってたけどな」
「嫌がってたんですか?」
「だって勝手についてくるんだぞ」
カイルが答えた。
「飯食うときも来る。酒飲むときも来る。依頼選ぶときも聞いてくる。面倒だった」
「それだけ頼られてたってことじゃないですか?」
「そうとも言う」
「普通そう言います!」
「でもな」
ガレスが口元を吊り上げる。
「兄貴分ではあったけど、こいつ自身もちょいちょい抜けてたぞ」
リナの目が輝いた。
「詳しくお願いします」
「おい」
「例えば――」
「ガレス」
「酒飲んで集合時間に遅れた」
「…………」
「寝坊ですか?」
「違う」
「寝坊だよ」
「宿の親父が起こさなかった」
「お前が前の晩に『明日は絶対起こすな』って言ったんだろ!」
「寝たかったからな」
「自業自得じゃないですか!!」
リナの声が響くと、隣の班で検査を受けていた旅人まで何事かとこちらを見た。
「しかもな、そのとき俺たち全員、朝から待ってたんだぞ」
「依頼には間に合った」
「俺たちがお前を宿から引きずり出したからだ!」
「結果的に問題ない」
「問題しかないですよ!」
先ほどまで少しだけ格好よく見え始めていたカイルの昔の姿が、急速にいつものカイルへ戻っていく。
「あと、山猿に保存食を全部盗られた」
「全部!?」
「それはガレスも寝てただろ」
「見張りはお前だっただろ!」
「……カイルさん?」
「その日は眠かった」
「見張りなのに!?」
「前の日に二日分働いた」
「だからって寝たら駄目でしょう!」
「おかげで朝飯が木の実だけだった」
「お前まで寝てたんだから同罪だ」
「俺は見張りじゃなかった!」
二人の言い合いを聞いていると、カイルの冒険者時代というものが、リナの頭の中で少しずつ形になっていった。完璧な冒険者ではない。酒を飲む。寝坊する。見張り中に寝て、山猿に食料を盗まれる。それでも。
「まあ、抜けてるところはあったけどな」
それまで笑っていたガレスの声が、少しだけ落ち着いた。
「いざってときは頼れたよ」
カイルがガレスを見る。
「盗賊に囲まれたときも、魔物に追われたときも、誰かが怪我したときも、こいつがいると何とかなる気がした」
「買い被りだ」
「そういうところも変わってねえな」
ガレスは肩をすくめた。
「一番強かったわけじゃない。魔法が使えたわけでもないし、剣ならもっと上手い奴もいた。でも、誰かが怪我したら最初に気づくし、若い奴が無茶しようとしたら止めるし、逃げるときは一番後ろに残る」
その言葉を聞いた瞬間、リナは思わずカイルの横顔を見た。本人は相変わらず面倒そうな顔をしている。
「ガレス」
「なんだ」
「喋りすぎだ」
「七年ぶりなんだからいいだろ」
「よくない」
「照れてんのか?」
「次の確認に進みたいだけだ」
「照れてます?」
リナが覗き込む。
「リナ」
「はい」
「仕事しろ」
「誤魔化しましたね?」
「仕事だ」
カイルは記録板を指で軽く叩いた。リナは少し笑いながら荷物の確認へ戻ったものの、先ほどの言葉は妙に頭へ残っていた。
「それでな、こいつ一回――」
「まだあるんですか?」
「あるある」
「……リナ」
「なんですか?」
「隣、もう五人くらい終わったぞ」
「誰の知り合いのせいですか!」
ガレスが自分を指差した。
「俺か?」
「ガレスさんもです!」
「俺は検査を受けてるだけだぞ」
「昔話してるでしょう!」
「質問してるのはリナちゃんだろ?」
「うっ」
幸い、もう一班が滞りなく入都者を処理しているため南門全体が詰まっているわけではない。それでもリナたちの列だけは明らかに進みが遅くなっており、後ろで待っている商人が苦笑しながらこちらを眺めていた。
「す、すみません! すぐ終わらせます!」
リナは顔を赤くしながら検査へ戻り、今度こそ余計な話に気を取られないよう、ガレスの背嚢や携行品を手早く確認していった。
「……はい。全部問題ありません」
「ようやく終わったな」
「誰のせいですか!」
「俺、普通に入都検査受けに来ただけなんだけどな」
「途中から完全に昔話しに来てましたよ!」
リナは身分証をガレスへ返した。
「入都を許可します。滞在中は王都の法規を守ってください」
「……八つ当たりかよ」
ガレスは身分証を受け取ると、革袋へしまいながらカイルを見た。
「しかし、本当に門番やってんだな」
「見れば分かるだろ」
「似合ってるよ」
カイルが僅かに眉を上げる。
「そうか?」
「ああ」
ガレスは門の向こうへ広がる王都を一度見てから、再び昔の仲間へ視線を戻した。
「昔からお前、派手に前へ出るより、周り見てる方が得意だっただろ。誰が疲れてるとか、誰が焦ってるとか、妙な奴が近づいてきたとか、そういうのはよく見てた」
「生き残るためだ」
「それが門番にも向いてんじゃねえの?」
「さあな」
カイルは肩をすくめた。その素っ気ない返事に、ガレスは懐かしそうに笑う。
「まあ、元気そうでよかったよ」
「お前もな」
それだけだった。七年ぶりに会った昔の仲間にしては随分と短い言葉だったが、リナには不思議と、それで十分なのだろうと思えた。
ガレスは数歩進んだところで何かを思い出したように立ち止まり、くるりと振り返った。
「リナちゃん!」
「はい?」
「困ったら、こいつに聞け!」
ガレスが親指でカイルを示す。
「面倒くさそうな顔はするけど、最後にはちゃんと面倒見てくれるから!」
「余計なこと言うな!」
珍しくカイルが少し大きな声を出した。リナは目を丸くしたあと、ゆっくりと隣を見る。
「…………」
「なんだ」
「いえ」
「言いたいことあるなら言え」
「最後にはちゃんと面倒見てくれるんですね」
「知らん」
「否定しないんですね」
「仕事しろ」
「またそれ!」
ガレスの笑い声が門の向こうから聞こえ、その姿はやがて王都の人混みへ紛れて見えなくなった。
「カイルさん」
「なんだ」
「昔、かなり強かったんですか?」
「普通だ」
「絶対普通じゃないですよね?」
「昔話は盛られる」
「さあな」
「新人の面倒を見てたのは?」
「……覚えてない」
カイルは答えず、次の入都者へ顔を向けた。
「次の方、身分証を」
「あっ、逃げた!」
「……仕事しろ」
「それだけは本当なんですね?」
「…………」
「カイルさん?」
「次の方どうぞ」
「絶対本当だ!」
次の入都者が何とも言えない顔で二人を見ている。リナは慌てて咳払いすると、ようやく仕事へ戻った。けれど、その日の勤務が終わるまで、頭の片隅からガレスの話が消えることはなかった。普段は眠そうで、面倒事を嫌って、隙があれば楽をしようとする先輩だが、昔から誰かが困っていれば結局は放っておけなかったらしい。
考えてみれば、それは今もあまり変わっていないのかもしれない。
【リナの日記】
今日、カイルさんの昔の知り合いが来た。
ガレスさん。
現役の冒険者。
カイルさんと昔、一緒に何度も依頼を受けてたらしい。
カイルさん。
昔は兄貴分だったらしい。
兄貴分。
あのカイルさんが。
ちょっと信じられなかった。
でも話を聞いてたら、
なんとなく分かった。
新人の面倒を見る。
危ない依頼を止める。
怪しい依頼人に気づく。
野営場所を決める。
怪我人が出たら助ける。
逃げるときは最後に残る。
かなり頼られてたみたい。
カイルさん本人は、
「普通だ」
って言ってた。
たぶん普通じゃない。
でも。
酒を飲んで寝坊した。
集合時間に遅れた。
山猿に保存食を全部盗られた。
見張り中だった。
たぶん酔ってた。
そこはものすごくカイルさんっぽい。
格好いい話と、
格好悪い話が、
同じくらい出てきた。
ガレスさんが、
「困ったらこいつに聞け」
って言ってた。
「面倒くさそうな顔はするけど、最後にはちゃんと面倒見てくれる」
とも言ってた。
それは。
ちょっと分かる。
カイルさん、
いつも面倒くさそうにする。
文句も言う。
からかってもくる。
でも本当に困ったときは、
ちゃんと教えてくれる。
危ないときは近くにいる。
昔からだったんだ。
少しだけ見直した。
本当に少しだけ。
本人には言わない。
絶対調子に乗るから。
あと。
昔話を聞いてたら、
隣の班は五人くらい検査を終わらせてた。
反省します。
でも気になったんだから仕方ないと思う。
次にガレスさんが来たら、
もっと昔の話を聞きたい。
できれば、
カイルさんがいないときに。
これは先輩の経歴確認です。
仕事に必要な情報収集です。
たぶん。
絶対もっと詳しく聞く。
これは仕事とは関係ない。
気になるだけ。




