第12話 新人衛兵とミノタウロスの菓子職人
昼前の王都南門には、朝の入都ラッシュが一段落したあとの、少しばかり穏やかな時間が流れていた。街道の向こうまで伸びていた列も短くなり、近郊の村から来た農夫の荷車や、仕入れに訪れた商人、旅装を整えた冒険者たちが、順番に門を抜けていく。
高く昇った陽が城壁の白い石肌を照らし、石畳には荷車の車輪が乾いた音を響かせていた。風には街道脇の草や馬具の革、それに王都から流れてくる焼きたてのパンの香りまで混じっている。
「はい、問題ありません。どうぞ」
リナ・フェルドは確認を終えた旅人へ身分証を返し、記録板へ印を付けた。次の入都者を呼ぼうと顔を上げたところで、街道の人々が自然と左右へ避けていることに気づく。
誰かが怒鳴っているわけでも、無理に道を空けさせているわけでもない。それでも荷車を引いていた農夫まで道を譲り、その中央だけが妙に広くなっていた。
「……何でしょう、あれ」
「でかいな」
隣の確認台にいたカイルが、眠そうな目を細める。
街道をこちらへ歩いてくるのは、一人のミノタウロスだった。
身長は二メートルを優に超え、褐色の毛に覆われた肩は岩を積み上げたように厚い。頭部から左右へ伸びる角は立派に磨かれ、荷車を片手で引く腕には、長年重い物を扱ってきた者らしい筋肉が浮かんでいる。
王都にはさまざまな種族が出入りしており、ミノタウロスであること自体は問題にならない。
ただし、リナの視線は彼の背中に固定されていた。
「カイルさん。あれ、棍棒ですよね?」
「ああ。立派なのを持ってるな」
そこには、人間の胴ほどもある太さの巨大な棍棒が固定されていた。硬い木を削り出したらしいその武器は、普通の人間なら持ち上げるだけでも苦労しそうな代物である。
しかも本人は、木箱や麻袋を満載した荷車まで引いている。
「……何のお仕事なんでしょう」
「聞けば分かるだろ」
「それはそうですけど」
やがてミノタウロスが検査位置へ到着し、荷車の引き棒を静かに下ろした。
「入都を頼む」
低く太い声だったが、口調は落ち着いている。
「はい。身分証をお願いします」
差し出された身分証は王国の正式なもので、記載内容にも不審な点はなかった。
「バルガス・モーンさんですね。入都目的は?」
「仕事だ。王都で開かれる《王国菓子職人競技会》に出場する」
「分かりました。職業は……」
リナの筆が止まった。
身分証の職業欄には、確かにこう記されている。
菓子職人。
「…………」
リナは目の前の巨体を見上げた。太い角、岩のような肩、丸太ほどもある腕。そして巨大な棍棒。
「……お菓子を作る方の?」
「菓子職人なのだから、そうだろう」
「ですよね……」
自分でも妙な確認をしたと思ったが、どうしても聞かずにはいられなかった。
リナは咳払いすると、彼の背中へ視線を移す。
「その棍棒は、護身用ですか?」
「いや、仕事道具だ」
「……はい?」
「菓子作りに使う」
「それで!?」
思わず声が大きくなった。
バルガスは不思議そうに首を傾げ、背中から棍棒を外して地面へ立てた。間近で見ると、表面は滑らかに磨き上げられ、食材に触れる部分も清潔に保たれている。
「硬い木の実を砕き、生地を叩いて伸ばし、チョコレートの塊も割る。重い道具を何本も運ぶより、こいつ一本で済ませた方が早い」
「……全部、棍棒で?」
「便利だぞ」
バルガスが誇らしげに頷く。
横ではカイルまで感心したように顎を撫でていた。
「なるほど。確かに力は無駄なく使えそうだ」
「カイルさんまで納得しないでください!」
「合理的ではあるだろ」
「菓子作りの合理性って、そういうものなんですか!?」
納得できないものは残ったが、これ以上棍棒について話していても検査が進まない。リナは気持ちを切り替え、荷車の積み荷を調べ始めた。
木箱には乾燥果実や木苺、香草、木の実、香辛料が種類ごとに分けられ、別の箱にはチョコレートの塊や製菓用の金属型、細い刷毛、絞り袋まで収められていた。瓶詰めの材料も緩衝材で丁寧に保護されており、申告内容との食い違いは見当たらない。
「……本当にお菓子の材料ばかりですね」
「だから菓子職人だと言っただろう」
「疑っていたわけじゃありませんよ」
そう答えながら棍棒へ視線を向けると、バルガスが低く笑った。
「今、棍棒を見たな?」
「……ちょっとだけです」
カイルが横で吹き出したのを聞き流し、リナは製菓用の小さな道具を手に取った。
「でも、これだけ手が大きいと、細かい作業は大変じゃありませんか?」
「最初はな。砂糖細工の花をまともに作れるようになるまで、十二年かかった」
「十二年も!?」
リナが驚くと、バルガスは自分の太い指を広げて見せた。
「少し力を入れれば花びらが割れ、抜きすぎれば形にならん。最初の頃は一輪作るのに十輪分の材料を駄目にしたものだ」
その口調には、自慢よりも長年積み重ねた苦労への実感があった。
これほど大きな指で、薄い砂糖の花びらを一枚ずつ作る。想像するだけでも容易ではない。
「どうして、そこまでして菓子職人になったんですか?」
「昔から子供が好きでな」
「……子供が?」
「ああ。子供を喜ばせる仕事がしたかった」
リナの視線が、思わず荷車へ向かった。
二メートルを超える巨体。巨大な棍棒。人間の子供なら入りそうな木箱。
嫌な想像が頭をよぎる。
「……子供を攫うために?」
「なぜそうなる!?」
バルガスの大声が門前へ響き、近くの旅人が驚いて振り返った。
「リナ。さすがに失礼だぞ」
カイルから呆れた声が飛んでくる。
「す、すみません! ちょっと想像が変な方向へ……」
「ちょっとではないだろう」
「本当にすみません……」
リナが頭を下げると、バルガスは困ったように角の根元を掻いた。
「まあ、昔から似たような誤解はされた。若い頃は荷運びや護衛をしていたが、子供にはよく泣かれたものだ。俺としては笑ったつもりでも、牙を見ただけで母親の後ろへ隠れられてな」
その声に怒りはなかった。ただ、何年も前の出来事を懐かしむような静かな響きがあった。
「ある町の祭りで、知り合いの菓子屋を手伝ったことがある。荷物を運ぶだけのつもりだったんだが、店先で小さな女の子に泣かれてな」
「……怖がられたんですね」
「ああ。だが、あの日は焼き菓子の籠を持っていた。試しに一つ差し出してみたんだ」
バルガスの目元が少し柔らかくなる。
「最初は受け取ってくれなかったが、母親に促されて、ようやく一つ取ってくれた。それを食べたら、笑ったんだ」
リナは黙って耳を傾けた。
「さっきまで俺を見て泣いていた子が、菓子を食べて笑い、もう一つ欲しいと言った。俺の角も牙も、何一つ変わっていないのにな」
バルガスは大きな手を見下ろした。
「その笑顔が忘れられなくて、翌日には菓子屋の親父へ弟子入りを頼んでいた」
「……素敵な話ですね」
「最初は酷かったぞ。卵を握り潰し、生地をこねれば力を入れすぎ、絞り袋は何度も破った。師匠からも、お前の手は菓子を作るには大きすぎると言われた」
「それでも、諦めなかったんですね」
「ああ。力が強すぎるなら、力を抜く練習をすればいい。何度失敗しても、菓子を渡したときの笑顔を思い出せば続けられた」
リナは改めて彼の手を見た。
最初は武器を振るうための手にしか見えなかった。しかし、その指は十二年もの間、薄い砂糖細工を壊さないよう練習を重ねてきたのだ。
「今では、子供たちも怖がらないんですか?」
「ほとんどな。店を開ける前から待っている子もいるし、菓子を買わずに遊びに来る子もいる」
「それでもいいんですか?」
「子供だからな。たまに肩へ乗ってくるし、角によじ登ろうとする子までいる」
「……角に?」
「ああ。危ないから俺が支えてやるんだが、あいつらは高いところが好きらしい」
バルガスが楽しそうに笑う。
「子供向けの菓子は、小遣いでも買える値段にしている。その分、大人向けの菓子できちんと利益を出す」
「そこは現実的なんですね」
「店が潰れたら、子供たちへ菓子を作れなくなるからな」
リナは思わず頷いた。優しいだけではなく、長く店を続けるためのことまで考えているらしい。
「今回の競技会に出るのも、お店を有名にするためですか?」
「そうだ。優勝すれば遠くからも客が来る。もっと多くの子供に菓子を食べてもらえるだろう」
バルガスは嬉しそうに胸を張った。
最初には恐ろしく見えた牙の覗く笑顔も、今では妙に親しみやすく感じられる。
「……リナ」
背後からカイルの声がした。
「なんですか?」
「話はいいが、そろそろ仕事に戻った方がいいぞ」
「え?」
振り返ったリナは、そこで固まった。
いつの間にか自分の検査位置には長い列ができていた。腕を組んだ商人や籠を抱えた農夫、その後ろには旅人や荷馬車まで続き、待ちくたびれた馬が石畳を蹄で叩いている。
何より、先頭の人々が揃ってリナを見ていた。
「……いつからこんなことに!?」
「女の子が菓子を食べて笑った辺りからだな」
「なんで教えてくれなかったんですか!」
「いい話だったから、続きが気になってな」
「聞いてたんじゃないですか!!」
「俺の列はちゃんと捌いてるぞ」
カイルの確認台を見ると、確かに待っている人はほとんどいなかった。もう一班も普段通り仕事を続けている。
完全に自分だけが話へ聞き入っていたらしい。
「だったら一言くらい言ってください!」
「話の途中で悪いかと思ってな」
「今の方が悪いですよ!!」
バルガスも列を振り返り、申し訳なさそうに耳を伏せた。
「すまん。俺も話しすぎた」
「いえ、私が聞き込んでしまったので……!」
リナが慌てて残りの確認を済ませると、書類にも積み荷にも問題はなく、ようやく入都を許可することができた。
「お待たせしました。競技会、頑張ってくださいね」
「ああ。ありがとう」
身分証を受け取ったバルガスは、何かを思い出したように荷車の小箱を開いた。
「そうだ。これを食ってみてくれ」
差し出された大きな掌には、小さな焼き菓子が載っていた。
淡い黄金色の生地には赤い木苺が飾られ、その周囲を白い砂糖細工の花びらが囲んでいる。一枚一枚に繊細な曲線がつけられ、巨大な手で作られたとは思えないほど精巧だった。
「……これ、バルガスさんが?」
「十二年かけて覚えた技だ」
リナは壊さないように受け取り、端を一口かじった。
表面はさくりと軽く、中は驚くほど柔らかい。蜂蜜の優しい甘さが広がったあと、木苺の酸味が追いかけてきて、最後には香草の爽やかな風味が残った。
「……美味しい!」
思わず目を見開くと、バルガスが満足そうに笑った。
「競技会では、もっと甘みを強くするつもりだ。審査員を一口で殴るくらいにな」
「……味で、ですよね?」
「当たり前だろう」
大きな棍棒が視界の端に入ったリナは、ようやく胸を撫で下ろした。
「優勝できるといいですね」
「ああ。優勝したら、また菓子を持ってくる」
バルガスは片手を上げると荷車を引き、王都の中へ歩いていった。
その背中を見送りながら、リナは焼き菓子をもう一口食べる。
「……本当に美味しい」
「一口くれ」
横からカイルの声がした。
リナは素早く菓子を身体の反対側へ隠した。
「嫌です」
「即答か」
「これは私がもらったんです」
「いい話を一緒に聞いてやっただろ」
「そのせいで私の列が大変なことになったんですよ!」
「話し始めたのはお前だぞ」
「途中で止めてくださいよ!」
「いい話だったからな」
「まだ言います!?」
リナは残りの焼き菓子を大事そうに食べ終えると、改めて門前に並ぶ人々へ向き直った。
最初に見たときは、あの大きな棍棒が恐ろしかった。
しかし今では、同じ手で小さな砂糖細工を作り、子供たちへ菓子を渡している姿が自然と思い浮かぶ。
人は見た目だけでは分からない。
そう思いながら記録板を持ち直したところで、カイルがぼそりと言った。
「……菓子を食うのは早いんだな」
「誰のせいで急いでると思ってるんですか!」
再び南門へリナの声が響き、待っていた旅人たちから小さな笑いが起こった。
【リナの日記】
今日はミノタウロスの菓子職人、バルガスさんが来た。
ものすごく大きな人だった。
角も立派で、腕も太くて、背中には巨大な棍棒。
絶対に戦士だと思った。
でも、菓子職人だった。
しかも棍棒は製菓道具。
木の実を砕いたり、生地を叩いたり、チョコレートを割ったりするらしい。
本人は便利だって言ってたけど、普通の菓子職人はたぶんやらないと思う。
あと、バルガスさんは子供が大好きらしい。
最初に聞いたとき、変な想像をしてしまった。
本当にごめんなさい!!
昔は身体が大きくて怖がられていたけれど、ある日、泣いていた女の子に焼き菓子を渡したら笑ってくれたんだって。
それが嬉しくて菓子職人になったらしい。
すごくいい話だった。
あんなに大きな手で砂糖細工を作れるようになるまで、十二年も練習したらしい。
今では子供たちが毎日のようにお店へ来て、肩に乗ったり、角によじ登ろうとしたりするんだって。
お菓子屋さんなのに!!
でも、楽しそうだったな。
子供たちがお小遣いで買えるように値段も考えているらしい。
その代わり、大人向けのお菓子できちんと利益を出す。
お店を続けるためには、それも大事なんだって。
すごい人だった。
ただし、話に聞き入っていたら後ろに長い列ができていた。
カイルさん。
気づいてたんですよね!?
「いい話だったから」
じゃありません!!
仕事中です!!
早く教えてください!!
それから試作品の焼き菓子をもらった。
ものすごく美味しかった。
砂糖細工のお花も本当に綺麗だった。
カイルさんにも一口くれって言われたけど、あげなかった。
これは私がもらったんです。
競技会では審査員を一口で殴るような味にするらしい。
味で。
よかった。
棍棒じゃなくて。
最初は怖い人だと思ったけど、今では子供たちに囲まれて笑っている姿が想像できる。
きっと、すごく優しいお菓子屋さんなんだと思う。
競技会、優勝するといいな。
次に会ったら結果を聞いてみたい。
ただし。
仕事が終わってから。
絶対に。
【今日の教訓】
人を見た目だけで判断してはいけない。
大きな身体も、太い腕も、怖そうな角も、その人の優しさとは関係ない。
それから、どんなに難しいことでも、長く努力を続ければできるようになるかもしれない。
バルガスさんの十二年間の修業は、本当にすごいと思った。
でも――
いい話だからといって、仕事中に聞き入ってはいけない。
そこは反省します。
あとカイルさん。
次は列が伸びる前に教えてください。
……焼き菓子を分けなかったことは、反省してませんけどね。




