第72話:主権争奪の発声作戦。……殿下、我が子の耳元で「パパ」と十六ビートでサブリミナル再生するのは規律違反です!
「状況把握、開始。時刻は午後二時。育児編、新たな局面に突入。私は今、王宮の私室で、寝転ぶ我が子の耳元にぴったりと唇を寄せ、何やら怪しげな呪文を高速詠唱している夫(国家最高頭脳)を目撃している。……のだけれど、その内容は『パパだよ、ほらパ、パ』というただの刷り込み工作(ハメ手)。状況、最初に呼ばれる名前の主権を巡る、大人気ない単独奇襲作戦ね」
我が新兵(赤ちゃん)の喉の機能は、ミリタリースペック(順調)に発達し、最近では「あぶー」「ばぶ」以外の、明確な意味を持つ単語を発音する兆候を見せ始めていた。
これに目をつけたルファード殿下は、ここ数日、公務の合間を縫っては我が子の視界に割り込み、「パパ」という単語を脳内に直接インフレ気味に叩き込むという、天才の無駄遣い(サブリミナル教育)を執行していたのだ。
「いいかい、可愛い俺の天使。お前を毎晩抱っこして『ちゅてきねー』と言ってあげているのがパパ(ルファード)だよ。ほら、言ってみてごらん。パ、パ。……よしアルティナ、今この子の口輪筋の収縮パターンを15手先まで計算した。最初に発せられる単語が『パパ』になる確率は現在九八・七%だ」
「で、殿下! 我が子にそんな姑息な情報戦を仕掛けるのを即座に停止してください! そもそも、毎日付きっきりで防衛(お世話)しているのはママである私なのですから、最初に呼ばれるのはママに決まっています……っ!」
私が真っ赤な顔で対抗意識を燃やすと、殿下はフッと意地悪く微笑み、我が子を片腕で優しく抱きかかえたまま、もう片方の手で私の腰をホールド(ハグ)。逃げ場のない至近距離で、宝石のような紫の瞳を妖艶に細めてきた。
「ほう、アルティナがそんなにママと呼ばれたいなんて、可愛いね。なら、もしこの子が最初に『ママ』と呼んだら、俺の完全敗北を認めて、今夜はベッドの上でお前にどんな要望(甘やかし)でも受け入れる契約を結ぼうか。……ただし、『パパ』だったら、朝まで俺の独占欲に包囲される夜間残業を執行してもらうけれど?」
「ん、む……っ!? おのれ肉食獣上司、育児の主権争いを、どさくさに紛れて毎晩のベッド監禁(朝までコース)の口実にするのをやめなさいーーー!?」
私が羞恥心のインフレで真っ赤になっている、その時だった。
部屋のドアが破壊(ノックの勢いで開く)され、正装の鎧を涙で濡らしたキリアン団長が五体投地(スライディング土下座)の構えで乱入してきた。
「アルティナ殿下ーーーッ!!! 御子の初発声の権利、このキリアン、一歩も譲る気はございませんッ! 我ら第一騎士団、毎晩演習場で『ア、ル、ティ、ナ、サ、マ!』と大音量で発声訓練を積んでまいりました! ぜひ御子には最初の言葉として『聖母』と――」
「キリアン、お前は今すぐその騒がしい口を永久にパージ(極刑)されたいようだな。外野の雑音は国家の果てまで転任させてあげるよ」
殿下の絶対零度の殺気(独占欲)が放たれ、キリアンは「ひえっ!」と涙目で退散しながらも、庭園で『完全消音の悔し涙スクワット』を開始した。
ドタバタする大人たちを前に、ゆりかごの中で我が子は、綺麗な紫の瞳をきらきらと輝かせ――そして、私たちの顔をじっと見つめて、小さな唇を可愛らしく開いた。
「……ま……ま……っ! あーう!」
「――っ!! 今、確かに、明確な音声信号が受信されました! 私の完全勝利です、殿下……っ!」
私が歓喜のあまり真っ赤な顔で飛び上がると、ルファード殿下は一瞬だけ驚愕の表情でフリーズした後、すぐに観念したように極上の笑みを浮かべ、私たち二人を壊れ物を扱うように 強く、激しく、この世の何よりも愛おしそうに抱きしめてきた。
「ああ……負けたよ、アルティナ。お前が世界一最高のヒーロー(お母さん)なのだから、当然の戦術的結果だね。……契約通り、今夜はお前を世界一甘やかす(溺愛する)から、覚悟しておくといい」
(おのれ肉食獣上司ーーー!! 結局どっちが勝っても、私を『過保護包囲網』に叩き込んで甘やかし監禁する確定ルートじゃないのよーーー!?)
こうして、我が家の第一回発声主権争奪戦は、アルティナの完全勝利と、それを理由に過去最高のデレ度を爆発させる皇太子殿下の「夜間戦闘(激甘スキンシップ)」の宣戦布告により、王宮全体を巻き込む特大のハッピーエンドを迎えるのだった。元自衛官令嬢アルティナの、ものぐさスローライフへの戦線は、愛しい我が子の「ママ」の一言と、夫の底なしの溺愛によって、今日も優しく、永久に包囲され続けている。




