第七十一章『触れたい距離』
「……離したくなくなる」
低く掠れた声。
ガブリエラの呼吸が止まった。
ノクスの腕の中は熱い。
鼓動が近い。
自分の心臓まで、
同じ速さになってしまいそうだった。
「ノ、ノクス……」
顔を上げる。
赤い瞳。
いつもみたいに余裕そうなのに、
どこか苦しそうだった。
ガブリエラは胸が締め付けられる。
この人は。
いつも一人で抱え込む。
強いふりをして。
平気な顔をして。
でも本当は、
傷つくのが怖いのだ。
ガブリエラはそっと、
ノクスの頬へ触れた。
びくりと、
彼の肩が揺れる。
「……怖い?」
静かな問い。
ノクスは少し黙った。
やがて。
苦笑する。
「今は別の意味で危ねぇ」
「え?」
「分かってねぇな」
ノクスが額を押さえる。
その仕草が、
珍しく余裕を失っていて。
ガブリエラの胸がまた熱くなる。
ノクスは深く息を吐いた。
「お前、
無防備すぎる」
「そんなこと――」
「ある」
即答だった。
ガブリエラが口を閉じる。
ノクスはじっと彼女を見る。
赤い瞳が、
ゆっくり細められた。
「好きな女に抱きつかれて、
平然としてられる男ばっかじゃねぇんだよ」
その瞬間。
ガブリエラの思考が真っ白になる。
好きな女。
今、
はっきり言った。
顔が一気に熱くなる。
「っ……!!」
ノクスが少し笑った。
「ようやく理解したか」
「む、無理……!」
ガブリエラは逃げようとした。
だが。
ノクスの腕が離してくれない。
「逃げんな」
「だって……!」
「俺ばっか煽られてんの不公平だろ」
低い声。
耳が熱くなる。
距離が近すぎる。
ノクスの指が、
そっとガブリエラの髪をすくった。
優しい手つき。
そのくせ、
視線は熱い。
ガブリエラは完全に動けなくなっていた。
その時。
コンコン。
扉が鳴る。
二人とも固まった。
「ガブリエラ、
いるか?」
レオンハルトの声だった。
沈黙。
ガブリエラの顔が青ざめる。
ノクスは一瞬目を細めたあと、
小さく舌打ちした。
「タイミング悪ぃ」
「ど、どうするの!?」
「どうもしねぇよ」
そう言いながらも、
ノクスはゆっくり身体を離した。
だが。
最後に、
ガブリエラの耳元へ顔を寄せる。
「続きはまた今度な」
囁く声。
ガブリエラの心臓が爆発しそうになる。
そのままノクスは窓を開けた。
「え?」
次の瞬間。
黒い影となって、
夜の外へ消える。
ガブリエラは呆然とした。
何あれ!?
すると再び、
扉がノックされる。
「ガブリエラ?」
慌てて返事をする。
「は、入って!」
レオンハルトが入ってきた。
そして。
部屋を見回し、
微かに眉をひそめる。
「……今、
誰かいたか?」
ガブリエラの心臓が止まりかけた。
「い、いないよ!?」
声が裏返る。
レオンハルトの蒼い瞳が、
じっとこちらを見る。
疑っている。
完全に。
ガブリエラは冷や汗を流した。
すると。
レオンハルトがふと窓を見る。
開いている。
雪風が入っていた。
沈黙。
ガブリエラは嫌な予感しかしなかった。
レオンハルトはゆっくり、
こちらへ近づく。
「……ガブリエラ」
「は、はい」
彼はそっと、
ガブリエラの髪へ触れた。
そして。
指先で、
黒い髪を一房つまむ。
「黒い羽がついてる」
終わった。




