第七十章『隠された不安』
セレフィナが去ったあとも、
庭には重い空気が残っていた。
雪だけが静かに降っている。
誰もすぐには動けなかった。
ガブリエラは手の中の水晶を見る。
銀色の光。
微かに脈打っていた。
まるで生きているみたいに。
「……時間がないって、
どういう意味なんだろう」
呟く声は小さい。
レオンハルトが険しい顔で空を見る。
「嫌な予感しかしないな」
ノクスは黙ったままだった。
赤い瞳が、
どこか暗い。
ガブリエラは気づく。
さっきから、
彼がほとんど喋っていない。
セレフィナの言葉。
“最も愛する者を”。
あれが引っかかっているのだろう。
ガブリエラはそっと、
ノクスの袖を掴んだ。
「……大丈夫?」
ノクスが視線を向ける。
少し驚いたような顔。
そして。
小さく笑った。
「心配すんな」
いつもの口調。
でも。
無理しているのが分かる。
ガブリエラの胸が痛んだ。
――――――
その夜。
皇宮は慌ただしかった。
神殿の動き。
新たな聖女。
各地の失踪事件。
騎士団は情報収集に追われている。
レオンハルトも会議続きで、
まだ戻っていないらしい。
ガブリエラは自室で、
窓の外を見ていた。
夜の雪景色。
静か。
なのに、
胸の奥だけが騒がしい。
コンコン。
扉が鳴る。
「どうぞ」
入ってきたのは、
ノクスだった。
黒いコート姿。
少し雪がついている。
ガブリエラは目を瞬く。
「まだ起きてたの?」
「お前こそ」
ノクスは自然に部屋へ入り、
窓際へ寄りかかった。
沈黙。
珍しく、
彼から軽口がない。
ガブリエラはそっと尋ねる。
「……セレフィナの言葉、
気にしてる?」
ノクスは少し黙る。
やがて。
低く呟いた。
「昔から言われてた」
ガブリエラが息を呑む。
ノクスは窓の外を見る。
「魔王の血は危険だってな」
静かな声。
怒りじゃない。
諦めに近かった。
「暴走すれば、
周り全部壊す」
ガブリエラの胸が締め付けられる。
ノクスは苦笑した。
「だから俺、
昔から人と距離置いてたんだよ」
「……巻き込みたくなくて」
ガブリエラは言葉を失う。
いつも強くて。
自信満々で。
怖いものなんてない人だと思っていた。
でも違う。
ずっと、
怖かったんだ。
自分自身が。
ガブリエラはゆっくり立ち上がる。
そして。
ノクスの前へ行った。
赤い瞳が少し揺れる。
「……何」
ガブリエラは迷わなかった。
そっと、
ノクスを抱き締める。
一瞬、
彼の身体が固まった。
「ガブリエラ……」
低い声。
ガブリエラはその胸へ額を寄せる。
「一人で抱えないで」
ノクスの鼓動が速くなるのが分かった。
ガブリエラは続ける。
「もし暴走しても、
私が止める」
真っ直ぐな声。
ノクスはしばらく何も言わなかった。
やがて。
観念したみたいに、
小さく笑う。
「……それ、
男に言う台詞としては反則」
「え?」
次の瞬間。
ぐいっと腕を引かれた。
気づけば、
ガブリエラの身体はノクスの腕の中に閉じ込められている。
近い。
熱い。
赤い瞳が、
すぐ目の前にあった。
「そんな顔で言うな」
低い声。
いつもより掠れている。
ガブリエラの心臓が暴れた。
「な、なんの……」
ノクスは答えない。
ただ。
ガブリエラを抱き締める腕が、
少しだけ強くなった。
「……離したくなくなる」




