第三十八章『代償』
『だが代償が必要だ』
魔王の声が、
静かに夜空へ響く。
その瞬間。
空気が重くなった。
ノクスの表情が険しくなる。
「……何を要求する」
赤い瞳が鋭く細められる。
レオンハルトも警戒した。
相手は魔王だ。
ただで救うはずがない。
だが。
ガブリエラだけは、
ぼんやりと空を見上げていた。
意識が遠い。
身体が薄れていく。
このまま消えるのだと、
どこか冷静に理解していた。
魔王は静かに言う。
『その娘の魂は、
神性と魔力の均衡で保たれている』
ガブリエラの身体から、
白と黒の光が零れ落ちる。
確かに、
均衡が崩れていた。
『神を滅ぼしたことで、
神性が急速に失われている』
カサンドラが不安そうに俯く。
『このままでは、
魂が崩壊する』
ノクスの腕に力が入った。
「方法を言え」
即答だった。
迷いがない。
魔王は彼を見る。
赤い瞳が、
ほんの少し細められる。
『簡単だ』
静かな声。
『不足した力を補えばいい』
レオンハルトが眉を寄せる。
「どうやって」
その瞬間。
魔王が笑った。
『我が血を与える』
静寂。
ガブリエラの呼吸が止まる。
ノクスも目を細めた。
魔王は続ける。
『だが、
完全な魔族化が進む』
レオンハルトの顔色が変わる。
「……それは」
人間ではなくなる。
完全に。
ガブリエラは震えた。
また。
また“普通”から遠ざかる。
やっと終わったのに。
今度は、
人ですらなくなるのか。
ノクスは迷わなかった。
「それでも生きろ」
ガブリエラが目を見開く。
ノクスは真っ直ぐ彼女を見る。
赤い瞳が揺れていた。
「お前が消える方が嫌だ」
その声は、
不器用なくらい真っ直ぐだった。
ガブリエラの胸が痛む。
レオンハルトは苦しそうに俯いた。
彼には分かっていた。
もし魔王の血を受け入れれば、
もう以前の生活には戻れない。
帝国も、
貴族社会も、
人間たちも。
彼女を恐れるだろう。
だが。
それでも。
彼は静かに顔を上げた。
蒼い瞳には、
もう迷いがなかった。
「生きろ」
ガブリエラの瞳が揺れる。
レオンハルトは震える声で続けた。
「今度こそ、
自分を犠牲にするな」
その言葉が、
胸へ深く刺さる。
ガブリエラは涙を流した。
怖い。
生きるのが。
また拒絶されるのが。
化け物と呼ばれるのが。
でも。
消えたくない。
ノクスと。
まだ一緒にいたい。
レオンハルトとも、
ちゃんと向き合いたい。
カサンドラがそっと笑う。
『生きて』
優しい声。
『今度は、
あなたのために』
ガブリエラは震える唇を噛んだ。
そして。
小さく頷く。
「……生きたい」
その瞬間。
黒い門が大きく開いた。
轟音。
圧倒的な魔力が溢れ出す。
帝都中が震える。
魔王の巨大な影が、
ゆっくり手を伸ばした。
『契約を結ぶ』
黒い光が、
ガブリエラを包み込む。
熱い。
身体の奥へ、
強烈な力が流れ込んでくる。
ガブリエラは苦しそうに息を呑む。
「ぁ……っ!!」
黒い紋様が、
首筋へ浮かび上がる。
魔王の紋章。
ノクスが彼女を支える。
「耐えろ!!」
ガブリエラは叫びそうになる。
骨が軋む。
血が熱い。
でも。
不思議と怖くなかった。
ノクスの手がある。
レオンハルトも、
離れず側にいる。
カサンドラが微笑む。
『大丈夫』
その瞬間。
ガブリエラの背中から、
新しい翼が広がった。
黒。
だがその中心には、
銀色の光が宿っている。
魔王が静かに告げる。
『契約完了』
次の瞬間。
ガブリエラの身体を覆っていた崩壊が、
ゆっくり止まった。
ノクスが息を呑む。
レオンハルトも目を見開く。
ガブリエラの身体が、
再び“存在”を取り戻していく。
助かった。
その事実に、
ノクスは力が抜けそうになる。
だが。
魔王は最後に、
意味深な笑みを浮かべた。
『だが忘れるな』
赤い瞳が細められる。
『神はまだ完全には死んでおらぬ』




