第十七章『揺れる記憶』
ノクスに腕を引かれたまま、
ガブリエラは人混みの中を進んでいた。
背後で、
レオンハルトの視線がまだ残っている気がする。
心臓がうるさい。
「……さっきの、わざとでしょ」
小さく呟くと、
ノクスは歩きながら即答した。
「何がだ」
「とぼけないで」
ノクスは少しだけ口角を上げる。
「気に食わなかったか?」
「そういう問題じゃ……」
ガブリエラは言葉に詰まる。
あの距離。
あの密着。
まるで恋人のように見せる仕草。
レオンハルトの表情が変わったのは、
はっきり分かった。
胸がざわつく。
するとノクスは静かに言った。
「敵に気づかせないためだ」
「……敵?」
「セレナだ」
その名前に、
ガブリエラの足が止まる。
ノクスも立ち止まり、
振り返った。
「気づいてただろ」
ガブリエラは黙る。
確かに。
あの一瞬の視線。
セレナは何かを感じ取っていた。
ノクスは続ける。
「お前の正体を疑ってる」
ガブリエラの背筋が冷える。
「そんな……」
「完全じゃない。
でも“違和感”はある」
リリスの言っていた通りだ。
セレナは賢い。
人の感情に敏感で、
計算もできる。
だからこそ、
あの場での反応は危険だった。
ガブリエラは拳を握る。
「……じゃあ、どうするの」
ノクスは少しだけ視線を細めた。
「観察する」
「観察?」
「敵の動きを読む」
淡々とした声。
だがその奥に、
明確な警戒がある。
ガブリエラは息を吐いた。
「……やっぱり、あの人たち」
「ん?」
「レオンハルトとセレナ」
言葉が詰まる。
それでも続ける。
「本当に、もう別の人なんだね」
ノクスは少しだけ黙った。
そして短く答える。
「変わったのはお前もだ」
その言葉に、
胸が痛んだ。
否定できない。
ガブリエラはもう、
“ガブリエラ”だけではない。
カサンドラの記憶。
魔力。
黒翼。
全部混ざっている。
その時だった。
頭の奥に、
また鋭い痛みが走る。
「っ……!」
視界が揺れる。
ノクスが即座に支える。
「またか」
ガブリエラは膝をつきそうになるのを堪える。
流れ込んでくる記憶。
白い部屋。
鎖。
セレナの声。
『お姉様の代わりなんて、いくらでもいるのよ』
笑い声。
冷たい視線。
そして――。
レオンハルトの背中。
彼は振り返らない。
ガブリエラは息を荒くした。
「……っ、違う……これは……」
ノクスが肩を掴む。
「今は見るな」
低い声。
しかし記憶は止まらない。
さらに深く沈む。
今度は別の光景。
幼いカサンドラ。
誰かに手を引かれている。
その手の主は――。
レオンハルトだった。
ガブリエラは目を見開いた。
「……え?」
ノクスも僅かに反応する。
記憶の中の少年は、
まだ幼いレオンハルト。
彼は優しく言っている。
『大丈夫だ。ここは安全だ』
カサンドラは怯えながら彼を見ていた。
そして小さく呟く。
『あなたも、わたしを怖がらないの?』
少年レオンハルトは少し笑う。
『怖くない』
その言葉。
ガブリエラの胸が大きく揺れた。
――嘘。
こんな記憶。
知らない。
なのに。
確かに“自分”の中にある。
頭が混乱する。
「……どういうこと」
ノクスは静かに言った。
「封印されてた記憶だな」
ガブリエラは顔を上げる。
「封印?」
リリスが遠くから歩いてくる。
真剣な表情だった。
「神殿がやったのよ」
「え……」
リリスは低く続ける。
「カサンドラの記憶は一度かなり操作されてる」
ノクスが補足する。
「特に“幼少期”の記憶は欠落が多い」
ガブリエラは混乱する。
「じゃあ……レオンハルトは……」
「全部が敵じゃない可能性もある」
その言葉に、
心臓が跳ねた。
裏切りと。
優しさと。
どちらが本当なのか分からない。
リリスは静かに言う。
「でも忘れないで」
紫の瞳が細められる。
「今の彼らは“帝国の中枢”よ」
「……うん」
「情に流されれば死ぬ」
冷たい現実。
ガブリエラは唇を噛む。
その時。
遠くで鐘が鳴った。
夜会の始まりを告げる音。
リリスが空を見上げる。
「さあ、
本番よ」
ノクスがガブリエラを見た。
「行けるか」
ガブリエラは一瞬だけ迷う。
でも。
ゆっくり頷いた。
「行く」
その目には、
もう迷いはなかった。
ノクスは小さく笑う。
「いい顔だ」
そして。
帝都の夜が、
静かに幕を開けた。




