第十二章『黒翼の覚醒』
森の空気が凍りついた。
夜空の下。
ガブリエラの背から広がる、
巨大な黒い翼。
羽根は闇そのもののように美しく、
月光を鈍く反射していた。
騎士たちが息を呑む。
「……っ」
「黒翼……!」
「まさか本当に……」
恐怖が広がる。
神話でしか語られない存在。
“神魔の子”。
その証だった。
ガブリエラ自身も、
何が起きているのか分からなかった。
背中が熱い。
痛い。
身体の奥から力が溢れ続けている。
呼吸が乱れる。
「ぁ……っ……!」
視界が揺れる。
頭の中へ、
大量の記憶が流れ込む。
戦争。
炎。
黒い翼を持つ軍勢。
そして――。
幼いカサンドラが、
鏡を見て泣いている。
『いや……いやぁ……!』
背に生えた黒翼。
化け物だと叫ばれる声。
石を投げられる痛み。
ガブリエラの胸が締め付けられる。
怖かったのだ。
カサンドラはずっと。
この翼を。
自分自身を。
「ガブリエラ!!」
ノクスの声が響く。
次の瞬間。
彼が強く抱き寄せた。
「落ち着け!!」
低い声。
その温度に、
暴走しかけた意識が僅かに戻る。
だが騎士たちは動揺していた。
アベルが険しい顔で呟く。
「……覚醒したか」
彼の瞳には、
初めて明確な警戒が浮かんでいた。
神殿騎士の一人が叫ぶ。
「危険です!!
今すぐ討伐を――」
「やめろ」
アベルが即座に制した。
「刺激するな」
その言葉通りだった。
今のガブリエラは危険すぎる。
感情と魔力が完全に連動している。
少しでも刺激されれば、
何が起こるか分からない。
ノクスはガブリエラを支えながら、
低く囁いた。
「俺を見ろ」
赤い瞳が近い。
ガブリエラは荒い呼吸のまま、
彼を見る。
「大丈夫だ」
落ち着いた声。
不思議だった。
彼の声を聞くだけで、
身体の熱が少しずつ引いていく。
「……こわい」
震える声が漏れる。
翼なんて。
こんなもの。
本当に化け物みたいだ。
するとノクスは迷いなく言った。
「綺麗だ」
ガブリエラは目を見開いた。
「……え」
ノクスは黒翼を見上げる。
月光を浴びる漆黒の羽。
その瞳に恐怖はない。
嫌悪も。
ただ静かな熱だけが宿っていた。
「お前の翼は綺麗だ」
その瞬間。
胸の奥で、
何かが崩れた。
今まで誰も、
そんなこと言ってくれなかった。
カサンドラの記憶の中でも。
化け物。
忌み子。
災厄。
そんな言葉ばかりだった。
だから。
涙が零れた。
「……っ」
ノクスは驚いたように目を細める。
ガブリエラは泣きながら、
必死に唇を噛んだ。
「こんなの……
気持ち悪いって……思ってた……」
ノクスは静かに首を振る。
「誰が決めた」
その言葉が、
心へ深く刺さる。
ガブリエラは肩を震わせた。
アベルはその様子を黙って見ていた。
やがて低く口を開く。
「……ノクス」
「なんだ」
「本気でその娘を守る気か」
ノクスは即答した。
「ああ」
迷いのない声。
アベルの目が細められる。
「世界を敵に回しても?」
ノクスは小さく笑った。
「今さらだろ」
その空気に、
騎士たちがざわつく。
アベルはしばらく沈黙していた。
やがて剣を下ろす。
「撤退する」
騎士たちが目を見開く。
「し、しかし……!」
「今は刺激しない方がいい」
アベルはガブリエラを見る。
その目には、
複雑な感情が浮かんでいた。
恐怖。
警戒。
そして――。
微かな憐れみ。
「神殿は必ず追う」
冷たい声。
「次は逃がさん」
そう言い残し、
騎士たちは森の闇へ消えていった。
静寂が戻る。
だが。
ガブリエラの身体は限界だった。
力が抜ける。
視界がぼやける。
ノクスがすぐ抱き止めた。
「おい」
「……ねむ……い……」
魔力を使いすぎた。
意識が沈んでいく。
最後に見えたのは、
酷く焦ったノクスの顔。
その表情が、
なぜか少し嬉しかった。
⸻
夢を見た。
暗い部屋。
小さなカサンドラ。
一人で膝を抱えている。
そこへ、
黒い外套の少年が現れる。
今より少し幼いノクスだった。
『また泣いてるのか』
幼いカサンドラは怯えながら顔を上げる。
『……こわくないの?』
『何が』
『わたし』
少年ノクスは呆れたように溜息を吐いた。
そして。
小さな頭を乱暴に撫でる。
『馬鹿だな』
低い声。
でも優しかった。
『お前は別に、
化け物なんかじゃない』
幼いカサンドラが、
目を見開く。
その瞬間。
夢の中の景色が崩れた。
ガブリエラはゆっくり目を開ける。
天井。
暖炉の火。
柔らかな毛布。
どこかの部屋。
そして――。
すぐ隣には、
椅子へ座ったまま眠るノクスがいた。
彼の手は、
ずっとガブリエラの手を握ったままだった。




