第39話 星を祀る巫女
「我が神よ……! ずっと、ずっとお待ちしておりました……!」
廃教会の冷たい石の床に膝をつき、少女――ルナリアは、俺の足元でボロボロの涙をこぼしていた。
その瑠璃色の瞳には、一切の疑いもなかった。ただ純粋な、狂信的なまでの歓喜だけが満ちている。
(……我が神?)
俺は思わず背後を振り返ったが、もちろん誰もいない。
つまり、この美しい少女は、俺に向かって「神」と呼びかけているのだ。
(ふむ……。ついに、俺の隠しきれないカリスマ性が限界を突破したか。まあ、魔獣を手懐け、不治の病を塩と砂糖で治す男だ。無知な民草からすれば、英雄を通り越して神に見えるのも無理はない。……だが、いきなり神扱いは少々照れるな)
俺は内心のニヤけ顔を必死に抑え込み、努めて厳かな、威厳のある声で応えた。
「面を上げよ、少女。……俺の放つ神聖なオーラが、この薄暗いスラムにまで漏れ出していたか。隠密行動のつもりだったが、真の輝きは泥の中にあっても隠せぬというわけだな」
「はい……! 隠せるはずがありません。貴方様から放たれる『星の匂い』……そして、優しくも、どこか恐ろしいほどに悲しい、圧倒的な力の波動……。古の伝承に記された、突如にして現れるもの、我らが神の姿そのものです!」
ルナリアは胸の前で両手を組み、うっとりとした表情で俺を見上げる。
(星の匂い? 今日はオーデコロンなどつけていないが……。まあ、英雄の体臭は常にフローラルで神秘的だというアレだな。そして『恐ろしいほどに悲しい力』か。ふっ、分かっているじゃないか。強すぎる力を持つ者の、孤独という名の悲哀をな)
「貴様、名はなんという?」
「ルナリアと申します。……遠い昔から、ただひたすらに星の神を信仰し、その教えを守り続けてきた『星を祀る一族』の末裔です」
「星を祀る一族、か。だが、こんな廃教会で一人祈っているとは、随分と寂しい信仰だな」
俺の言葉に、ルナリアはふっと寂しそうな、だがどこか誇り高い微笑みを浮かべた。
「ニヴェアの王家は、私たちの信仰をよく思っておりませんから……。私たちは異端として迫害され、一族の皆は散り散りになり、今この街に残っているのは私一人だけなのです」
(なるほど。王権による異端信仰の弾圧。ファンタジー世界における典型的なイベントだな。そして、弾圧されながらも健気に祈り続けた最後の巫女の前に、本物の神(俺)が降臨したというわけか。……完璧なシナリオじゃないか!)
「ふん。愚かな王家だ。本物の神聖さというものが理解できんとはな」
俺が鼻で笑うと、ルナリアの瞳がさらにキラキラと輝いた。
「ああ……やはり貴方様は、全てをご存知なのですね! 神様、どうか私に触れてください。私が、本物の神様にお会いできたという証を……!」
ルナリアは震える手を、そっと俺のローブ(の代わりの上着)の裾に伸ばしてきた。
その手が、あまりにも細く、冷たそうだったため、俺は無意識に彼女の小さな両手を包み込むように握り返した。
「神などと畏まるな。俺の名はユウだ。……手が冷たいぞ、ルナリア。神を待つ前に、少しは自分の体を労わったらどうだ」
俺がそう言って手を温めてやると、ルナリアはビクッと肩を震わせ、大粒の涙をボロボロと溢れさせた。
「あ、ああ……! 伝承の通りだわ……! 破壊の権化でありながら、誰よりも温かい、慈悲の御手……!」
(ん? 破壊の権化? まあ、俺の戦闘力が高すぎるからそう伝わっているのだろう)
その時だった。
きゅるるるるる〜。
厳かな空気をぶち壊す、可愛らしい音が廃教会に鳴り響いた。
ルナリアの顔が、一瞬で耳まで真っ赤に染まる。
「あ、う……っ! も、申し訳ありません、神様! み、見苦しいところを……っ!」
ルナリアが恥ずかしさのあまり、その場にうずくまって顔を隠してしまう。
「……ふっ、神の前でも腹は減るか。人間らしくて良い」
俺は苦笑し、万能アイテムボックス(学生鞄)の中を探った。
幸い、今日の朝食の際、食堂からこっそり持ち出していた(借りてきた)高級な焼き菓子がいくつか入っていた。俺はそれを紙包みごとルナリアに差し出した。
「食え。神からの供物だ」
「えっ……こ、こんな高価な甘いものを、私のような汚れた平民が……」
「俺の前に身分などない。皆等しく、俺の庇護下にある迷える子羊だ。俺が食えと言っているのだ、遠慮はいらん」
ルナリアは恐る恐るお菓子を受け取ると、小動物のように小さく齧った。
途端に、その瑠璃色の瞳がぱぁっと見開かれる。
「……おいしい。こんなに甘くて、美味しいもの、初めて食べました……!」
彼女は涙目で微笑みながら、大切そうに、本当に大切そうにお菓子を口へ運んだ。
その無垢な笑顔を見た瞬間。
俺の胸の奥で、ドクン、と奇妙な鼓動が跳ねた。
――フラッシュバック。
『ユウ! これ、あまいよ! はんぶんこ、しよ?』
銀色の髪。泣き虫で、でも笑うとすごく可愛い、誰かの顔。
「……っ」
俺は咄嗟に頭を押さえた。ズキリと、針で刺されたような頭痛が走る。
「神様……? ユウ様、いかがなされましたか?」
ルナリアが心配そうに覗き込んでくる。
「いや……なんでもない。少し、昔の記憶の欠片がノイズになっただけだ」
俺は強がって頭痛を振り払った。
(今のは……誰だ? いや、気にするな。神には数多の過去生があるからな。その記憶の混線だろう)
「そろそろ行く。長居をすると、俺の城の家臣ども(テオたち)が騒ぎ出すのでな」
俺が立ち上がると、ルナリアも慌てて立ち上がった。
「あの……! ユウ様! また、ここへ来てくださいますか……?」
すがるような、祈るような瞳。
その瞳を向けられて、断れる男がこの世にいるはずがなかった。
「ふん。神の気まぐれは風のようなものだが……そうだな、あの菓子の味が気に入ったなら、また持ってきてやろう」
「……はいっ!!」
ルナリアは、これまでで一番の、太陽のような笑顔を見せた。
泥だらけの廃教会で、彼女だけが光り輝いているように見えた。
「お待ちしております、私の……ユウ様」
俺は背を向け、廃教会を後にした。
彼女の純粋な信仰心が、ただの勘違いではなく、俺の「本質」に根ざした真実であったこと。
そして、この美しすぎる出会いが、残酷な別れへのカウントダウンの始まりであること。
今の俺は、知る由もなかった。




