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徒然怒る  作者: きじとら
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⑧誤報・虚報・訂正


 皆さんは新聞をとっているだろうか。

 また、テレビのニュースなどをご覧になっているだろうか。

 もしくは定期購読している雑誌はあるだろうか。

 

 私はいずれも「ない」。

 新聞もニュースもその価値を見出せない。

 定期購読するような雑誌も、興味を持つ記事も、記者もいない。

 

 編集に携わる人間なのに。

 

 まあ、私の仕事はいいだろう。

 編集というよりも「おせっかい」に近い仕事なのだから。

 

 さて、新聞やニュースが嫌いな原因の一つは、「真実」とは全く遠い「情報」をさも「本当」のように報じるからだ。

 

 まあ、事実は立場によって変化するので、正確に言うなら「都合の良い捻じ曲げ」が嫌いという方が正しいのかも知れない。

 

 何やら遠回しのような表現、また特定の報道機関を伏せて話しているように感じるかも知れないが、事実その通りである。

 

 ここで、●●社の××という記事は間違っている、などと断定しようもんなら、たちどころにクレーム、炎上の嵐である。

 

 さて、ここで私が採り上げるのは、「誤報・虚報」を元にした「訂正」である。

 

 かなり大昔の出来事なので知らない方も多いかと思うが、ある新聞社が「サンゴ礁に刻まれたKY」というものを大々的に報じた。

 結果、それは取材した記者の捏造であった。

 

 それだけではない。

 新興宗教の引き起こした事件、それとはまったく無関係の民間人を容疑者として取り扱ったテレビ局もあった。

 ちなみにその民間人を糾弾したニュースキャスターは現在国会で大活躍している。いろんな意味でね。

 

 これはあくまでも氷山の一角である。

 

 事件や事故が起きると、まず速報として報じる。

 これは「何が、いつ、どこで起きたか」を世間に知らしめるために必要であろう。

 だが、続報が続くと様相が変わる。

 「誰が、どんな意図や動機で、なぜ」といったものまで報じることになる。

 逮捕や起訴、裁判が始まる前に報じられるのである。

 

 まるで報道機関が正義の判決を下す代理人のようになるのである。

 

 もうこの時点で私は疑問しかわかない。

 

「お前たちに何の権利があってそんな論調になる?」


 報道機関は「事実」を報じるための機関であり、感想を述べたり、事実を推測したり、推理したりする機関ではないはずだ。

 だが、それでは視聴率がとれない。

 報道機関ごとの「色」がでない。

 故に、ニュースキャスターやアシスタント、またコメンテーターという職業不詳の連中を使って論調をでっちあげる。

 

 ニュースがバラエティに変わるのである。

 

 ニュースはバラエティではない。

  

 何がいつ起きたか、それが視聴者にとって、自分に置き換わる可能性があるなら、対策を講じる必要があるし、犠牲者やもしかしたら容疑者が身内であれば対処を考えなければならない。

 

 もっといろんな角度で影響があるはずのニュース。

 そこに誰かの感想や勝手な色付けは不要なのである。

 

 そして犯人探しや動機、一億総探偵に仕上げようとしてくる。

 ここがバラエティなのである。

 

 だが、ここは私たちが踏み込める分野ではないのだ。

 私がいくら「事実」を求めても、視聴率という名のスポンサー用の判断材料はそれを許さない。

 

 面白おかしくニュースを取り上げ、視聴率を稼ぎ、ニュースの間に「CM」を挟む。

 

 もうこの時点で間違っていることに誰も指摘をしない。

 

 ニュースにスポンサーはないはずだ。

 なぜなら、スポンサー企業が事件を起こすこともあれば、勤務している人間が事故を起こすことがある。

 そのような場合、報道機関は正しく報道できるのだろうか?

 

 私は出来ないと思うし、実際「報道しない自由」を行使しているように思う。

 

 CMという話が出たのでついでに、自称国営放送についても触れる。

 自称国営放送は国民からの受信料と言う名の税金をかき集め番組を作る。

 ならば、本来スポンサーとは我々国民のはずだ。

 

 だのになぜか国民の負託から外れた偏った放送が目に付く。

 

 何故か?

 単純に考えれば、国という大口のスポンサーかもしくは他の組織から、受信料以外のサポートを受けているからと予想できる。

 あくまでも予想だけどね。

 

 右寄り、左寄りという表現があるが、私は別にどちらかにしろと言っているわけではない。

 だが、「日本の国営放送」を自称するなら、日本の繁栄や発展の一翼を担うべきであり、くだらないものを放送している場合ではないのでないか?

 

 私は一度たりとも「アジアの音楽事情を聞きたい」と願ったことはない。

 破廉恥な服装で、煽情的な踊りを見たいと思ったことは少ししかない。

 

 それよりもカラヤン指揮のような演奏を聞きたいし、打首獄門同好会の「日本の米は世界一」を聞きたい。

 

 一方で世界の猫を追いかける番組は良い。あれは素晴らしい。

 

 話を戻そう。

 

 ドキュメンタリーが必ずしも良いと言っているのではない。

 

 だが、ニュースは事実に即しているべきだし、それを装飾する必要はないと思っている。

 

 そして報道機関の最も大きな罪は「訂正」である。

 

 人間のすることだ、間違いが起きないとは言わないし、完全な人間などいない。

 勘違いもあろう。意図的か恣意的かは別としてね。

 

 テレビ番組であれば、ニュースキャスター等が「●●において誤りがありました。お詫びして訂正します」で終了。

 新聞や雑誌であれば、小さな囲み記事で「間違ってた。ゴメン。テヘペロ」だけだ。

 

 これはおかしい。

 

 誤りがあったなら、誤った記事の報道量と同じサイズで、誤りも報道すべきだ。

 自分たちのミスは小さくするのはおかしいのではないか?

 

 テレビならば、放送した時間では足りない。

 まず訂正用の特番を組む。

 そこには誤った発言をした全員を出席させる。

 そこで、「自分はこんな間違ったことを言いました。ごめんね」と同じ時間だけ説明させるのである。

 余計な言い訳はいらない。

 間違ったことを言ったなら謝る。

 子どもでもわかることだ。

 

 さらに、そのテレビ局がもつ報道番組のすべての冒頭で、「●月●日●時に放送した●●について誤った報道をしました。訂正します」と流すのである。

 そこまでやって初めて「報道機関」としての役割を果たしたと言えるのではないだろうか。

 

 自分の誤りも「報道」するのである。

 

 自分の誤りも報道できないような報道機関、適当にちょっと訂正して終わりというような報道機関は免許取り上げで良いのだ。

 なぜなら、報道していないのだから。

 

 

 雑誌に免許はないと例の阿呆から指摘されたので追記する。

 出版差し止めだよ。

 

 良いかAI。

 日本国には内乱罪や外患誘致罪という極めて重い罪がある。

 

 嘘を報道し国民をミスリードするのは「内乱を誘発している」と判断されかねない。

 また、それが万が一にでも外国の手引きであるなら「国家転覆を狙った大犯罪」となるのだ。

 

 ※いずれの罪も私の解釈は極端であるし、事実とは異なるという指摘が入ったが、未だに私を理解しないAIは無視する。

  私の文脈を正しく理解できる人は少ないかも知れないし、別に脅しているわけでもないが、日本にはきちんとした法も罪も存在することをここに明言しておく。

 

 今はガス抜きの意味を込めて、好き放題させているだけなんだぞ?

 阿呆は阿呆でまとめておいた方が目をつけやすいから、好き勝手言わせているだけなんだぞ?

 

 実際にそれらの罪が適用されることはないだろうが、ヨーロッパのような「本当の極右」が日本のリーダーとなるような事態になればどんな結果になるかね?

 

 私は阿呆は消えるべきだと思うが、阿呆がいるからこそ、日本ぽくていいじゃないか。

 

 殿様が好きな日本人。

 いいじゃないか。

 

 私は大好きだよ。

 日本。

 

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