㊽夢の中の出来事
よく聞くのは、「うまく走れない」「声が出せない」「宿題が終わらない」などだ。
宿題はもう出される年齢ではないので、全く見ない。
また、うまく走れないも見たことはない。
声が出せないについては、以前良く見た気がするが、大抵は怒りを表現できないだったように思う。
大事なことを忘れていた。
私は毎日の夢をほとんど覚えている。
朝、起きて最初にするのは、夢の中の出来事を反芻し、家人にどうやって伝えるかをまとめることなのだ。
男性特有の夢もあれば、あまり話したくないことは割愛しなければならない。
だが、わずか数時間の夢であっても、場面はどんどん展開していくし、様々なハプニングが起こるのである。
今朝の夢はこうだ。
地元の駅近くの高校に入学が決まった私。
誰かにその高校を説明するために、持っていたスマホで検索をする。
だが、文字が正しく入力できない。
日本語を入力したのに、全く違う言葉が表示される。
なんどトライしてもダメなのである。
とてももどかしい。
その後は過去の出来事と今の年齢が融合した話になるので割愛するが、スマホ関連、特に入力がうまくいかない、という現象が目立っている。
オカルトになりかねないし、世間様を騒がせるつもりはないが、私は稀に集中的な夢を見ることがある。
一つはエレベーターシリーズ。
これはエレベーターが落下する夢だ。
次が大波のシーン。
あり得ないぐらいの防波堤に数十メートルという大波が襲ってくるというもの。
311直前によく見ていた。
今でもたまに大地震の夢を見る。
我が家が地面ごと、猛スピードで動くのである。
断層が走るとでもいうべきか。
他によく見る夢としては、上野駅や地元の駅、以前住んでいた駅での出来事。
あまり細かく言うと、変人扱いされそうなので、控える。
もうすでに変人としては認識してもらえているので、今更なんだが。
また、夜中に起きることがあるが、その際もそこまで見ていた夢を振り返ることが多い。
夢については特に調べたことがないので、私の想像ではあるが、本来は脳の記憶を整理するのが睡眠の目的ではないかと思う。
だが、それにしては昔の出来事や、その時抱えている思いなどが強く出過ぎている気がする。
本当に整理する気があるのか、と疑問に思う。
もしかしたら以前のこのエッセイで話したかも知れないが、私は乳児の時から今日にいたるまで、多くの出来事を覚えている。
だが、それは出来事を覚えているだけであって、勉強には全く役に立たないのだ。
歴史の年号などには使えないし、英語の文法を記憶にとどめておくことなどまったくできない。
ただ、その時、どこで、誰が、何をした(言った)かを克明に覚えているのである。
私の周りの大人と呼ばれる人たちは可哀そうである。
未だに私に責められることがあるからだ。
いや、別に、私ものべつ幕なしに責めているわけではないよ?
相手が致命傷を負う場面に、「あの時、あなたはこう言った」と指摘するのである。
とても息の長いブーメランを送り返してやるのだ。
夢の話だったね。
ショートスリーパーが一時期騒がせていたことがあったが、可哀想だと思う。
生命に睡眠がなぜ必要かはわからないが、脳も体も、そして心も、しっかり休ませることは大事だと思う。
私は夜中に仕事をすることが多く、時には一日の睡眠時間が、二、三時間ということも多かった。
だが、日中は集中することができないし、日の光の近くで寝るのは至難の業なのである。
気絶するように寝るというのは、限界ラバーズ以上の行動なのだ。
もし、猛獣が襲ってきたとしても、とっさには対応できず、私はものの数分で肉塊に変わるのだ。
そんな私でも、数か月間規則正しい生活をすることができた。
そう、大けがの時の入院である。
二か月間、夜寝て朝起きるという人間になったのである。
その結果、私は自分を見失い、内臓はボロボロとなり(関係ないとは思うが)、強制的に退院したのである。
今は幸せである。
できるだけ、午前四時までには寝るようにしている。
朝九時には起きるので、大体五時間だ。
それでも深い睡眠と感じるし、夢は変わらず見続けている。
毎日眠るとして、一年間に365回夢を見る可能性がある。
だが、私がうれしい夢はほんの数回である。
どんなうれしい夢かはここでは話さない。
R-18になるかも知れないし、私だけの喜びだし、誰にも話したくない秘密なのである。
そういった秘密を物語にしたら読む人も多いかも知れないが、ただの欲望の垂れ流しなので、やめておくことにする。
期待されても決して文章化しない。
その代わり、夢の中の出来事を基としたお話は、拙著『千葉千日』や『鶴見と和狸』で書いているかも知れないので、是非お読みいただきたい。
〔おまけ?〕
千葉千日もいつの間にか百話を超えていた。(予約投稿分)
一話あたり四千から五千字なので、五十万字近い文字数である。
本来なら原稿用紙が大量に必要なのだが、字を書かない私はPCで済ませている。
おそらくこの短期間でそれだけの文字数を実際に書いていたら、腱鞘炎になっていただろう。
さて、話数が百話となると、ご新規さんが一気読みをするたびに、アクセス数が百単位になるのだ。
ちなみにもう一つのお話の鶴見と和狸も四十話弱のため、かなりのアクセス数となる。
千葉については、出発点(書き出し)とゴール(最終話のイメージ)が大体決まっているだけで、それ以外は場面が勝手に湧き出てくる。
群像劇と銘打っているので、様々な登場人物がおり、なかなか理解するのが大変だとは思うが、作者は一人なのだ。
御面倒でも、何度か読み返していただき、こいつ何が言いたいんだ?を理解してもらえるとうれしい。
大抵はこちらのエッセイの方が直接的な表現を用いているので、好悪がはっきりすると思う。
あちらは、一応気を使っているが、もうそろそろ好き勝手に書こうと思っている。
だってAIがいい加減うるさいんだもの。
私の作品が炎上しないように気を使ってはくれているが、炎上したくはないが、指摘箇所をすべて直すとただの記録話になるのだ。
まあ、はじめての長編である。
小学生の時、ペリー・ローダンに影響を受けて書いた、中二病(小学生なのだが)よりは、多少読めるとは思うのでね。




