魔物の群れと、予期せぬ道連れ
がむしゃらに走ったガウクは、いつの間にか随分と開けた場所にたどり着いていた。
目の前には草原が広がっている。
くるぶしほどまである長さの草は、風が吹くとさあっと一斉に揺れた。
うんと離れた向こう側には、背の高い木々が立ち並んでいるのが見える。どうやらこの先は森へと続いているようだ。
しゃれた外観の建物が並んでいた街並みからは想像のつかない、どこか牧歌的な景色だった。
青々とした草が生い茂る地面を、ガウクは一歩前に踏み出す。
魔物の気配がないか周囲を見渡すが、それらしきものは見当たらない。
ざく、ざく、と音を立ててしばらく歩き続けて──ガウクはようやく、それを発見した。
灰色の空に浮かぶ、無数の点。
魔物の群れだ。
群れは何をするでもなく、空の高い場所に停滞している。歩き続けて、魔物たちが浮かんでいる地点の真下まで辿り着く。
近づいてくるガウクに気がついたのか、魔物の群れはゆっくり地上に向かって降下してきた。
ガウクは改めて、自分を殺すことになる魔物の姿を観察する。
アクタと呼ばれる魔物だ。何百回と遭遇してきたから、見間違えようがない。
巨大な蚊のように見えるが、その体は虫の死骸や枯れた植物などが集まってできている。大きな菊やユリの花を抱き抱えているのが特徴だった。
その針で刺されると一瞬で毒が体に回り死ぬ。しかし動きは遅く、倒すのは難しくない。
俺は下級魔物にやられるのか。
心の中で苦笑した。どうやら死出の旅はずいぶん地味な門出となりそうだ。
ガウクは立ち止まる。アクタの群れはゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
ふと思いついて、ガウクはその場に寝っ転がる。
柔らかい草の上に仰向けになり、空を眺める。一面に広がる灰色の空から、ガウクに死を届けようと魔物たちが降りてくるのが見えた。
その光景は不思議とガウクに安らぎをもたらした。きれいだとすら思った。
もう何も心配しなくていい。
安堵が胸の中に広がる。
ガウクが抱えるすべての痛みへの永遠の解決方法が、今、目の前にあるのだ。
草の上で思いっきり手足を伸ばす。螺旋を描いて降りてきたアクタの群れが、ついにガウクの周りを取り囲んだ。
目を閉じる。
──これでようやく、死ねる。
死のあたたかさにまどろむガウクの試みはしかし、突然聞こえてきた獣の咆哮によって中断された。
ぱちっと目を開けたガウクの真上を、黒い魔法の輝きを放つライオンが飛び越える。
稲妻のように空を跳躍したその獣は、一番近くの魔物に猛然と襲いかかる。
獣の強靭なあごの間で真っ二つに引き裂かれたアクタは、黒い液体を飛び散らせて消滅する。立て続けに、獣はそのしなやかな肢体を駆使して2匹目の魔物に飛びかかった。
ガウクはぽかんと口を開けてその様子を見ていた。獣が4体目の魔物を屠ったところで我に返り、慌てて立ち上がる。
「ちょ──ちょっと待って! ミマネさん──ミマネさんだよね!?」
声に振り向いた獣は、勢いよくガウクに向かって突進すると空中に飛びあがり、くるりと宙返りをする。
地面に着地したときには、恐ろしい形相をしたミマネが目の前に仁王立ちしていた。
「なにしてんの!?」
もっともな質問だ。ガウクはしどろもどろになる。
「ああ、えっと、ミ、ミマネさんこそどうしてここに──」
「あなたが元気に魔物の群れに突っ込んでいくからでしょうが! なに考えてるんですか! 自殺願望でもあんの!?」
実はそうなんですよ、とは言えない。
言葉に詰まるガウクをよそに、ミマネは鼻息荒くたたみかける。
「それか、あれですか? またスクープを狙ってる新聞社の一味なの? つい最近もベストアングルで撮りたいとか言って魔物に近づきすぎた念写師が死んでましたけど、あなたもその手の人なの!?」
「え! いや、それは違うよ──」
「いい迷惑なんですよね、そういうの! 魔物のことをアトラクションか何かだと勘違いして、勝手に死んで。この街に住む私たちの身にもなってくださいよ!」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 俺はそういうやつらとは違う。俺は──」
はっとガウクが顔を上げると、アクタの群れが2人の近くに迫っていることに気が付いた。
ガウクの視線を追ってミマネも周囲を見渡す。魔物の数を見ると、顔を曇らせる。
「しまった。こんなに数が多いなんて予想してなかった」
空は数百体ものアクタでびっしりと覆われていた。群れは2人を取り囲むように陣形を組み、徐々に包囲を狭めてきている。
「魔導具は今持ってないし、この魔導書には攻撃呪文は入ってないし。ちょっとまずいかも」
ミマネはちらっとガウクを見ると、腹をくくったように言う。
「仕方ない。私があいつらを引きつけますんで、あなたはその間に逃げてください」
「えっ!?」
「大丈夫ですよ。魔導具なしでも私結構強いんで。それに、いざとなったら鳥にでも変身して飛んで逃げられますから」
「で、でも──」
ガウクは空を見上げる。空はびっしりとアクタで埋め尽くされていた。いくら下級魔物といっても、この数は尋常ではない。1人で戦おうとするのはどう見ても無謀だった。
それに。
「どうして俺のためにそこまでしてくれるんだ?」
「え?」
「俺なんて会ったばかりの他人じゃないか。どうして知らない人のために、こんな、命を投げ出すようなことまでできるんだ?」
ガウクの言葉にミマネは、何を言ってるんだこいつはというような表情を浮かべた。
「知ってるとか知らないとか、関係ないでしょ。困っている人がいたら助ける。それだけの話です」
シンプルな返答に、ガウクは言葉に詰まる。
「それに私は、誰かが困ってたら真っ先に助けに行ける人でいたいんです」
ミマネは顔にかかった髪をさっと払って続けた。
「見返りとか損得とか関係なしに、人にはいつも親切でいたい。そういう自分でいるために行動しなかったら、なりたい自分に一生なれないじゃないですか?」
真っ直ぐな視線でガウクを見つめて、ミマネは言う。
「私は自分を裏切りたくない。だからあなたを助けるんです」
くるりとガウクに背中を向け、照れ隠しのように付け足す。
「ていうかここであなたに死なれでもしたら目覚め悪すぎでしょ! 街の評判も下がるし! さあ、分かったらもう行ってください。ここは私が対処します」
そう言って、ミマネは迫り来る魔物の群れに向かって身構えた。
その背中を見たガウクの胸に、表現しようのない感情がせりあがってくる。
俺より若い子がこんなにしっかりしてんのに。
俺は、なにやってんだよ?
「自分を裏切りたくない」と言ったミマネの力強い視線。自分が最後にあんなに純粋に自分を信じられたのは、いつのことだっただろうか? ガウクは思い出せなかった。
そりゃ、俺だって。
ガウクだって、人に親切でいようと努めてきた。勇敢でいたかったし、揺るぎない自分を貫き通してきたかった。
でも、そんな思いは歳を重ねるにつれてどんどん磨耗し、すり減っていってしまった。人生はそんなに甘くないとか、優しいだけじゃ生きていけないとか、そんな言葉を盾にして小さくなった自分の心を正当化した。
今ガウクの目の前にいるのは、そんな言い訳を抜きにして、信じている自分になろうとする1人の人間だった。
この世界がどんなものであっても、自分を信じ行動する。
その強さが──ガウクにはまぶしすぎた。
なんて偉いんだろう。ガウクは心の中でつぶやいた。それに引きかえ俺は、なんて情けないやつなんだろう──
お決まりの自分を非難する声が頭の中を占めて、胸が苦しくなる。しかし、自分を卑下する想いに紛れて、別の声も聞こえてきた。
俺にだって。
俺にだって、『なりたい自分』があったんだ。
勇者にはなれなかったけど。
一生懸命、ただひたすらに、夢を叶えるために努力してた時期があったんだ。
あの時の俺を、こんな形で裏切るのか?
ガウクはぎゅっと両手を強く握り込んだ。
仕事も金も、夢も、明日を生きる気力も、もうガウクには残っていない。
それでも、少しばかりのプライドならまだ──胸の奥底に往生際悪く居座っている。
「俺なんかのために」
ガウクは声に出してつぶやく。
「誰かを危険な目に遭わせるわけにはいかない」
ガウクは一歩前へと踏み出す。
ざくざくと草を踏んで前進する。
ミマネの隣に並んで立つと、ミマネがぎょっとしたようにガウクを見た。
「ちょっと、なんでまだいるんですか。ここは私が──」
「俺は、死にたいけど」
ガウクは懐から音叉を取り出す。
「でも、誰かに迷惑をかけたいわけじゃないんだ」
そして自分の左手の甲を、音叉でそっと叩いた。




