衛兵と虎
自分でも意外なことに、ガウクは誰かに殴られたことが一度もなかった。
魔物との戦闘の最中に拳闘家の放ったアッパーカットをもろに喰らったことはあった。ガウクの中ではそれはカウントされない。フレンドリーファイアだ。ときにそれは避けられない。
そのときは歯が4、5本吹っ飛んでいった上に、拳闘家は最後まで「俺の軌道上にいたお前が悪い」と言い張っていたが、ガウクは寛容に許した。良いパーティーリーダーは細かいことを気にしないのだ。
ガウクは攻撃を交わすのは得意だったし、人の顔色を伺うのはもっと得意だった。だから、「あ、殴られる」と察知すると同時に瞬時に撤退するのは第2の天性と言ってもいいようなものだった。
そのため、図体のでかい坊主頭の衛兵の拳が頬にめり込んだとき、ガウクは面食らった。文字通り顔にパンチを喰らいながら、「あら、もしかして俺の勘もこの2年間で鈍っちゃったのかな?」などと自らの才能の翳りを心配した。
視界が暗転したのは一瞬だけだったらしい。
目を覚ますと、ガウクは地面に大の字になっていた。むくりと上体を起こす。
「痛い!」ガウクはまたしても叫んだ。「でも十分じゃない!」
「そうだろ、痛いだろ──って、なに?なんて言った?」
満足げな顔をしていた坊主頭は、言葉の途中で不審げな顔になる。
ガウクはゆっくりと立ち上がる。
「十分じゃない、って言ったんだよ……」
周囲に舐められていたが本当はすごい力を隠し持っていたことを明かす主人公の雰囲気で、ガウクは言った。
「俺を殺すには、全然足りないよ。もっと本気で来いよ」
それまでとは違うガウクの真剣な様子に、3人の衛兵の間に緊張が走る。
もしかしてこの男、ただものではないのか?
身構える3人は知らなかったが、このときガウクは「こいつらに殺してもらうのもいいかもしれないな!」と前向きに考えていた。
チンピラにカツアゲされて死ぬ、というのはとても理不尽な死に方ではある。それに、魔物と戦って華々しく散るという当初の計画からはかなりのダウングレードでもあった。
でも選り好みしていられる立場じゃないよな? ガウクは心の中で溜め息をつく。
「仕方ない。お前らで妥協してやるよ」
今度は闘うことに喜びを見出すタイプの狂戦士が手近な雑魚で楽しもうとする雰囲気を漂わせて、ガウクは言った。
「次は本気で殴れよ! 一発で仕留めてくれよな。さあ、殺せ!」
「なに言ってんだお前!?」
目を輝かせるガウクに、坊主頭はますます困惑したらしい。
「俺は金をよこせって言ったんだ。命まで取ろうとしてないよ」
「ふざけるな! それじゃ殴られ損だろうが! 始めたことは最後までやり通せ! 早く、俺を、殺せええええええええええ!」
ガウクお得意の大絶叫が響き渡る。
3人の衛兵はいよいよ怯えた。
「おい、こいつやばいやつだ!」
「もうこいつは放っておいて帰ろうぜ」
「ばか、ここで引いたらなんかダサいだろうが──」
「ねえ、ちょっと」
凛とした女性の声が聞こえる。
「なにしてるの?」
ガウクは声のした方向に振り向く。そこには1人の女性が立っていた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「ミマネ」
坊主頭の衛兵がうめく。
「ザカイ」
女性が応答する。どうやら2人はお互いを知っているらしかった。
その女性──ミマネは、ガウクにちらりと目を向ける。ガウクの赤くなった頬に気づくと、眉をひそめた。
衛兵たちに顔を戻したミマネは、坊主頭に鋭い視線を向ける。
「また観光客に迷惑をかけて楽しんでたわけ?」
ミマネににらまれた坊主頭の衛兵──ザカイは、12歳の少年並みの威厳を持って言い返す。
「なんだよ。うっせえな。お前に関係ないだろ」
「関係あるよ。私だってここに住んでるんだから。この街の評判が悪くなって誰も寄りつかなくなったらどうしてくれんの? ここは観光で成り立ってる街なんだからね」
「なんだよ、偉そうに。俺は衛兵だぞ。誰がこの街を危険から守ってると思ってるんだ?」
「あんたじゃないことは確かだね」ミマネは淡々と言う。
「ほら、行きなよ。他人に嫌がらせするより、やることがあるんじゃないの? それこそ魔物と戦いに行くとかさ。あんたが言う危険とやらを、退治しに行ってきなよ」
ザカイは逡巡した。
しかし、ミマネをじっとりと見つめると、「いや」と言う。
「なんで俺がお前の言うこと聞かなくちゃならねえんだよ」
その大きな体で威嚇するかのように、肩を怒らせてザカイはミマネに一歩近づく。
「お前こそなんにもしてないくせに。お前、今みやげものショップでバイトしてるんだって?」
ミマネを見下ろし、ザカイは嘲笑う。
「優等生のミマネちゃんがそんな負け犬になるなんて、誰が想像したよ? 結局、魔王討伐のための選抜チームにも入れなかった時点でお前は──」
突然、ミマネがその場で高くジャンプした。呆気にとられるガウクの目の前で、ミマネは空中で勢いよく後方に宙返りをする。
くるりと一回転した彼女が地面に着地したとき、そこにいたのはミマネではなかった。
黒い魔法のオーラを放つ、一匹の巨大な虎がいた。
ガウクは目を見張った。変身術?
でも、魔導具もなしにどうやって?
じり、と距離を詰めてきた虎に、ザカイは一歩あとずさった。
「だ──騙されないぞ」
怯えを隠そうとしながら、ザカイが食い下がる。
「いくら見た目が変わったって、中身はお前のままだ。お前が俺に手出しできるわけ──」
虎が咆哮した。
生命の危機を感じさせる、野生動物の荒々しい雄叫び。
衛兵たちは凍りつく。
間髪入れず、虎が突進した。
「ああああああああ!逃げろおおおおおおおおおおおお!」
ザカイは悲鳴をあげ、真っ先に逃げ出す。その後ろを、足をもつれさせながらほかの2人が続いた。
「くそっ! 覚えてろよ!」
コテコテの捨て台詞を残して、衛兵たちは去っていく。
3人の姿が見えなくなったことを確認すると、虎はガウクにロックオンした。
「え? えっと、あの……」
のしのしと歩み寄ってくる虎に戸惑い、ガウクは後ずさる。
目と鼻の先の距離まで来た虎は、大きく頭をのけぞらせ、くるりと後ろ向きに宙返りする。
とん、と軽い音を立てて着地したのは、髪の毛ひとつ乱れていないミマネだった。
ガウクは目をぱちくりさせる。ミマネは不安そうな顔でガウクを見る。
「……大丈夫ですか?」
「あっ、はい」
心配そうな声のミマネに、ガウクは返事をした。
「大丈夫だと思います……多分?」
頼りないガウクの反応に、ミマネはようやく気を緩めたかのように笑顔を見せた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「それじゃあ、生まれてからずっとこの街で暮らしてるんですか?」
「そうです。ここは観光で知られてるけど、住むのも普通に快適な場所なんですよ。この街ってとにかく広いから。何日かかけないと、街全部を回るのは無理ですね」
「へええ。すごいな」
2人は近くの階段に腰を落ち着けた。
ガウクの顔の傷を調べながら、ミマネは衛兵との関係性を話す。
「ザカイとは幼なじみなんです。年も同じで、学校でもずーっと同じクラスで」
きれいな額にぎゅっとしわを寄せて、ミマネは顔をしかめる。
「あいつは昔からどうしようもないやつだったけど、衛兵になってからは本当に手がつけられなくて。いじめっ子に権力持たせるとああなるっていう、いい見本ですよね」
ミマネの顔を改めて近くで見たガウクは、彼女が相当な美人であることに初めて気がついた。
大きな瞳、すっと通った鼻すじ、きれいに弓なりになった薄いピンクの唇。
色素の薄い瞳でまっすぐ相手を射抜く視線からは、彼女の強い意志がうかがえる。
まろやかなミルクティー色をした髪は高い位置でポニーテールに結ばれており、ミマネが顔を動かすたびに波打つように揺れた。
道ですれ違った人が思わず振り返るような──そして家に帰ったあとで思い返して、そのきれいな横顔をもう一度記憶の中で再確認したくなるような──そんなタイプの美しさだ。
「あいつが観光客から金を巻き上げてるらしいって話を聞いて、それ以来たまにこの辺りの様子を見にきてるんです」
「そうなんだ……いい人だね」
「そんなんじゃないですよ。ただ単に、曲がったことが許せないってだけです。それに、私この街が大好きだから。生まれ育った街に悪い評判がたったら嫌なんです。特に、最近は魔物のせいでお客さんの数も減ってるから」
ガウクの傷を確かめ終えると、ミマネはポケット魔導書を取り出す。
手のひらサイズのコンパクトな魔導書だ。緑色のブックカバーに、金色の箔押しがしてある。
ミマネは左手を魔導書の表紙の上に置き、右手でガウクの腫れた頬にそっと触れる。
「メルロ」
ミマネが呪文を唱えると、魔導書が緑色に光り輝く。
ミマネの右手から、術式がガウクのほおの表面に流れ込む。
術式は緑色の輝きを放ち、ガウクの肌の下に沈んで見えなくなった。
ミマネが手を離す。
ガウクは自分の手で頬をさすった。痛みも腫れも消えている。
「わあ、ありがとう」
「お礼なんて言わないでください。完全にこっちの責任ですし」
「いやいや、あなたのせいではないですから! 気にしないで。というか、助けてくれてありがとう」
ガウクがお礼を言うと、ミマネは申し訳なさそうな顔をした。
「あなたがこんな目に遭う前に助けられればよかったんだけど。改めて、本当にごめんなさい。せっかくこの街に来てくれたのに、嫌な思いをさせちゃって」
「いやいや! 本当に、全然大丈夫だから……」
しばらくお互いを気遣う時間が流れたあと、ミマネは立ち上がる。
「せっかくだから、街を案内しますよ。今着いたばかりなんですよね? どこか見たいとことかあります? 宿屋に泊まるなら、安くてサービスがしっかりしてるとこ紹介できますよ」
「あっ、えーと、俺はその──」
自分は観光しにここに来たわけではないのだ、と言おうとして、ガウクははたと気がつく。
俺は死ぬためにここに来ました! なんて言えるわけがない。
この街は自殺するのに都合がいいと思ったんだ、なんて言われて、地元民が喜ぶわけがなかった。しかも、彼女は明らかにこの街を愛している。
ガウクはミマネを見上げる。ミマネはその整った顔を少し傾けて、ガウクを見つめ返す。
いい嘘を考えあぐねたガウクは、丁寧に断ることにした。
「ありがとう。でも、俺は1人で大丈夫──」
けたたましいサイレンの音が、ガウクの言葉をさえぎる。
あまりにも大きい音だったので、ガウクは飛び上がった。
「うわあ!」悲鳴をあげながら、ガウクは両手で耳を塞ぐ。「なに! なにが起こったの!?」
「これは──魔物が街に近づいているという警告です」
ミマネは警戒する表情になって、空を見上げた。
「街の外に張ってある結界に魔物が侵入すると、サイレンが鳴るようになっているんです。ここ最近は本当にしょっちゅう鳴ってる……」
ミマネは動揺するガウクに視線を向けると、安心させるように「心配しないで」と言う。
「結界は街から少し離れたところに張られているから、魔物が街に入ってくるまではまだ距離があります。それに最近の傾向からすると、人型とかの知能が高い魔物じゃなくて、獣型か虫型の魔物が迷い込んで来ちゃったパターンだと思います。いずれにせよ、誰かがもう向かっていると思うから──」
ミマネは何かを説明していたが、ガウクはその話を半分も聞いていなかった。
魔物が近づいている、と聞いてガウクの頭の中に浮かんだのはただ一つ。
ついに俺が死ねる機会がやってきた。
ガウクは勢いよく立ち上がった。驚くミマネに、ガウクは勢い込んで質問する。
「その結界ってさ! 街のどの辺にあるのかな?」
「えっと、ここから西にまっすぐ行ったあたりだと思いますけど──」
「なるほど! ありがとう!」
ガウクは言われた方向に向かって走り出そうとして、直前で思いとどまったように立ち止まった。
ミマネに向き直ると、深々とお辞儀をする。
「本当に、いろいろとありがとう。最期に誰かに親切にしてもらえて嬉しかった。 元気でね!」
「え? なにを──ちょっと待って、どこ行くの!?」
戸惑った声をあげるミマネを置いて、ガウクは西へと全速力で走り出す。
──待ってろよ、魔物。
風を切って飛ぶように駆けるガウクは、自分を待ち受ける死の予感に興奮を抑えきれなかった。




