シュラスの街
どの馬車に乗ればいいのか分からず、ガウクはしばらくターミナルを右往左往した。
「お兄さん、ここに担当馬の名前が書いてあるでしょ!」と係員の男に怒られた挙句、ガウクはようやく自分が乗るべき馬車を見つけた。
自分がこれから乗ることになる馬車を観察する。大きい。シンプルなデザインだが、安っぽい感じはしない。
馬車の前方に目を移すと、一頭の水馬がおとなしく出発の時間を待っている。
名前の通り体が水でできており、半透明の青色をしている。それ以外は、水馬は普通の馬とほぼ違いがない。
水馬を見るたびに、ガウクはいつもそのぷるぷるとした体の中に手を突っ込みたくなった。実際に試すことはしない。いくら馬の形をしたゼラチンのように見えようとも、その体を手が貫通することはないということをガウクは身をもって知っていた。
結局のところ、水でできていようが、馬は馬だ。後ろ足で蹴られると、かなり痛い。
馬車のそばに立っている1人の御者に、ガウクはよろよろと近づく。
「えっと、これがオフィーリア? で合ってます?」
ガウクの差し出した切符をちらりと見やった男は、「ああ、合ってるよ。乗りな」と頷き、煙草をひと吸いしてから地面に捨てる。
「この便に乗るのはお客さん1人だから。すぐに出発するよ」
そう言うと、御者は地面に落ちた煙草を靴の底で踏みにじった。煙草から出ていた淡い緑色の煙が、空気の中に薄れて消えていく。その様子を見届けて、男はキャビンのドアを開けた。
ガウクは馬車に乗り込み、男は御者台に腰を落ち着ける。
馬車はゆっくりと動き出した。
ガウクはふと窓の外を見る。一台の馬車が並走している。
その馬車は一頭の風馬によって引かれていた。キャビンには引きつった表情の男が1人乗っているのが見える。先ほど隣の窓口で、別の係員と口論していた人物だとガウクは気がついた。
突然、ガウクの目の前で、風馬が空へと急上昇した。
地面に対して90度、直角の角度で、馬車は宙へと舞い上がる。
「だから風馬はいやだって言ったんだあああぁぁぁぁ……」
哀れな乗客の叫びが空へとフェイドアウトしていく。
ガウクは口を開けてその様子を見ていた。なんてこった。ガウクは心の中で男の無事を祈った。
ガウクが乗っている馬車も、だんだんと速度を上げていった。景色が次々と後ろへと流れていく。
やがて前方に海が見えてきたが、馬車は速度を緩めようとはしない。ますます勢いを上げた水馬は、そのまま海へと突っ込む。
ざぶん、と大きな水飛沫をあげて、馬車は海中へと勢いよく沈みこんだ。
ガウクは心臓が止まりそうになった。キャビンの中に水が入ってくるのではないか?
心配は杞憂に終わった。馬車は何事もなく海中を突き進み、しばらくしてから海面に浮上した。
ガウクは再び窓の外を見る。どこまでも遠く広がる海の上を、馬車は走っていた。
高くのぼった太陽の日差しを一身に受け止めて、海はきらきらと光り輝いている。
水馬はその上を、目的地めがけてひた走る。馬の力強い疾走に引かれ、馬車は波の上をすべるように進んでいく。
不覚にもガウクは気持ちが高揚してくるのを抑えきれなかった。
はじけるような期待感が湧き上がってくる。この2年間──あるいはもっと長い期間感じたことのない、新鮮な気持ちだった。
何か新しいことがはじまる、そんな予感。
見渡す限りの青が広がる景色の向こうに、やがてぽつぽつと白い箱のようなものが見えてくる。馬車が近づくにつれて、それらはよりはっきりと像を結び、その白いものは建物の集まりだということが分かってくる。
そしてもっと近づくと、遠景に浮かぶただのぼんやりした点描だったものが、船になり、波止場になり、そこで働く人たちの姿に変わる。
馬車は緩やかにスピードを下げて、停車の準備をする。
ガウクが死に場所と決めた街、シュラスに到着した。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「その道をまっすぐ行くと、ゲートがあるから。そこで切符を見せると、街に入れるよ」
馬車から降りたガウクに、御者の男が声をかける。
御者は頭の先からつま先までびしゃびしゃに濡れていた。どうやら防水の魔法がかかっていたのはキャビンだけだったらしい。男は服のポケットから完璧に乾いた煙草の箱を取り出し、一本抜き取り口にくわえる。
「まったく、このじゃじゃ馬め」
そうつぶやいた御者は、指にはめた炎の指輪を上着のボタンにカチリ!と音を立ててぶつけた。
指輪にはめ込まれた赤い石から、小さな炎が燃え上がる。
「ちょっと気を抜くとすぐ潜りたがる。困ったやつだ」
そして煙草に火をつけると、右手を振って指輪の火を消す。緑色の煙をくゆらせながら、男は静かに一服した。
ガウクはお礼を言い、御者の男に別れを告げる。
男から言われた通りに歩いていると、ゲートが見えてきた。ゲートの端にある小部屋には、頭をすっぽりと頭巾で覆った人物が座っている。ガウクが切符を差し出すと、その人物は華奢なハンドルが付いたスタンプを取り出し、切符に金色に輝く丸い印をつけた。
「ようこそ、シュラスへ」
その人物は子どもっぽい声で話した。スタンプを切符から離すと、小さな金色の火花が飛んだ。
「おいしいものがいっぱいの街だよ。おすすめは『空飛ぶパンケーキ』」
切符を受け取り、頭巾の人に手を振られながらゲートを後にする。
前方には、おしゃれな街並みが広がっていた。ガウクがいた村とは比べ物にならないような、まさに都会だった。
「ついに、来ちゃったんだなあ……知らない街に……」
「ついに来たんですね、ガウク」
聞き覚えのある声に横を向くと、そこには風の精霊がいた。
「あなたならやれると、信じていましたよ」
「風の精霊! 来てくれたのか」
驚いたガウクは、風の精霊の姿を見て更に困惑する。
「あれ、なんかこの間よりちっちゃくなってない?」
前回はガウクが見上げるほどの大きさがあった風の精霊は、今は手のひらに乗るくらいの大きさになっていた。
「大きな姿はこういう場所では目立ちますから。コンパクトになってみました」
小さなつむじ風に囲まれながら、風の精霊は微笑む。
「それより、無事に村を出ることができてよかったです! 一時は竜巻を起こしてあの村からこの街まであなたを運ばなければならないのかと思いましたが」
「そんなことまで考えてたんだ?」
「はい。しかしそうしなくてすんでよかったです。さあ、それでお仕事探しはいつから始めますか? 先ほどパーティー募集の張り紙を見かけたのですが──」
「しないよ?」
「え?」
「しないよ。パーティーには応募しない。俺は、ここに仕事を探しに来たわけじゃないんだ」
風の精霊はうろたえる。
「そ、それでは」動揺により、風の精霊の声に美しいビブラートがかかる。
「いったい、何のためにこの街へ来たのですか?」
「死ぬためだよ」
「ガウク」
風の精霊は呆然とした声で言う。
「まだ自殺願望を捨てていなかったのですか?」
「まあ、聞いてよ。この前風の精霊と話したあと、いい案を思いついたんだ。それなりに手強い魔物がこの街の近くに出没しているって言ってたよね?」
「ええ、噂ではそのようですが……」
「そいつらに俺を殺してもらえばいいんだよ!」
「ガウク!?」
「強い魔物ならきっと骨も残らず始末してくれるでしょ! それに運が良ければ、俺もなんかいい感じでちょっと粘って、英雄的な死に方ができるかもしれないし」
「ガウク……」
「風の精霊、本当にありがとう。風の精霊のアドバイスのおかげで、最後に素敵な旅ができたよ」
「私は死に場所を提供するためにこの街をおすすめしたわけではないのですが──」
「そういえばあのあと、すぐさま金を借りに行ってさ。どうせだからってめちゃくちゃな額を借りてきちゃった。もう踏み倒したろと思って」
「なにしてるんですか!?」
「余った分はチャリティにでも寄付してくるよ。ああ、最期にちょっとした善行ができてよかったなあ……」
「むしろ悪行に近いと思いますが、ガウク、ちょっと冷静に──」
「おい、なにをぎゃあぎゃあ騒いでんだ?」
突然、知らない声が割り込んできた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
ガウクが振り向くと、そこには男が3人立っていた。
3人とも銀色に光る鎧を着て、腰には剣を差している。
真ん中に立つ坊主頭の男が、ガウクを品定めするように目を細めた。
「観光客か? さっきからうるさいぞ。こんな道ばたで1人でなにをしているんだ?」
「ああ、えっと、俺は観光客じゃないし1人でもないんだけど──って、ウワーッ!?」
ガウクはすっとんきょうな叫び声をあげる。坊主の男が急に突進してきて、ガウクを壁に叩きつけたからだ。
「痛い!」ガウクは背中の痛みに悲鳴をあげる。「なに! なんで? 誰!?」
「俺たちはこの街の衛兵だよ」
男がガウクを壁に押しつけたまま答える。
「街に悪いやつらが入ってこないように守るのが俺たちの仕事さ。それと」
男はガウクを押さえつける腕に力を込める。
「お前みたいな浮かれた観光客に礼儀を教えるのもな」
「なんだよそれ!?」
大パニックになったガウクは、とりあえず得意なことをする。
頭の中に思いついたことを、全身全霊で思いっきり叫ぶ。
「俺は浮かれてない! むしろ絶望のずんどこにいるんだ!」
「どん底、な」後ろで傍観していたもう1人の衛兵が口をはさむ。
「あと俺はそんなにうるさくしてなかった! 風の精霊と話していただけだ!」
「風の精霊?」3人目の衛兵が不思議そうに言う。
すると、ガウクを押しつけていた男の腕が急に離れた。
ガウクはべしゃんと顔から地面に落ちる。
「風の精霊だと?」坊主頭の男はあざ笑う。
「そうか、お前あれか。頭がおかしい、可哀想なやつなんだな」
「嘘じゃない! 風の精霊、なんか言ってやってくれ──って、クソーッ!」
ガウクが周囲を見渡すと、案の定、風の精霊の姿はどこにも見当たらなかった。
「なんで精霊たちは人間が2人以上集まるといなくなっちゃうんだよ! シャイか! この人見知りの精霊め──ッ!」
「なにを訳のわからないことを言ってんだ」
ガウクの渾身の叫びを無視して、坊主頭の衛兵はガウクの前にしゃがみ込む。地面に這いつくばったガウクの顔を覗きこみながら、わざとらしい猫撫で声を出した。
「悪かったな。お前が頭のいかれた哀れな野郎だってこと知らなかったよ。お前の惨めな人生に免じて、今日は許してやる。そうだな──」
男は自分の顎をかきながら考える。
「金貨10枚か。それで手を打とう」
「は?」
「金貨10枚。持ってんだろ? 出せよ」
まさかのカツアゲに遭遇した事実に、ガウクは言葉を失った。街に入ってすぐだと言うのに。俺がなにをしたって言うんだ。まあ確かに借金抱えたままあの世におさらばしようとはしているけども。
ガウクの沈黙を抵抗と受け取ったのか、男は無理やりガウクを地面から引きずりあげた。
「口で言ってもわからねえなら」
ガウクを突き飛ばすと、男は握り拳を構える。
「一発、体に教えてやるよ」
男が放ったパンチが、鈍い音を立ててガウクの顔に直撃する。ガウクの視界は真っ暗になった。




