ターミナルにて
「お兄さん──お兄さん! ちょっと、聞いてる?」
男の面倒くさそうな声に、ガウクははっと我に返る。
ガウクは馬車ターミナルの一角にある窓口にいた。
背後ではそれぞれの目的を持った人たちが忙しなく行き交う。一方で、目の前では係員の男がわずらわしそうな表情でガウクを見ている。
ガウクは慌てて返事をする。
「す、すみません。えっと、なんでしたっけ?」
「だからさ、水馬と風馬と普通の馬、どれがいいの?」
「ああ、えっと、おすすめは……」
「いちばん速いのは風馬だね。一瞬で着くよ。その次が水馬。風馬ほどは早くないけど、きれいな景色も見れるから人気があるね」
男は慣れた口調で説明した。
「陸路で行くのはおすすめしないな。かなりの回り道になるからね。でも、どうしても普通の馬車がいいっていうなら、止めはしないけど」
男がそう言うと、まるで示し合わせたかのように隣から声が聞こえてきた。
「絶ッッッッ対に、普通の馬車がいい」
断固としてゆずらないぞ、と言わんばかりのその声の持ち主は、どうやら別の窓口の係員と口論をしているようだった。
「俺は普通の馬車以外には絶対に乗らない。なんとかならないのか」
「でもお客さん、この場所には風馬じゃないと行けないんですよ──」
「風馬だって! 先月も風馬による衝突事故で死人が出たばかりじゃないか。俺は魔法のハイブリッド動物は絶対に信用しない。なんとかしてくれよ」
「そう言われても……」
ガウクは目の前の係員を見つめる。
同じくやりとりを聞いていたらしい男は、特に気にした様子もなく肩をすくめてみせる。
「先月の風馬による死亡事故はたったの20件だった。秒ごとに死人が出てた時期に比べたらましってもんさ。さて、あんたはどうする?」
ガウクは考えた。死亡事故が多い、というのはとても──魅力的だ。
しかし、とガウクは心の中で首を横に振る。俺には既に、こうと決めた死に方があるのだ。
「あ、じゃあ、水馬でお願いします」
「あいよ。片道でいいんだな?」
「はい」
ガウクの返事を聞くと、係員の男は白い小さな紙片を取り出した。
男が細長いハンドルのついたスタンプを紙に押しつける。スタンプの先から魔力が流れ出し、紙全体が一瞬、幻想的な水色に輝く。
スタンプを紙から離した男は、インクが早く乾くようにと紙の端をつまんで空中でひらひらさせた。
「シュラス行き、14時出発、海路経由。銀貨3枚ね」
ガウクはもたもたと財布を取り出してお金を渡す。男はカウンターの上に切符を滑らせてよこした。
ガウクは切符を手にとってよく見てみる。
先ほどまではただの白い無地の紙だったそれは、透き通った水色の切符に変わっていた。波打つような白い線が薄く入っていて、透明な海のように見える。
黒いインクで目的地などが書かれており、右下には「担当馬:オフィーリア」と記されていた。
「それにしても、今この時期にシュラスに行くなんて珍しいね。観光かい?」
声をかけてきた係員の男に、ガウクはあいまいな笑顔を向ける。「いやあ、どっちかっていうと、仕事ですかね」
「へえ? まさか、残党狩りの人?」
「ううん、まあ、そんなとこかな。俺の人生最後の大仕事っていうか」
「人生最後?」
「いや、まあ、気にしないでください! それじゃ!」
お礼もそこそこに、ガウクはそそくさと窓口を後にした。
ターミナル内を足早に横切る。馬車の発車場所に向かって歩きながら、ガウクは独りごちた。
「本当はそこで死ぬつもりなんです、なんて言えるわけないよなあ……」
そして、風の精霊との会話を思い返す。あれから1週間が経っていた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「あなたの悩みを解決するための重要なポイントは、2つあります」
風の精霊は、ぴっと人差し指を立ててガウクに言った。
「1つ目は、この村を出て行くことです。この場所にいることが、あなたの精神に悪影響を及ぼしていることは間違いありません」
はきはきとした口調で、風の精霊は言う。
「自分が嫌っていた場所にまた逆戻りしてしまった、という感覚があなたを苦しめているようですし、なにより常に村人からのジャッジの目を気にしていたら前向きになりようがありません。この村を出て、誰もあなたのことを知らない場所へ行きましょう」
「えっと──」
「2つ目は」
何かを言おうとしたガウクをさえぎり、風の精霊はもう一本の指を立てる。
「2つ目は、お金を得ることです。現在、あなたの衣食住はすべてご両親に依存しています。そのことであなたは強い恥と罪悪感を抱えていますね。それらの感情も、あなたが前に進むのを妨げている大きな要因の一つだと思います」
理路整然と語る風の精霊をぼんやりと見つめながら、ガウクは思う。この風の精霊、いったいどこでこのレベルの分析力を培ってきたんだ。
「こんな自分が恥ずかしい、情けない、親に申し訳ない。これらの気持ちがあなたをがんじがらめにして、冷静に考えたり、何かを実行に移すことを不可能にしているのです。感情があなたの脳に過負荷をかけてしまっている状態ですね」
澄んだフルートの音色で、風の精霊は優しくガウクに語りかける。
「そのような状態が長く続けば、どんな人間でも参ってしまうのは当然です。前に進めないのは、決してあなたが弱いからではありませんよ」
不覚にも、ガウクは涙がこみ上げてくるのを感じた。
と同時に、状況のシュールさに困惑もしていた。
「なにこれ? 俺、今、風の精霊からセラピーセッション受けてるの?」
「風はいつもあなたのそばにいますよ」風の精霊が優しく微笑む。
「そしてあなたを包み込みます。まあ、たまに地面から吹き飛ばして空に放り投げたりもしますが。さて、以上のことを踏まえると、解決策が見えてきましたね」
風の精霊は嬉しそうに言った。
「村を出て、新しい場所で仕事を見つける。これがあなたの悩みを解決する最善の手です。死を考えるほどあなたを追い詰めている苦しみは、これですべて解消されます。どうですか、ガウク──ガウク、どうしました?」
ガウクの様子に気がついた風の精霊は、ふと言葉を止める。
ガウクは地面に這いつくばってぷるぷる震えていた。
やがて、蚊の鳴くような声を出した。
「そ……」
「そ?」
「それができたら苦労しないよ!」
ガウクの渾身の叫びが周囲に響き渡る。
「俺だって分かってるよ! 家を出て働いたらいいってことぐらい! でもそれができないんだよ!」
「ガウク、まずは聞いてくだ──」
「ていうか思ったより現実的なアドバイスが来てびっくりしたよ! もっと精霊っぽいファンタジーなこと言うかと思ったのに!」
「ファンタジー、とは例えばどんな──」
「なんか空から大金を降らせてくれるとかさ! あとは魔王を復活させてくれるとか!」
「残念ながらそのような能力は精霊にはありま──魔王を復活させて欲しいんですか!?」
「だって俺はそのために生きてきたんだもの……魔王を倒すために……」
ふたたび気力を失ったガウクは、しおしおとうなだれた。
「それに、俺の能力は魔王討伐以外には役に立たないって言ったのは嘘じゃないんだ。俺の使える魔法は特殊だから、日常的な場面では本当に出る幕がない」
ガウクは白い手袋をはめた自分の両手を見つめる。
「誰も俺の力なんて必要としていないよ。たとえここを出たとしても、俺が仕事を見つけられるとは思えない」
「ガウク」風の精霊は忍耐強く言った。「先ほどの私の質問を覚えていますか?」
「え? 質問?」
「シュラスという街を知っているか、と聞きましたよね?」
「ああ、うん。でもそれがどうしたの?」
「風のたよりによると、最近その街の周辺で魔物の目撃情報が多く報告されているそうです」
風の精霊は、内緒話をするかのように密かな声を出す。
「なんでも、普段は魔物が近づくような場所ではないだけに街の長たちは大慌て。急遽、魔物と戦える人を街の内外から募集しているらしいとのことです。つまり」
風がドラマチックに巻き上がる。
「あなたの能力を発揮できる仕事に就ける、またとないチャンスです! 長年魔物と戦ってきたその経験とスキルを存分に活かして、新天地で気持ちも新たに再出発しましょう!」
「ええ……でも、魔王じゃないんでしょ……」
「ガウク、魔王のことは忘れてください。魔王はもう復活しません。魔王レベルの魔物はもういませんが、それでもまだまだ手強い魔物たちがこの地にはたくさん残っています」
風の精霊はたしなめるような口調で言う。
「魔物の残党狩りは、魔王討伐と同じくらい大切な仕事ですよ。街を魔物たちの手から守るのです」
「そう言われてもなあ……」
ぐずぐずしているガウクは、ある重大なことに気がついた。
「っていうか、そもそも俺はお金を持ってないんだよ。遠くの街になんて行けない」
「借りましょう。この村にもお金を借りれるところくらい、ありますよね?」
あっさり言った風の精霊に、ガウクは度肝を抜かれた。
「俺に借金しろって言ってるの?」
「はい。あなたは今日、死ぬつもりだったんでしょう? 死ぬことに比べたら、お金を借りることなんてたいしたことではありません」
「た、確かにそれはそうかもしれないけど……」
「なにも途方もない金額を借りろと言っているのではありません。旅に必要な分と、仕事を見つけて最初の給料が入るまで持ちこたえられる程度のお金があればよいのです」
「でも、それでも仕事を見つけられなかったら?」
「追加で借りましょう」
「俺を借金まみれにしようとしてるの?」
「もし借金地獄になってしまったら、それこそ死ぬのにいいタイミングなのではないですか?」
ガウクはぽかんと口を開けて風の精霊を見つめた。
風の精霊はあっけらかんとしている。ガウクからの視線もどこ吹く風といった様子だった。
「さあ、そうと決まればすぐに準備を始めましょう!」
いきいきと風の精霊が言う。
「もし1週間以内にこの村を出る準備ができていなければ、私があなたに暴風を直撃させて無理矢理にでもこの村から吹き飛ばしますからね」
「そんな横暴な……」
「何年も同じ場所に留まっていたものを動かすには、ある程度の勢いが必要なんです。心配しないでください。着地の際に何本か骨が折れるかもしれませんが、骨はすぐにくっつきますよ」
「ええ……」
「1週間後にまた様子を見に来ます。楽しみにしていますよ、ガウク」
そう言うと、風の精霊の体の輪郭がふっと揺らいだ。体を形作っていた大気の流れは空気に溶け、たちまち渦巻く風へとその場で変わる。
激しいつむじ風になった風の精霊は、空中に巻き上げられるようにして去っていった。
後に残されたガウクは空を見上げる。
「風のように現れて、風のように去っていったな……いや、俺が呼んだんだけど……」
溜め息をひとつついてから、改めて風の精霊のプランを検討する。
悪くない案だった。多少問題を単純化しすぎているようにも思えたが、現実ばなれした計画ではない。
問題は──ガウクには、もう何かを頑張る力が残っていないということだった。
「どうすっかなあ……風の精霊を失望させたくはないけど……それに、骨を折られるのもいやだし……」
ガウクは天を仰ぐ。気持ちのいい青空がそこには広がっている。
「やっぱり、死ぬのがいちばんだよな……」
そう考えたガウクに、天啓が舞い降りてきた。
これだ。
ガウクは興奮して立ち上がった。どこへ向かえばいいかは分かっていた。




