風の精霊との対話
「もう一度おっしゃってくださいませんか?」
風の精霊が困惑した声をあげる。
ガウクは地面に頭をつけ、土下座した状態のまま声を張り上げた。
「俺を殺してくれ! お願いします!」
「そう言われましても……」
風の精霊は澄んだ声で話した。フルートを思わせるその美しい響きは、風が吹いたように時折ハスキーに掠れる。
誰もが聞き惚れるであろうその声には、今のところは戸惑いの色しか浮かんでいなかった。
「そのために私を呼んだのですか? あなたを殺すために?」
「そうです! お願いします!」
「精霊がむやみやたらに人間を殺すような存在ではないことは、ご存知ですよね?」
「もちろん! 俺は今までたくさんの精霊を呼び出してきたんだ。精霊たちが野蛮な存在じゃないってことは知ってる」
「それなら、どうして?」
「なぜなら」ガウクは力強く言った。
「俺は精霊たちの間では、『困り事があるとすぐに精霊を呼び出すうざったい人間』として広く知られているから。最後に呼び出した精霊は『次に呼び出したらお前の目玉を抉りだしてお前自身に食わせてやる』と俺に言い捨てて去っていった」
「それはそれは……」
「だから、顔見知りの精霊が来てくれれば一発で殺してくれると思ったんだ。残念ながら俺たちは初めましてだけど」
ガウクは期待に満ちた表情で風の精霊を見上げる。
「でもそんなの関係ない! これも何かの縁だ、ひとおもいに殺ってくれ! お願いします!」
また地面に頭を下げて、「俺を殺したら他の精霊たちから喜ばれますよ!」とまで叫ぶガウクの勢いに、風の精は見るからに気圧されていた。
「あなたを殺すことはできません」
まわりの空気を繊細に震わせながら、風の精はそっとささやく。
「それは他の精霊たちも同じだと思います。いくらあなたを煙たがっていたとしても、殺してほしいというあなたの願いを聞いてくれる精霊はいないでしょう」
「そこをなんとか……」
「そもそも、どうして死にたいのですか?」
風の精は首をかしげる。
「私はあなたを殺すことはできませんが、それ以外のことでならお力になれるかもしれません。あなたが精霊を呼び出してまで死にたい訳を、私に聞かせてはくれませんか」
風の精霊の優しい声に、ガウクは泣きそうになる。誰かに優しくしてもらったのは久しぶりだった。見上げると、風の精霊がガウクを励ますように微笑んでいる。
「俺が死にたい理由はね……」
♦︎ ♦︎ ♦︎
ガウクはすべてを風の精霊に話した。
魔王を倒して勇者になるという長年の夢が叶わなかったこと、次に何をしたらいいのか分からず途方に暮れたこと。
そして地元に戻ったはいいものの再就職がうまくいかず、貯金もなければ先の展望も見えず、もはや未来になんの希望も持てないということ。
「先月なんか、子どものころ同じ学び舎に通っていたやつに道端でばったり出くわしちゃってさ。そいつが言うには、結婚して子どももいて仕事も順調で、地元のやつらはみんな仲良しで今でも週末は集まってわいわいやってる、だってさ」
「それでガウクは今は何をしてるんだ?」と無知を装って訊ねてきた男の顔を、ガウクは屈辱とともにはっきりと思い出せる。
「この村にいるみんなが知ってるんだ。勇者になるだなんて偉そうに言って村を出た俺が、今じゃ無職で実家暮らしだってこと」
また知り合いに会うことをおそれて、最近ではガウクはめっきり外出をしない。
「夢を何年も追いかけて、結局何者にもなれずにすごすごと帰ってきた俺のこと、みんな心の中で見下して笑い者にしているんだよ」
「なるほど、あなたはそのように感じているのですね」
風の精霊は優しく相槌をうつ。
「しかし、たとえ魔王を倒すことができなかったとしても、魔王討伐の旅に出たことそのものがすごいことなのではありませんか?」
風の精霊は指摘する。
「誰もができることではありませんし、その過程でたくさんの魔物と戦ってきたのでしょう? その功績については、村の人たちから称えられることはなかったのですか?」
「もちろん、褒めてもらえたよ。帰ってきてすぐのころはね」
ガウクが役場で帰還を報告したときは、その場にいた村人たちからあたたかい拍手をもらった。
村長からのぶっきらぼうながらも確かな承認のうなずきや、「おかえりなさい」と声をかけてくれる役場の人の笑顔は、長旅に疲れたガウクの心にじんわりと響いた。
「だけど、そんなの最初のうちだけだ。だんだん時間が経ってくると、『それで、こいつはいつまで何もしないでいる気なんだ?』って空気になってくるんだよ。特に俺の両親はさ、もう露骨だったなんてもんじゃないね」
ガウクの父親と母親──特に母親は、ガウクが無事に帰ってきたことを心の底から喜んだ。
腕によりをかけた豪華な料理で息子を歓迎し、ねぎらい、しばらくここでゆっくり休んで旅の疲れを癒しなさい、と言った。いつまでもここにいたっていいのよ、との保証までくれた。
しかし1週間がすぎ、1ヶ月がすぎ、1年が経つと、状況は変化した。
「多分親も、まさか俺が何もせずにただ家にずっと居座ることになるだろうとは、思ってもいなかったと思うんだよね」
いつまでも働きだす気配のない息子に、「まさかこの先何もしないでずっとうちにいるつもりなのか?」という疑問を両親が抱きはじめたのがガウクには分かった。
「内心では俺に早く仕事を見つけて家を出て行ってほしい、って思ってるのがめちゃくちゃ伝わってくるんだ。でも同時に、十数年ぶりに過酷な旅から帰ってきた息子に強く出ていけとも言えないっていう、そういうジレンマを感じているみたいで」
ガウクが家に帰ってきてからとうとう2年が経過した今では、家庭内の雰囲気はとてもぎこちないものになっている。
「もう毎日が針のむしろなんだ。あの家にいると罪悪感で息が詰まる。俺だって親に迷惑かけてるの分かるし、早く出ていかなくちゃって思うけど、でも、もうどうしたらいいのか分からないんだ……」
「お可哀想に。ずいぶんと思い詰められているようですね」
風の精霊の声は慰めの色を帯びた。
「しかしひとつ気になったのですが、どうしてお仕事が見つからないのでしょうか。魔王討伐の旅に出たほどの力があるお人がなんの職にもありつけないというのは、私には少し信じがたいのですが」
痛いところを突かれたガウクは、思わず「ウッ」と声を出した。まるで本当に槍でみぞおちを突かれたような声だった。風の精霊は心配そうな表情になる。
「どうしました? 大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫。ちょっと俺のメンタルにクリティカルヒットしただけ」
「そうですか」
「俺が仕事に就けないのはさ、俺の力を活かせる仕事がないからなんだ。ほら、俺の持ってる能力って、魔王を倒すためだけに磨かれてきたものだからさ? そのほかの場面ではまったく役に立たないんだよね」
「なるほど……」
「あとはこの村じゃろくな仕事がないってのも、ひとつの理由かな。俺の経歴と能力は、ここみたいな田舎で必要とされるレベルをはるかに超えちゃってるっていうのも、まあ、悲しいけど事実だよね。ハハハ」
「なるほど……?」
「それにこの村は狭いからさ。全員顔なじみみたいなもんだよね。つまり、どんな仕事に就こうが、絶対に知り合いと一緒に働くことになるってこと。それすなわち──」
突然、ガウクは地面を両の拳で叩いて大声で叫んだ。
「俺が子どものころ馬鹿にしてたやつらから毎日馬鹿にされながら働かなきゃいけないってことだ!」
「え?」
「風の精霊は知らないだろうけどさ! 田舎ってめちゃくちゃ陰湿なんだよね! 都会と違って娯楽が何にもないからさ、みーんな陰口とうわさ話に楽しみを見出すんだよ! 大人も子どももね!」
「えっと──」
「俺はそういうの、昔から嫌いだったんだ! 学び舎の子どもたちがずっと誰かの悪口言ってても、俺だけは参加しなかった! だからみんなから気取ってるとかおすまし野郎とか、さんざん言われてきたんだよ! そのたびに俺は、こんなくだらない場所から早く抜け出してやるぞって決意を固めたんだ! こんなくだらない連中から、こんな田舎から、こんな馬鹿みたいな村から──」
ガウクは言葉を切る。
「でも、ダメだった」
ガウクは小さな声で続ける。先ほどまでの威勢は急にしぼんでしまったようだった。
「一度は出ていけたけど、結局はここに帰ってくることになってしまった。俺があれだけ嫌っていたこの場所に。そして今じゃ、俺が馬鹿にしてたやつらはみんな大人になって、しっかり自分の人生を生きている」
ガウクは溜め息をつく。
「この村のやつらだけじゃない。俺が一緒に旅していた仲間たちもそうだ。みんな新しい仕事を見つけて、それぞれ自分の道を進んでるんだ」
ガウクは時折送られてくる仲間たちからの手紙の内容を思い出す。
聖魔術師は予定通りに家業を継ぎ、のんびり楽しくやっているとのことだった。拳闘家はギルドの紹介で首尾よく仕事を見つけ、そこで働くかたわら、暇さえあれば趣味のボクシングに打ち込んでいるらしい。
魔導士と剣士は、2人で旅を続けている。最後に送られてきた手紙には新聞の切り抜きが同封されていた。
『お手柄! 冒険者2人が荒くれ軍団を一網打尽』と題された記事には、笑顔の2人が肩を組んでいる写真が載っている。
どの手紙にも、誰もが充実した生活を送っている様子が記されていた。
「俺だけだ。俺だけが、前に進めないままなんだ」
そう言うとガウクはうつむく。
すっかり意気消沈したガウクを前に、風の精霊は「なるほど、大体のところは分かりました」と優しく声をかけた。
「目標を突然失ったことによる燃え尽き症候群。夢を叶えられなかったという恥と自己嫌悪。そして次の仕事を見つけようにも、自分に向いている仕事はなく、また、自らが軽蔑していた人間たちと肩を並べるのは耐えられない。まとめると、こういうことですね」
「う、うん。なんかそうやって要約されると、ますます情けなくなってくるな。こんなことでくじけている俺って、なんてダメな人間なんだろう。世界にはもっと深刻な悩みを抱えている人がたくさんいるというのに……」
ますますどんよりとした顔つきになるガウクに、風の精霊は首を横にふる。
「いいえ、あなたはダメな人間ではありません」
ガウクは希望を持って風の精霊を見上げる。風の精霊は笑顔のまま続けた。
「確かに、今この瞬間にも魔物に生きたまま食べられようとしている人がいますし、恐ろしい呪いを受けて生死の境をさまよっている人もいますし、食べるものも住むところもなく、それでも諦めずに懸命に前を向いて生きている人たちがいますが」
「急にトドメを刺しにきたの?」
「しかし、そんなことを言ってなんになりましょうか? すべての命は、等しく大切なものです。あなたの人生で経験する悩みがほかの人と比べて軽く見えるからといって、あなたの苦しみやあなた自身が軽んじられていいというわけではありません。あなたの人生を困難にするものがあるなら、それがどんなにちっぽけなものに見えようとも、それについて苦しんでいる自分を責めたり、恥ずかしさを感じたりする必要はありません」
「カウンセリングの精霊……」
「いえ、風の精霊です」
しっかりと訂正した上で、風の精霊はガウクに微笑みかける。
「あなたは絶望のあまりもう死ぬしかないと思い込んでいるようですが、私はこの状況から抜け出す方法はほかにもあると思います」
「本当に?」
「はい。それはですね」
ガウクは期待と不安に揺れる目で風の精霊を見つめる。
風の精霊はそよ風のような柔らかい声で、そっとささやいた。
「シュラスという街を、ご存知ですか?」




