旅の終わり
ガウクは死ぬことにした。
家で死ぬには十分なスペースがない。
縄をかけるのにちょうどいい梁などもないし、そもそも天井が低すぎる。
両親と暮らしているというのも痛いところだった。
なにしろ狭い平家だ。自分の部屋という概念は存在しない。
何かを実行する前に、親に気づかれて止められてしまうのは間違いなかった。
そこでぶらぶらと外に出て死に場所を探してみたはいいものの、ある致命的なことにガウクは気がついた。
もしかしてこの村で自殺するの、めちゃくちゃハードルが高いんじゃないか?
飛び降り?
村でいちばん高い建物は村長の家だ。
他の家が平家かせいぜい2階建てなのに比べ、村長の家はなんと3階建てだった。確実に死ねるか怪しい階数だ。
なにより御年80歳の村長──自他ともに認める重度のパラノイアの持ち主──は自分の家のまわりに何重にも結界を張っているので、まず近づくことさえ叶わない。論外だ。
飛び込み?
海はなく川はなく湖もない。
風呂より深い水深はこの村には存在しない。
馬車の前に躍り出て轢いてもらうという手もあるが、この村を馬車が通過するのはとても稀なことだった。不定期すぎるし、不確実すぎる。
刃物で自分を傷つける方法もあるが、ガウクはどうしてもそれをする気にはなれなかった。試しにカミソリを握ってみたが、手汗が滝のように出てきただけで、実行に移すことはできなかった。
残るは魔法だったが──これもガウクは躊躇した。
杖を自分に向けて致死性の魔法を放ったり、魔導書を口にくわえて死の呪文を唱えたりした人々の話をガウクは以前に聞いたことがあった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「それで、結果はどうだったんだ?その人たちは死んだのか?」
数年前のことだった。旅の途中で寄った薄暗いバーで、ガウクは男に訊ねた。
放浪詩人だというその男は、金色の液体が入ったロックグラスをゆっくりと回しながら「いや」と答えた。
「上手くいかなかった。ひどい有様だったらしいよ。魔法が発動したが、死にきれなかったんだ」
「どうして?」
ガウクも黒い液体が入ったマグカップを握りしめていた。そのとき何を注文したのか、ガウクはまったく思い出せなかった。男と交わした会話の内容ははっきり覚えているのに。
「魔法が十分な威力を発揮しなかったってことか?」
「基本的には、そうだ。喰らったら一発で死ぬはずの魔法なのにな。そんな例がいくつも報告されているから、だから魔法じゃ自殺はできないってのが昔からの通説なんだ。本人たちのためらいが原因なんじゃないかと言われているが、本当のところは分かっていない」
「それはおかしいな」
ガウクは考えこんだ。
「術者の感情がそこまで魔法の効果に影響することがあり得るのかな?だって死の魔法は死の魔法じゃないか。死ななかったら、それはもう死の魔法じゃない。別の魔法だ」
ガウクは頭の中の疑問を口に出して言う。
「術者が効果を恐れただけで、一つの呪文の性質を変化させることができるのか?」
「さあな」男は肩をすくめる。
「もう一つの有力な説は、魔法には根源的に自殺を避ける性質が備わっているというものだが──魔物が自らを爆発させて死にまくっている事実を考えると、疑わしいな」
そう言うと、放浪詩人は沈黙した。手の中のグラスを見つめるその表情は、男が深く被ったフードに阻まれてガウクからはよく見えない。
「俺の仮説はな」
次に喋り始めたとき、男は先ほどまでより数段低い声を出した。
「この類の話は全部嘘で、何もかも作り話だってことだ。本当は、死ぬ魔法を自分に使って生き残ったやつは誰もいない。感情が呪文の効果を変えることはないし、魔法には自殺を避ける力なんてない。みんな杖か魔導書をくわえたまま、壁に脳みそを飛び散らせて死んでいったのさ」
ガウクは言葉を失い、隣に座る男を見つめる。
「それじゃ、なんで」おそるおそる男に質問する。
「なんでそんな作り話があるんだよ? 誰が、なんのためにそんな話を作り出したんだ?」
「思いとどまらせるためさ」
男は静かに答える。
「魔法で自分を殺すことはできない。それどころか、死にきれずに苦しむことになるって噂を流しておけば、魔法を使って馬鹿なことをしようとするやつの数は減るだろう。少なくとも少しは躊躇するはずだ」
薄暗いバーのほのかな明かりに照らされて、男の手の中の液体が黄金色にちらちらと輝く。
「きっと同じように馬鹿なことをしようとして、偶然生き残ってしまったやつが考え出したんだろう。他の馬鹿なやつらが、自分と同じような思いをしなくて済むようにってな」
そう言うと、男はまた黙り込んだ。
男の仮説は──ガウクにはいまいちピンと来なかった。
そもそも、死ぬ魔法を自分に使って生き残った者がいないのなら、偶然生き残った者は存在しないことになる。男の話はどうも矛盾しているようにガウクには思えた。
しかしここはひとつ男に話を合わせておこうと思ったガウクは、「まあ、たしかにな。きっとどこかの誰かには効果があるんだろうな」と当たり障りない返事をした。
「そう願うよ」男がもう一度口を開く。「さて、ところで」
男はゆっくりとガウクに顔を向ける。
初めて真正面から男の顔を見たガウクは、息を呑んだ。
男の顔の上には、ぎざぎざの傷跡が無数に走っている。つぎはぎだらけのその顔は皮膚がところどころ変色していた。紫、黒、赤紫、緑と、カラフルなパッチワークのように見える。
まるで顔全体が爆発した後に、飛び散った皮膚を一枚一枚縫い合わせたかのようだった。
「どうだった。お前には効果があったか?」
男の言葉に、ガウクは固まってしまう。男はガウクの目を見つめたまま、透明のグラスを傾けて金色の液体を一気に飲み干す。
そしてついとスツールから立ち上がると、呆然とするガウクを残してどこかへと歩き去ってしまった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
そのときのガウクにはピンと来なかったかも知れないが、結局、男の仮説は今のガウクを思いとどまらせることに成功した。
魔法で死ぬのはダメだ。怖すぎる。
「このくそド田舎じゃ、俺はまともに死ぬことすらできないのかよおおおおおお!」
打つ手がなくなったガウクは、空に向かって咆哮した。
ちょうど2年前──魔王討伐の夢が潰えたときと同じように、地面に手をついて泣き叫んだ。
俺はこれから、どうしたらいい?
あの日から何度も考え続けてきたのと同じ問いが、今日も頭の中で響き渡る。
30代になるまで夢を追いかけて、結局その夢を叶えることはできなかった。
そして手に残ったものは──何もない。
地位も名誉も金もなく、ただ砕け散ったプライドの残骸を抱えて暮らす日々。
俺はまだやれる、本当の俺はこんなんじゃない、俺はこんなふうになるはずじゃなかったんだ。
そんな想いにしがみつくも、ガウクが認めたくないガウク自身のありのままの姿を、現実は痛いほどに映し出す。
自分が思っていたほど優秀でも、強くもなく、特別でもない。
平凡だった。
理想からはほど遠い、小さく無力な自分がそこにはいた。
そんな自分が身の丈に合わない夢を叶えられると思いこんでいた恥ずかしさ、そして目的もなく先の見えない毎日に囚われ続けている絶望──それらの感情にこの2年間ずっと苛まれ続けてきたガウクは、もう耐えられなかった。
夢の旅路はもう終わりだ。
死ななければならない。今日、今、ここで。
しかしどうやって?
涙と鼻水を垂らしながら、ガウクは悩みに悩んだ。考えた末に、起死回生の一手を思いついた。
誰かに殺してもらえばいいんじゃないか?
馬車に轢いてもらうという案と似たようなところはある。しかしもっと故意に、確実に、ガウクをこの世から葬り去るという強い意志を持った誰かにやってもらえれば、失敗の可能性も減るのではないか。
他力本願な自殺方法ではある。しかしガウクは少し元気を取り戻した。
自分を殺してくれそうな相手に、ガウクは心当たりがあるからだ。
涙で汚れた顔を拭き、立ち上がる。
胸元のポケットから小さなハンドベルを取り出すと、そっとハンドルをつまんで左右に振る。
からころ、という軽やかな音が辺りに響き渡った。
空気が揺らめき、目には見えない何かがガウクの肌を震わせる。
風が空気を切り裂く鋭い音とともに、小さなつむじ風が現れる。
くるくると勢いよく旋回する大気の流れは、しばらくガウクの目の前で漂う。
やがてだんだんと速度を落とし、風は糸がほどけるように空気の中に散っていく。
つむじ風があった場所には、たなびく雲の衣を身にまとった風の精霊が浮かんでいた。




