魔王のいない世界
魔王、墜つ。
その知らせはたちまち国中を駆け巡った。
「誇り高き勇者たちの手によって、ついに巨悪が討伐された!」
人々は喜んだ。
しかしほんの一握りの者たちは、同じ感情を共有してはいなかった。
♦︎ ♦︎ ♦︎
ある者は心を痛めた。
喜ぶ周りの人たちに合わせて、ぎこちない微笑みを浮かべる。内心では悲しみが胸を覆っているのを、周囲に悟られまいと懸命だった。
ある者は何も感じなかった。
ラジオから流れてくる魔王討伐の知らせを無関心に聞きながら、ぼんやりと考える。それで、俺たちの戦いはいつ終わるんだよ?
ある者は病院のベッドの上にいた。
窓の外から人々の歓声が聞こえてくる。
「手があったら拍手してるんだけどな」彼は乾いた口調で看護師に言った。
「足があったら踊り出してるよ。多分」
ある者は普段通りの一日を過ごした。
念のため父親の様子を確認したが、当の本人はけろりとしていた。
「終わらないものは無いからねぇ」
父はそう言ってふにゃふにゃと笑った。それで終わりだった。
ある者は──号哭した。
「俺が魔王を倒した男になるはずだったのに!」
男は地面に向かって叫んだ。
膝が汚れるのも、手のひらに小石が食い込むのも構わない。
土の上に四つん這いになった男は、ありったけの力を振りしぼって叫んだ。
「誰かに先を越されちゃったら、意味ないじゃないか!」
「おい、冗談だろ?」
男の様子を遠巻きに見守っていた仲間の一人が、呆れた表情で男に声をかける。
「魔王が倒されたのは良いことじゃないか。ようやく世界に平和が訪れるんだぞ」
「わかってるよ! わかってるけど!」
男はますます悲痛な声を上げた。
「魔王を倒して勇者になるのが俺の夢だったんだ。そのために今までずっと努力してきたんだ! それなのに──」
倒すべき魔王はもういない。
魔王を倒した者だけに与えられる称号、『勇者』。
その栄誉を掴むという、子どものころから抱いてきた人生の目的が一夜のうちに消え去った。
絶望に打ちひしがれた男の魂の叫びが辺りに響き渡る。
「俺はこの先、いったい何を目標に生きていけばいいんだああああああ!」
「まあ、まずは職探しだろうね」
もう一人の仲間、魔導士があっさりと答える。
「私たちみたいな、魔王を討伐するために編成されたパーティーは軒並み解散ということになるからね。しばらくは職にあぶれた人たちで職業紹介所がごった返すと思うよ」
「ちょっと待て」
先ほど男に声をかけた人物──剣士が、魔導士の言葉を聞いて顔をしかめた。
「こういうのって手当とかが出るんじゃないのか? 私はてっきり、老後の安泰は保証されたもんだと思っていたが」
「残念ながら」
魔導士はさわやかな笑顔を剣士に向ける。
「出ないよ。何にも出ない。今後の人生の保証がされているのなんて、それこそ魔王を倒した勇者パーティーだけだよ。あとは国のお気に入りチームかな? その人たちはご褒美をもらえるかもね。一方、何者でもない私たちは──」
「ちくしょう」
剣士が悔しげにうめく。
「そんなことなら旅の途中でもっと金を稼いでおくんだったな。どうして国は事前に知らせてくれなかったんだ?」
「事前に知らせたら、誰も魔王討伐なんてやりたがらないからね。けちんぼ政府は、安い労働力を使い捨てにすることしか考えてないんだよ」
「おい、また政権批判か?」
そう言って割り込んできたのは、渋い顔をした拳闘家だった。
「お前はいつも国のせいにして、ずっと文句を垂れているだけじゃないか。俺たちよりもうんと賢い人たちが大変な仕事をしてくれてるおかげで、この国は回っているんだぞ。少しは感謝したらどうだ?」
「相変わらず気持ちのいいほどの靴の舐めっぷりだね、お前は」
魔導士は拳闘家に一瞥もくれずに言い放つ。
「媚び売ったところで一銭もでやしないのにさ。お前みたいな従順な愚か者が何も考えずに唯唯諾々と生きているから──」
「みんな! 政治の話をするのはやめよう!」
聖魔術師が明るく声を上げた。
「チームを解散したあと、みんなはどうするつもりなんだい? 僕は家業を継ぐ予定だけど」
朗らかに話す聖魔術師に、拳闘家は魔導士を睨みつけながら答える。
「俺も地元に戻るよ。地方のギルドに所属しているから、そこで仕事を紹介してもらうつもりだ。少なくとも路頭に迷うことはないだろう」
「ギルドか」剣士はまたしてもうめいた。
「私は地元のギルドとは反りが合わないんだ。あそこには戻りたくないな」
そう言った剣士は、ふと魔導士に顔を向ける。
「お前はどうするんだ。地元に戻るつもりか?」
「ううん」魔導士は首を横に振る。
「私はこのまま旅を続けるよ。街から街へと渡り歩く生活が私には合ってるから。行く先々で何かしら仕事も見つけられると思うよ。魔王がいなくなっても、他の魔物たちがいっせいに消え去るわけじゃないからね」
魔導士は首を傾げると、「ただ」と続ける。
「一人旅は少し不安なところがあってね。実は、誰かついてきてくれたらいいなあと思ってたところなんだけど」
じっと魔導士に見つめられ、剣士は驚いた。
「私を誘っているのか?」
「だめ? 女二人で楽しいことしようよ。もうつまんないこと言ってストッパーかけてくる男どもはいなくなるからさ、私たち二人でなんだってできるよ」
「邪悪な精霊が封印された呪いの石板を枕がわりにするのは危ないからやめろ、っていうのはどう考えてもつまんないことじゃないと思うがな」
苦々しい口調の拳闘家の発言は無視された。
「いいだろう」剣士はにやっと笑う。
「おもしろそうだ。お前と一緒なら、どこまででもついていってやるよ」
「ああ、任せてよ。後悔はさせないよ?」
にやにやと互いに笑みを交わしあう二人を見て、聖魔術師が嬉しそうに声を上げる。
「それじゃあ、みんな身の振り方は考えてあるってわけだね! となると残るは──」
全員の視線が一点に集中する。
視線の先には、先ほどの姿勢からまったく変わらず地面に這いつくばったままの男の姿があった。
「俺は……俺は……」
男は震える声を漏らす。
「俺はなんにも考えていない。この先の計画なんて何もない。ギルドにも所属してないし、地元に伝手もないし、あてどなく旅を続けるのも嫌だ。だって俺は──」
男は両手を強く握りしめた。
「魔王を倒すことだけ考えて生きてきたんだ。それだけが俺の生きる目的だったんだよ! 勇者になれなければ俺の人生なんて意味がないんだ! だから──頼む──」
大粒の涙をぼたぼたと地面にこぼしながら、男が空に向かって咆哮する。
「魔王! お願いだ! もう一度復活してくれええええええ!」
「そんな無茶な」
「かなり不謹慎というか……」
「勇者になりたいやつがそんなこと言っちゃダメだろ」
「人間がそんなこと言うの、人類史において初めてなんじゃない?」
仲間たちからの冷静な反応を受けながらも、男の嘆きは丸一日続いた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
ほんの一握りの者たちの感情は、世間に知られることはなかった。
時が経ち、互いの道筋が交錯するそのときまで、それは心の奥底に隠された秘密──あるいは時間の波に押し流されて遠ざかっていく束の間の想いとして──それぞれの胸の中に収まっていた。
世界は祝いのヴェールに包まれ、さまざまな感情を覆い隠して未来へと彼らを運んでいく。
魔王のいない世界が今、幕を開けようとしていた。




