つくろいの精霊 前編
オルゴールのような、柔らかい音色が広場に響く。
どこか懐かしく、暖かな気持ちにさせるメロディだ。
離れた場所から、ミマネは曲に聴き入る。ガウクの演奏は見事なものだった。
「あれは……」
アンセルが驚きの声をあげる。
噴水のへりに置かれた茶碗と服が、ゆっくりと浮き上がる。
茶碗はガウクが見上げる程度、服はそれよりも高い位置まで浮かんだ。
たんたんたん、と、どこからともなく何かを叩くような音が聞こえてくる。
機織りの音?
ミマネは耳を澄ませる。
はじめはかすかに聞こえる程度だったその音は、次第に大きくなる。
音に誘われたかのように、もやもやとした黒い紡錘形の霧が上空に現れた。
茶碗と服をそれぞれ取り囲んだ二つの霧は繋がり、漠然とした人型を形作り始め、やがて実体を持った存在へと変わっていく。
ミマネは畏怖の念を抱いて、上を見上げる。
その隣でアンセルは、警戒の面持ちで空を見据えた。
つくろいの精霊は──巨大だった。
雲を突くかのようにそびえ立つ、大きな体。
漆のような質感でできているその真っ黒な体の表面には、ところどころに金色の線が走っている。腕と胴は細長く、下半身はドレスの裾のようにふわりと広がっていた。
違う世界から来た生き物みたいだ。
ミマネはつくろいの精霊を観察しながら、ぼんやりと考える。そもそも霊界自体がこことは違う世界だ。その印象はあながち間違っていないのだろう。
それでも、つくろいの精霊はガウクが前に召喚したクリオネのような精霊とはまったく違う。今目の前にいるのは、これまで見たどの生き物とも似ていない存在だった。
特にミマネの目を奪ったのは、精霊の頭の両側からにょきにょきと生えてきた細長い腕だ。
手はそれぞれに針と糸を持っている。
腕は精霊の頭の上に浮かんでいた子ども用の服を掴んで検分すると、破れた箇所をちくちくと縫い直し始める。
精霊の胴体の真ん中にぽっかりと空いた空洞も、ミマネの注意を引いた。
空洞の中心では、アンセルの持ってきた茶碗が浮かんでいた。よく見ると茶碗が地球の自転のようにゆっくりと回転しているのが分かる。
神秘的だ、とミマネは思う。
だけど同時に不可解で、少し怖ろしくもある。
アンセルは、つくろいの精霊の登場には特に感銘を受けていない。ただ用心深くガウクの背中を見つめていた。
ガウクが曲を演奏し終える。
機織りの音も遠ざかり、広場には再び静寂が訪れた。
「ガウク」
溜め息まじりの低い声。
洞窟の中で話しているかのようにぼわんと反響して聞こえる。
つくろいの精霊は大きな頭を傾げて、ガウクを覗き込む。
「今度は何を壊したの?」
♦︎ ♦︎ ♦︎
「久しぶり、つくろいの精霊」
ガウクは手を振って挨拶をする。
「5年ぶりくらいかな。俺がレストランでめちゃくちゃ高いグラスを割ってすっごく怖いオーナーに殺されかけて以来だね」
つくろいの精霊は、表情の乏しい顔にわずかに笑みを浮かべる。
「ガウクはすぐに物を壊す。いつもそう」
その声には呆れた響きがある。
同時に、隠しきれない親しみも滲んでいた。
「村に伝わる聖剣を折ってしまったの覚えてる? 村長に怒られると思って、ガウクわんわん泣いてた」
「その話はもういいだろ」
ガウクはうめく。
「子どもの時の話をするのはやめてよ。恥ずかしいから」
「ガウクはまだまだ子ども。私にとっては」
精霊は細長い腕をゆっくりあげる。
ガウクの背後を指差すと、不思議そうに聞く。
「あれは誰?」
「ああ、あれは俺の友達だよ」
「友達?」
「うん。一緒にいてもいいかな?」
少しの沈黙。
「人間は直せない」
「へっ?」
「あの子を直して欲しいんでしょう? あの壊れた子?」
視線の先には、アンセルの姿がある。
「違うよ!」ガウクは叫ぶ。
「アンセルさんは壊れてない。それに、つくろいの精霊が生き物を治せないのは知ってる。そうじゃなくて……」
♦︎ ♦︎ ♦︎
「あいつら、俺の話をしているのかな?」
遠くからアンセルはつぶやく。
「もし精霊が手足をくっつけ直してくれるって言ったら、アンセルさんはどうします?」
「おい、何があっても絶対に精霊と取引をしてはいけないって学校で習わなかったか?」
「そうですけど。でも揺らぎません?」
「揺らがないよ」
アンセルは顔色を変えない。
「精霊は人間とはまったく違う倫理観を持っている。彼らが善意で人間に何かをしてくれるなんて、考えないほうがいい」
「でも、ガウクさんはこうしてお願い事をしてるわけでしょ。精霊の中にも、話の分かるタイプの霊がいるんじゃないですか?」
「人ならざるものと対等な関係を結ぶことはできない。力の差が大きすぎる」
アンセルは断定的に言う。
「精霊は人間よりはるかに強力で予測不可能な存在だ。言ってみれば、野生動物みたいなものさ。俺たち人間は野生の虎とは暮らせないだろう? 鎖で繋がない限りは危険すぎるからな。そして鎖で繋いでしまった時点で、それはもう対等な関係とは言えない。どんなに友好的に見えても、脅威となりうる相手と真の信頼関係を築くのは無理だ」
それって私のお父さんもですか?
そんな言葉が思わず口をついて出そうになるが、ミマネはこらえる。
アンセルが魔物について話していないことは分かっていた。ただ、人ならざるものを父に持つ身としては、内容の類似性に落ち着かない気持ちになる。
ミミックは魔物の中でも無害なほうだ。それでも、人間より強い魔力を持っていることは間違いない。脅威とみなす人も多いだろう。
「ガウクの能力を疑うわけじゃないが」
ミマネの複雑な心境には気づかず、アンセルは続ける。
「あいつがやっていることは危険だ。どんなに腕のいい猛獣使いでも、一つのミスで喰われてしまうだろ。精霊に首輪をつけることはできないしな。虎なんかよりもはるかに厄介だ。あいつがそれを、しっかり認識していることを祈るよ」
ミマネはアンセルの横顔を伺う。冷静で隙のない、戦士の顔をしている。
アンセルの懸念は最もだ、とミマネは思う。もしかしたら、実体験から話しているのかもしれない。対魔王特別隊に入るくらいだから、精霊と交戦したことがあってもおかしくない。
しかしガウクと精霊の関係性については、アンセルは思い違いをしているような気もした。
昨日のクリオネの精霊との関わり方を見る限り、ガウクにとって精霊が危険なものではないのは間違いない。「仲良しの精霊」とまで呼んでいたし、つくろいの精霊のことも「暴力的ではない」と言っていた。
アンセルが描写する精霊像と、ガウクが説明する精霊との間にはかなりの違いがある。
私のお父さんが魔物の中では例外であるように、精霊の中にも「例外」とそうでないものがいるのだろうか?
ガウクは身振り手振りを交えて、つくろいの精霊に何かを説明している。
二人はそれぞれの思いに沈みながら、その様子を見守った。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「今回ばかりは、俺が何かを壊したわけじゃないんだ」
「そうなの?」
「うん。この子なんだけど」
ガウクはそっとバスケットを持ち上げる。
「どうれ……」
つくろいの精霊は大きな体をぐぐっと屈めて、バスケットの中を覗き込む。
「あら、珍しい」
モモは相変わらず元気がなかった。
精霊の細長い指で頭を撫でられても、まったく反応しない。
「どう? 直せるかな?」
「もちろん」
精霊はモモのそばに置いてあった耳の欠けらを手に取る。
「直せるよ。この器は生きていないから」
若干引っかかる言葉ではあったが、ガウクは今のところは聞き流すことにした。精霊たちの話す言葉が人間には解けないパズルのようになるのは、いつものことだ。
「あー、それで、友達をこっちに呼んでもいい? 2人はこの子のことすっごく心配してたからさ、つくろいの精霊が直すところを見せて、安心させてあげたいんだけど」
精霊はまたしても沈黙する。
口を開くと、ぼわんと反響する低い声で言う。
「うるさくない? うるさい子は嫌い」
「すっごい静か」
ガウクは必要以上の力を込めて保証する。
「ものすごく静か。全然うるさくないよ。2人とも立派な大人だし」
「私には子どもに見える。だけど、いいよ。ガウクがそう言うなら」
つくろいの精霊の承認を受け、ガウクは手招きして二人を呼ぶ。
ミマネは興味津々、アンセルは慎重に近づく。
「それじゃあ早速だけど、お願い」
ガウクに促され、つくろいの精霊は両手を広げた。




