つくろいの精霊 後編
モモの体が、ふっと宙に浮き上がる。
精霊は耳から始めた。
左手で耳のかけらを頭に押さえつけ、右手の人差し指でそっと接合部をなぞる。
指先から金色の光があふれだし、耳をくっつける役割を果たす。
同じ要領で、頭と体に走る傷も塞いでいく。
全ての亀裂をなぞり終えた後には体内から漏れ出ていた光も消え、モモの体には金色に輝く跡だけが残った。
つくろいの精霊が手を下ろす。モモは地面にゆっくりと着地する。
「モモ?」
モモはすぐには返事をしない。
ぺろりと手を舐め、腹を舐め、マイペースに毛づくろいをする。
満足がいくと元気よく歩きだし、ミマネのすねに体をこすりつけた。
「わあ」
何事もなかったかのようなモモの様子に、ミマネは喜ぶ。
「すごい。ありがとう、つくろいの精霊」
「それで、これでおしまいか?」
アンセルは拍子抜けしたようだった。
「ずいぶんあっさりと終わったな」
モモはごろんごろんと転がり、背中を地面に擦り付ける。
体に走る金色の線は、月の光を受けてきらきらと輝いた。
「傷跡が残ってしまったな」
アンセルのつぶやきを、精霊は耳ざとく聞きつける。
「どうして人間は直した痕跡が残るのを嫌うの?」
ぼわんと響く声に、疑問の色が混じる。
「よく分からない。あなたも自分の体に残った跡が嫌い?」
アンセルが驚く。
精霊に直接声をかけられるとは思っていなかったらしい。
「俺の体がなんだって?」
「一度壊れてしまった物はもう二度と元には戻らない。どんなに元の形に近づけようとしても、もともとの姿とは違うものになる。あなたならそれを知ってると思ってた」
ウォウ。
ガウクは両手で顔を覆いたくなる。
無神経だ。もちろん、精霊に悪気はない。しかし、それでも。
「よく知ってるよ。ご覧の通り、この体だからな」
アンセルは静かに言う。
「多分、精霊であるあなたよりもよく知ってる。実体を持たない存在に、俺たちの肉体がいかにもろいかを教わる必要はないな」
ワオ。
今度はガウクは新鮮な驚きをもってアンセルを見つめる。まさか精霊に言い返すとは思わなかった。
アンセルの口調は挑発的ではなかった。
しかしつくろいの精霊がそれをどう受け止めるかはまた別の話だ。
案の定、つくろいの精霊は動きをぴたりと止める。
服を縫い直している腕も、空洞の中に浮かぶ茶碗さえもその回転を停止する。
朴訥とした表情からは何の感情も読み取れない。しかし、その巨体でアンセルをひたと見据える姿はかなりの迫力がある。
おっと。これはまずいかもしれない。
ピリついた雰囲気になってきたのを感じたガウクは、大急ぎで場の修復を図る。
「つくろいの精霊! 見事な腕前でモモを直してくれてありがとう! いつも頼りになるね!」
わざとらしく大声を出した後、精霊の近くで小声で付け足す。
「アンセルさんは出来栄えに文句を言ったわけじゃないよ」
「でもあの子、私の仕事にケチをつけた」
「そうじゃない! 俺たち人間にとってはさ、見た目って重要だからさ。アンセルさんはモモのことを心配したんだよ。もともとの姿とまるっきり同じ姿に戻れるなら、それに越したことはないからね」
つくろいの精霊は腑に落ちないような顔をしている。
それでも、頭上の腕は再び繕いを再開し、茶碗はゆっくりと回転を始める。
ほっとしたガウクは、次にアンセルのところへすっ飛んでいき、押し殺した声で謝る。
「すみません。精霊って、俺たちとはちょっとズレてるところがあるから──」
「ガウクが謝るようなことじゃない。精霊は人間とは全く違う世界で生きてるってことは知ってる」
アンセルは冷静だった。
「しかし俺も生意気な口を利くんじゃなかったな。機嫌を損ねて大暴れされたらまずい」
「いや、いや、つくろいの精霊はそんなことしませんよ。ちょっと繊細というか、プライドが高いっていうか。自分の腕にすごく自信を持っているから、批判されるのは好きじゃないだけで……」
「心配するな、ガウク」
アンセルはガウクを落ち着かせるように、頼もしい笑みを見せる。
「精霊が突然怒り出したとしても、それはお前の責任じゃないよ。あれはそういう存在なんだ。何かあったら、俺たち全員で対処しよう」
ガウクの中で、安堵の気持ちと不安が入り交じる。
ガウクの予想に反して、アンセルはガウクに対して敵意などは持っていないらしい。
何かを失敗して怒られるということもなさそうだ。一安心だ。
しかし精霊に対しての不信感は相変わらず強い。
対処って具体的には何をするつもりなんだろう。つくろいの精霊を攻撃するつもりか?
「あの、本当に、つくろいの精霊は危ない存在じゃないんですよ」
「さっきあんなに必死にご機嫌をとってたのにか?」
「それはただ、つくろいの精霊に気分を害して欲しくないからで。だってわざわざ霊界から来てもらったのに、嫌な思いをさせたら申し訳ないでしょう」
「申し訳ない?」
アンセルは困惑した声を出す。
「ガウク、精霊はお前が申し訳ないかどうかなんて気にしない。あいつらにとって俺たちはアリみたいなものだ。いつでも潰せる」
「そんなことありませんよ! 精霊は俺たちのことをそんなふうには思ってない」
ガウクは大声を出す。
「俺はたくさんの精霊を呼び出して来たけど、傷つけられたことは一度もなかった。『お前の心臓でお手玉してやる』って脅されたことはあるけど──」
「心臓でお手玉を!?」
「それでも、精霊は危険な存在じゃないんですって! ああああ、どうしたら分かってもらえるんだあ……」
♦︎ ♦︎ ♦︎
ガウクとアンセルが何やら議論している中、ミマネはつくろいの精霊と交流しようとしていた。
「あ、あの、つくろいの精霊?」
おそるおそる声をかけると、表情の欠ける顔がミマネを覗き込む。
その巨大さに圧倒されそうになるが、ミマネは勇気を奮い起こして訊ねる。
「動物の体を回復させる呪文がモモには効かなかったんです。それってやっぱり、モモは生き物じゃなくて“物“として判定されてるってことでしょうか?」
少しの沈黙。
「そうだね」
低い声が答える。
「猫の魂がこの器を動かしている。器自体は生きていない。器に魂を閉じ込める魔法はよく見るけど、この種類の魔法は最近じゃあまり見ない。珍しい」
「この種類っていうのは……」
「魂を器に閉じ込めるのは簡単。その魂は器の中でしか動けなくなる。器を自由に動かす能力を魂に与えるのは難しい。複雑」
「そうなんだ」
意外にも、つくろいの精霊は普通に会話をしてくれる。
ミマネはモモの頭を撫でる。
「じゃあ、モモの飼い主は、すごい魔法使いだったんですね。そんな難しい魔法を使えるなんて」
「魔法使い?」
精霊は怪訝そうな声を出す。
「人間の魔法では、魂を他の器に移すことはできない。それができるのは精霊だけ」
「え?」
「これを作ったのは精霊。人間じゃない」
ミマネはつくろいの精霊を見つめる。
精霊は細長い指で優しくモモの背中を撫でた。
「どうして製作者がこれを地上に置き去りにしたのか私には分からない。すごくいい出来。私だったら霊界に持っていく。持っていこうかな。持っていっていい?」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ミマネは両手を突き出して、つくろいの精霊に待ったをかける。
ガウクたちの方を振り向くと、2人に困惑した声で言う。
「なんか新情報が出てきました」
「何?」
「モモを作ったのが──つまり、モモの魂を石の体に閉じ込めたのは、精霊だそうです。人間じゃないって」
「え? どういうこと?」
「いったいどの精霊が、なんでそんなことを?」
ガウクとアンセルが口々に訊く。
「知らない。確かめてみたい?」
つくろいの精霊は無感情に言う。
「そりゃまあ、もし分かるなら──」
ガウクが言い終わらないうちに、つくろいの精霊は行動に出た。
額から巨大な一本のししゅう針を抜き出すと、モモの体の横にぷすりと刺す。
「おい!」
「ちょっと!」
「何を──」
三人がそれぞれに声をあげるが、精霊は気にしない。
針はモモの横腹を貫通し、鋭い先端が反対側から突き出している。
精霊は針の頭から手を離し、先端をつまんでモモの体から針を引き抜く。
引き抜かれた針の穴には、黄色く光る糸が通っていた。
精霊は糸を掴んで、両手でぐるぐると巻き始める。
初めは短かった糸が、つくろいの精霊が巻くにつれてどんどん長さを増していく。
3人はあっけにとられてその様子を見守る。モモは一連の出来事にまったく影響されていない。ミマネのブーツで爪を研ぐのに忙しい。
あれよあれよと言う間に、黄色の糸でできた大きな円が完成した。人1人がくぐれるような大きさだ。
つくろいの精霊は無造作にその円の中に手を突っ込む。手を入れた先には別の空間が広がっているらしく、精霊の肘から先はガウクたちからは見えなくなった。
精霊が腕を円から引き抜く。
手には何かをがっしりと掴んでいた。
「あれは……」
それは、一見すると人間の男の子のように見えた。顔全体に紙がぴったりと貼り付いていることを除けば。
「この子が、その猫を作った子」
つくろいの精霊が言う。
少年はつくろいの精霊に着物の襟首を掴まれ、じたばたともがいている。
三人は何も言えずにその場に立ちつくす。ガウクでさえ、この状況にどう対応すれば良いのか分からなかった。少年が何者なのか、見当もつかない。
そのうちに、少年は何とかして精霊の手から逃れることに成功した。
少年はちょうどガウクたちの目の前に落ちて来る。びたん、と地面に落下した少年は、押し潰された悲鳴をあげる。
起き上がった少年は、明らかにおかんむりだった。
「誰だ!」
少年は怒鳴る。
「誰だ。わあの散歩を邪魔したのは」
声は奇妙に歪んで聞こえる。
霊界の住人だ、とガウクは直感した。
少年はきょろきょろと辺りを見渡すと、ガウクに目を留める。
「お前か!」
少年に指を刺され、ガウクは驚く。
「へ? 俺?」
少年は左手を勢いよく前に突き出す。
「危ない!」
ミマネが言ったときにはもう遅かった。
少年の手のひらから黄色の鎖が一直線にほとばしり、ガウクの胸を貫いた。




