直せないもの
ガウクは噴水の底に落ちていた耳の欠けらを見つけた。
ミマネとアンセルはなんとかして耳をくっ付けようとしたが、上手くいかなかった。
「メルロ」
何度目かの試みで、ミマネが回復の呪文を唱える。
魔導書が光りモモの耳に術式が流れ込むが、効果はない。
顔と体に走ったヒビも、塞がる様子はなかった。
「生き物に作用する呪文がモモには効かないのかもしれない。物を直す呪文はどうだろう」
「アロパド? でもあれは動物に使うのは危険なはず」
「モモに使っていいかどうかは微妙なところだな。体は石でできているけど、中身は猫だからな」
ミマネとアンセルはモモを治すために必死だった。特にアンセルは、モモの怪我に強い責任を感じているようだった。
「俺が噴水に突っ込んでいなければ」
アンセルは後悔の念をにじませながら言う。
「あの引ったくり男の下敷きになった時に傷ついてしまったんだろう。もっと気をつけるべきだった」
「モモの体から出てくる、この光はなんなんでしょう? モモの魂みたいなもの?」
ミマネの指摘に、ガウクは首を傾げる。
「うーん、どうかな。魂は通常、白い色をしているんだ。これは少し違うものに見えるけど……」
「しかし、まいったな。獣医に連れて行くか? それとも石工職人のところへ行くべきかな」
アンセルは困ったように頭をかく。
モモはミマネの腕の中でぐったりしている。体に走る亀裂からは、相変わらず小さな光の粒がこぼれては空に浮かんで消えていく。
その様子を見ながら、ガウクはある案を思いついた。
「あの」
おそるおそる声をあげると、2人の視線が集まる。
「多分だけど、俺、その子を治せる人を知ってるかも」
「本当ですか?」
ミマネが驚きの声をあげる。
「そいつはありがたいが、その人はここにすぐに来れるのか?」
怪訝な声をあげたアンセルに、ガウクはうなずく。
「実は人じゃなくて、精霊なんです」
「精霊?」
「はい。つくろいの精霊なら、多分モモを治せると思います」
ガウクは周囲を見回す。
「召喚する前に、いくつかお願いしたいことがあるんだけど……」
♦︎ ♦︎ ♦︎
太陽が落ち、すっかり夜になった。
暗くなった広場でガウクは一人、精霊を召喚するための準備をしていた。
「ほとんどの精霊は、大勢の人がいる場所を好まない」
午前中に、ガウクは二人に精霊を呼び出すための条件を説明していた。
「つくろいの精霊もそうだ。場所が悪いと、呼んでも来てくれないことがある。だから、どこか人がいなくて広い場所で召喚できたらいいんだけど」
「それなら」アンセルが声をあげた。
「この広場を使えばいいんじゃないか。俺が首長に掛け合って、しばらく立ち入り禁止にしてもらうよ」
「街中より、森の近くとかのほうがいいんじゃないですか? そっちのほうが人目につかないだろうし」
ミマネが提案するが、アンセルは首を横に振る。
「街の外れは避けたほうがいい。最近はその周辺で魔物の出没率が高すぎる」
「じゃあ、この広場で呼び出すことにして。あとは──」
ガウクはつくろいの精霊を呼び出すのに重要なものを思い出した。
「欠けた食器が家にあるなら持ってきてくれないかな。それと、ほころびが出来た服とか」
「それは何に使うんだ?」
「精霊たちの中には、こちらの世界に姿を現すために依り代を必要とする者もいるんです。自然界に属する精霊には必要ないけど、つくろいの精霊は霊界に属しているから」
ガウクが説明を終えた後、3人はそれぞれ精霊を召喚する準備に取り掛かった。
アンセルは街の長に話をした。広場を一時的に封鎖していいか訊ねたところ、夜ならば良いという許可が出た。昼間は観光客が来るので、余計な注目を集めたくないのだろう。
街の人々から長年可愛がられてきた看板猫の危機とあって、大勢の人がモモの様子を見に来た。精霊が召喚されるところを見たいという人も少なからずいたが、その申し出はガウクが断った。
精霊は多くの人に見られるのを好まない。それに、ガウクは精霊たちを見せ物のように扱うつもりはなかった。
夜が来るまで、モモはミマネが預かることになった。ミマネは念のためにと獣医に連れて行ったが、腕利きのヒーラーでもモモの傷は治せなかった。
ガウクはいくつかの店を回って必要な物を買い揃えた後、再び広場に戻ってきた。
人気のない夜の広場で、ガウクは楽器のチューニングをする。
今回の召喚に使うのは、ラメラフォンと呼ばれる楽器だ。ポケット魔導書と同じくらいの大きさの木の板の上に、金属の細長いへらのようなものがずらっと取り付けてある。ガウクが親指で金属片を弾くと、ポン、と柔らかい音が鳴った。
広場は静まり返っている。
チューニングの音と、噴水で水猫たちが立てるささやかな水音以外は、他に何の音も聞こえない。
「ガウクさん」
話しかけられたガウクは、顔を上げる。
「ミマネさん。どうだった?」
バスケットを抱えたミマネは、首を横に振る。
「ダメでした。獣医さんもお手上げ。モモの体は特別な魔法でできているらしくて、普通の魔法は全然効かないみたい」
ミマネは噴水の端に腰掛ける。膝の上に乗せたバスケットの中を見ると、柔らかそうなブランケットの上でモモが丸くなっていた。
「ずっと元気がないのが心配。モモは普段からご飯も食べないし水も飲まないから、どうやって元気づけたらいいのか分からなくて」
ミマネは悲しげに言う。
「何もしてあげられないってのはつらいですね。ただ苦しんでいるのを見ていることしかできないなんて」
「大丈夫だよ」
ガウクはミマネを励ます。
「ミマネさんは十分よくやってるよ。モモにもその気持ちは伝わってるはず」
ガウクはミマネの隣に腰掛ける。
腕をそっと伸ばし、モモの頭を軽く撫でる。冷たい。石の体は固く、生命の兆候を感じさせない。
それでも、くううっと首を反らしてガウクの手に頭を強く押し付けたモモは、間違いなく生きていた。ガウクの手のひらの中に頭をすっぽりと包まれて、モモは幸せそうにゴロゴロという音を立て始める。
「精霊でもモモを治せない可能性はある。でも、そうなったとしても気に病まないでね。俺たちはやれることはやったんだから」
「やけに落ち着いていますね」
妙に達観した様子のガウクを、ミマネは不思議そうに見た。
「うーん、まあ、俺が部外者だからってのもあるかもしれないけど。ただ、モモを初めて見た時からずっと思ってたんだ。この体にいてモモは幸せなのかなって」
「幸せ?」
「うん。モモの飼い主がどんな魔法を使ったのかは分からないけど──モモがこの体になることを望んでいたかどうか、俺たちがそれを知る術はないわけだろう? 動物の言葉は俺たち人間には分からないし」
「それはそうですけど……」
「モモに永遠に生きていてほしい、と願った飼い主の気持ちはわかるよ。でもこうして何百年も、美味しいものも食べられず飼い主もいなくなった世界で、ずっと固い石の体で生きているのがモモにとって幸せなのかどうかは、俺には分からない」
静けさが2人の間に広がる。
「でも、モモはいつも幸せそうにしてましたよ」
ミマネはぽつりとつぶやく。
「モモはこの街でたくさんの人に愛されてきました。この200年間が、モモにとってただ不幸なだけの時間だったとは思えないし──正直、思いたくないです」
「ああ、もちろん」
ガウクは驚いたように言った。
「ごめんね。街の人たちのモモへの愛情を無視するつもりはなかったんだ。それに、モモがこの状態で生きているのが絶対に不幸だって言いたいわけじゃないよ。ただ、なんていうかな」
ガウクは一拍置いて、自分の考えを頭の中でまとめる。
「いたずらに命の残り時間を引き延ばすのはよくないと思うんだ。病気や怪我は別だよ? 医療や魔法を使って、愛する者に少しでも長く生きていてほしいって思うのは当然のことだと思う。でも、不死を手に入れようとするのは間違ってる」
ガウクは穏やかに言う。
「俺たちは永遠には生きられない。命ある者は必ずいつかこの世を去る時が来る。それがこの世界の絶対不可侵の掟なんだ。その掟を破っちゃいけない。例え別れがどんなに俺たちを傷つけるとしても、俺たちはそれを受け入れなくちゃ」
ガウクが話し終えると、沈黙が降りた。
ミマネはガウクを、たった今初めて出会ったかのように見つめる。
そんなミマネの視線に気がつき、ガウクは慌てて喋り出す。
「ああ、偉そうにぺらぺら喋っちゃってごめん! とにかく、俺はこれが上手くいかなかったとしてもあんまり落ち込まないでってことを言いたかったんだよ。だってモモの残り時間は、とっくの昔にゼロになってたはずなんだからね。俺もモモはこの街で生きてて幸せだったと思うよ──いやごめん俺は別にモモが死ぬことを想定しているわけじゃなくて! えっと──」
急にガウクはしどろもどろになった。その様子を、ミマネはじっと見つめる。
「読めない人ですね、ガウクさんって」
そう呟いた後、思い出したように「あ」と言う。
「そういえば! 説得は上手くいきましたか?」
「へ? 説得?」
「チーム勧誘のですよ! どうでした? アンセルさん、オッケーしてくれました?」
「いやあ、それが上手くいかなかったよ。アンセルさんの意思はかなり固いみたいでさ」
「そんなあ……」
「やっぱり昔のように戦えない、っていうのが大きいみたいだ。でもアンセルさん、ミマネさんには感謝してたよ」
「感謝?」
「うん。人助けの得意なミマネのことだから、俺のことも助けてやりたいって思ってるんだろうって言ってた。妻に義理を感じてるんだろうって。アンセルさんはそう思ってるみたいだ」
「アンセルさん、そんなこと言ってたんですか……」
ガウクの言葉に、ミマネは少しショックを受けたようだった。
「おう、みんなもう来てたか」
タイミングよく、声が背後から聞こえてくる。
2人の前に姿を現したアンセルは、昼間とは少し違う装いをしていた。
胴体を保護する簡易な防具のようなものを身につけている。左腕は装飾用の義手ではなく、手首から先がフックのような鉤爪状になっているものに変わっていた。
「言われたものを持ってきた。これで用が足りるといいんだけどな」
そう言ってアンセルが差し出したのは、縁が欠けた茶碗と穴が空いた子ども用の小さな服だった。
「ああ、ありがとうございます。これで十分です」
ガウクは差し出されたものを受け取り、噴水の端にそっと並べる。
「それで? どうやって精霊を召喚するんだ?」
「この楽器を使って」
ガウクは先ほどまでいじっていたラメラフォンを手にとる。
「俺が演奏している間は、2人には少し離れたところで見てもらっていてもいいかな。精霊を警戒させたくないんだ」
「その精霊は危険じゃないのか? 俺たちを襲ってくる可能性は?」
「いや、その心配はありません。精霊たちは暴力的な存在じゃないから」
「でも、精霊に殺されたり呪われたりした例はいくらでもあるだろう。この精霊がそうじゃないってどうして言い切れる?」
「つくろいの精霊は俺たちに害を与えたりはしない。大丈夫です」
ガウクに保証されてもなお、アンセルは納得がいかない顔をしていた。
今更ながら、ガウクは世間一般の人の精霊に対する認識がどんなものだったかを改めて思いだした。おとぎ話の存在のように思っている人もいれば、人間を傷つける恐ろしいものと決め込んでいる人もいる。アンセルはどうやら後者のようだった。
だから防具なんて着ているのか、とガウクは思い当たった。もしかして左腕の鉤爪がついた義手も、戦闘になることを想定してのチョイスなのかもしれない。さすが場数を踏んできた元戦士だけあって、抜かりない。
しかし、誰と戦うつもりなんだろう。ガウクは考える。精霊か、それとも俺か?
「ガウクさんが大丈夫って言うなら大丈夫なんでしょう。じゃあ、私たちはあっちで待機してますから」
ミマネに背を押されて、アンセルは後ろ髪を引かれつつも離れたところに移動する。ミマネが振り返ってガウクに頷いてみせたので、ガウクもミマネに親指を立てて返す。
バスケットの中のモモを最後にそっともう一回撫でてから、ガウクはラメラフォンを両手に持った。




